2016年5月19日木曜日

『植物の体の中では何が起こっているのか』嶋田 幸久・萱原 正嗣 著

植物の体のしくみについてわかりやすく説明する本。

本書は、植物学者の嶋田幸久の話に基づいてサイエンス・ライターの菅原正嗣がまとめたものであり、教科書的な本である。教科書的といってもつまらないという意味ではなく、ところどころ面白いトピックがちりばめられ、飽きずに通読できる。

主な内容は、光合成、植物ホルモン、生活環(植物の一生)であり、特に光合成の話が丁寧に記述されているように感じた。また、著者の嶋田は植物ホルモンを専門にしているため、植物ホルモンの話は研究のトリビア(どのように発見されたかといった挿話)まで含めて大変興味深く読めた。

本書を読んで若干疑問に感じたのは、「動かない植物が生きていくためのしくみ」という副題がついていながら、それに対応する話題提供が少ないのではないかということだ。例えば、植物の免疫機構については全く触れられていない。これは植物病理学という学問分野の話だが、意図的に避けたのか、ボリュームの関係で削ったのかどちらだろう。

また、害虫を避けるための仕組みについてもほとんど触れられていない。動かない植物は何も対策がなければ食べられ放題になるが、実際にはそのようなひどい被害を受けることは少ない。なぜ虫に全部食べられないのかという説明はして欲しいと思った。

植物病理学について書かれていないのは残念だが、その他の点では堅実に勉強できる無難な本。

2016年5月10日火曜日

『かくれた次元』エドワード・ホール著、日高敏隆・佐藤信行 訳

人間の空間利用について考察する本。

隣に座っている人と話すときと、2メートルくらい離れた人と話すときは口調も使う語彙も異なったものになる。普段あまり意識されることはないが、人と人との距離やどれくらい混み合っているかは、我々の行動を強く規定している。著者は、人間が相手との距離に応じてその行動を変化させることをプロクセミックスという(本書には明確な定義がないが著者が提唱する)概念を用いて考察する。

本書は大まかに4つの内容で構成される。

第1に、動物の世界における個体距離について。動物は増えすぎて適切な個体距離(すなわち縄張り)が保てなくなると、正常な行動ができなくなる。破滅的な行動や病気が多発するこの状態を「シンク」と呼び、これに陥ると個体数が激減する。増えすぎた動物が減るという現象は、餌の不足というような外的な要因で起こるのではなく、仮に餌が十分であったとしても「空間の不足」によって引き起こされるのである。

「シンク」はつがい行動や出産、子育てに顕著である。混みすぎの状態にある動物は、正常につがいを形成することができず、攻撃的な行為を繰り返したり、巣作りをしっかりと行えなかったりする。さらに子どもを産んでも育児が途中で放棄されることもある。ネズミであっても、出産や子育ての一時期には「プライバシー」が必要なのだ。だから増えすぎた状態でも、清潔で小さな箱を用意して積み重ね、「プライバシー」を確保できる空間を作ってあげれば「シンク」は起こらないという。

第2に、人間の生物学的な認知機能(五感)と距離認識について。人間も動物である以上、動物的な個体認識の基盤からは逃れることはできない。ここでは、人間が距離をどのように知覚するかということの機械論的な説明をしている。そうした説明の後、人間における距離の意味について考察を深めていく。例えば、近すぎる距離が「威圧」または逆に「親密さ」を表すということは、文化が違っても共通している。このように、人と人との距離は関係性を表す強力なサインでもある。

著者は人と人との距離を4種類に分けてそれぞれを考察する。(1)密接距離、(2)個体距離、(3)社会距離、(4)公衆距離の4つである。この4つの距離における行動の変化の探求がプロクセミックスの主要な内容である。ただし、これらの距離は確定的なものではなく、文化によってかなりの程度幅がある。手が触れ合うことを嫌う文化もあれば、見知らぬ人とでも肩を寄せ合う文化もあり、距離が持つ社会的意味は文化次第なのである。

第3に、異なる文化における距離の扱いの違いについて。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、アラブ、日本という異なる文化圏において、人と人との距離や空間の広がりがどのように異なったものとして認識されているかを述べている。この部分は、著者の主張がどの程度妥当なのか私には判断することができない。例えば、アメリカでは通りに名前がつくのに、日本では通りには名前がつかず交差点につく、というような指摘は面白い。確かに日本では道路は「県道○号線」のような味気ない記号で呼ばれるが、交差点には特色ある名前がついている。でもそれが日本人とアメリカ人の空間知覚の違いに起因するものかどうかはよくわからない。

第4に、それまでの話を踏まえ、これからの都市と文明のあり方について遠望している。我々は増えすぎ、都市は混みすぎている。このままでは「シンク」が起こるかもしれない。「シンク」を避けるためには、様々な工夫が必要だ。そこで著者は「未来の都市計画の趣意書」という提言を行っている。

我々は、都市や家々といったものは、文化の表現だと思いがちである。しかし著者によればそれは最大級の過ちだという。「人間とその延長物はいっしょになって、一つの相互に関連しあったシステムをつくり上げている」のである(p.259)。すなわち、都市や家々は我々が作ったものであるが、逆に都市や家々が我々を作ってもいるのである。その2つは分離できない一体のものだ。

「人間の存在と行為は事実上すべて空間の体験と結びついている」(p.249)ことを様々な面から論証する本。

【関連書籍の読書メモ】
『人間の家』ル・コルビュジエ、F・ド・ピエールフウ共著、西澤 信彌 訳
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/08/f.html
ル・コルビュジエとド・ピエールフウによる、住みよい家をつくるための都市計画提案の書。狭すぎる住居で暮らすことは、衛生上も、精神面でもよくなく、人びとの住宅事情が現在の大混乱のふかい原因、真の原因だとしている。