2013年10月10日木曜日

『明治大正史 世相篇』柳田 國男 著

明治大正の世相の移り変わりを文明批評風に述べた本。
本書の構想は独特であって、普通の「歴史」の本ではない。明治大正史と言っても、明治維新も大正デモクラシーも、日露戦争も出てこないのである。では何が描かれるかというと、著者が「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみに拠って、立派に歴史は書けるものだと思っている」と自序で述べるとおり、普通の人の普通の暮らしがどのように変わったか、ということが主眼である。

しかし、実はそれすらも歴史風には語られない。例えば、郵便がいつごろ普及したとか、乗合馬車がどう現れたのか、というようなことはほとんど触れられない。庶民の暮らしの変転を語る中で、そうしたこともごく僅かに顧みられるが、それよりももっと力が割かれているのは、衣食住の変化、ありふれた町の風景の変化、庶民の人生の変化である。

その上、そうした変化自体もさらりと書かれるに過ぎない。では何が書かれているかというと、明治に世が移って社会が様々な面で変化した結果、人々の暮らしへ向けた態度や心持ちが、どのように移ろっていったのか、ということが本書の核心である。

明治、そして大正へと世の中が進んでいく中で、いままで薄ぼんやりとした認識しかなかった広い世界がだんだんとその姿を現すと共に、自らの暮らしぶりや村のあり方がそうした広い世界に位置づけられ、緩やかにではあるがあらゆる面で自由が拡大していった。そうして、人々は、江戸の眠りから醒めたように、自らの行動を意識的に、あるいは無意識的に改めて、足早に新様式の暮らしへと進んでいったのであった。

新様式へ進んでいった人達が、どのような気持ちで歩みを進めたのかということは、説明がある場合もあればない場合もある。衣食住・仕事・社会生活といった面において、明治から大正のスナップショットを撮ってみたという風情であり、そこに社会学的な分析を加えようというものではないからだ。しかし、そうしたことを淡々と述べる中で、明治大正という時代が人々の心にもたらした巨大な変化とその影響が澎湃と姿を現す思いがする。

それは、意外に現代の人が直面しているものに近い。いや、本質的には、むしろ明治大正の人々が取り組んだものと全く同じものが我々にも突きつけられているのだということを、本書を読むと痛感する。特に後半の章は、百年前の人々のことを描いているとは思えない。我々は、明治大正の人間が未解決に残した問題を、未だに先延ばしにしているのだろう。

2013年10月8日火曜日

『日本の歴史をよみなおす(全)』 網野 善彦 著

室町時代から江戸時代にかけて、非人とか悪党と呼ばれた人たちが金融・商業など非農業的な産業を担っていたことの重要性を強調する本。

従前のイメージでは、江戸時代は自給自足的な農本主義の時代と思われており、農業以外の産業はあまり注目されてこなかったため、例えば山奥にあるとか、水田の適地がないというような村は貧しかったに違いないと思いがちだったのであるが、著者はそれは正しくないという。江戸時代においても、金融や商業、そして海運といった産業は重要な役割をになっており、都市的な場とそのネットワークは日本全体に広がっていたため、山奥の村が意外に流通の拠点になっていたり、耕地をほとんど持たない人が大変裕福に暮らしていたりした。

また、非人は次第に被差別階級化していったのであるが、これは非人が貧しく汚らしかったということではなく、むしろ金融や商業によって裕福だったため、その反発もあったのではないかと示唆する。このあたりは欧州におけるユダヤ人の被差別の歴史も想起させられるところだ。

本書は、こうした著者の提唱する新しい江戸時代のイメージを若い世代に向けて講演したものが元となっていて、あまり込み入った話はなく、江戸時代の金融・商業の重要性を例証するようなものの列挙といった側面が強い。

そして読者として不満なことは、それらが重要とはいっても、何においてどのように重要なのか、という点についてあまり明快に語られないことだ。最後の方では、
そのように考えてみたときに、日本の近世社会、あるいは中世後期から江戸時代にかけての時代がどのように見えてくるか、またそれをどのように規定すべきかについては、まったくの未知数、未開拓の状態で、私にもいまは積極的な意見を出すことはできません。(本書p.401)
と著者自身が述べており、「だから何?」という状態ではある。つまり、非人や悪党が担う金融や商業といったものが、どのように重要かはわからないが、重要に違いない、というのが著者の信念なのである。それは理解するが、そういう視点で見たときに日本の歴史がどう再解釈されうるのか、という可能性すら提示できないのは残念だ。『日本の歴史を読みなおす』というタイトルも名折れで、『読みなおしたい』くらいのニュアンスが適当であろう。

近世社会の商業主義について新たなイメージを提供するが、それ以上に踏み込んだ歴史観については黙して語らない本。