扇とは何だろうか? 日本の芸能において扇は非常に大きな役割を担っている。能、日本舞踊、神事、落語などいろいろな場面で扇は様々な意味を付託され、扇一本が千変万化する。これらの芸能は、扇無しには成立しないと言ってもいいほどである。
しかし、この扇が一体何なのかということについて、著者が着目するまでほとんど研究されなかった。本書は、扇の本質を探求したおそらく初めての本である。
著者の主張は次のように要約できる。即ち、扇はもともとビロウの葉だったのであり、ビロウは男根を象徴するものであった。古代、神の顕現は男性と女性の結合による誕生を擬することによってなされると考えられていたが、その男性の象徴としてビロウが用いられ、それゆえにビロウの葉も神聖視されたのである。
私は、実は扇について興味を持ったのではなく、ビロウという不思議な植物に興味を持ち本書を手に取ったのであるが、なぜビロウが男根の象徴となったのかという点に関して、本書ではあまり説明がない。少し乱暴に言えば、「私がそう感じたのだからそうに違いない」という書き方になっているが、それは根拠としては弱い。
その他の点でも、きっとそうに違いない、疑いもなくそうである、という調子で推測が容易に断定に変化している箇所が散見され、全体の信憑性を低めている。
だが、沖縄では神木とされ、また天皇の大嘗祭においても重要な役割を果たすビロウという植物についてかつてこのような論考が纏められたことはないと思うので、古代研究に新たな視点を提供したという点で本書の意義は極めて大きい。推測が断定に変化している箇所は多いながら、当時の宗教学や民俗学の研究を見てみるとそう言う調子で書いている人は多いし、事実私は本書はエリアーデ的な書き方であると感じさせられた。
嚆矢であるがゆえに足りない部分も多いが、扇という広大な研究の沃野を切り拓いた本。
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