2021年5月15日土曜日

『世界古典文学全集 19 諸子百家』貝塚 茂樹 編

諸子百家の思想の概観。

本書は、諸子百家の思想家の中から、墨子、荀子、管子、韓非子、孫子の5名を選んで、著作から主要な部分を日本語訳したものである。なお本書で収録されていない諸子百家(の主なもの)は、儒家本流(孔子・孟子)と道家(老子・荘子)である。

そもそも諸子百家とは春秋戦国時代に活躍した思想家であるが、実際には今のコンサルに近いもので、各国を遊説して政治経済政策を説いていた。

そこで説かれていることは、紀元前の社会への言説であるにもかかわらず、びっくりするほど現代に通じるものがある。人間の社会は、2000年以上経ってもそんなに変わっていないということのようである。 

春秋戦国時代というのは、非常なる乱世であった。それまでの安定した社会の仕組みが壊れ、戦争につぐ戦争の果てに社会が再構築されていく時代である。こういう時代背景は、今の世の中にも通じる所があるかもしれない。本書のような本は現実の社会には役に立たないもののように思うかも知れないが、決してそうではないと思う。

本書はもちろん気になる思想家のみを読むのでも十分に面白い。それに小さい活字の上下二段組み450ページは結構な分量だから通読を躊躇う人もいるだろう。しかしそれぞれの著作は抄訳であるため、読むのは意外と大変ではない(原著の半分〜2/3くらいになっている。ただし「孫子」は全訳)。諸子百家の主要思想がこの一冊で概観できると思うと、労力的にもかなりお得な本だと思う。

本ブログでは既に本書の内容それぞれについてメモを書いてきたが、以下簡単に紹介する(リンク先は読書メモブログ記事)。

墨子
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2020/11/19.html
実利と鬼神とが奇妙に同居した、不思議な「有神論的功利主義」の書。 

荀子
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2020/11/19_23.html
科学的な思考によって儒学を再解釈し、環境や努力の重要性を謳う、乱世を生きる力強い思想の書。

管子
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/02/19.html
現実的な人間理解の上に構築された政治経済学。法治主義の思想は近代的ですらある。しかし論文集的であるため一貫性はなく、通読するにはちょっと冗長。

韓非子
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/05/19.html
人間不信の君主論。絶対主義国家を構築するための冷徹な政治経済学であるが、それを実行する君主もまたロボットのように非人間的であらねばならないという救いのない書。

孫子
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/05/19_14.html
記述の態度が当時としては非常に新しい。故事ではなく論理性によって説明するのが現代的。最高の兵法書。

 

 

2021年5月14日金曜日

『孫子』貝塚 茂樹 訳 (『世界古典文学全集 19 諸子百家』所収)

孫子の思想。

本編は『孫子』の全訳である。『孫子』は思想書ではない。あくまで兵学書である。火攻めにする時はどうするかとか、どのような地形で攻めるべきか、退却するべきか、といったような戦いの細かい話もある。

ところが、諸子百家の様々な思想を読んでから『孫子』を読むと、これが紛れもなく新しい時代の「思想」のように感じられるのである。

その新しさは、第1に説明が論理的で全く故事に頼っていないことである。儒家はもちろん諸子百家の全てが、何かを説明する時は必ず故事(歴史)を持ち出す。歴史はあまり参考にならないと考えているらしき『韓非子』でさえも、やはり故事を踏まえて自らの主張をしている。しかし孫子は故事など全く使わない。歴史に疎かったのでなければ、自らの理論によほど自信があったのだと思う。そして故事に頼らず論理のみによって説明するため、文章が非常に簡明である。

第2に、観念論や名分論を廃した、実証・現実に立脚する態度である。例えば「戦争の原理から考えて将軍が勝てないと判断したならば、君主がぜひ戦えといっても、戦わないほうがいいのである」というような言葉は当時の言論の中では衝撃的である。「君主を諫めた方がいい」ならばあるが、将軍の判断で勝手に君主に背いてもよいというのは他の諸子百家の思想には存在しない。『韓非子』であれば、君主に背くなどそれだけで死刑になる。では『孫子』ではなぜこういうことを言うか。それは単純で「そのことがまた君主にも利益になる。そういうことができる将軍はじっさい国家の宝ということができるであろう」からだ。負け戦はしない方がいいに決まっている。君主がいくら戦争をしたくてもだ。そういう当たり前の価値判断をするところが『孫子』が革命的に新しい点である。

第3に、具体的な戦争の仕方を述べているにもかからず、言葉が妙に(?)普遍的であり、いろいろな応用が利く記載が多いことである。「たたかいは国の大事[…]であるから、事前によくよく調査が必要である」「戦争上手も、敵に敗けない態度をつくることはできるが、敵をして敗かされる態勢をとらせることはできない(常に負けないことはできるが必ず勝つということは不可能)」といったようなことは、非常に応用力が大きな言葉だと思う。そうであるのも、『孫子』の表現が本質をズバッと突いるからだ。『孫子』のいうことは、ある意味では当たり前のことばかりであるが、それを素直に表すところが新しい。つまり『孫子』の新しさは思想よりも、その「態度」にあると言える。

古来、孫子が最高の兵法書とされたのも納得である。

 

2021年5月13日木曜日

『韓非子』本田 済 訳(『世界古典文学全集 19 諸子百家』所収)

韓非の主要思想。

本編は『韓非子』全55編の中から、主要な30編を日本語訳したものである。韓非は中国の戦国時代の末期、韓の公子として生まれた。彼は荀子の弟子となったが、生まれつき口が吃りでうまく喋れなかった。華麗な弁舌で思想や政策を説く儒家や墨家が貧窮の徒であったのとは対照的で、この境遇はその思想にも反映しているものと考えられる。

韓非の思想を一言でまとめれば、「人間不信の君主論」である。

韓非は、人間を利己的存在だと見なした。であるから信賞必罰以外にはその行動はコントロールできないのだという。儒家のみならず、多くの思想家が仁義礼智といった道徳によって社会規範を確立しようとしたのに比べ、韓非はそういった内面的なものを一切信じない。信じないどころか有害なものと見なす。君主はアメと鞭によって臣下を使役すべきであるが、もしそうしたものに靡かない臣下がいれば、それは殺してしまうしかない、と韓非は述べている。人間の良心や内面的な欲求というものを徹頭徹尾信じなかったのが韓非である。

しかし韓非がそのような人間不信に陥ったのも無理はない。当時は戦国時代の末期であり、血で血を洗う戦争が行われていた。しかも政治は混乱しており、有能で廉潔な士が冷や飯を食わされる一方で、自己の利益しか顧みない口先だけの奸臣が君主に取り入って幅をきかせていた。本来政治に携わるべきでない無能で有害なものが私利私欲のために国家を食い物にしていたのが韓非の時代であった。韓非の憂憤はその文章のみでも伝わって余りある。

では、一体どうすれば君主はそのような奸臣に蝕まれずにすむか。韓非に依れば、まず君主は誰も信じてはいけないという。たとえ家族であってもである。子に裏切られて弑されることも多いのだから、わが子すら警戒しなければならないし、愛妾などもってのほかである。

そして自らの好みや感情を表すことなく、常に冷徹で冷静でなければならない。なぜなら君主の好みが明らかになると、それに合わせて取り入ろうとする奸臣が出てくるからである。さらに臣下に対しては徹底的に言行一致させる。口だけうまくて何もしない無能な臣下を排除するためである。ただしこれは簡単ではない。臣下は君主に都合の良い報告しかしないからだ。であるから、君主は臣下の言葉が真実であるか検証しなくてはならない。そして計画されたものより成果が足りなかったらもちろん処罰し、多くても処罰する。計画以上に達成するのも言行不一致であり、それは君主に対する罪なのである。

このように、韓非の考えでは君主であることは決して楽ではない。諸子百家の他の思想家と違う点はここである。韓非と同じ法家の管子などは「優秀な宰相と法律の体系さえあれば、君主は何もしなくてよろしい。無為自然である」というようなことを言っている。儒家などもこのような調子で、「君主の仕事は人事であり、優秀な人材を配置したら後は君主の仕事はない」というような主張がある。これらの主張は、君主の責任を人事や立法に限定するものだから、君主にとっては都合がよかったに違いない。

ところが韓非では、国家運営の究極の責任は全て君主にあり、国が栄えるも滅ぶも君主次第、もし国が傾いたとすればそれは君主が悪い、と君主の責任を糾弾する姿勢が鮮明である。こういうことを遠慮仮借なく主張したのが韓非らしいところである。これは韓非が公子という身分であったためだろう。

しかし君主やそれを取り巻く重臣にはこのような正論が受け入れづらいことは韓非にもよくわかっていた。「説難(ぜいなん)」という篇には、政策を説く危険性が縷々述べられている。君主が元来持っている性向と合致しない政策は、いかに正しいものであっても受け入れられる可能性は少ない。それどころかそういうことを説く論客は我が身を危うくすると警告している。そのような危険性を十分認識していながら、使節として秦に赴いたとき韓非自身がその非運にあって、あろうことか相弟子の李斯に殺されてしまうのである。

ただし、それは秦の王(後の始皇帝)に疎まれたためではない。それどころか秦王は『韓非子』の「孤憤」と「五蠹(ごこ)」の2篇を読んで「この作者に会えるなら死んでもよい」と述べたと伝えられる。李斯は韓非が秦王に重用されるのを怖れて殺したのである。実際、秦王が始皇帝になると韓非の政治理論は実行に移された。李斯の文章や、その筆と考えられる始皇帝の告諭を見ると『韓非子』の剽窃に近いものが感じられるという。

始皇帝が実行した『韓非子』の政治理論の中心は法治主義である。『韓非子』では、法を厳密に実行することによって統治する方策が述べられている。しかし他の法家との大きな違いは、法を至上のものとするのではなく、あくまでも統治の道具と見なす考えである。『管子』では、緻密な法体系があれば君主のやるべきことはなにもなく、むしろ君主すらも法令に従う必要があるとしていたのに、『韓非子』では立法と行政はどちらが欠けてもだめで、また君主は法の上に君臨しなければならないと考えている。

法家思想の流れを考えると『韓非子』はその集大成に位置するのであるが、法の下の平等など近代法学に合致するのは『管子』の方で、『韓非子』はそういう近代法学的な部分は却って後退して、法が政治理論の一つの道具になっているように見受けられる。韓非にとっては君主絶対主義が重要で、法治主義はそれを支えるものに過ぎなかったようだ。

私は『韓非子』を読みながら、他の諸子百家の思想家と比べ何か物足りなさを感じざるを得なかった。文章は憂憤の情に溢れて激越であり、説得力も高い。特に始皇帝が唸った「五蠹」などは非常なる名篇である。しかしながら、その人間理解の皮相さに、「本当にそうだろうか、人間とは?」と自問してしまうのである。韓非によればほとんど全ての人間は利に従って行動するという。であるにしても、手近にある小さな利益と、辛抱して得られる大きな利益を比べた時にどう行動するかは千差万別であろう。利益を求めるにしても、何の利益をどのように求めるかを考えなくては人間の行動は理解できない。

しかし『韓非子』では、皆がみな刹那的な利益ばかりを求めるとでも言わんばかりなのである。もちろんこれは韓非の生きた時代が戦乱の世であったことによるのだろう。人々が刹那的な生き方をするのも当然である。ところがここに一つの矛盾がある(←ちなみに「矛盾」という言葉は『韓非子』が出典)。韓非の言うような統治を行うとして、それで君主が得られる利益はなんなのかということだ。

韓非の描く君主像は、とても幸福とはほど通い。誰も信じず、愛さず、好みは隠し、安逸を許されることもなく、冷徹で、お気に入りの臣下を贔屓することもできない。まるでロボットのような君主を演じなくてはならないからだ。ではそうした人間を演じることで、君主の得られる利益は何なのか? 『韓非子』によれば、それはひとえに他国に勝つということなのである。確かにそれは大きな利益には違いない。だが普通の君主は、贅沢をしたり美姫をかしづかせたり、親族の栄達を図ることに実際の利益を見出しており、他国に勝つというのはそのための方策に過ぎない。『韓非子』の人間不信を君主に向ければ、当然君主すらそうした卑近な欲望に従って生きているとせざるを得ないのである。

だが『韓非子』では、君主は他国に勝つということを第一の利益として、それ以外の人間的喜びを全て放棄した存在として描かれている。そのようなことがあるだろうか? ありうるとすれば、他国からの脅威を警戒している最中だけだろう。『韓非子』の説く政治理論はきわめて現実的であるにも関わらず、その君主像は空想的ですらある。

つまり『韓非子』では、人間をどう見るかという視点が一貫していない。だから『韓非子』は「人間の学」として見れば破綻していると思う。韓非は、古の聖人の統治は立派なものであったとしながらも、「世異なれば事(こと)異なる」と言って、そのような統治は今の世には現実的でないと言う。古の聖人のような立派な君主は今はいないし、民衆の方も昔とは違ってしまっているからだ。だから凡庸な君主でも実行可能な政治理論が必要だというのである。

それなのに『韓非子』の描く君主は、およそ不可能なほどストイックに統治を行うロボットのような人間にならざるをえなかった。それが『韓非子』のいきついた矛盾であったのである。

諸子百家の君主論の究極であるとともに、皮相的な人間理解に限界を感じる悲劇の書。


2021年5月10日月曜日

『ナショナリズム──その神話と論理』橋川 文三 著

日本のナショナリズムの起源を後期水戸学から探る本。

本書はアンバランスな論考である。著者自身があとがきで「敗退の記録」と述べているように、とりあえずぶち上げた「ナショナリズム論」をどうにかこうにか形にするべく悪戦苦闘した末、途中で投げ出したような代物だ。「この書物は、せいぜい全体として日本ナショナリズムというテーマに迫るための序説のうちの序論(p.245)」で終わったものなのだ。

では本書が内容の薄い本かというとそうではない。確かに論考のバランスは取れていない。序論で提出された壮大なテーマはほとんど消化不良のままに終わる。だが短い記述の中に日本のナショナリズムの特質が描き出されており、長大な思想史の一部分を垣間見たような気になる本である。

序論では、ヨーロッパのナショナリズム論のエッセンス(特にナチスを巡るもの)が紹介され、ナショナリズムは自然発生的なものではなく(それどころかしばしば郷土愛とは相容れず)人為的に作られたものであると述べる。さらにルソーのナショナリズム論に触れ、ナショナリズムは、神を失った社会で「一般意志」(主権者の意志)に服従させるための「新しい神」を創出するものであったと見る。ナショナリズムは、自国の誇りを鼓舞するというような単純なものでなく、最初から「公共の利益」のために全てを犠牲にすることを求めるグロテスクなものとして生まれた。ナショナリズムとは「新しい政治的共同体への忠誠と愛着の感情(p.49)」なのだ。

第1章では、日本におけるネーションの誕生を考察する。それにあたりまずは徳川斉昭(水戸藩主)、会沢正志斎(水戸学者)、大橋訥庵(儒学者)らの水戸学に関係した夷狄排撃論が紹介される。彼らは日本を「神州」と位置づけつつも、それはあくまで封建領主の所有であると考え、また民衆を愚民視して露骨に猜疑した。その論には挙国一致を呼びかける風はなく、彼らの頭に共同体の一員としての民衆(=ネーション)は存在していない。後期水戸学はナショナリズムの母体ではあるが、そのものはネーションを生まなかった。

一方、脱藩して東北に行き、水戸学と出会って「歴史」を発見した吉田松陰は違った人間観を持っていた。彼は男女を対等なものと見なし、民衆どころか部落民をも差別しなかった。しかも理詰めでそうしていたわけではなく、ごく自然な人間の情感や「善意」からの行動だった。この「善意」が(ある意味では皮肉なことに)ネーションを予見させた。

松陰は猛烈に歴史を勉強し、歴史の核心に「忠誠心」を据えた。その忠誠とは体制に盲従するのではなく、時として君主に諫言するのも厭わないもので、表面的な忠誠のみしかない佞臣は最も彼が嫌ったところである。であるから、彼はあくまでも幕府に忠誠を誓っていた。ところが倒幕論者の勤王僧黙霖とのやりとりの中で松陰は転向し、正統な統治者は天皇のみであると考えるようになった。そして天皇に対する「億兆」として、天皇以外の人々が相対化されることになったのである。

こうして体制擁護の学であった水戸学から倒幕の思想が生まれてきたのであるが、豪農層・商人層が信奉していた国学からも、別の面から一種の革命思想が生長してきた。それは、本居宣長が古代をユートピアとして描きつつ、この世の全てを神のはからいとして肯定し、ただあるがままに身を任せることを理想化したことから始まる。あるがままの対極が儒教的な規範、すなわち封建的社会論であったので、国学は結果的に封建社会の仕組みを根底から批判することになった。宣長の思想は徹底的に非政治的であったために、かえって現実の政権を相対化する役割を果たしたのである。

さらに平田篤胤は、宣長の思想を神学に転化させた。日本人はみな神の後裔であるとされ、彼の鼓吹した天皇に対する仰望=恋闕(れんけつ)はキリスト教の「神への愛」にも比すべきのとなった。ここでも人々は天皇の前に平等であると考えられるようになる。

幕末にネーション形成への機運が起こった背景には現実的な要請があった。夷狄を攘うための武力を必要としたことから国民兵(農民も兵士としてとりたてる)の構想がむしろ民衆側から提出されたし、また下級武士たちは無能な上級武士たちを押しのけるため能力本位な社会の仕組みを求めていた。そうした階級上昇を求める切実な要望に呼応するかのように、水戸学からも国学からも、天皇を超越的な支配者とし、それによって全ての階級を相対化する一種の平等思想が生まれていたのである。「自己の身命にいたるまで皆天皇の御物」という意味で、天皇以外の全ての人は平等なのである。どうやら日本における「平等」の概念は、まずは「天皇の前における平等」として理解されたようだ。

第2章では、このように準備されていた思想が明治政府樹立後にどのように変節して行ったかが述べられる。明治政府は攘夷の実現のために樹立されたにもかかわらず、実際的な必要から開国を進めた。いくら日本が神州だと述べたところで、現実には日本は多くの国の中の一国に過ぎず、列強に伍するための富国強兵には「万国公法」に従うべしとされた。

国学者たちはその時勢の流れについていけず、大国隆正のように「日本」への狂信と世界への開明性が奇妙に繋がった例外もあったにしろ、古代社会を理想とする国学は急速に顧みられなくなっていった。そうした国学者たちの失望を島崎藤村は『夜明け前』に書いた。

そして本書には詳らかでないが、国学と共倒れしたのが水戸学を含む儒学であった。国学との無意味な主導権争いによって政府首脳から愛想を尽かされ、より実用的かつ倫理的でもあった洋学が明治政府によって大々的に採用されることになるのである。

このように、幕末に意図せずして成長しつつあった「平等」の思想は、十分に形にならないままうやむやに立ち消えてしまった。そして「文明開化」に邁進する政府によって従前の思想が全て無意味化されてしまい、武士も民衆も、思想的なアノミー状態に突入する。雨あられのように乱発された難解で朝令暮改な布告は民衆を苦しめ、むしろ無気力で刹那的にしていった。旧時代は安定し自律した生活を営んでいたのに、新政府はその基盤を破壊したのである。

しかし今度は、政府の方がネーション=国民を求めることになる。それは、対外的な脅威に対抗する挙国一致体制を作るため、進んで国家に身を献げる民衆を創出する必要があったからだ。民衆は「国民」として国家に組み込まれた。そのための一手が「天皇親政」であった。ここで「天皇の前における平等」が持ち出された。しかしそれよりも国民意識を持たせたのは、納税や兵役の義務、そして戸籍の作成であったと著者は見る。

特に戸籍法は、「国民概念の法的表現」であり画期的な意義を有した。そしてそれが戸(家族)を単位としたことは日本のナショナル・キャラクターに大きな影響を与えた。国家が直接個人を支配するのではなく、家を介して支配する仕組み・前提が出来上がっていったからである。それまで一般民衆は家(イエ)にはまるで無縁だったのに(そもそも名字すら持っていなかった)、歴史的にそうであった以上に権威主義的でしかも上位権力に卑屈な家の概念が国家によって持ち込まれ、それによって明治期のネーションが形成されていったのである。

そしてもう一つ、国民の創出を別の方向から訴えていたのが自由民権運動であるが、これにしても国家に進んで命を捧げる共同体を作るために国会を作ることが必要だ、というようなロジックを使っており、「愛国」のための国民創出という点では政府の考えとほとんど変わらなかった。

すなわち、日本では「国民のナショナルな目醒めを経て国民国家が成立したのではない。列強に伍すべき「国民国家」が少数の専制的指導者によって設計され、それに必要な国民は教育によて創り出された(p.252 渡辺京二による解説)」のである。そして、日本は国民国家であるにもかかわらず、国民の意思(一般意志)は顧みられることはなく、主権者はあくまでも天皇であった。そして戦後、主権者が国民となっても、未だに確固たる「国民」は生まれていない。

本書は、著者自身が「序説のうちの序論」という通り、日本ナショナリズム論のアイデアが提示されただけで終わった感がある。特に不十分に感じたのが、吉田松陰の転換がどう幕末の思想史に繋がってくるかという点と、戸籍法についての考察である。しかしそういう点はあるにせよ、本書の視点はユニークで十分に読む価値がある。というのは、水戸学や国学が明治国家の政治にどう繋がって行ったのかという論考は多いのだが、それが民衆の「思想」にどう反映したかという論考は意外と数少ないからだ。

私なりに本書の結論をまとめると次の通りである。(1)日本においては「国民」はあくまでも天皇=国家と億兆(個人)という縦の関係のみで創出され、共同体を構成する「同胞」といった横の関係は十分に発達しなかった(むしろ明治政府は横の関係が発達することを恐れ民衆の団結を弾圧した)。(2)そして縦の関係は、それまで武士以外では見られなかった権威主義的な家父長制を導入することによって具体化した。(3)日本国民は、天皇ー戸主ー家族という関係で位置付けられ、そこに国民の意思を代表する機関が中間に存在しなかったために、国民の一般意志(主権)はないがしろにされ、またその発達を阻害した。

幕末明治における「国民」の成立を通じて語られる出色の近代日本論。

【関連書籍の読書メモ】
『現人神の創作者たち』山本 七平 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/03/blog-post.html
朱子学の日本的変容を述べる本。現代日本まで生きる「朱子教」の呪縛を解きほぐした力作。本書は前期水戸学までで筆が擱かれているため、後期水戸学から出発する『ナショナリズム』と合わせて読むと現代までの接続がよく理解できる。

『夜明け前』島崎 藤村 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/08/12.html
幕末明治の社会を、ひとりの町人の一生を通して描いた大河的小説。

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