2023年1月7日土曜日

『女人禁制』鈴木 正崇 著

女人禁制とは何かを多角的に述べる本。

日本では、女性が入ってはならないとされてきた山などの聖域がある。これは近年は女性差別の文脈から批判にされされるようになった。一方で、そうした山を信仰してきた人たちは、「これは女性差別ではなく伝統であり信仰」とそれに反論してきた。男女平等と伝統や信仰が相いれない時はどうしたらいいのか。本書はそうした二項対立を超えるため、そもそも女人禁制とは何かを考究するものである。

「女人禁制への視角」では、女人禁制の現状が概説される。女人禁制が大きな変化を被ったのは明治5年、政府が「女人結界」を廃止した際である。これは博覧会に女性を含む外国人を招くため、霊山(京都)の女人結界が邪魔になった政府が場当たり的に廃止したものであった。さらに同年、修験宗が廃止されたことで山岳信仰は大きな変化を受ける。今では女人禁制の山は大峯山と後山(岡山県美作市)しかない。

では近世では女人禁制はもっと多かったのか。これがそう単純ではない。女人禁制の祭りとして有名なのは京都の祇園祭(の山鉾巡行)であるが、実は近世までは女性が参加していた。ここでの女人禁制は「創られた伝統」である。もっと時代をさかのぼれば、女性はむしろ祈祷や神事の中核であり、古代文献には女人禁制という用語自体がない。だが近世に神事から女性を排除する動きがあったのは事実で、吉田神道は神子(みこ)を不浄なものとして祭祀の場から排除した。「女人結界」の用語も近世初期の仮名草子から頻出するようになる。また神道だけでなく、大相撲、酒造り、トンネル工事にも女人禁制は残っている。

「大峯山の現状」では、女人禁制の焦点となっている大峯山の複雑な経緯が述べられる。修験道の聖地大峯山は、神仏分離令や修験宗廃止令によって明治初期に変貌させられ、護持院(山上本堂の管理をする寺院の総称)、地元の吉野・洞川(どろがわ)、八嶋役講(信徒集団)の三者が女人禁制の山上ヶ岳を共同管理している。この山上ヶ岳は、昭和21年にアメリカ人女性が登攀しようしたことをきっかけに、女人禁制を破ろうとする女性が相次いだ。しかし総じてそれは売名を目的とたもので、かえって女性が道具に使われていた(男性にそそのかされた行為であった)。

そんな中で異色なのは酒井秀子の場合だ。彼女は両親から「大日如来の申し子」として育てられ、長じて「八大教」という宗教を立ち上げた。また醍醐寺三宝院から修験道大僧正の位も得ている。女性初の快挙であった。彼女は信仰心から大峯山を目指し(山上ヶ岳ではなく)大日山(稲村ヶ岳)へ登攀した。稲村ヶ岳への登山は女性の大峯山修行のコースとして後に定着した。

また昭和41年にこの地域が国立公園に編入されたことをきっかけに、観光コースとの兼ね合いから女人禁制の区域が昭和45年に縮小された。また女性信者の受け皿を作る必要もあり、様々な面で徐々に女人禁制は緩められた。

そして2000年、大峯山の女人禁制を解禁しようという修験教団の動きがあったが、禁制に批判的な奈良県教職員組合の女性教諭らが山上ヶ岳に無断で登頂して大問題となる。解禁への地元の反対も渦巻く中で事態が混迷し、結局解禁は先送りされた。大峯山が、女人禁制によって特別な場所になっていることは確かだ。

「山と女性」では、なぜ山が女人禁制となるのか、その基盤をより広い視野から探っている。女人禁制の山がある一方で、そうでない山があるのはどうしてか。例えば熊野はそうではなく、熊野比丘尼は熊野信仰の中核を支えていた。柳田国男は、女人結界の伝説によく登場するトランニ(都藍尼)という女性を巫女を指す古代の一般名詞だと推定した。尼は山の神の顕現であると考えられる。

高野山の伝承では、弘法大師の母も登場し、また女人禁制を確立した山の近くには、開山に関わった僧の母の伝承(廟や祠)が数多く見受けられる。仏教に母子の結びつきを重要なものとする考えが導入された影響と考えられる。女人禁制の山で多くの場合伝承されているのは、女性が登ろうとした際に怪異な現象が起きてそこから先に行けなかった、というものだ。僧の母の場合もそれが多い。こうして女性を排除することで山の聖性や怪奇の力が強調されたのである。しかもそれは、ここから先は行ってはダメという明確な境界をもって主張された。つまりその境界性・神聖性の確立に女性の存在が一役買っているのである。

「女人結界」では、女人結界の成立と歴史についてまとめている。女人結界の始まりは平雅行の9世紀後半説と、西口純子の11世紀後半説がある。ただ用語としてはともかく、9世紀後半には実質的には存在していたと考えられるという。また女人結界の理由は不邪淫戒に基づくもの(女性を遠ざけるため)という。しかし古代の僧尼令では男女の戒律は対称に設定されていたのに、なぜ女性に対する規制だけが突出したか。それには尼寺が消滅したことが原因であると牛山佳幸は考えた。尼は正式な受戒ができなかったこともあり、官僧から尼を締め出す方針がとられ、10世紀ごろまでに尼寺は激減した。これと並行して、仏典にある女人罪業観と触穢思想とが融合して女性の不浄観が生み出されたと考えられる。そして修行の場を清浄に保つためとして女人結界が生まれたのである。

このプロセスには陰陽師の活躍が一役買っていたかもしれないが、やはり大きいのは修験道である。修験道の山での修行には性的な要素も豊富に含まれる。そのための女人禁制という意味も大きい。修験道の成立には、山を異界と見る平地民・農耕民の世界観と、山を活動の場にする狩猟民の世界観がそれぞれ影響を与えている。狩猟民は血を穢れと思わず、女性の血の障りも気にしない。かつては山で活躍する巫女もいた。女性が不浄なものとみなされて排除された…というような単純なものではなく、修験道は女性原理(胎内くぐり、生まれ変わりなど)を取り入れる形でその儀礼を発達させ、であるがゆえに女性を遠ざけることになったのかもしれない。

「仏教と女性」では、仏教の教義における女性の位置づけが改めて考証される。法華経には女性には五障があり垢穢(くえ)の身だから成仏できないとされている。しかしこれが仏教伝来の際には強調されていない。「五障三従」といった女性差別的な文言が教説の中で定着していくのは9世紀後半の摂関期からである。「律令制下の家父長制原理がしだいに確立して貴族社会に浸透して、貴族女性の政治的地位が低下したことがあり、これに穢れ観の肥大化が加わったとみるのがほぼ定説(p.144)」である。

しかしその動向は直線的ではなく、女人往生思想もあった。特に一遍は男女問わず極楽往生を説いている。また道元は女人結界を痛烈に批判し、男女を区別すること自体を拒否した。

女性の不浄観の確立に一役買ったのは、偽経(中国で作られたお経)の『血盆経』である。室町時代、15世紀頃に伝来し、江戸時代に写本が流布した。ここでは血の穢れのために女性が「血の池地獄」に落ちるとし、その影響で出産で亡くなった女性が苦しむと考えられるようになった。これは女性の生物学的特徴そのものを、さらには出産をも罪と見なす女性差別的な経典というほかない。しかし仏典が女性の罪と不浄を説くからこそ、女性は仏教に救いを求める必要があった。『血盆経』は女性の護符となったし、芦峅(あしくら)寺の「布橋灌頂会」は女性の極楽往生を確定させるものとして多数の女性信者が集まり莫大な収入をもたらした。

「穢れ再考」では、女人結界の基盤である「穢れ」が再考される。「神聖と不浄は表裏一体(p.169)」である。「穢れ」の成立は、「神聖」の確立でもある。古代には汚れの観念ははっきりしたものでなく、それが確立するのは9世紀あたりで、神=清浄が強調されるとともに、女性の穢れ(月経、出産)が規制されるようになった。これは日本に限ったことではなく血の穢れの規制や女人禁制は世界中に存在する。なお明治5年には政府が産褥の規制を解き、明治6年には「自今混穢ノ制被廃候事」として「制度的に産穢など触穢に関するものを廃止(p.184)」している。

さらに本書では、民俗学や文化人類学を使って「穢れ」を定義する試みがされているが、私にはピンとこなかった。

最後に、「男女平等と伝統が相反する場合にはどうしたらよいか」ということについて本書を読んで感じたことを述べたい。まず、そこでいう「伝統」とはいつの話なのかということだ。近世なのか中世なのか、はたまた近代なのか。それとも「皆が伝統だと思っているもの」なのか。それについて共通理解を得ないことには話が進まない。

確かに日本では、女性を不浄なものとする価値観が仏教や修験道、陰陽道といった様々な方向から形作られてきた。今から考えると女性差別としか言えない教えがあったのだ。それが日本の伝統なんだといえばその通りだ。しかし近世までの「伝統」は、日本人はほとんど捨て去ったというのも事実である。今ではチョンマゲをしている人は誰もいない。女人禁制だってごく限られた場所だけに残っている。それは絶滅寸前の動物のような、保護しなければならない存在だろうか。それとも根絶するべき存在だろうか。本書はこの点に関しては慎重に中立的な立場を貫いている。

しかし本当の伝統ならばともかく、「皆が伝統だと思っているもの」であった場合は、伝統を墨守する意味はあんまりないのは自明であり、そういうケースが多いのである。

女人禁制を歴史・思想から中立的に考える貴重な本。

【関連書籍の読書メモ】
『仏と女(シリーズ 中世を考える)』西口 順子 編
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/12/blog-post_21.html
仏教における女性のあり方を考える論文集。中世仏教の女性のあり方を様々な事例から紐解く真面目な本。


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