2015年7月31日金曜日

『麵の文化史』石毛 直道 著

麵の歴史を考察する本。

麵とは、伝統食品としては変わったところがある。作るのに特別な道具を必要とし、作るには手間もかかり技術もいる。手づかみでは食べにくく、箸や匙の使用を前提とする。さらには主食的なものでありながら肉や野菜も入っており副食的な部分もある。

このようなことから、ある文化が麵を食べるようになるには、ある程度の段階に達しなければならない。例えば最も道具を必要としないタイプの製麺方法である手延べ麵であっても、小麦の製粉のための道具(石臼など)がいるし、 麵を打つ台が必要である(ここまではパンと同じ)。

うどんのような切り麵だともっと道具は高度になる。麺棒は断面が真円に近くないとうまく麵が打てないので、木を削る轆轤(ロクロ)が存在しなくては麺棒が作れないし、台の方も真っ平らでないといけないので、真っ平らな台を作る技術や道具(のこぎり、カンナ等)が必要だ。

そしてこのように道具・技術・手間をかけて食品を作るという文化的・経済的余裕も必要である。

しかし一度麵を打ってしまえば、ワンプレートで主食と副菜が採れる上、茹でるのは簡単で調理の手間も時間もかからないことから、麵は外食向きの手軽な食品であり、麵の文化は外食する文化と共に発展してきた。いうまでもなく外食文化は都市化と関係があり、自給自足的経済には外食が存在しない。また高度な技術を要する麵打ちは家庭では作りづらいということも、麵が商品経済的な食品(つまり職人によって製造され販売される食品)となることに一役買っていた。

さらに、本書には指摘がないが、麵にはエネルギーの節約という側面もある。ご飯を炊くのには長い時間の炊爨(すいさん)を必要とするが、素麺を茹でるのはものの1~2分だ。しかも一度麵を茹でたお湯は次の麵を茹でるのにも使える。基本的には薪で火を焚いていた前近代社会では、特に人口が集積していた都市部で薪は慢性的に不足しており、エネルギー効率のよい麵食は歓迎されていた。江戸時代に蕎麦が流行したのも、薪の不足が原因の一つと言われる。

この麵という食品は、どこで生まれ、どう世界に伝播していったのだろうか。本書は、それを探るべく東アジアを中心としてフィールドワークし、また史料によっても探っていこうとする世界初の試みである。

その成果は下図に纏まっているが、一言で言えば、麵は中国に発祥し、5世紀頃に中国の文化を受容した地域(漢字文化圏)に広まり、近世(1700年代以後)に多様化していった、とまとめられるだろう。麵は特に箸で食べやすい食品でもあり、箸を使う地域での発展が顕著である。


なお図においては、地域ごとではなく麵づくりの技術によって系譜がまとまっている。すなわち、切り麵(うどん)、手延べ麵(ラーメン)、そうめん(道具をつかって細く長く延ばしていく麵)、押し出し麵(ビーフン)、河粉(東南アジアの麵)である。本書は、料理法や製法に着目して麵を系統分類している。

さて、中国が麵のふるさとであるとすれば、当然問題になってくるのはもう一つの麵食文化の中心地であるイタリアとの関係だ。イタリアのパスタは、中国に由来するものなのだろうか? 中国に直接由来する麵文化はカスピ海の東までしか存在しないのだが?

ここはまだまだ研究が進んでいないことで、本書でも控えめな表現で書いてはいるが、著者はやはりイタリアのパスタも中国からの伝来であると推測している。

というのは、イタリアのシチリアに12世紀にはあった「イットリーヤ」というパスタはアラブから伝えられた「リシュタ」というものを元にしていたらしい。この「リシュタ」は遅くとも10世紀には中央アジアにあったものらしいが、中央アジアはシルクロードによって中国の強い影響下にあったことを思うと、 この「リシュタ」が中国の麵文化と独立に発祥したものであることは考えがたい。要するに、シルクロードによって中国の麵はアラブを介してイタリアに渡り、パスタになったのだろうというのである。

さらに、本書には指摘がないが、元々ヨーロッパには硬質小麦(パスタを作るデュラム小麦など)はなく、硬質小麦をヨーロッパに伝えたのはアラブ人たちである。硬質小麦の伝来とあわせて、アラブ人たちが麵づくりの技術を伝承したということはありそうなことである。

ただし、イタリアのパスタの特徴であるネジ式の押し出し製麵は中国の押し出し麵とは独立してイタリアにおいて考案されたものだということだ。

ところで、本書は元々は日清の企業出版であったものが講談社文庫により文庫化され、内容が学術的なものであったためか改題して講談社学術文庫に移されたものである。原題の『文化麵類学ことはじめ』はユーモアがあってよかったと思うが、学術文庫に収載されるにあたりふざけるのはよくないとなったのか『麵の文化史』という真面目な題に改題されたのはちょっと残念である。

食文化の研究というのは世界的に見てもまだ始まったばかりで、身近に存在する美味しい食べ物の故事来歴というのは意外に謎なことが多い。麵という一つの食材を取ってみても分からないことだらけで、本書は麵文化を解明する最初の試みとしてほんのアウトラインを描くものだ。

麵を通じて文化の伝播まで考えさせる意欲作。


【関連書籍の読書メモ】
『食味往来—食べものの道』河野 友美 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
日本における食べものの伝播を考える本。
食べものの道を考察することで、文化の伝播や食文化の価値を考えさせる良書。


2015年7月28日火曜日

『渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」』溝口 敦 著

山口組五代目組長 渡辺芳則にインタビューした本。

渡辺は山口組組長としては異色の人物。先代の指名ではなく幹部の合議で組長に就任したし、少年時代もいわゆるワルではなく、少年院にも行っていない。賭け事はしないし、親はカタギで親との関係も良好(家庭に問題を抱えた人間がヤクザの道に入ることが多い)。そして山口組としてはヨソ者となる関東の出身。

本書は、「組長が語った山口組経営学」を謳っているが、実際には渡辺が組長に就任するまでの話がほとんどで、組長時代のことについては後日談的に語られるに過ぎない。

何しろ渡辺が組長を務める間には、暴力団対策法が施行された上にバブル後の不況時代でもあり、暴力団の経営は思わしくなかった。不況であったことと、暴力団が広域暴力団に集約されていく趨勢から、その間も山口組の団員だけは増え続け4万人以上になったのだが、シノギ(仕事)の減少や抗争の禁止などから組織が停滞して活力が失われた。そのため渡辺は事実上クーデターの形で司忍へと組長の座を明け渡すことになったのだった。

そういうことから、本書は「渡辺の「山口組経営学」は結果的に敗北した」と結ばれている。

「ナントカ経営学」というような本は、基本的に成功者が経営哲学を語るという体のものがほとんどだろう。それが本書は逆で、結果的に敗北したものが(未だ敗北していない段階で)語っているという点が一つの価値かと思う。なお内容は経営哲学を語るというようなものではなく、基本的には渡辺がいかにして山口組で上り詰めたか、という成り上がりストーリーになっている。

その言葉の端々に窺える組織論や人生論は、意外と(いい意味で)普通で、カタギの人間とそれほど変わったところがない。ある意味で暴力団というより実務家風な感じがした。だがその人間が、結果的にはクーデターで追い落とされているわけなので、やはり極道のトップは実務家では務まらなかったということなのだろうか。

ところで私は、ヤクザは日本社会を写す鏡だと思っている。ヤクザ組織は日本社会のいいところも悪いところも増幅して具現化したような存在である。そういう観点で見てみれば、渡辺の敗北もなんとなく分かる気がする。日本社会では、実務家はトップにいてはならないのである。

書名と内容はちょっと食い違っているが、暴力団の組織に関心がある人には楽しめる本。

2015年7月21日火曜日

『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著

本書は、日本の政治・行政機構への痛烈なダメ出しの書である。

日本の政治・行政機構はバブル崩壊までは世界的に称讃され、研究もされてきた。世界一優秀な教育システム、倫理感のあるエリート、「日本株式会社」と呼ばれ官民一体で通商を振興する体制、そういうものの秘訣はどこにあるのか、多くの欧米の研究者が日本を訪れた。

また一方では、神秘的な日本文化——茶の湯や能、禅や古寺といった伝統文化も世界的に称揚されてきた。こうしたことから、ジャパノロジストと呼ばれる日本研究者が「神秘的な日本」、「東洋と西洋が融合した日本」、「技術立国であるとともに伝統的な価値観が残っている日本」という日本賛美の声を惜しげもなく注いできた。

しかしそれは本当だろうか? 日本の社会はそんなに褒められたものだろうか? いやそれどころか、今の日本は世界的に見て後れを取っているのではないか? 本書は、そういう観点から著者なりに問題だと思うところを延々と挙げていくものだ。

まずやり玉に挙げられるのは「土建国家」である。日本経済は土木工事なくては立ちゆかなくなるほどに土建業に依存してしまっている。余剰労働力を吸収できるところが土建業しかないために土建業に過度の税金が投入されている。そのため不必要な工事が無定見に行われ、美しい国土がコンクリートで覆われてしまった。どれくらいすごい量のコンクリートが使われているかというと、
「94年の日本のコンクリート生産量は合計9160トンで、アメリカは7790トンだった。面積当たりで比較すると、日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる」(p.52)
とのことだ。だだっ広いアメリカと面積当たりで比較するのはやや的確でないとしても、人口当たりで考えてもアメリカの倍はコンクリートを使っている計算だ。

しかも多くの日本人はそのことを当然だと考えている。災害の多い日本は、治山・治水に力を入れなければ手痛い目に遭うと思っており、土建業への依存はやむないこととされている。特に震災後は、土建業者がいつでも遊軍として控えていることが一種の防災であるかのように認識されてもいる。

確かに、日本は雨が多く山がちであり、舗装されていない坂道があろうものなら大雨ですぐに通れなくなってしまう。今でも東南アジアでは雨が降ると通行止めになる山岳地帯の道は結構あると思うし、気候条件がかなり違うアメリカやヨーロッパとコンクリートの多寡を単純比較することはできない。道路をアスファルトで舗装すること一つ考えても、日本と欧米では必要性の度合いが違うと思う。

しかし問題は、そうした土木工事が本当に意味のある工事となっているか、ということである。もちろん、例年、年度末になると予算消化のための工事が行われることを知っている我々は、とても全てに意味があるとは言えないことは本書に指摘されるまでもなく分かっていることだ。

そして治山・治水に必要な工事であっても、環境と周囲の景観に配慮し、最小の構築物で最大の効果を生む工事を行うべきだ。しかし日本では、本来の必要からかけ離れた大規模な——モニュメンタル(記念碑的)な、といってもよいような工事が好まれる。ほとんど車の通らない山道に、立派な橋が懸けられる。海岸線は、目を覆うばかりのテトラポッドで埋め尽くされる。山は切り開かれ、斜面全体がコンクリートの奇っ怪な格子で覆われるのである。こうして国土は醜くなっていく。

そんな工事は、本当に必要なのだろうか? いくら護岸工事が必要といっても、テトラポッドをむやみやたらに積み上げて効果があるのか? ちゃんと専門的な調査に基づいて護岸しなくては、逆効果なことだってある。護岸工事をしたら海岸の浸食が激しくなった、というような皮肉な話は、日本にはゴロゴロ転がっているのである。

このように、日本では、必要性は低いが金がかかる派手な工事はバンバン行われるが、逆に必要性は高いのに地味な事業には全然手がつけられないのである。

こうしたことは、新聞やテレビでもよく糾弾されていることであるから、あえて本書に指摘してもらうまでもないと思うかもしれない。確かにそういう面もある。だがそうした日本の「リアル」を外国人が英語によって発表(原題 "Dogs and Deamons")したことに意味がある。また著者ならではの視点での問題提起もたくさんある。

例えば、都市と景観の問題。日本でも都市計画はあるにはあるが、そもそも都市を美しくしようという意志に全く欠けており、電線の埋設一つとっても全然進んでいない。それどころか周囲の環境と調和しない奇抜な建物がドンドン建てられる状況にあり、例えば世界的な観光都市といえる京都ですら、一部の古寺を除けば電線とコンクリートの建物に溢れ、古都の情緒など微塵も存在しない。それどころか市内中心部の京都駅は古都らしからぬ醜悪な「現代建築」で、外には京都タワーが聳える。そして周りを見回せば品のない看板ばかり! どうしてこんな無秩序な景観になってしまったのだろうか?

日本は規制が多い社会と思われており、実際に煩瑣な規制はたくさん存在しているが、本質的に意味のある規制は少なく、ほとんど形式的なものであることが多い。よって規制が多いのに無秩序が横行している。景観や都市計画といった面では諸外国の方がよほど規制が多く、しかもその規制が実質的だ。しかし規制の多寡が問題なのではなく、規制によって実現しようとする理想の社会があるかどうか、ということが重要だ。

さらに、膝を打つ思いだったのが街路樹の管理の稚拙さ! 日本では街路樹の落葉が迷惑がられるためか、秋になると無残にもバッサリと街路樹の枝が落とされることが多い。それも不要な部分をバサバサちょん切ってしまい、非常に無様な姿になる。こんな無様な街路樹管理をしている都市は他の先進国にはないのではないか。一方で、盆栽を始めとして日本の庭木管理は高度な技術を持っているはずである。技術は持っているはずなのに、街路樹の管理がどうしてこうもおざなりなのか?

このように、本書は日本への愛のムチとも言える本であり、耳が痛いを通り越して不愉快な部分もある。時に少し偏った紹介の仕方もあるし、日本人として完全に同意できない点もある。しかしその主張は総じて「普通の日本人」の感覚に沿ったものである。普通の日本人が、「この国はどこかおかしい」と感じるそのボンヤリとした違和感を、外国人の視点からスバっと具体的に指摘してくれている。

才覚と能力に溢れた若者にとって、この国はもはやさほど魅力的ではなくなってきている。海外で一旗揚げた若者は、もう日本には戻りたがらない。「平和を謳歌している自由で裕福な国が、そこに属する最も優秀で野心ある人々にとって魅力がないというのは、世界史を見てもほかに例のないことだ。(p.343)」この一文には目が醒める思いだった。日本はまだ裕福で自由な国と呼べるだろうが、優秀な人間に見捨てられるほど、大きな問題も抱えた国なのだ。

ではその問題をどうやって解決していけばよいのか。本書は問題提起の書であり、処方箋を提示するわけではない。ある意味では言いっぱなしである。解決策を考えるのは我々の責任だ。日本社会には巨大な問題があるが、それを解決していくのは超弩級にやりがいのあることでもある。

日本の姿を率直に捉えて、これを改善していこうじゃないか、そういう気持ちにさせられる重要な本。

2015年7月6日月曜日

『百姓たちの幕末維新』渡辺尚志 著

幕末維新期における百姓の実態を探る本。

「百姓たちの目線から幕末維新を見直してみようと思います」と帯にあったので、私は幕末維新の動乱がどのように百姓たちの生活を変えたのか、あるいは百姓たちの力がどう時代を動かしたのか、ということが本書の主眼ではないかと思っていた。

しかし実際には、本書の内容は「幕末維新期における百姓たちの社会生活の一端を垣間見る」というようなものである。

例えば、本書では「抜地(ぬきち)」というものについて詳しく説明がなされる。これは土地が質流れして他人の手に渡ってしまう時、本来は土地に付属する納税(年貢)義務も同時に譲渡されるべきなのに、納税義務の方は元の持ち主にあるまま利用権だけが移ってしまった土地のことである。つまり納税義務者たる名義人と、実際の利用者が合致しない土地ということだ。どうしてこのようなことが生じるかというと、少ない土地でたくさんの金を質から借りたいという時に「納税義務無しの土地」ということにすればその価値は非常に高いので、困窮した百姓がこうした裏技を使って金を借りてしまったのだった。

しかし土地はないのにその納税義務だけあるということは、すぐに行き詰まるのは必然である。抜地が横行した結果、代官にも本当の土地所有者が誰なのか分からなくなり、適切に課税することができなくなって、困窮したものがなおさら困窮して没落していくという現象が生じた。

そこで抜地を解消し、土地の所有者と納税義務者を一致させる改革が必要になってくる。こうした改革を行うには、今風に言えば「言論」の力が必要になるのであるが、本書の白眉は百姓による「言論」がどんなだったかを詳細に記述している点である。時代劇によるイメージでは、百姓は代官に対して「慈悲を乞う」ような接し方しかしていなかったように思いがちであるが、実際には対等な形で非常に立派な議論を展開していることもあり、百姓のイメージが変わった。

それどころか、その議論の仕方を見ると現代の農家よりもよほど立派な部分があるようにも見受けられる。課題を認識し、解決策を自らの手でつくり出していこうとする努力は、ともすれば役所や農協に不満を言うだけで終わりがちな現代の農家よりも優れている。

もちろんそういう立派なやり方だけでもなかったのだろうが、「村」というものが意外と自律的かつ民主的な原理で運営されていて、身分の上下はありながらも武士と百姓が対等な言論によって課題を解決していこうとした(こともあった)ということがよくわかった。

このように、本書に出てくる事例はとても具体的なものであって、一つの案件を丁寧に追っていくということが長所である。「抜地」の部分などは誰それがこう言った、次にどう行動した、ということが詳細に語られ、現場の息吹が感じられる。だが逆にそれが短所でもあって、その現象が全国的に見てどう位置づけられ、それが幕末維新という動乱にどう関係したのか、というマクロな視点というのはほとんどない。

そういう意味では少し物足りないところもあるけれども、当時の百姓の「言論」の有様を知る上では好適な本。