2019年4月29日月曜日

『江戸の蔵書家たち』岡村 敬二 著

江戸時代の蔵書家たちの世界を垣間見る本。

江戸時代に書物が流通するようになると、書物の収集家、それも何万巻もの書物を有し、書物を中心として文人のネットワークを築き、学問を追求する「大蔵書家」とよびうる人物が出てきた。

さらに時を同じくして国学が隆盛するようになると、歴史や神祇について諸本の異同を校勘し考証を行う必要があることから、ただ大量の書物を収蔵するだけでなくそれらを糾合していこうという動きが生じてきた。

本書は、そうした動きを「書物の集大成」「類わけの書籍目録」「書物の解題」「群書の索引」といった視点からまとめ、そこに心血を注いだ人物について述べるものである。

本書で取り上げられるそれらの成果は次のようなものだ。

『群書類従』:盲目の天才、塙保己一(はなわ・ほきいち)による国学や歴史に関する書物の集大成(叢書)。さらに塙は時の政府に働きかけ、和学の公的研究機関である和学講談所も設立した。寛永5年(1793年)より順次刊行。

『古今要覧稿』:故事や起源を考証し、分類して編集した類書(書物を類にわけて引用した書物)。塙保己一の弟子、屋代弘賢(ひろかた)編纂。八代は『群書類従』の編纂作業にも参加。

『合類書籍目録大全』:それまでの書籍目録の総合累積版として多田定学堂が刊行。分類方法として、「正史」・「神書」を筆頭にするという国学重視の類わけを採用。享和元年(1801年)。

『群書一覧』:国学を中心として刊行された書物を渉猟し、さらにそれに解題を付した編纂目録。尾崎雅嘉の編纂。明治20年代まで再版再刻され続けたロングセラー。享和2年(1802年)。

『群書捜索目録』: 50音順に並べた事項毎に、掲載された書物とその抄録を挙げた索引集。稀代の蔵書家・小山田与清(ともきよ)が自身の万巻の蔵書の集成として30年以上かけて編纂し2千巻に上ったが遂に未完に終わった。

要するに、江戸時代には「本をまとめた本」がたくさん編纂されたのである。その背景には、文人たちの自由な討議の会合とネットワークがあった。蔵書家たちは互いに書物を融通し合い、知識を交換し合った。例えば京都にあった以文会という月一回開かれた文人の会合は、参加者がレジュメを提出して研究報告(「随筆」と呼んでいる)を行うというもので、50年間も継続した。このような会が50年間も続いたというだけで、民間の文運の隆盛が分かろうというものである。

そして書物を糾合していこうという動きから感じられるのは、書物をストック(財産)と視、その書物の世界をいかに継承していくかという観点である。現代においては書物はほとんどフロー(流れ)であり、現れては泡沫のように消えていくが、江戸時代においては書物は一度刊行されたらずっと継承していくべき財産と見なされていた。だから書物の目録が幾度も編纂され、どのような書物が今存在しているかをキッチリ網羅しようとしたのである。

こうした動きを見ると、現代の書物文化が江戸時代から後退している部分があるような気がしてしまう。もちろん江戸時代の書物は今とは比べものにならない高級品であった。蔵書家たちは豪商や幕府の旗本であったし、庶民には手が届かない本が多かっただろう。蔵書家たちは自らの蔵書を公開してもいたが、図書館はなかった。

しかし江戸時代の書物の世界は、価値のあるもので充満していた。少なくとも、人びとは書物の世界は価値で溢れていると信じ、それにアクセスするための抄録や索引、一大叢書などを編纂したのである。翻って今はどうか。名著名作は数多いにしても、それと同時に書物の世界のほとんどは一顧だに値しないクズ本に埋め尽くされていないかどうか。ちょっと考えさせられる。

なお著者は、大阪府立図書館司書(著作時)であり、本書は図書館司書としての視点が面白い。「本をまとめた本」について豊富な事例を引いて書いてあるのも、本の世界をどうまとめるかという図書館の現場にいる人ならではのことだと思う。

そのため、記載は学術的ではなく親しみやすい。だがその副作用としてあまり体系的な書き方ではないので、一つひとつの事実をしっかり把握するには適さない。

体系的ではないが、蔵書家の活動を通じて文運の来し方行く末を考えさせる真面目な本。


【関連書籍】
『江戸の本屋さん—近世文化史の側面』今田 洋三 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/03/blog-post.html
江戸時代の出版・流通事情をまとめた本。
書商という文化の裏方から見る江戸の文化史。


『アウトロウ(ドキュメント日本人6)』谷川健一、鶴見俊介、村上一郎 編集

スケールの大きいはみ出し者達の物語。

「ドキュメント日本人」は、明治から昭和に至るまでの様々な人々を(脈絡なく)取り上げ、日本にとっての近代化・現代の意味を浮かび上がらせるシリーズ。本書はその第6巻。

取り上げられているのは、川上音二郎、五無斎保科百助、村岡伊平治、添田唖蝉坊、宮武外骨、伊藤晴雨、梅原北明、宗 不旱、江連力一郎、小日向白郎の10人。

「アウトロウ」とは無法者の意だが、無法の程度にもいろいろある。例えば川上音二郎は、一般に言う無法者ではない。彼は自らの劇団を引き連れて渡米し、金がなくなって劇団を餓死寸前にまで困窮させながらもやがて認められ、米国やヨーロッパにおいて日本風の芝居で一世を風靡した人物。彼の場合は無法者というよりも、社会の埒外に生きた規格外の人物だ。

一方、完全な無法者が江連(えづれ)力一郎。オホーツクに砂金採取に行くという名目で乗組員を集めて航海に出発したものの、乗組員を騙して海賊行為を行わせ、ロシア人12人を殺害、さらに無抵抗の中国人4人、朝鮮人1人も殺害した。彼は帰国後に処罰されたがその行動には一片の同情も感じなかった。

特に印象深かったのは村岡伊平治。彼は単身南洋に渡り様々な職業を転々とした後、女衒(ぜげん=女郎屋に女性を売り飛ばす人物)として名をなした人。ところが本書収録の自伝によると、彼が女衒となっていく発端は、騙されて南洋に連れてこられ奴隷的に働かされていた女性の救出にあった。当時、南洋に行けばよい仕事があるとブローカーに持ちかけられ、良家の子女などが大勢連れてこられていたらしい。そうした不遇な女性に同情した村岡は大勢の女性を救出。ところがいざ救出しても彼には彼女らを養うすべがなかった。そこで村岡は女性達と夫婦の契りを結び(!)、しばらくの辛抱だとして女郎屋で働き帰国資金を稼ぐように持ちかける。このようにして村岡は大勢の女性を妻にして女郎屋にたたき込んだ。

さらには、南洋に出稼ぎに来ている男達は前科者ばかりで社会に害悪をもたらすとの考えから、その前科者を更正させようとする。その方法がまた無法者らしく、自分と同じく女性を掠ってきて女郎屋で働かせるというもの。それのどこが更正なのかわからないが、村岡の論理では、金を稼げば悪事は働かない、というのだ(たとえ悪事によって金を稼いだにしても!)。彼は女衒としてマフィアのボス的な存在になったが、彼なりの正義に基づいて行動した。だがその正義は今の正義から見るとやはり悪と言わざるを得ない。彼は多くの女性を奴隷からは救出したが、彼自身も女性をモノとして扱ったのである。

本書中、最も心躍ったのが小日向白朗。小日向は単身満州に渡り、ひょんなことから馬賊として頭角を現していく。馬賊というのは、日本で言えばヤクザにあたり、みかじめ料をもらう代わり街の自衛(?)を担うのである。小日向は他の馬賊との抗争に打ち勝ち、やがて馬賊の頭領となり全中国を手中に収めていくのである。彼は馬賊として確かに殺人も多くしている。しかしそれはいわばヤクザ同士の抗争であるから読んでいてもそれほど嫌悪感はない。ところが彼は恋人をもその銃で撃ち殺した。これは手違いであったのだが、一瞬の手違いで恋人を殺してしまうあたりが無法者である。しかし抗争ばかりで心の安寧を失った彼は、千山無量観(道教のお寺)で葛月潭老師に弟子入りする。本書での記載は弟子入りしたところで終わっているが、その後の彼の人生が非常に気になる所である。

全体を通じてみて、明治生まれの無法者のスケールの大きさにはびっくりさせられることが多かった。今の多くの人たちよりももっと国際的に縦横無尽に行動している。だが同時に、女性をモノとして扱う態度は多くの人に共通していて、しかもそれが無法者であるためというよりも、当時の普通の価値観としての態度なのだ。本書を読みながら、昔の女性観をも改めて考えさせられた。

2019年4月12日金曜日

『仮往生伝試文』古井 由吉 著

古井由吉による往生伝と随想。

「往生伝」は、たとえば『法華験記』とか『今昔物語集』、『日本霊異記』など中世の文学で大きなモチーフになった文学ジャンルであり、立派な(あるいは変わった)僧侶がどう往生したかを物語るものである。

ここでいう「往生」というのは、単に死を迎えるということを意味しない。文字通り西方浄土に赴くことが往生であり、その証拠として天上から楽の音が聞こえてくるとか、かぐわしい香りがするとか、花びらが舞うとか、確かに「往生」した証しが求められる実証的な現象なのである。古い時代の高僧には、そういう瑞祥に満ちた死に様があったようなのである。

当然、現代の我々からすれば、そうした「往生」はフィクションとしか考えられないのであり、リアリティを感じることはできない。往生自体もそうだが、そういう高僧の生き様にはちょっと常人離れしたところも多いから、往生伝には、まるで別の世界のホラ話といった雰囲気もある。

ところが本書では、著者の古井はかつての往生伝をリアリティある形で肉付けし、現代の我々の世界に引き寄せて再解釈した。例えば本書冒頭の「厠の静まり」は奇行で知られた増賀上人の話だが、増賀上人の一見不可解な現行が丁寧に繙かれており、それが史実に沿っているかどうかはともかく、我々は増賀上人の心を理解したつもりになれるのである。

しかしそういう往生伝の再解釈は本書の半分ほどでしかない。半ば脈絡なく、「○月○日、××へ行き〜」というような著者の日記というか随想のようなものが差し挟まれ、しかもその内容は往生伝とは一見無関係なのだ。最初は、この随想パートは一体何だろうと訝しんだ。だが読み進めるうち、随想の朧気なテーマとして「生と死」が浮かび上がってくる。著者は往生伝と向き合ううち、現代の人間にとっての死を改めて捉え直したかったのかもしれない。

それは、かつての高僧が立派な伽藍で、あるいは行き倒れに近いあばらやで往生を迎えたのとは違い、団地で迎える死とはどんなものかという視点であるように思われる。著者自身が本書執筆時に団地に住んでいたようだ。

団地と、往生——。全く似つかわしくないのである。団地という、生活のリアリティのカタマリのようなところで、例えば天上から楽の音が聞こえたり、かぐわしい香りがしたり、花びらが舞うといったような往生は、どう足掻いてもありえようがない。だから、往生伝の再解釈と団地での随想は、いつまでたっても出会うことなく、互いに独立して話が進んでいく。

そして次第に、往生伝は閑却され、むしろ随想パートの方が主役になってくる。この頃の著者はちょど50歳くらい。自分自身、老いと死を意識し始める頃である。病院では検査が必要と言われ、次第に知人の葬儀へ参列する機会も増える。そういう生活実態と往生伝が重奏してくる。さらに後半になると随想の方が分量的に多くなり、往生伝ではない短編小説も差し挟まれる(「去年聞きし楽の音」)。そのあたりではテーマが「生と死」から「性」へと転換。作品としては迷走しているような感じもするが、おそらく著者としては筆の赴くまま自然に往生伝を飛び越えていったのであろう。

そんなわけで、本書は往生伝の再解釈を中心とした前半、往生伝と随想が独立しながら絡み合う中盤、随想とも小説ともつかない筆すさびのような後半、とだいたい3つの顔を持っているのである。本書は「試文」である。実験的な作品、という意味だろう。長い連載の間に、内容も書き方も自由に変えている。だから細かく見れば本書にはこの3つ以外にもいろいろな顔がある。

ただし全篇にわたり文章は濃密で、練りに練られている。前半は割合に平易で具体的な書き方をしており、後半は次第に夢と現(うつつ)を行きつ戻りつするような調子となる。最後にはスラスラとは読めない、ある意味で謎解きのような文章になる。私は内容的にも前半の調子が好きで大変面白く読んだが、後半の方はまどろっこしい感じがしてやや退屈だった。でも人によっては最後の方の謎めいた文章がいいというかもしれない。

本書は、文芸評論家の福田和也が百人の作家を点数評価した『作家の値うち』(2000年)で最高得点を与えられ一躍脚光を浴びたことで知られる。『作家の値うち』は未読なのでどんな評価なのか不明だが、まあ簡単に評価の俎上に載せられるような作品ではないことだけは明らかだ(そもそも読者をかなり選ぶ作品だと思う)。

ちなみに私は20歳くらいの頃に本書を一度読んでいるが、その時は全くピンと来なかった。自分自身が40歳に近づき、徐々に肉親の死や自らの老いを考えるようになってきて、ようやく本書と向き合えるようになったのだと思う。人に勧める作品かというと分からないが、意識のどこかに長く沈潜していくような作品だ。