2018年12月30日日曜日

『カミとホトケの幕末維新—交錯する宗教世界』岩田 真美・桐原 健真 編

幕末維新期の宗教界を様々な視点から捉える本。

本書は科研費による研究「近代移行期における日本仏教と教化」に基づいた論文集で、青野誠、岩田真美、上野大輔、大澤広嗣、大谷栄一、碧海寿広、落合建仁、桐原健真、オリオン・クラウタウ、ジャクリーン・ストーン、芹口真結子、髙橋秀慧、谷川穣、林淳、引野亨輔、舩田淳一、ジョン・ブリーン、朴澤直秀、星野靖二、松金直美、三浦隆司(五十音順)の約25編の論考を収める。

「第Ⅰ部 維新とカミとホトケの語り」では、神仏分離、廃仏毀釈、世直し、民衆宗教などについて先行研究が整理され、これまでこれらの宗教的現象がどう語られてきたかが検討される。全体として、幕末維新期の宗教的断絶を強調するのではなく、近世からの連続としてこれらを理解する立場が取られている。

「第Ⅱ部 新たな視座から見た「維新」」では、キリスト教対策や科学的世界観の浸透、宗教政策の変転にあたって、各宗派がどのように対応したかがテーマとなる。例えば、幕末の動乱では仏教勢力にも「勤王僧」が出現し、尊攘活動を行ったが、同時に仏教そのものも改革する必要があると考え、事実仏教体制内の改革も手がけてゆく。吉田松陰が流布させようとした月性の『仏法護国論』や、日蓮の著作の校訂に一生を捧げ、他宗を廃絶して日蓮法華宗を国教化しようとした小川泰堂の動向などは興味深い。また伊勢神宮は自ら国家の宗廟となるために神社のみならず伊勢山田の街並み自体を作りかえた。

「第Ⅲ部 カミとホトケにおける「維新」の射程」では、主に仏教勢力に関するマイナーでトピック的な話題を取り上げている。例えば「幕末/明治期の仏書出版」「仏教天文学を学ぶ人のために」などは耳慣れない話で興味深く読んだ。 仏教勢力に甚大な影響を与えながら詳しい顛末があまり触れられない「社寺上知令の影響」も参考になる。だが第Ⅲ部は構成的にはまとまりがなく、事例の列挙といった印象が強い。

本書にはこれらを縦軸としつつ、短いコラムが横軸として随所にちりばめられていて、こちらの方がかなり面白い。特に「孔子の変貌」「宗門檀那請合之掟」「勤王・護法の実践—真言宗の勤王僧」「幕末京都の政治都市化と寺院」「絶対的創造神への批判—釈雲照のキリスト教観①」など興味深かった。

本書は若手研究者を中心とした研究報告的な意味合いが強く、全体を通じてなるほどと膝を打つような本ではないが、通読するといろいろな視点から幕末明治の宗教政界を理解することができ、視野を広げることに役立つと思う。私個人としては、改めて「勤王僧」の存在に興味を持ち、勤王僧と廃仏毀釈の関係や勤王僧のその後の生き方についてより深く知りたいと思ったところである。

なお題名は「カミとホトケの〜」であるが、実際にはあまりカミ(神道)の方の話題は少なく、国学や神道についての記載、神社の動向についてはさほど語られない。もう少し神道側の研究も含めてもらったらよかったと思う。

仏教勢力を中心とする幕末明治の宗教世界の変転について多角的に学べる本。


2018年12月17日月曜日

『明治天皇』ドナルド・キーン著、角地 幸男 訳

明治天皇の生涯を軸にたどる明治の歴史。

明治天皇について語られた資料は厖大にあるという。しかしそれらは相互に矛盾し、錯綜し、誇張や伝説が入り交じっている。そこで著者は、それらを注意深く取捨選択して、バランスの取れた明治天皇の伝記をつくり上げた。

しかし本書は明治天皇の伝記そのものとは言えない。というのは、明治天皇自身がほとんど私的な領域を持たず、いかなる時でも感情を外に表さず、自ら君主にふさわしいとした規範から一歩も外へ出なかったため、明治天皇には「自らの人生」と呼べるようなものはなく、それは明治日本の歴史と相即不離な関係にあるからだ。

であるからして、本書にはほとんど明治天皇が関与していないことについての記述も多い。例えば本書にはペリー来航以来の幕末の歴史も触れられるが、当然ながら当時の明治天皇は幼少で幕末の事件に主体的に関わることはない。晩年になっての、伊藤博文の韓国での行いや閔妃暗殺についても明治天皇は直接は関係していなかったが割合詳述される。

ところが、やはり明治天皇の人生を理解しようとすれば、明治の歴史を理解することが必須なのである。そして逆に、明治の歴史を理解するためには、明治天皇を理解することもまた必要なのだ。

明治天皇は、即位した当初は、ほとんどお飾り的な存在であった。尊攘派の志士は口では天皇への忠誠を誓っていたが、実際には天皇を傀儡化して自分たちの正統性の象徴としたかっただけだし、天皇自身にも彼らを御していく能力はなかった。

ところが形だけの至高権力は、明治の中頃になると実体化していく。それは、維新の功臣たちが、明治天皇を世界の指導者たちと伍するべき名君として教育したからでもあるし、それよりももっと重要なのは、有為転変が激しい明治の政界にあって、天皇一人が安定して存在していたからだ。

明治の功臣たちは、都合が悪くなるとすぐに辞職し、病気を理由に地元に引っ込んだ。また、意見の対立が激しくなり調整が不能になると、最終的には天皇の裁可を仰いだ。しかも天皇はそういう際、決してその場しのぎの気まぐれな裁可をすることなく、優れた洞察力によって中庸な決断を下した。こうしたことから、明治20年代あたりから天皇の存在は実質的に政治を左右するようになっていくのである。

しかし、明治天皇は独裁者とはほど遠かった。信任を与えた臣下をよく信頼し、その決定を尊重した。ほぼめったに自分の意見を表明しなかったし、表明した場合も反論や諫言を受け入れて、多くの場合はそれに従った。そして彼は個人的悦楽に耽ることもなく、華美を嫌い倹約を旨とした。服が破れても継ぎを当てる事を選び、住居は上級の貴族よりも質素だった。明治天皇が唯一趣味としたのは、若い頃に凝った乗馬くらいで、それも一時のことだった。明治天皇は和漢洋についてそれぞれ教育を受けたが、倫理面においては儒教の影響が大きく、儒教的な名君とあらねばならないと考えていた。そのために明治天皇は強烈な自制心を備えていた。

それは、ある意味では自らを義務感の虜にすることであったかもしれない。生母中山慶子(よしこ)が危篤に陥った際も、その病床に駆けつけることはなかった。なぜなら慶子は天皇が自ら訪ねるには位が低すぎたからだ。「しかし天皇は、天皇にふさわしい振舞いと自分が思う規範を破ることが出来なかった。天皇は事実、自由を奪われた良心の囚人だった。」(文庫版第4巻 p.241)

そういう明治天皇の心理は、世界中のどんな君主とも違っていたように思う。明治天皇は御前会議でもほとんど発言しなかった。常に微動だにせず、表情は冷静そのもの。静かに臣下の議論を聞き、必要な裁可を(上申に従い、自らの意見を交えず)下した。ほとんどの場合、その場に明治天皇がいる必要はなかった。だが天皇は、精力的に公務に参加した。明治天皇の仕事ぶりは、まるで機械のようであった。しかしあらゆる資料が示していることは、天皇自身にも政治的意見があり、国情に関する洞察があり、理想があったということである。にもかかわらず、明治天皇はほとんど自分自身を出すことはしなかった。

そういう生き方を見ると、私はかのローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウスを思い出さずにはいられない。強烈な自制心によって、自らがなすべきことをなす、そういう明治天皇の姿勢は、マルクス・アウレーリウスと非常に似ている。しかし哲人皇帝が『自省録』を残し自分の内心を吐露したのとは違い、明治天皇が残したものは、厖大な御製(短歌)だけである。しかもそれらにはほとんど内心と呼べるものは明かされていない。伝統的な歌題に沿って、ほんの僅かな心情が仄めかされるに過ぎないのである。

著者ドナルド・キーンが本書を書くにあたって、最初に参照したのはまさにこの御製『新輯明治天皇御集』であるという。本書では明治天皇の公式記録である『明治天皇記』を縦糸とし、和歌を横糸として、大量の資料を手際よく配置して明治の歴史を辿り、そこに明治天皇その人の姿を幽かに浮かび上がらせている。

明治天皇の生涯は、明治の歴史とまさしく一体であり、明治天皇がああいう人物でなければきっと明治は違った時代になっていた。だがその歴史に翻弄され、歴史から逃れられなかったのもまた明治天皇であったのだ。しかもそれを自分では悲劇とは思っていなかった。本書を読むと、そういう一人の人間としての明治天皇に愛着と尊敬を覚えずにはいられない。

厖大な資料を駆使して明治天皇の実像を浮かび上がらせた大著。


【関連書籍】
『自省録』マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子 訳
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/04/blog-post.html
哲人皇帝による、魂の葛藤の書。