2016年8月14日日曜日

『人間の家』ル・コルビュジエ、F・ド・ピエールフウ共著、西澤 信彌 訳

ル・コルビュジエとド・ピエールフウによる、住みよい家をつくるための都市計画提案の書。

本書が書かれたのは、第二次大戦中。ル・コルビュジエ自身が疎開していたさなかのことである。破壊されつつあったパリの街をどう再建するか、という切実な問題意識の下、単に壊れた建物を作り直すというのではなく、これを機にパリをもっと人間的な街に変えていこうという意欲的な都市計画案を二人は考察していった。

例えば、パリの住居はあまりに狭すぎて、近接しすぎ、道路交通が非効率で、また緑が足りないという課題。狭すぎる住居で暮らすことは、衛生上も、精神面でもよくなく、ル・コルビュジエは「人びとの住宅事情は悪い、現在の大混乱のふかい原因、真の原因だ」と述べる。

本書で開陳されるその解決策は、高層の集合住宅だ。住宅を集団化・高層化して床面積と緑地面積を広くし、日当たりもよくする。また自動車道路と歩行者用道路を分けて、自動車道は街の中心部を通らないようにする、といったものである。

この提言は、ル・コルビュジエの代表作『輝く都市』へと受け継がれ、パリでは異端視されて相手にされなかったものの、ブラジリアなど新興の都市における都市計画に影響を与えたという。

本書は、共著の形を取っているが、不思議な構成になっている。右ページに本文が、左ページが挿絵や短文が書いてあって、右の本文をド・ピエールフウ、左をル・コルビュジエが書いているのである。右ページと左ページは、つかず離れずというか、決して挿絵は本文の解説ではないし、かといって本文が挿絵を説明するのでもない。が、無関係というわけでももちろんない。敢えて言えば、二人が同じようなもの(「同じもの」ではない)を違う角度と方向から述べている、という感じだろうか。

そして、ド・ピエールフウの筆は理念的・説明的であり、ル・コルビュジエのそれは具体的・啓示的である。読者は、右ページだけ読んでいっても、左ページだけ読んでいっても本書を理解できるのではないかと思われるが、両方を併せて読むとさながら二重奏のように違った読書体験が絡まり合うという仕組みになっている。

本書で提言されている都市計画は、現代においては少し無味乾燥なものに思われるかもしれない。彼らの提言を真に受けて都市を建築すると、世界中のどこでも似たような高層住宅や商業施設が建築されそうである。日本で言えば、六本木ヒルズのような場所ばかりになってしまう危惧がある。

彼らが盛んに攻撃する”パリの狭苦しい街並み”というのも、我々日本人からすると統一感がありこぢんまりして品のいいものであるし、確かに住宅の狭さなど改善すべき点もあろうが、その解決策が高層マンションであるとすれば、随分味気ないもののように思われる。

しかしながら、彼らの都市計画案は、十分に広い住居と、たくさんの木々と眺めの良い場所、そこを自由に逍遙できるような歩行者用通路が都市になければ健康な生活は送れない! という現代的な視点に立脚しており、決して時代遅れの高層礼賛ではない。むしろ、彼らの問題意識は現代日本の都市計画でももっと考慮されてしかるべきもので、実際に高層マンションをつくるのがいいのかどうかはともかくとして、改めて「人間の家」がどうあるべきか考えるために再読される価値があると思う。

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