2019年12月21日土曜日

『仏と女(シリーズ 中世を考える)』西口 順子 編

仏教における女性のあり方を考える論文集。

例えば高野山や比叡山は女人禁制であった。僧は、女性を近づけてはいけない。また女性は五障三従の身と考えられた(「五障三従」とは、女性は生まれながらに罪深く、男性に従属して生きる存在だ、という仏教の考え方)。さらに女性は往生(浄土へ行く)ができないため、一度男性に生まれ変わってから往生するという「変成男子(へんじょうなんし)」という考え方も生まれた。

歴史的存在としてのブッダが説いた仏教では女性を対等に扱っていたのだが、いつしか仏教の教えは女性を斥けるものとなっていた。ところが中世において、女性は仏教的活動にたくさん参画していたのである。もちろん尼僧の数は僧侶に比べて少なく、また大寺院の住持のような社会的頂点には女性はいなかった。しかし様々な面で中世仏教は女性の存在に負うものも多かったのである。本書は、そうした女性と仏教の関係について7つの論文を収める。

1 貴族女性の信仰生活(小原 仁):中御門家の一条尼は、日夜熱心に勤行を行い浄土へ往生したと見なされた。九条家では家の枢要な財産(最勝金剛院)が女性によっても相続され、家の仏事は女性によって取り計らわれていた。仏教の建前としては女性は「五障三従」の身であったが、実態としては貴族の信仰生活を主導したのは女性であった。

2 女の死後とその救済(勝浦 令子): 男性に比べ女性は地獄に落ちやすいものと考えられ、特に母の堕地獄を救済する信仰が生まれた。また女性自身も堕地獄を避けるために積極的にさまざまな信仰活動を行った。しかし女性は女性であるだけで罪とされたり、子を養育する罪(養育には絶対に殺生が伴うため)が女性だけに課せられていたことなど、当時の仏教は男女差別的と言うほかない。

3 法然の念仏と女性(今堀 太逸):法然の浄土宗では、念仏によって往生できると教えたが、であれば女性も念仏によって往生できるのか。著者は当時の資料を詳細に分析して「女人往生」思想を辿っている。その結果、法然は女人往生を語っていたとされるがそれは伝説であり、法然の女人教化譚が成立したのは、法然没後百年以上経ってから作成された『法然上人行状絵図』においてであることが明らかになった。

4 絵系図の成立と仏光寺・了明尼教団(遠藤 一):初期真宗教団は親鸞・恵信尼夫妻とその子を中心とした家族経営組織によって形成されたが、そうしたやり方を継承したのが武蔵国の仏光寺教団だった。その絵系図を見ると、夫と妻が一対として扱われており、この教団では夫婦が基本単位とされていたことが窺える。さらに了明尼は夫の死後、実施的に住持の立場となった。女性に高い地位を与えた仏光寺は興隆し、当時の山門(延暦寺)から本願寺よりもむしろ真宗の代表と見なされた。坊主・坊守という住職夫妻が寺院を管理していく今の真宗のあり方は、本願寺よりも仏光寺の方が体現していた。

5 女人と禅宗(原田 正俊):中世においては特に禅宗と律宗の尼の活動が盛んであった。曹洞宗では少数ながら男性と対等に扱われた尼が輩出。臨済宗では「尼五山」が設けられ、五山と似たようなシステムがあった。従来、尼五山は行き場のない上流階級の女性が自らの意志とは関係なく収容される場所であったと考えられていた。確かにそういう面はあり、女性は僧衆たちの下にあったことも事実だが、自主的に参禅し得法(悟り)を目指した女性もいた。彼女たちは無学祖元に参じた無外如大(尼僧)を理想像として仰いだ。また臨済宗では五山派以外にも大徳寺派で尼・尼寺が多かった。中国の語録では尼達が男性僧侶と対等に扱われていたから、禅宗では女性を宗教的に無視できなかったのである。禅思想は女性にとって、顕密仏教(当時の支配体制側仏教)のイデオロギーを覆す拠り所となりえた。

6 尼の法華寺と僧の法華寺(大石 雅章):古代の国分尼寺だった法華寺は衰退していたが、叡尊によって律宗の寺院として生まれ変わる。法華寺では尼、尼に準じる存在、近住女など200名を超える様々な女性が積極的に活動した。しかし15世紀初頭には法華寺は「比丘尼御所」となっていた。「比丘尼御所」とは、天皇家・将軍家・摂関家など貴種の子女が入寺する尼寺で、幕府の丸抱え経営であって御所的形態をとり、門跡寺院と同等の存在である。宮廷文化の衰退に伴って、将来結婚が期待できない未婚の子女にとっての宮廷に代わる居場所として形成されたものである。

7 女性と亡者忌日供養(西口 順子):親族の忌日供養は中世仏教の中心であった。従来、忌日供養は女性の手によるものとの認識があったが、実際には男性も忌日供養を行っており女性だけが営んだものではない。しかし貴族において近親の女性が尼となり一族の供養を行うことはよくあることだった。女性は往生できないとの説や「五障三従説」などは理念的に存在していたとはいえ、当の女性自身はそうした言説をあまり真に受けていなかったと思われるフシがある。

全体を通じて、中世の仏教において女性がどのように扱われていたのかというのが、意外とよく分かっていないことが痛感させられた。確かに中世仏教は女性差別的であった。しかし仏事の中心には女性がいたし、貴種の女性は寺院の荘園の相続人として莫大な財産を管理していたりもした。社会の中の女性のあり方自体が、今とはだいぶ異なっていたのに、「尼は僧に従属させられていたからこうだったに違いない」というような思い込みで尼・尼寺の有り様が誤解されていたことも多いらしい。

私自身は、中世仏教への関心というより、中世における女性のあり方を知りたいという思いで本書を手に取った。しかし読み進めるうちに、「中世仏教はどうして女性差別的になってしまったのだろう」ということの関心が移った。

中世において女性は男性と対等な財産権を持っていたし、しばしば家督を相続した。また家の仏事の中心的役割を果たしていた。そして古代の仏教では僧・尼は対等とはいえないまでも差別的な扱いはなかったし、中国の禅宗でも尼が活躍していた。それなのに中世仏教はなぜ「五障三従」や「変成男子」といった女性差別的な言説を展開させていったのか? それが不思議なのだ。

中世仏教の女性のあり方を様々な事例から紐解く真面目な本。

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