2015年11月25日水曜日

『食と文化の謎』マーヴィン・ハリス 著、板橋 作美 訳

歴史・宗教・文化といったものからではなく、唯物論によって人が何を食べ、何を食べないかを説明する本。

インドでは牛が神聖視され食べられないし、一方イスラーム圏では豚が汚れたものとして忌避される。アメリカには馬はたくさんいるのにアメリカ人は馬肉を食べず、昆虫は西洋文明にとって身の毛もよだつ食材だ。ペットを食べるなどともってのほかと考える人もいれば、愛情たっぷりに育てたペットを食べるのは当然のことと考える人たちもいる。さらには、我々にとっては恐怖でしかない食人すら、全く公認されていた地域もあった。

こうした食文化の違いは、どうして生じたのか。これまでは、歴史や宗教の気まぐれ、そして合理的な思考ができない人々の遅れた考え方といったものがその原因ではないかと考えられがちだった。しかし、著者のマーヴィン・ハリスは、こうした一見つじつまが合わない食文化の多様性の背景には、そのものが食べるに適するか適さないかを支配するコスト・ベネフィットの構造、つまり合理性があるという。

例えば、インドで牛が食べられないのは、役畜として重要な役割を果たし、またミルクを供給しているから、 豚がイスラム圏で食べられないのは、中東に豚の飼育に適した森林が少なく、豚の餌が人間の食料と競合しているため、といった具合である(本書の説明を暴力的に簡略化しています)。つまり、その食料(になりうるもの)を生産・獲得するのに必要なコストと、それを食べることによるベネフィット(他の食料を生産しないで済むといったこと)を天秤に掛け、コスト・ベネフィットの帳尻が合うものは食べられるし、そうでないものは食べられないのだという。

著者の説明は、多くの場合非常に説得的である。人類学界では著者は「異端の人類学者」などと呼ばれ忌み嫌われているらしいが、私にとってはその論理は明解かつ合理的であって、別に「忌み嫌われる」要素があるとは思えなかった。それどころか、食の原価計算をするようなこうした無味乾燥で(!)唯物論的な考え方が、人類学の世界にもっと広まって欲しいと思う。

ただし、宗教的タブーに関する説明だけはちょっと疑問がある。例えば、インドでの殺牛のタブーである。インドでは牛は神聖なもので手厚く保護されており、牛を殺すことは重大な宗教的タブーであるが、それは著者の説明では牛を屠ることはインドではコストが高すぎるからだという。牛は棃を引いてくれる上に粗食に耐え、ミルクを出してくれる有り難い存在だから、食べることが罪になるというのだ。要するに、コスト的に引き合わないから殺牛はタブーになった、と著者は主張する。

これは一見もっともらしいが、「コスト的に引き合わないことをなぜあえてタブーにする必要があったのか」という新たな謎を生み、謎を謎で説明している感じがする。コスト的に引き合わないなら、別に禁止規定を設けなくても人はそれを積極的にしようとはしないだろう。実際、馬肉や昆虫食といった他の項目では、コスト的に引き合う時はそれらは食べられ、引き合わなくなったら食べられなくなる、といった説明がなされている。コスト的に引き合わないものをわざわざ禁止する道理はないのである。

ヒンズー教が牛を殺すことを重大な罪として禁止しているということは、禁止しなければ牛を殺して食べようという人たちが大勢いたはずだ。著者の言うことが正しいなら、そういう人たちはコスト的に引き合わないことを敢えてやろうとしていたということになるが、それはなんでなんだろうか。コスト的に引き合わないならそれは食べられなくなるのではないのか? これに対してはいろいろな説明ができることを承知してはいるし、本書にもそれなりに理屈を書いてはいるが、あまり説得的ではなく物足りなく思った。

もう一つの物足りない点は、本書で扱っているものが動物性タンパク質(要するに「肉」)ばかりで、野菜や果物、穀物といったものがほとんど登場しないことである。著者の主張はいろいろな食品に応用できるものだと思うので、肉以外の食品文化に「唯物論」を適用するとどのような説明が可能なのかは興味あることである。

タブーに関する説明は曖昧なところがあるが、食文化を経済面から解明する小気味よい本。

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2015年11月9日月曜日

『食の思想と行動』石毛直道 監修、豊川裕之 責任編集

本書は、「講座 食の文化」の一冊で、この叢書は味の素食の文化センターがやっている「食の文化フォーラム」の研究成果をまとめたものである。監修は、世界各地で実際に食べ歩いてフィールドワークをしてきた「鉄の胃袋」の異名を持つ石毛直道氏。

本書の構成は若干散漫なものである。元々、この叢書自体が研究の寄せ集めであるためさほど体系的でないが、「食の思想と行動」という大上段に構えたテーマからすると内容の方は少し物足りない。

まず、本巻の責任編集をしている豊川裕之氏の序章「複雑系としての食」は本巻全体に通底するパラダイム的なるものを示したものだが、これがあまりいただけない。多分、同氏は「複雑系」というものをあまり理解していないし、「複雑系」の視点によって食文化にどのような新たな知見がもたらされるのかも全く見通しがない。ただ、これまでの唯物論的・機械論的な食文化の分析だけでは解明できないことがある、と言いたいらしい。

しかし私の見るところ、食文化については唯物論的・機械論的な見方の研究すら端緒に付いたばかりの状況なので、こういう批判をしなくてはならない意味が分からなかった。

その他、「食の思想」を銘打つにはあまりに個別的な研究が多く、それぞれは興味深い部分もあるが全体としてまとまりがない。ただ、「食の思想」というテーマが非常に難しいものであるだけにしょうがないのかとも思う。しかしここに収録された多くの研究が、フィールドワークに基づいた具体的・帰納的・現実的な事実を蔑ろにしていて、理念的・演繹的・図式的な理解に留まるものであることは、そのテーマが「思想」であるにしても残念である。

「食」という非常に現実的な対象を扱うわけだから、あくまでも現実の食べ物を相手にして考察を行うべきであり、理屈をこねくり回すだけの研究はしてほしくない。確かに要素に分けていって分析するという旧来の科学の手法では、食文化という総合的な現象は解けないのかもしれない。しかし「食文化は複雑系なのだから、要素に分けないでありのままに考察すべきだ」というような主張からは、結局表面的な結論しか出てこないということが、本書により図らずも露呈した感じがする。

とはいえ、面白い論考も中にはある。「医食同源」は日本で作られた漢語だとして薬膳理解を促す「薬膳と医食同源の由来」(田中静一) 、日本での脚気研究の展開を見る「鷗外と高木兼寛」(山下光雄)、茶の湯がもたらした料理への影響を語る「つつしみの美—近世初頭にみる料理観の転回」(平田萬里遠)、日本近代文学における粗食派と美食派について語る「文学にみる粗食派と美食派」(大河内昭爾)などは面白く読んだ。

まとまりがなく玉石混淆な、食文化に関する論考集。

2015年11月1日日曜日

『今こそ伝えたい 子どもたちの戦中・戦後 小さな町の出来事と暮らし』 野崎 耕二 著

南さつま市万世に育った著者が、戦中・戦後の出来事を思い出して書いた画文集。

著者の野崎 耕二さんのことは、萬世酒造の展示施設「松鳴館」で知った。松鳴館は基本的には焼酎造りの見学をするところだが、最後のスペースに野崎さんが描いた絵が常設してあったのだ。芸術的にどうこうということはよくわからないが、昔の素朴な暮らしぶりが生き生きと描かれていて、すごく好感を持った(参考:南薩日乗の記事)。

本書は、その野崎さんがかつて執筆した『からいも育ち』という画文集を大幅に増補改訂したものである。私は『からいも育ち』を読んでいないのでどこが増補されているのか正確には分からないが、本書のあとがきによると「戦中・戦後のことを十分に伝えられなかったとの思いを、ずっと抱いてきました」とあるから、多分戦争の話が補われているのではないかと思う。

しかし著者が戦争を体験したのは主に小学校低学年の時で、10歳くらいの時の話なのに、よくここまでいろいろ覚えているものだと感心する。しかもエピソード的に覚えているだけでなく、記憶から呼び起こして絵まで描いているわけで、それだけ戦争というものが強く記憶に残る出来事だったのかもしれない。

本書では、「小さな町の出来事」が全て一人の少年(だった人)の視点で書かれている。戦争への批判もあるにはあるがそれは思い返してみればの話で、子どもの頃は意外と何もわかっていなかったということが率直に語られる。特攻というものを知らされずに学校で特攻隊の見送りをしたエピソードや、戦争が唐突に終わっていたという話(ラジオがなかったので玉音放送を聞いた人はほとんどいなかった)は当時の実情の象徴だと思った。

そしてそういう深刻な話があるかと思えば、かなりの紙幅を割いて当時興じた遊びの数々もいろいろと説明されている。松林で遊んだ思い出、虫や小動物を獲った思い出、大勢で遊んだ思い出、全てみずみずしく語られて、他人事ながらノスタルジックな気持ちになった。

それから、個人的な関心としては、やはり昔の農業のことがとても気になった。サツマイモ、小麦、大麦、米、カボチャといったものの栽 培方法がところどころで書かれていて興味深い。現在と違う部分もあれば、同じ部分もある。特にカボチャの立体栽培をしているのは大変気になるところで、な ぜ昔の人は敢えて立体栽培をしていたのか非常に疑問である。

万世の戦中・戦後を、一人の少年とともに追体験する本。