明治天皇の生涯を軸にたどる明治の歴史。
明治天皇について語られた資料は厖大にあるという。しかしそれらは相互に矛盾し、錯綜し、誇張や伝説が入り交じっている。そこで著者は、それらを注意深く取捨選択して、バランスの取れた明治天皇の伝記をつくり上げた。
しかし本書は明治天皇の伝記そのものとは言えない。というのは、明治天皇自身がほとんど私的な領域を持たず、いかなる時でも感情を外に表さず、自ら君主にふさわしいとした規範から一歩も外へ出なかったため、明治天皇には「自らの人生」と呼べるようなものはなく、それは明治日本の歴史と相即不離な関係にあるからだ。
であるからして、本書にはほとんど明治天皇が関与していないことについての記述も多い。例えば本書にはペリー来航以来の幕末の歴史も触れられるが、当然ながら当時の明治天皇は幼少で幕末の事件に主体的に関わることはない。晩年になっての、伊藤博文の韓国での行いや閔妃暗殺についても明治天皇は直接は関係していなかったが割合詳述される。
ところが、やはり明治天皇の人生を理解しようとすれば、明治の歴史を理解することが必須なのである。そして逆に、明治の歴史を理解するためには、明治天皇を理解することもまた必要なのだ。
明治天皇は、即位した当初は、ほとんどお飾り的な存在であった。尊攘派の志士は口では天皇への忠誠を誓っていたが、実際には天皇を傀儡化して自分たちの正統性の象徴としたかっただけだし、天皇自身にも彼らを御していく能力はなかった。
ところが形だけの至高権力は、明治の中頃になると実体化していく。それは、維新の功臣たちが、明治天皇を世界の指導者たちと伍するべき名君として教育したからでもあるし、それよりももっと重要なのは、有為転変が激しい明治の政界にあって、天皇一人が安定して存在していたからだ。
明治の功臣たちは、都合が悪くなるとすぐに辞職し、病気を理由に地元に引っ込んだ。また、意見の対立が激しくなり調整が不能になると、最終的には天皇の裁可を仰いだ。しかも天皇はそういう際、決してその場しのぎの気まぐれな裁可をすることなく、優れた洞察力によって中庸な決断を下した。こうしたことから、明治20年代あたりから天皇の存在は実質的に政治を左右するようになっていくのである。
しかし、明治天皇は独裁者とはほど遠かった。信任を与えた臣下をよく信頼し、その決定を尊重した。ほぼめったに自分の意見を表明しなかったし、表明した場合も反論や諫言を受け入れて、多くの場合はそれに従った。そして彼は個人的悦楽に耽ることもなく、華美を嫌い倹約を旨とした。服が破れても継ぎを当てる事を選び、住居は上級の貴族よりも質素だった。明治天皇が唯一趣味としたのは、若い頃に凝った乗馬くらいで、それも一時のことだった。明治天皇は和漢洋についてそれぞれ教育を受けたが、倫理面においては儒教の影響が大きく、儒教的な名君とあらねばならないと考えていた。そのために明治天皇は強烈な自制心を備えていた。
それは、ある意味では自らを義務感の虜にすることであったかもしれない。生母中山慶子(よしこ)が危篤に陥った際も、その病床に駆けつけることはなかった。なぜなら慶子は天皇が自ら訪ねるには位が低すぎたからだ。「しかし天皇は、天皇にふさわしい振舞いと自分が思う規範を破ることが出来なかった。天皇は事実、自由を奪われた良心の囚人だった。」(文庫版第4巻 p.241)
そういう明治天皇の心理は、世界中のどんな君主とも違っていたように思う。明治天皇は御前会議でもほとんど発言しなかった。常に微動だにせず、表情は冷静そのもの。静かに臣下の議論を聞き、必要な裁可を(上申に従い、自らの意見を交えず)下した。ほとんどの場合、その場に明治天皇がいる必要はなかった。だが天皇は、精力的に公務に参加した。明治天皇の仕事ぶりは、まるで機械のようであった。しかしあらゆる資料が示していることは、天皇自身にも政治的意見があり、国情に関する洞察があり、理想があったということである。にもかかわらず、明治天皇はほとんど自分自身を出すことはしなかった。
そういう生き方を見ると、私はかのローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウスを思い出さずにはいられない。強烈な自制心によって、自らがなすべきことをなす、そういう明治天皇の姿勢は、マルクス・アウレーリウスと非常に似ている。しかし哲人皇帝が『自省録』を残し自分の内心を吐露したのとは違い、明治天皇が残したものは、厖大な御製(短歌)だけである。しかもそれらにはほとんど内心と呼べるものは明かされていない。伝統的な歌題に沿って、ほんの僅かな心情が仄めかされるに過ぎないのである。
著者ドナルド・キーンが本書を書くにあたって、最初に参照したのはまさにこの御製『新輯明治天皇御集』であるという。本書では明治天皇の公式記録である『明治天皇記』を縦糸とし、和歌を横糸として、大量の資料を手際よく配置して明治の歴史を辿り、そこに明治天皇その人の姿を幽かに浮かび上がらせている。
明治天皇の生涯は、明治の歴史とまさしく一体であり、明治天皇がああいう人物でなければきっと明治は違った時代になっていた。だがその歴史に翻弄され、歴史から逃れられなかったのもまた明治天皇であったのだ。しかもそれを自分では悲劇とは思っていなかった。本書を読むと、そういう一人の人間としての明治天皇に愛着と尊敬を覚えずにはいられない。
厖大な資料を駆使して明治天皇の実像を浮かび上がらせた大著。
【関連書籍】
『自省録』マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子 訳
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/04/blog-post.html
哲人皇帝による、魂の葛藤の書。
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