2017年11月26日日曜日

『島津久光=幕末政治の焦点』町田 明広 著

幕末の政局における島津久光の重要性を強調する本。

島津久光は、西郷と反目したことであまりよく思われていない。それどころか、暗君とされて西郷や大久保の足を引っ張ったとされ誤解されている部分がある。だが実際には、幕末のある時期においては久光が中央政局をリードしたし、久光がいなかったらおそらく明治維新は違った形になっていたと思われるのである。

本書では、久光の政治的イデオロギーである「皇国復古」を分析し、次に文久2年の「率兵上京」から「八月十八日政変」に至るまでの歴史の流れを久光を中心として追うもので、特に久光の周囲からの評価については詳しい。

文久2年の「率兵上京」とは、久光が一千の兵を率い、本来は立ち入りが禁止されている京都へ入り、その後幕政改革を詰め寄るために勅使を護衛して江戸へ赴いた事件である。

この大胆な行動は、決して武力によって無理を押し通したわけでなく、久光の政治的バランスが遺憾なく発揮され、周到に進められたものであったことが詳述されている。

そこから経年的に久光の行動が追われ、「寺田屋事件」等についても詳しく分析されてから、「朔平門外の変」へ進み、「八月十八日の政変」へと繋がっていく。

「八月十八日政変」については、一般にはあまり知られていない事件であると思う。これは、宮中の過激な攘夷派を一夜にして追放し、穏当派が実力で政権を取ったという人事上の政変である。詳しくは本書を参照していただくとして、これが維新史における重要な転換点の一つであるという。

これについては、久光自身の行動はあまり述べられていない。というのは、この頃は薩摩藩では薩英戦争の処理で忙しく、久光やその側近の多くは中央政局のことに関わっていられなかったのである。では誰がこの政変を主導したのかということになるが、従来はそれでもやはり久光と大久保が裏で手を引いていたのだろうとされていた。しかし著者は、関係者の書翰類を丁寧に分析することで、この政変は高崎正風が中川宮 (久邇宮朝彦親王)と謀って独断的に実行したものであることを論証している。これは説得力のある説だと思った。

本書を通じて思うのは、孝明天皇が非常に久光を信頼し、期待していたということである。天皇からの信頼を勝ち取ったことが、「皇国復古」を推し進める上で久光を有利にした。そして、久光はほぼその構想の通りにことを運ぶことができ、政治上では大きな失敗をしていない。にも関わらず、明治維新は久光の思惑とは違う方向へ動いていき、久光は明治政府からはやがて疎まれていくのである。ここは歴史の皮肉としかいいようがない。

なお本書は、維新史の大枠を理解している読者を対象としており、概況説明については少なく、ルビがない人名が多い。引用は書翰が中心で、内容は少し専門的である。歴史をより深く理解するための本であり、維新史を通史的に学ぶものではない。

その功績を忘れがちな島津久光に改めて光を当てるやや専門的な本。

【関連書籍】
『島津久光と明治維新―久光はなぜ討幕を決意したのか』芳 即正 著 
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/02/blog-post.html
初めて書かれた島津久光の伝記。鹿児島の明治維新にとって過小評価されてきた、島津久光を再評価する重要な本。


2017年11月24日金曜日

『続・発禁本』城 市郎 著

明治以来の様々な「発禁本」を紹介する本。

著者の城 市郎(じょう・いちろう)は、「書痴」と呼ばれた斎藤昌三から薫陶を受けて発禁本の研究に入った人物。

本書に取り上げられている発禁本・テーマは以下の通り。
『恋愛文学』ほか……青柳 有美
『都会』ほか……生田 葵山
『復讐』……佐藤 紅緑
『ヰタ・セクスアリス』……森 鷗外
『ふらんす物語』ほか……永井 荷風
『男犯』ほか……武野 藤介
『クロポトキンの社会思想の研究』……森戸 辰男
『刑法読本』・『刑法講義』……滝川 幸辰
『大日本裏面史』……樋口 麗陽
『古事記及日本書紀の研究』……津田左右吉
宮武外骨と発禁本
梅原北明と発禁本
佐藤紅霞と発禁本
『相対会報告』……小倉清三郎
藤井 純逍と発禁本
『女礼讃』……宇佐美不喚洞
『寝室宝典』——性生活もの——ほか
『赤い風船あるいは牝狼の夜』…・・犯罪者同盟
『ファニー・ヒル』『グループ』『キャンディ』
そして巻末に、「資料・近代日本発禁小史」が付されている。

ここに取り上げられた本は、3分の1ほどが思想的な発禁本で、残りは性的な、つまりエロの発禁本なのであるが、発禁の理由は露骨な性描写というころよりもむしろ不道徳な描写の方にあった。

例えば、本書冒頭の『都会』には性描写はほとんどない。ただ、姦通(不倫)を仄めかす部分があるだけである。この程度のことで、かつて本は抹殺されたのである。

というのは、発禁は「安寧秩序を妨害し、又は風俗を壊乱する」ものと内務大臣が認めれば、すぐに発動することができた純然たる行政処分であり(新聞紙法第23条[当時]、出版法第19条[当時]等)、裁判も何もなく、内務省の役人のさじ加減一つで乱発されたからだ。終戦までの日本国では、国家権力はその気があれば無制限に言論を制限することができた。

この発禁を避けるため、艶本は次第に暗号めいたものになっていき、遂には「××××が×××××をして」といった伏せ字だらけで何を書いてあるのか想像で補うしかない産物になっていくが、それでも発禁処分が続いた。

しかし、当時の人が姦通などしない石部金吉だらけだったかというと当然そんなことはない。それどころか、男の姦通は罪に問われず、罰せられるのは女性の姦通だけというとんでもない不平等が大手を振っていた。後代の我々から見ると、そうした不平等の元にあったのが、言論の制限であったのかもしれないという気がする。

ところで「エロ本」など規制されてもしょうがない、という考えの人もいるかもしれない。無学な人間を慰めるための、くだらない本だと。確かに、本書に挙げられたエロ本の発禁本は、「猥褻」とされて発禁処分を受けたものであり、別段ためになる本ではない。しかしそうしたものに対してであれ、言論の規制をやむなしとすることは、やがてその規制がエスカレートする端緒となった。

そして、あらゆるものが「フーカイ(風俗の壊乱)」とされて、当たり障りのない大政翼賛的なものしか書けなくなっていく社会を招来することになったのである。著者は「(前略)ズタズタ無惨に削除したり、いとも簡単無造作に発売禁止にした日本の官憲、そしてさらにいうなら治安維持法を制定して(大正十四年)誰彼の区別なくしょっぴいた日本の官憲こそ、ワイセツという言葉をかりに使うならワイセツそのものではなかったのか」と糾弾する。全くその通りだと思う。

私が本書に惹かれたのは、津田左右吉の『古事記及日本書記の研究』について興味があったからであるが、この他にも宮武外骨は面白く読んだし、梅原北明については知らなかったので大変興味を抱いた。また、鷗外の『ヰタ・セクスアリス』とか荷風の『ふらんす物語』のような、今から見ると何も過激なところがない本が発禁処分を受けていたというのは、現代の日本にも通じる所があるように思い、空恐ろしくなった。

そしてさらに怖ろしいことに、この状態は戦後に改善されたとはいえ続いているということだ。本当に猥褻物なのであればちゃんと裁判にかけて裁判所が没収するべきであるのに、そういう手続きによらず不透明な行政処分により書物が規制を受けるということは戦前と変わっていない。今日も刑法第175条による押収が続いているのである。

しかも、その規制が行政の恣意的なさじ加減にあることも戦前と同じである。例えば、何が猥褻かという規定がはっきりとしておらず、陰毛・性器にモザイクをかければ頒布OKというのも、業界と警察との暗黙の自己規制ラインによるものであり、公式には何ら取り決められていない。国家権力は、ただ目を光らせるだけで業界に自主規制させ、それで「表現」を取り締まっているのである。

こうした不透明な規制を受け続けることで、「自己検閲」を課すことをまず何をおいても自ら恐れるべき、と著者はいう。本書を読むと、我々は決して権力者の顔色を窺って自己検閲してはいけないし、言論の弾圧に屈してはいけない、と言う思いを強くする。それがたとえ下らないエロ小説であっても、権力によって言論が歪められてはいけないのだ。

発禁本から権力と言論の対峙を考えさせる奥深い本。

2017年11月18日土曜日

『会議の心理学』石川 弘義 著

会議を心理学の面から考えた本。

著者の石川弘義は社会心理学者。会議といっても、自らが経験するものとしては大学の教授会みたいなものが中心であるため、その会議観というか、会議とはいったいどういうものかという感覚はちょっと偏り気味である。本書でも「企業における会議では〜〜らしい」といった伝聞で書いており、出版社の謳い文句「実践的会議学入門」の言葉とは違い、営利組織の会議に役立つ内容ではないと思う。

一方で、これは「会議入門」ではなくて、「会議入門」であり、そういう面ではなかなか充実している。

特に、日米での会議の在り方を論じた章や、「会議の心理学」として集団で何かするときの心理についての先行研究を紹介する章は面白い。

最近、NVC(非暴力コミュニケーション)というコミュニケーション方法が注目されているが、これはアメリカにおいて、対立を厭わず自己主張を戦わせることによって結論を出していこうとするコミュニケーションのやり方が普通だからこそ出てきた方法であることがよくわかった(本書においてはNVCは扱われていない)。

また、「会議の心理学」についてはホールの「プロクセミックス」という考え方が紹介されている。これは、人間同士の距離によって社会的関係が変化していくことの理論であるが、これは会議の進め方にも応用できる。簡単に言えば、会議の座席をどう配置するかによって、ある程度会議の雰囲気を作ることができるというわけだ。まあ、そんなことは経験上明らかともいえるが。

このように本書には実際の会議に応用できる点もあるものの、それは話の中心ではなくて、むしろ「会議」」を通して見る心理学の話、と受け取った方がよいようだ。といっても、これは体系的に展開されるもの学問の話ではなくて、よもやま話みたいに親しみやすい本である。

※プロクセミックスについては、『かくれた次元』エドワード・ホール著、日高敏隆・佐藤信行 訳の記事を参照。

『日本の名随筆 別巻74 辞書』柳瀬 尚紀 編

「日本の名随筆」の別巻シリーズから、「辞書」をテーマにしたもの。

昔の人々の考えを知る、というのはつい最近のことでも難しい。「辞書」に対する価値観もその一つで、インターネット(特にWikipedia)登場以後の世界にいると、以前「辞書」がどういう役割を果たし、人々がそれとどう付き合ってきたのか、ということがピンと来なくなってくる。

そういうとき、こういう随筆集を紐解くと、「ああ、そういえば辞書とはこういうものだった」と少し思い出すことができる。インターネットのない時代、手元で何か調べようと思ったら辞典を用意しておくほかなく、それも数種類の辞典を座右に置き、それはさながら「相棒」であり「先生」であったのである。

本書における「辞書」は、ほとんどは国語辞典を指しているが、その他の辞典類について書いた随筆もある。

通読してみると、(編者の好みが当然反映しているとしても)かつては「言海」の存在感が大きかったんだなというのがよくわかる。今の若い人は「言海」など知らないと思うが、明治時代に文部省により我が国初の国語辞典として編纂が企図されながら予算不足でプロジェクトが途中で座礁し、編者の大槻文彦が自費出版して以後増補を重ね、その後の国語辞典の規矩となったような存在である。

辞典の編纂とは、言語の海に櫂なく漕ぎ出すような壮大かつ困難なプロジェクトで、そこに隠された人間ドラマは非常に面白い。『言海』の大槻文彦の場合はもちろん、『大漢和辞典』の諸橋轍二、『広辞苑』の新村出といった人々が数々の困難を乗り越えながらなんとか辞典を完成させる様はドラマに溢れている(本書ではこういう話は中心ではない)。

ところで随筆では、国語辞典への不満といったものも多く表明されている。その一番は、説明がまずいことだ。それは、用例を十分に吟味することなく、先例の辞書を参考にしてしまう悪癖と、わかりやすい説明を行おうとする意志にそもそも欠けているというのが原因のようだ。これは私も感ずるところである。英々辞典と国語辞典を比べてみると、英々辞典の方が説明がスマートなことが多い。その他、収録する語彙の取捨選択においても、用例ではなく先例の影響が大きく、死語やそもそも用例のない語彙が堂々と載っていることなどが問題視されている。

だが、辞書にはそうした問題があるにしても、辞書を引くのはいいことだ、という観念は全ての随筆に共通しているように思われた。今であれば、「若い人はすぐにググる」というような批判があるものだが、「すぐに辞書を引く」のは美徳とはされてもみっともないこととは誰も思っていないようだ。同じ「調べる」という行為に対するこの態度の違いは、何に起因するのだろうか。


【関連書籍】
『知の職人たち・生涯を賭けた一冊(紀田順一郎著作集〈第6巻〉)』紀田順一郎 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/06/6.html
生涯最大の一冊の誕生のドラマ。諸橋轍二や新村出など、辞書に命をかけた人たちの話がまとめられている(『知の職人たち』)。


2017年11月5日日曜日

『儀礼と権力 天皇の明治維新』ジョン・ブリーン著

明治維新前後の宗教政策を「儀礼」を通じて概観する本。

本書の内容は主に3つである。

第1部では、明治維新前後の政局を宗教政策から読み解く。特に、明治天皇が生ける神話となっていく過程を追い、そこに果たした儀礼の役割が考察される。

第2部では、近代神道の創出過程を辿る。特に、明治初期の宗教政策を牛耳った津和野派の動向と、津和野派の思想的支柱であった大国隆正の思想が詳しく述べられる。

同じく第2部の後半では、それまでの概史から離れて、山王祭(日吉神社)が明治時代にどのように変容したかが語られており、これは一種のケーススタディとなっている。

本書の特色としては2つが挙げられる。

まず第1に、明治維新史の類書ではあまり取り上げられない、文久3年の将軍上洛がかなり詳しく説明されていることである。この上洛と天皇への謁見は、実質的に幕府の権威が禁裏の権威に敗北したことを象徴するエポックメイキングな出来事であった。さらに著者は、その上洛にあたっての儀礼を辿り、儀礼がどのように朝幕の関係性の再構築に寄与したかを分析している。また、五箇条のご誓文についても、条文そのものよりも、五箇条のご誓文を天皇がどのように誓祭したのかという儀礼の面から考察していて、これも著者独自の視点と思った。

第2に、明治政府の初期宗教政策に甚大な影響を与えながら、あまり思想内容まで踏み込んで語られることのない大国隆正について、その著作を多く引用して詳しく語っていることである。特に、大国が開国についてどのような立場を取ったのかということが時期毎に分析されている。本来的には攘夷的な性格が強い国学が、どうして開国を合理化したかということがよくわかる。

著者のジョン・ブリーンはケンブリッジ大学の日本学科で日本史・日本文学を研究。その後大学院では幕末明治の天皇をテーマに研究している。本書はそうした著者の中心的な研究領域の近年(2005〜2010年)の論文をまとめたもので、書き下ろしではないので後半は若干散漫な印象もあるが、まとまりは悪くない。

「儀礼」という地味なテーマながら類書にはない視点で明治日本の宗教政策を見つめ直す良い本。