2013年12月1日日曜日

『近代日本の戦争と宗教』小川原 正道著

明治時代の戦争に、各宗教団体がどのように「対応」していったかを詳述する本。

明治政府というものは事実上クーデターによって成立したため、その正統性があやふやなところがあったし、一方、各種宗教団体は自らの存在意義を政府に認めてもらうため積極的に政府に協力する素地があった。そのため、両者の利害が一致し、かくして宗教団体は明治政府の戦争を積極的に支持し、寄付を集め、戦地へ赴くものを激励し、皇恩に報いよと教えたのであった。

この基本構造は、仏教も神道も、そしてキリスト教においても変わらない。ごく少数の例外はあったけれども、当時の宗教界は諸手を挙げて開戦に賛同し、戦争で人を殺すことはなんら教義に悖るものではないと人々を諭したのであった。ただ、もちろん、具体的にどのような協力をしたかは、各団体がおかれていた状況によって異なることは言うまでもない。

本書を読む上での私の関心は、浄土真宗西本願寺派の動向にあったのであるが、同派は明治期の戦争協力において、宗教団体として最大の貢献をしている。信徒から莫大な金を集め政府に寄附し、戦地へ従軍僧侶を大量に送りこんだ。そして、戦後は台湾、朝鮮、満州において積極的な布教活動を展開している。

どうして西本願寺派がこのように政府に協力的な姿勢を見せたのかというと、神道を国家の祭祀としていた明治政府に対し、真宗の存在意義を示す必要があったということ。そして本願寺派と政府要人との関係が深かったということがあるだろう。

本書の白眉は、西南戦争の項目である。私自身、西南戦争と宗教の関わりについてはあまり認識していなかったのであるが、蒙を啓かされる思いであった。西南戦争について、著者は別に一巻の本をものしておられるので、そちらも読んでみたい。

戦争と宗教ということについては、従来様々な研究があるが、このように通史的にまとめられたのは稀有であり、しかも、やや引用が煩瑣に過ぎるきらいはあるとはいえ、各種の資料を縦横に駆使しているため記述が総論的になることはなく具体的であり、しかも物語性と臨場感もある。完全な書き下ろしではないが、労作といえよう。

ただし、少し不満な点もある。それは神道界の動向がややあっさりと記述されていることだ。浄土真宗西本願寺派の必死の戦争協力に比べれば、神道界の動きは地味であったのは間違いないが、何しろ「国家の祭祀」であるわけで、もう少し丁寧に書いて欲しかった。国家神道の成立過程については既にたくさんの書があるということで、少し遠慮したのではないかと見受けられたが、せっかくの「通史」であるのでより詳しく説明した方がよかったと思う。

2013年11月30日土曜日

『日本の道教遺跡を歩く―陰陽道・修験道のルーツもここにあった』福永 光司、千田 稔、高橋 徹 著

日本にも道教ゆかりの遺跡があることを紹介する本。

かつては日本には道教は(少なくとも体系的には)伝わってこなかったと考えられてきたのであるが、近年日本文化にも道教が様々な影響を及ぼしてきたことが徐々に認知されてきた。本書は、著者たちが「これも道教関係ではないか?」と考える史跡を次々に列挙していくというものである。

彼らがそれらを道教関係と考える根拠には、ナルホドと思わされるものもあるし、うーん、それは牽強付会ではないかなあと思うものもある。随所に「〜かもしれない」「〜の可能性もある」と畳み掛け、遂には「〜であることは容易に想像される」などとまとめる。私は、こういう推測と断定が混淆した論考というのは苦手である。

とはいうものの、これまで看過されてきた道教の影響力に注目した功績は大きいものがある。面白いと思ったのは、浦島太郎と八幡神社、妙見菩薩信仰について道教の影響を指摘した点である。浦島太郎の伝説は中国にそのプロトタイプのようなものがあり、妙見菩薩信仰については道教の星辰信仰の影響は明らかである。八幡神社については、やや関係は薄い部分も感じるがどうも道教的な何かがそこに混入していることは間違いないようだ。八幡神社についてはそもそも謎が多いので、これは大変面白い切り口であると思う。

本書は、朝日新聞に連載されたものを大幅に加筆して執筆されたものであり、元が新聞連載であるだけに少し散漫な点も見られる。特に副題になっている「陰陽道・修験道のルーツもここにあった」というのは看板に偽りありで、陰陽道については触れられるが修験道についてはほとんど取り上げていない。私は修験道と道教の関係に大変強い関心をもっているので、ここがほとんど閑却されていることには少し落胆させられた。

道教と古代日本文化の関係を考える上では導入として面白い本。今後のより体系的な論考が期待される。

2013年11月24日日曜日

『生活の世界歴史(6)中世の森の中で』木村 尚三郎、堀越 孝一、渡辺 昌美 著、堀米 庸三 編

中世ヨーロッパ、特に12世紀から14世紀のフランスを中心にして、当時の社会の有様を描いた本。

当時の世界観、食と住、都市の構造、城の生活、キリスト教による支配とそれへの反発、そして叙情詩の登場前夜がテーマである。

本書の最大の問題は、後半の渡辺昌美氏の担当部分が他に比して読みにくいことだ。論旨が不明確で表現が文飾に流れ、悪い意味で「文学的」。興味を惹く記述がないではないが、読んでいて後味の悪い文章である。

それ以外は、ややとりとめのない部分が見受けられるとはいえ、よく纏まっている。特に前半の森との関わりについては、面白く読ませてもらった。その他、中世の人は僧職以外は裸で寝ていた(その理由は書いていない)とか、風呂が盛んで公衆浴場(混浴)が賑わっていたとか、意外な記述がたくさんあり、16世紀以後のヨーロッパの風情とは随分異なる部分があることに驚いた。

そして、中世というと停滞した時代、どんよりと澱んだ社会と思いがちなのであるが、本書では中世を「身構えた社会」と捉える。これは、いつ何時でも忍傷沙汰が起こるか知れぬ社会、主従関係が簡単に破棄される社会、頻繁に暴動が起きる社会であった。要は、社会の秩序が十分に確立しておらず、暴力同士の危うい均衡が社会を支えていたのであった。

その他、私個人として気になった所は、中世の農業の著しい低生産性である。播いた種を僅かに超えるほどの収穫しか得られなかったというのは、農業の常識からすると俄には信じ難い。そういう状態で生活を営めたという秘密はどこにあるのだろうか。ドングリなどの採集による食糧確保が大きかったのかとも思うが、一方で「中世の人はパンをよく食べた」という記載もあり、どうやって小麦やライ麦を確保していたのか謎である。

2013年10月10日木曜日

『明治大正史 世相篇』柳田 國男 著

明治大正の世相の移り変わりを文明批評風に述べた本。
本書の構想は独特であって、普通の「歴史」の本ではない。明治大正史と言っても、明治維新も大正デモクラシーも、日露戦争も出てこないのである。では何が描かれるかというと、著者が「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみに拠って、立派に歴史は書けるものだと思っている」と自序で述べるとおり、普通の人の普通の暮らしがどのように変わったか、ということが主眼である。

しかし、実はそれすらも歴史風には語られない。例えば、郵便がいつごろ普及したとか、乗合馬車がどう現れたのか、というようなことはほとんど触れられない。庶民の暮らしの変転を語る中で、そうしたこともごく僅かに顧みられるが、それよりももっと力が割かれているのは、衣食住の変化、ありふれた町の風景の変化、庶民の人生の変化である。

その上、そうした変化自体もさらりと書かれるに過ぎない。では何が書かれているかというと、明治に世が移って社会が様々な面で変化した結果、人々の暮らしへ向けた態度や心持ちが、どのように移ろっていったのか、ということが本書の核心である。

明治、そして大正へと世の中が進んでいく中で、いままで薄ぼんやりとした認識しかなかった広い世界がだんだんとその姿を現すと共に、自らの暮らしぶりや村のあり方がそうした広い世界に位置づけられ、緩やかにではあるがあらゆる面で自由が拡大していった。そうして、人々は、江戸の眠りから醒めたように、自らの行動を意識的に、あるいは無意識的に改めて、足早に新様式の暮らしへと進んでいったのであった。

新様式へ進んでいった人達が、どのような気持ちで歩みを進めたのかということは、説明がある場合もあればない場合もある。衣食住・仕事・社会生活といった面において、明治から大正のスナップショットを撮ってみたという風情であり、そこに社会学的な分析を加えようというものではないからだ。しかし、そうしたことを淡々と述べる中で、明治大正という時代が人々の心にもたらした巨大な変化とその影響が澎湃と姿を現す思いがする。

それは、意外に現代の人が直面しているものに近い。いや、本質的には、むしろ明治大正の人々が取り組んだものと全く同じものが我々にも突きつけられているのだということを、本書を読むと痛感する。特に後半の章は、百年前の人々のことを描いているとは思えない。我々は、明治大正の人間が未解決に残した問題を、未だに先延ばしにしているのだろう。

2013年10月8日火曜日

『日本の歴史をよみなおす(全)』 網野 善彦 著

室町時代から江戸時代にかけて、非人とか悪党と呼ばれた人たちが金融・商業など非農業的な産業を担っていたことの重要性を強調する本。

従前のイメージでは、江戸時代は自給自足的な農本主義の時代と思われており、農業以外の産業はあまり注目されてこなかったため、例えば山奥にあるとか、水田の適地がないというような村は貧しかったに違いないと思いがちだったのであるが、著者はそれは正しくないという。江戸時代においても、金融や商業、そして海運といった産業は重要な役割をになっており、都市的な場とそのネットワークは日本全体に広がっていたため、山奥の村が意外に流通の拠点になっていたり、耕地をほとんど持たない人が大変裕福に暮らしていたりした。

また、非人は次第に被差別階級化していったのであるが、これは非人が貧しく汚らしかったということではなく、むしろ金融や商業によって裕福だったため、その反発もあったのではないかと示唆する。このあたりは欧州におけるユダヤ人の被差別の歴史も想起させられるところだ。

本書は、こうした著者の提唱する新しい江戸時代のイメージを若い世代に向けて講演したものが元となっていて、あまり込み入った話はなく、江戸時代の金融・商業の重要性を例証するようなものの列挙といった側面が強い。

そして読者として不満なことは、それらが重要とはいっても、何においてどのように重要なのか、という点についてあまり明快に語られないことだ。最後の方では、
そのように考えてみたときに、日本の近世社会、あるいは中世後期から江戸時代にかけての時代がどのように見えてくるか、またそれをどのように規定すべきかについては、まったくの未知数、未開拓の状態で、私にもいまは積極的な意見を出すことはできません。(本書p.401)
と著者自身が述べており、「だから何?」という状態ではある。つまり、非人や悪党が担う金融や商業といったものが、どのように重要かはわからないが、重要に違いない、というのが著者の信念なのである。それは理解するが、そういう視点で見たときに日本の歴史がどう再解釈されうるのか、という可能性すら提示できないのは残念だ。『日本の歴史を読みなおす』というタイトルも名折れで、『読みなおしたい』くらいのニュアンスが適当であろう。

近世社会の商業主義について新たなイメージを提供するが、それ以上に踏み込んだ歴史観については黙して語らない本。

2013年6月30日日曜日

『土とは何だろうか?』久馬 一剛 著


書名の通り、「土とは何か」を平明に解説する本。

土壌学というのは農学の中でも特に難しい学問である。土は物理性、化学性、生物性の3つの観点から分析することができるが、その根幹には土がどのような成分で出来ているかというところが重要で、これを記述するためには数々の化学式が出てくる。

しかも、土壌学における化学式というのは、フラスコの中での反応とは違って、土の中でゆっくりと進む複雑な反応を記述するものなので、これをしっかりと分析しようとすればいきおい複雑にならざるを得ない。

そのため一般向けの土壌学の本はあまり多くないのであるが、この状況を憂慮した著者が満を持して世に問うた本が本書である。

その内容は、①土が何から出来ているかから説き起こし、②植物にとっての土の役割をまとめた後、②日本の畑の土と、③水田の土を解説し、④土中の生き物について述べ、⑤世界の土と日本の土を外観して、⑥環境問題と土について考察し、⑦「人間にとって土とは何か」というやや文明論めいた章で終わる。

特に面白かったのは③の稲作と土についてであって、日本の土は意外に肥沃ではなく畑作に向かないため水田稲作が安定的であったという指摘は、とても参考になった。私は日本の土はとても肥沃だと思い込んでいたのだが、それは間違いだったようだ。

その他にも、へー、と唸るような、ことがたくさん述べられており、これまで縁遠かった土壌学が少し身近に感じられるようになった。難しくて取っつきにくい土壌学の大変よい入り口を提供してくれる本。

2013年6月21日金曜日

『かごしま農36景—南薩の水と土と人—』写真:東 桂子、文:門松 経久

鹿児島県薩摩半島南部(南薩)における灌漑事業を中心として、農業や暮らしについてエッセイ的に語る本。

著者は鹿児島県庁にかつて勤め、南薩における灌漑事業を手がけた人物。今は、農業のテーマパークである「アグリランドえい」に附設された学習施設である「畑の郷 水土利館(みどりかん)」の管理人を務める。

私は、本書をフォトエッセイ的なものかと思って手に取ったのだが、実際には写真と文章はあまり関係がなく、写真はいわば刺身のツマとして添えられるに過ぎない(ちなみに写真は頴娃に住む写真家の東 桂子さんという人の作品)。中心は、南薩の灌漑事業を推進した著者が、実際に事業の行方を見つめながらいろいろ感じたことや考えたことである。

灌漑事業自体は、大規模な畑地を形成し、生産性の高い農業を実現できたという点で成功したけれども、人々が生きる条件が変わったことで集落のありようも少しずつ変わっていき、非常に大きな影響を及ぼしたということに関しては功罪がある。昔の悲惨な農民の暮らしということを思う時、灌漑事業は大きな価値があった、と著者は振り返り、基本的にその価値を今でも信じているのであるが、どうもそうとも言い切れない部分があるのか、あるいは灌漑事業だけでなく、個々の農業経営まで地道に革新していく努力をもう少しすればよかったという後悔があるのか、少し文章の歯切れが悪い。

だが、その歯切れの悪さというか、言い訳じみた部分が本書の魅力の一つでもあり、県庁の担当者が思う南薩の灌漑事業を垣間見ることができる。本書において、著者はエッセイ風に灌漑事業そのものには関係がないことや、少し気の利いた文明批評的なことをも書こうとするのであるが、正直なところ、その部分はあまり面白いものではない。見方が凡庸で、オヤジの床屋談義の域を出ないような退屈なものだ。面白いのはいかにも役所風な記載のところで、データと建前論的な無味乾燥な文章が続くけれども、ここは実直に書いていて、さすが元担当者というか、現場にいた人間の息づかいが感じられる。

読み物として面白いものでもないが、あと何十年かして南薩の灌漑事業について振り返る時が来たら、必ず繙かれるべき本であると思う。このような資料的価値が高い本が、鹿児島県内の図書館にはほとんど置かれていないというのはゆゆしきことである。ちなみに、鹿児島市にあるジュンク堂書店には在庫がたくさんあったようなので必要な方はそちらでお買い求めありたい。

2013年6月4日火曜日

『僧侶と海商たちの東シナ海』 榎本 渉 著

9-14世紀の日本と中国大陸間の僧侶の動きを追った本。

私自身の興味としては、僧侶よりむしろ海商の方にあり、この期間に海商たちが東シナ海においてどのような活動を繰り広げていたのか、という疑問を念頭に置いて読み始めたのであるが、実際には海商についての記載は少ない。

著者はもともと仏教史の専門家ではなかったが、必要に迫られて仏教側の史料を読み込むうち、ちゃんとした記録がたくさん残っていてこれをその他の史料と対照することでより具体的な渡航の姿がわかるということに気づき、次第に仏教史側へと傾いていった。本書では、むしろ僧侶の動きが話の筋になっており、海商はそれにスパイスを添える存在に過ぎない。

そして本書で述べられる僧侶と海商の関係を一言で要約すれば、「遣唐使以降は、日中間には海商の日常的往来があり、それによって僧侶が移動することができた。また僧侶は海商経由で大陸の情報を入れることも多かった」となるだろう。つまり、海商は僧侶の渡航のツールとしてしか描かれていないのである。

そういうことで、本書では、あくまでも僧侶が主人公であるために、私が期待していたような海商の実態はほとんどわからなかったし、僧侶に関する記載もかなりマニアックなことが多く、著者自身の研究ノート的な、やや散漫な記載も見受けられる。素人考えだが、著者の専門の通り、海商の動向を中心に据えつつ、僧侶を脇役にして描いた方が、完成度の高い本になったような気がしてならない。

僧侶の渡航の実態については詳細な記述があるので、そこを知りたい向きにはよいだろうが、タイトルが内容と乖離している本。

2013年6月2日日曜日

『幸せに暮らす集落―鹿児島県土喰集落の人々と共に―』ジェフリー・S・アイリッシュ 著

民俗を学んだ米国人が鹿児島県南九州市の川辺にある小さな集落へ移住し、見聞きしたことや感じたことをエッセイ風にまとめた本。

著者は世界的な一流大学であるエール大学を出て清水建設に入社、その後なんと甑島に移住し漁師の仕事をしばらくした後、ハーバード大学と京都大学の大学院で民俗学を学び、1998年から川辺の土喰(つちくれ)集落というところに移り住んだ。翻訳や論文の編集、講演で生計を立てながら、この限界集落の小組合長(自治会長)も務めるという、なんというか超弩級の変わりモノである。

その内容は、変わりモノの著者自身に関する部分はあまりなく、集落の日々の様子、おばあちゃんやおじいちゃんから聞いた話、そして後半は、集落の人間がどう死んでいったかというもので、特にこれというところはないのに引き込まれる。著者の人を見る暖かい目、それに細やかな観察眼、深い思索に裏打ちされながらも素朴にまとめられた文章が心地よい。

この本には、教訓めいた部分はほとんどなく、日本の片隅で静かに滅びゆく小さな集落の日常が淡々と描かれるだけである。それなのに、人間にとってとても普遍的な何かが伝わってくるような気がする。それが何なのか、明確に述べるのは難しい。内容を要約できる本ではなく、完成された文学のように、何も言っていないのに何か大事なことが述べられている本。

2013年5月19日日曜日

『砂糖の世界史』川北 稔 著

砂糖の生産と消費の動向を巡って世界史を逍遙する本。

岩波ジュニア新書ということで、その語り口は極めて平易なのであるが、内容は充実していて、砂糖という「世界商品」を巡って歴史が動いていく様子が生き生きと描かれている。

著者はイマニュエル・ウォーラーステインのいう「世界システム」、すなわち近代世界をひとつながりのものと認識する考えを援用しつつ、サトウキビの生産が不可避的に奴隷労働と植民地を生み出し、植民地のみならず本国の歴史すら動かす大きな力となったことを解き明かす。

こうしたことは、概略的には高校の世界史あたりでも習うことではあるが、著者の筆致は非常に具体的であって、一般論に陥ることなく、当時の事情から「どうして今ある世界はそうなっているのか」を説明している。

砂糖、という具体的な商材にフォーカスすることで、「世界システム」をリアリティをもって感じることができる内容である。モノが語る世界史、というのは個人的に注目していたが、本書を読んでこれからいくつかその類の本を読んでみたいと思わされた。

大げさに言えば、歴史を学ぶ醍醐味を感じることのできる本だろう。

【関連書籍】
『砂糖百科』高田 明和、橋本 仁、伊藤 汎 監修
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2015/09/blog-post_9.html
砂糖についての科学的知識を網羅的に提供してくれる本。
砂糖についてたった一冊で深く知ることができる。


『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』吉野 裕子 著

山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫)
日本の山の神信仰の基礎として、蛇信仰及び五行説があったことを主張する本。

著者の主張によれば、山の神信仰には2つの考え方が影響しているという。第1に祖霊信仰としての原始蛇信仰。第2に五行説による猪信仰だ。

原始蛇信仰については、別の著書で著書はより詳細に論じているので、本書ではサワリを紹介する感じになっているが、正直なところあまり説得的な論拠は呈示されない。蛇が信仰された理由も、「蛇は男根型だから信仰された」というようなあまりに一面的な見方をされており、例証する様々な事例も牽強付会の謗りを免れないものであって、極めて不用意である。それにしても、著者は細長いものを見るとすぐに「男根型」を想起するのであるが、もう少し慎重に検証をしてもらいたいと思う。

猪信仰については、陰陽五行説において太陰にあてられる亥が山の神に見立てられたのではという推測から、山の神信仰の謎を解き明かしている。これは見方として独自なものがあり、興味深い点も多い。しかしながら、やはり結論が先にありきで例証をつまみ食いしている感が強い。

そもそも全体の調子が、推測を重ねながらそれをすぐに断定へと変化させ、軽々しく「謎が解けた」とする部分が多く、学術的に未熟である。処女作の『扇』ではそういう素人的な見方が面白かったが、著作を重ねてもそういう軽挙妄動を繰り返しているのを見ると、この人はずっと素人としての研究者だったのだなと感じる。もちろんそれが面白い部分もあるが、基本的には一部の好事家が喜ぶだけのものに終わってしまっている。

本書は書き下ろしではなく各誌に発表した論考をまとめたものであり、全体的なまとまりもイマイチである。学術文庫で900円は、正直過大評価と思う。見るべき部分もたくさんあるが、学問的な未熟さや軽率さが先に目に付いてしまう本。

2013年5月10日金曜日

『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』安丸 良夫 著

明治初期の神仏分離及び廃仏毀釈のアウトラインを書く本。

神仏分離と廃仏毀釈については大体理解しているつもりだったが、基礎的事実をちゃんと押さえておこうと思い本書を手に取った。少しいかがわしい(?)書名とは裏腹に、堅実な書きぶりであって、目から鱗が落ちるというわけにはいかないが、基本事項の復習にはよい。

本書によって改めて認識させられたのは、神仏分離はともかく、廃仏毀釈については元々明治政府の企図するところではなかったということだ。地方政府が中央政府の意を汲んで、というよりも深読みをして、また僧侶に対してやや不満を持っていた社人たちが率先して行った、暴動的な、偶発的な現象ということができる。平たく言えば、廃仏毀釈とは地方政府のフライングであろう。それは明治政府がむしろこれを規制し、勝手に廃仏をしないようにと諫めていることでも分かる。

ところで、この廃仏毀釈という逆風に対してかなり粘り強く立ち回ったのが浄土真宗であり、それがゆえに廃仏後の回復が早く、結果として信徒を多く獲得するに至ったということは特筆すべき現象のように思われる。本書では、このあたりのことはごく軽く触れられるに過ぎないが、もう少し浄土真宗(特に西本願寺派)の動向を詳しく知りたいものである。

全体として、概説書であるために詳細な説明はなされないが、神仏分離にしろ廃仏毀釈にしろ、概略だけではよくわからない部分もあり、隔靴掻痒の感は否めない。特にそれを感じるのは、これらについて定量的な記載があまりないことで、全国でどれくらいの社寺がなくなったのか、というような事がわからないことだ。というような不満はあるものの、新書としては大変水準が高く、コストパフォーマンスが優れている本。

2013年5月8日水曜日

『道教史』 窪 徳忠 著

古代から現代に至る中国における道教の歴史を追った本。

著者は道教研究の泰斗である窪 徳忠氏。1977年の出版ということで、近年注目を浴びて急に研究が進展してきた道教に関する著作としてはやや心許ないところもあるのだが(随所に「今後の研究に期待」と書いてある)、平易かつ実直に道教の歴史が纏められており、この分野の基本文献と呼べるだろう。

私自身の興味としては、宋代の道教に関心があって読み始めたのだが、それ以外の時代に関しても目から鱗が落ちるような記載がたくさんあり、蒙を啓かれる思いであった。

本書を通読して大変印象に残るのは、古来より仏教と道教はあまり区別されておらず、互いに大いに影響し合いながら発展してきたということだ。道教は民間信仰に立脚していたため、仏教のような体系的な教義や布教組織を持たない時代が長かった。だからきっと仏教に対抗意識があったのではと思いがちだが、著者によるとそうとも言えないという。むしろ仏教寺院に神仙の像が置かれたり、僧侶が道観(道教のお寺)で修行したりするなど、仏教側からの交流も盛んだったようだ。もちろん、道教側については言うに及ばず、神仙のみならず仏像も礼拝したのであった。

さらには、禅宗と道教の類似も言われてみれば著しいものがあり、禅宗とはある意味で道教化した仏教なのではないかと思うほどだ。ちなみに、宋代には儒仏道の三教を糾合させたようなコンセプトを持つ全真教が登場し、ここに道教と仏教の垣根は限りなく低くなったのであった。

本書は非常に勉強になるが、もちろん足りない部分もある。その一つが図像発展の歴史がほぼ全く取り上げられていないことである。本書が語る歴史のメインは時の政権と道教の関係にあり、 これはこれで重要だがビジュアルの情報がほとんどないのは残念だ。とはいっても、これはようやく中国に渡航できるようになった時代に出版されているわけだから、テキストベースの研究がメインになるのはしょうがない。

そしてもう一つが、教義史や政治史ではなく、民衆と道教との関わりがあまり丁寧に扱われていないことだ。民衆の信仰は文字に書かれないものだから、これもしょうがない面があるが、どのような社会階層の人が、どうしてその宗教を信仰したのか、というのは宗教学的には大変重要なことと思われるので、こういう面をもっと具体的に語れるように研究が進展して欲しいと願うばかりである。

いろいろと不完全なところはあるにせよ、本書はおそらく初めて纏められた一般向けの道教通史であり、その読みやすさ、情報量、そして著者の見識も含め全てが水準が高い。道教を深く知ろうと思ったら、必ず手に取るべき本であると思う。

2013年4月18日木曜日

『扇―性と古代信仰』吉野 裕子 著

扇の起源を古代の信仰から探る本。

扇とは何だろうか? 日本の芸能において扇は非常に大きな役割を担っている。能、日本舞踊、神事、落語などいろいろな場面で扇は様々な意味を付託され、扇一本が千変万化する。これらの芸能は、扇無しには成立しないと言ってもいいほどである。

しかし、この扇が一体何なのかということについて、著者が着目するまでほとんど研究されなかった。本書は、扇の本質を探求したおそらく初めての本である。

著者の主張は次のように要約できる。即ち、扇はもともとビロウの葉だったのであり、ビロウは男根を象徴するものであった。古代、神の顕現は男性と女性の結合による誕生を擬することによってなされると考えられていたが、その男性の象徴としてビロウが用いられ、それゆえにビロウの葉も神聖視されたのである。

私は、実は扇について興味を持ったのではなく、ビロウという不思議な植物に興味を持ち本書を手に取ったのであるが、なぜビロウが男根の象徴となったのかという点に関して、本書ではあまり説明がない。少し乱暴に言えば、「私がそう感じたのだからそうに違いない」という書き方になっているが、それは根拠としては弱い。

その他の点でも、きっとそうに違いない、疑いもなくそうである、という調子で推測が容易に断定に変化している箇所が散見され、全体の信憑性を低めている。

だが、沖縄では神木とされ、また天皇の大嘗祭においても重要な役割を果たすビロウという植物についてかつてこのような論考が纏められたことはないと思うので、古代研究に新たな視点を提供したという点で本書の意義は極めて大きい。推測が断定に変化している箇所は多いながら、当時の宗教学や民俗学の研究を見てみるとそう言う調子で書いている人は多いし、事実私は本書はエリアーデ的な書き方であると感じさせられた。

嚆矢であるがゆえに足りない部分も多いが、扇という広大な研究の沃野を切り拓いた本。

2013年4月16日火曜日

『日羅伝』台明寺 岩人 著

仏教公伝のころ、日本から百済に渡って高官に上り詰め、帰国し暗殺された日羅についての伝記的小説。

南九州に多くの事績を残す日羅について興味を持ち、少し勉強してみようと本書をノンフィクションのつもりで手に取ったら、実は小説だった。

というわけでところどころ飛ばしながら読んだのだが、小説としての出来は正直イマイチである。

難点を挙げれば、まずは小説としてのドラマ性がなく、年表風に日羅の生涯をたどるだけという筋が退屈である。そして文章表現の幅が乏しく、説明的・事務的な表現が多い。登場人物もどことなく平坦な印象で、いかにも作り物という感じがぬぐえない。味方の善人と敵方の悪人という構図も浅薄だ。

また、一番気になったのは時代考証が不十分であることだ。本書では宴会の場面が数回出てくるが、当時は今のようなアルコールはなく、酔っ払うまで酒を飲むことは考えられないのに、ほとんど現在と同じような宴会描写となっている。 さらに、百済や新羅、そして梁との交渉の場面において、通訳を通さずに会話がなされている点も気になる。当時の国際間の意思疎通は漢文による筆談だったと思われるので、リアリティに欠ける。

さらには、本書の本質とも言える日羅の情報量自体も多くない。日羅に関しては日本書紀以外の情報源が乏しいので、伝記的小説を書こうとすればどうしても日本書紀の内容を潤色するだけになってしまうのだろうが、このレベルであればわざわざ小説に仕立てる必要はなく、単に伝記(ノンフィクション)に留めてよかったのではないかと思う。

ただ、作者の気持ちになってみると、日羅の研究者でもない人間が伝記を書くことを躊躇う部分があったのだろうし、日羅をもっと多くの人に注目して欲しいという思いから気軽な小説という形をとったのだろう。しかしこの出来では、本書をきっかけに日羅に興味を持つ人は少ないと思う。

とはいうものの、本書には一つ救いがあって、巻末にある日羅に関わりある旧跡や神社仏閣の写真付きリストは貴重だ。著者自身が訪れた場所らしいが、こうした地味なフィールドワークをして本書を書いたというのは実直で好感が持てる。日羅は日本に与えた影響という点で謎が多く、探求しがいのあるテーマと思われるので、本書をかなり否定的に紹介したけれども、より注目が集まって欲しいと思う。

2013年3月23日土曜日

『石敢當』 小玉 正任著

沖縄及び鹿児島において、丁字路のつきあたりなどで見かける除災の石塔である「石敢當(セキカントウ、イシガントウ等いろいろな読み方がある)」について、その由来の文献調査を行った本。

石敢當の由来として、「中国五代の勇士の名」が挙げられることが多いのだが、本書の主要目的はこの俗説を完膚無きまでに否定することである。このため著者は多くの漢書典籍に当たり、こうした俗説がなぜ生じたのかを丹念に追う。

結論としては次のようにまとめられる。
  • 俗説の典拠を遡ると、『序氏筆精』が引用する『姓源珠璣』に行き着く(共に明代の書)。
  • しかし、『姓源珠璣』の原文にあたってみると、似たような話は書かれているが俗説の典拠となる部分はない。
  • どうやらその部分は『序氏筆精』の著者が引用にあたって勝手に付け加えた部分らしい。名のある学者がどうしてそのように改変して引用したのか不明。
  • というわけで、俗説が広まったきっかけとして『姓源珠璣』が挙げられることがあるがそれは間違いで、本当の犯人は『序氏筆精』なのである。
とまあ、このまとめを読んだだけでも分かるように、非常にマニアックな内容であるし、たったこれだけのことを何十ページもかけて論証するということで、石敢當に興味を持つものにとっても退屈な本であり、本というより研究ノート的な存在である。

ただ面白いのは著者の小玉さんで、この人は官僚出身で、沖縄開発事務次官にまでなった人。国立公文書館の館長も務めており、本書で漢書典籍の原文を縦横に渉猟するのは、公文書館での仕事(人脈)が活かされた結果でもある。小玉さんが石敢當に興味を持ったのは沖縄出張中に目にしたことをきっかけとしており、役人稼業の傍らで地道な研究を続けたらしい。その結果は、本書と、更に網羅的に研究を纏めた『日本の石敢当―民俗信仰』に結実している(未読)。

ちなみに、現代の代表的な石敢當研究者はもう一人いて(もう一人しかいなくて)久永元利さんというが、この人も学者ではなく趣味でフィールドワークをしている方である。こうした在野の人が主要な研究者というのは、石敢當というやっかいな習俗は、安定的に業績を出さなくてはならない大学所属の研究者としては難しいテーマだからなのだろうか。

ともかく、石敢當は在野の研究者が中心というニッチな研究領域であり、基本的な事実を積み上げることは重要なことなので、読んで面白いものではないが意義のある本。

2013年3月2日土曜日

『薩摩塔の時空―異形の石塔をさぐる』井形 進 著

薩摩塔の時空―異形の石塔をさぐる (花乱社選書)
近年研究が進みつつある「薩摩塔」について、著者の体験も交えつつ紹介する本。

「薩摩塔」とは、九州西岸に数十基が確認されているに過ぎない非常にレアな石塔で、中世に中国から渡来した商人が造立したのではないかと考えられている。

この石塔、数が少ないのは勿論のことその形も変わっていて、壺型の本体に仏が彫り込まれている。そして、どこの誰が、どんな目的で作ったのかも分かっていないという研究途上の石造物である。

それが、いろいろなきっかけがあったことで、著者も含め数人が平行して研究に着手し始め、2000年代に入って急速に研究が進んできた。そして、ある程度その研究にまとまりが見えてきたので、その成果をまとめておこうというのが本書執筆の動機だ。

その内容はどうかというと、研究内容の紹介以上に、著者の薩摩塔のフィールドワークの記録(いついつどこそこに行って○○を見た)が多く、正直ここまで書く必要はなかったのではないかと思う。だが、著者が一歩一歩研究を進めていく様をドラマ的に追いたい向きにはよいと思われるので、これは好みの問題かもしれない。

ところで、本書によって「薩摩塔とは何か」が分かるかというと、そこまでは研究が進んでいないというのが率直なところではないかと思う。著者の考えでは、塔の造立には神仙思想もしくは道教が関係しているのではということだが、まだまだ茫漠としている。今後研究がさらに進むことが期待されるテーマなので、もう少しまとまってからさらに執筆してもらいたい。

『日宋貿易と「硫黄の道」』山内 晋次 著

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)
日宋貿易において日本からの重要な輸出品だった(と思われる)硫黄について、その貿易の実態を探る本。

日宋貿易と言えば、日本からは金が輸出されていたというが、量的には硫黄の方が大きいのでは? というところから、資料に残された硫黄貿易の記録を辿り、東アジアにおいて10世紀末から16世紀ごろまで硫黄貿易のネットワークが広がっていたことを推論し、それを「硫黄の道」と名付ける。

そもそも硫黄貿易に関する記録は少なく、論拠する資料が限定的にならざるを得ない。正直、「それだけしかないのか」というのが感想だ。そのため、当時硫黄貿易が盛んに行われていたこと自体は事実らしくても、定量的な話は今のところ一切できないし、具体的にどのような船でどのような人々が硫黄を扱っていたのかもよく分からない。

とはいえ、そのあたりの研究もないわけではないのだから、もう少し紹介したほうが親切だと感じた。800円(税別)もするにしては内容が薄い(87ページしかない)と言わざるを得ないが、硫黄貿易の研究は始まったばかりで、このように纏められたのは最初と思うのでその点は大いに評価したい。

『美の幾何学―天のたくらみ、人のたくみ』伏見 康治、安野 光雅、中村 義作 著

美の幾何学―天のたくらみ、人のたくみ (ハヤカワ文庫 NF 370 〈数理を愉しむ〉シリーズ)
伏見 康治、安野 光雅、中村 義作の三人が、対称性をテーマにして幾何学について語る本。

特に「美の幾何学」というものがあるわけではなく、これはキャッチフレーズ的につけているだけで、中身は三人が「これもきれい、あれもきれい」と語り合う内容。

私は本書が「幾何学における美の構造を探る」的なものかと思っていたのでかなり期待はずれな部分があった。さらに、取り扱っている内容もサワリだけをちょっと紹介して終わり、というようなものが多く、正直もう少しそれぞれの題材についてテーマを深めるべきだと思ったし、そのために鼎談の内容を大胆に編集する必要があったと思う(結構、とりとめもなくしゃべっている感じがする)。

ただ、対称性の幾何学のサワリを垣間見る、というだけなら悪い本ではない。特に内容があるわけではないが、ふーん、と眺めるにはちょうどよい本。