2016年2月24日水曜日

『逝きし世の面影』渡辺 京二 著

外国人が残した記録によって辿る、徳川期の日本の残照。

著者は、日本のかつての姿を探るため、幕末から明治にかけて来日した外国人が残した記録を丹念に紐解いていく。当時の社会がどうだったか、ということは意外と日本人自身の記録ではわからない。当たり前の日常についてはわざわざ記録しようと思わないものだからだ。だから社会の姿は、その外部からの目によって新鮮に記録される。当時来日した外国人たちは、西洋とは違う意味で発展した日本の「文明」に目を見張ったのであった。

そこにあったのは、天真爛漫で幸せそうな親切な人々、地味ではあるが手の込んだ意匠の道具、清潔で植物に彩られた気持ちのよい街や村、形式的な階級はあるがうまく棲み分けられ、悲惨な貧困や抑圧が存在しない平等な社会、有能で自尊心があり男性と対等にやりあう美しい女性たち、のびのびと育てられ可愛がられている子ども、弱いものへのいたわりと他者への礼節、つまり子どもっぽくもありながら同時に洗練されてもいた人間の姿であった。そこには、近代西洋が捨ててきた、産業革命以前の古き良き社会が西洋と違った形で存在していたのである。

こういった社会の残映は、現代の日本にもある面では受け継がれているが、その多くは既に無くなっている。明治時代、日本は大急ぎでその姿を改造しなくてはならなかった。少なくとも、この国のリーダーたちは、国の姿をまるっきり変えてしまわなくては国際社会で生き残っていけないと考えた。そして、前時代的なるものを全て遅れたもの、悪いものと断罪して旧文明を破壊していった。

そうした旧文明の破壊を、当時日本を訪れ、その美しさに感動した外国人たちは惜しんだ。この夢のようなおとぎの国が、自分たちの祖国と同じつまらない工業国になっていく未来が見えたのである。一方我々は、旧文明が遅れたものだとする見解を鵜呑みし、江戸時代といえば無知と蒙昧、酷い不平等、貧困と不潔、混乱と飢餓の時代だと思わされてきた。一面、それも事実である。本書には出てこないが、江戸時代には子どもの間引きがあり、貧困や飢餓が存在しなかったというわけにはいかない。しかし総じて、260年間続いた穏やかな社会は、まどろむような平衡に到達していたということも間違いないのである。

ところで本書を読みながら、私の頭に浮かんだのはブータンのことである。ブータンには幕末の日本と少し似ているところがある。周囲の国家と距離を置き、未だ工業化されない素朴な社会。ブータンには確かに幸せで呑気な人々が生きている。たぶん、明治の日本はこんな感じだったのだろうと思う。

しかし、実はブータンの上流階級は、そうした人々のことを内心苦々しく思っている。時間を守らない労働者、約束を平気で反故にする人たち、契約よりもしきたりを守ろうとする慣習…。そうした古い社会を捨て去らない限り、ブータンの近代化はありえないと。

当時の日本もそうだった。すばらしく平穏な完成した社会がありながら、国家の指導階級はそれを疎ましく思った。しかしその階級は、外国人から見ると形式と体裁だけを気にするビックリするほど無能で不機嫌な連中だったのである。こうした無能な連中の下で、完成された社会が存在していることにもまた、外国人は驚いた。

1860年代に鉱山技師として来日したパンペリーという人物がいみじくもこう書いている。「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろう」と。

日本は、社会全体が幸福な平衡に達していたわけではなく、あくまでその平衡は下層階級の間に限られていた。幸福な下層階級と、無能で不機嫌な指導階級。その対比が社会にどのようなダイナミズムをもたらしたのかということが、本書を読みながら大変気になったところである。

ここに描かれたおとぎの国は、もはや存在しない。我々は既に近代化し、まどろみから目覚めてしまった。一方ブータンは、近代化しながらも、古い社会の良さを失わないようにする困難な社会実験をしている。その結果がどうなるのかは興味あるところだ。その取り組みがぜひ成功し、西洋近代社会とは違った文明システムが、この世界には共存できるのだということを示して欲しいと本書を読んで思った。

失われた日本の「手触り」を感じられる珠玉の論考。


2016年2月14日日曜日

『風景学入門』中村 良夫著

日本の景観工学の第一人者による「風景学」の入門書。

景観工学は、土木建築の際に周囲の環境と調和してしかも見栄えよく、そして機能的な構造物を作るのに必要な学問であるが、「風景学」はそれをさらに敷衍して、我々が日々暮らす都市や田園、そして自然の風景の諸相をよく理解するための学問であるといえる。

本書では、まずは風景を物理的に考察する。例えば、視角が何度の時に風景は収まりがよいか。山は大きければ大きいほど迫力があって風景として好ましいかというとそうでもない。むしろ、垂直方向10°・水平方向20°くらいにひとかたまりの図がある方が好ましい。例えば、仙巌園から見る桜島の大きさがこれくらいらしい。また、星座なども20°×20°の大きさにほとんど収まるという。これ以上図が広がると、それが一つのものと認識されなくなったり、全体を見渡すために首を回さなければならなかったりして図としての心地よさが減じる。

次に、風景は自然や都市のありさまそのものではなく、それによって我々が行う解釈、つまり心象であると主張する。我々は現実の風景を見る前に心の中に「理想の風景」を持っていて、その理想の風景という型に沿って風景を理解している部分がある。例えば田んぼがたくさんある山里の景観は、我々にとっては「日本の原風景」と認識される好ましいものであっても、砂漠に生きる人たちにとっては異なる解釈になるであろう。風景が心象であるならば、風景を論ずるためには我々は心理学者たらねばならないのである。

また、風景が心象であるならば、風景を構成する事物そのものに絶対的な存在感があるわけではないということになる。松いっぽん、橋ひとつとっても、それがどこにどのように存在しているかによって風景としての意味は変わる。それあたかも、大乗仏教で「いっさいの存在は空(くう)である」とされるようなもので、全ては相互関係(仏教用語で言えば「縁」)に基づくのである。まちづくりなどで土木工事を行う際も、構築物そのものの存在のみを考えていては好ましい景観は生まれない。構築物自体は空じて、場所との結縁(けちえん)の中でそれが風景にどうあるべきかを考えなくてはならない。

最後に、そうした風景についての考察に基づいて、これからの建築土木がどうあるべきかを提言している。そこに書かれた内容は至極納得できるものであるが、本書の出版から30年以上経っても、依然として心地よい風景が顧みられない公共事業がなされている現状には落胆せざる得ないところがある。

本書は、景観工学を土台にして書かれているが、漢詩、俳句といった文学を豊富に引いて、我々が風景をどのように捉えてきたかという歴史や人間心理を紐解いたり、仏教の考え方を援用して風景を考えるといった学際融合的な取り組みをしていたりと大変読み応えがあるもので、著者の提案する「風景学」の奥深さを感じることができる。「心地いい風景はどんなものか」「都市や農村を美しくするためには何が必要か」というような答えをすぐ出すのではなく、その答えや問いそのものの基盤にある、風景と人間の関係について理解を深めていく構成が心地よい。

新書であり、また「入門」を銘打ってはいるが、風景と人間についての本格的な論考。

【関連書籍】
『風景と人間』アラン・コルバン著、小倉孝誠 訳
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/01/blog-post_18.html
「感性の歴史家」として知られるアラン・コルバンが風景について語った本。


2016年2月3日水曜日

人造人間と「愛」

ゾッキ本、というのを知っているだろうか。

日本では書籍に再販制度があるので、本は返品可能なものとして書店に納入される。しかし何らかの事情で返品が出来ない本があって、そういう本は新刊本であっても古書として扱われ古書店に安値で売られる。これがゾッキ本である。

いわゆる「バーゲンブック」もこの類である。ゾッキ本は、新刊本と区別するために小口に「丸にB」印のスタンプが捺されていることが多い。

かつて十月社という小さな出版社があって、この小さいが真面目そうな会社が倒産したとき、在庫の本がゾッキ本として放出された。会社が倒産したのだから当然返品先はないため、新刊本がやむなくゾッキ本となり、どこかの古書店でまとめて売られていた。

その中の一冊にカレル・チャペックの『R.U.R(ロボット)』が入った戯曲集があった。

その頃はまだ岩波文庫に『ロボット』はなく、この十月社のチャペック戯曲集は日本語で『R.U.R』にアクセスできる(絶版でない)数少ない本の一つだったように思われる。既に『山椒魚戦争』や『クラカチット』といったチャペックのSF的作品に魅了されていた私は、当然、すぐに購入した。

『R.U.R』は、「ロボット(robot)」という単語を生みだした作品として名高い。

が、もちろんこの作品はそれだけのものでなく、その後のロボットものの原型をつくる役割をした意味で大きな影響力があった。つまり、最初は人間に役立つものとしてデザインされたロボットたちが、次第に力をつけてやがて反乱を起こすという筋書きはこの作品に始まったものである。

チャペックは、人造人間=ロボットを機械文明への批判から発想したのではなかった。

ある日、チャペックは満員電車に揺られながら街はずれからプラハに向かっていた。周りは生気なくすし詰めにされた乗客たち。生活条件が悪くなり、目の前の仕事をこなすばかりで考えることが出来なくなった人間の姿だった。チャペックは電車の中で、この人間たちは個性を持った人間ではなく、機械ではないか、と考えるようになった。 そして、「ロボット」という発想が生まれたのである。

今の日本では、こういう人たちを「社畜」というのかもしれない。

ロボットは、誰かの便利な生活を支える、都合のよい労働者だった。働くための必要最小限の機能だけしか持たず、従順で能率がよく、疲れを知らない労働者。作中で、ロボットを製造する企業R.U.Rは大儲けする。そして、ロボットのおかげで「人間」は労働から解放されつつあった!

だがチャペックは、書き進めるうちにそら怖ろしくなってきた。社会がこのまま突き進んで、「人間」が「人間」でなく「労働者」として生きるだけの社会になっていけば、そこに待っているのは破滅だと確信が持てた。本来美しいはずの「生」が、苦痛に満ちたものになるのではないかと恐れた。チャペックにとってロボットは反乱を起こさなくてはならないものだったのだ。

ロボットによる反乱で世界はどうなったか、それは本書を読んで確かめて欲しい。感動的な「愛」の発見を結末とせざるを得なかった、チャペックの苦悩と思考の結晶である。
 
ところで「ロボット」と並ぶ人造人間の呼称「アンドロイド」の方は、リヴィエ・ド・リラダンの『未來のイヴ』という、こちらも驚異的な作品が初出だ。

『未來のイヴ』が世に出たのは、「ロボット」に先立つこと約35年の1886年。19世紀末のことだ。

悩める青年貴族のために、発明家のエディソンが理想の恋人として人造人間をつくり上げる。それがアンドロイドの始まりであった。

この時代にはまだコンピュータすらないわけで、会話は予め蓄音機に録音されたセリフを再生するだけという純粋に機械的なものにすぎないが、エディソンによれば我々の会話だってそれと大差ないという。その場その場で言うべきセリフを言っているだけで、そこに自由な意志などない、と喝破するのである。

本書の半分ほどが、複雑に見える人間の行動や精神すら単純な機械によって模倣ができるのだ、とするエディソンの持論開陳に当てられているが、それが人間性への批判や風刺になっていて面白い。そして事実、恋人としてつくられたアンドロイドに、青年貴族は首ったけになってしまう!

現実の浅はかな女とは比べるべくもない、アンドロイドの高貴で優雅な「精神」と肉体! 事前に録音されたセリフを演じる苦もなく、会話は自然に流れてゆく。現実の俗物女に辟易していた青年貴族は、このアンドロイドを伴侶にして生きてゆくことを決めたのだった。

これは現代日本で言えば「2次元の嫁」だろう。少し前の話になるが2009年にある若者がゲーム「ラブプラス」のキャラクターと結婚式を挙げたという話があった。『未來のイヴ』はその嚆矢に当たると言えよう。

しかしつくづく思うのは、人造人間というものを描いてゆけば、「愛」の問題に行き着いてしまうということである。『R.U.R』はロボット自身が愛を発見し、『未來のイヴ』では愛すべき理想の伴侶としてアンドロイドがつくられる。人間を模倣しようとすれば、最後のギリギリのところで「愛」が大問題になる。

そういえば、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』でも、フランケンシュタイン博士がつくり出した「怪物」は、愛を求めて伴侶をつくることを博士に求める。人造人間と「愛」は切っても切り離せない問題なのだ。

それで思い起こされるのは「創世記」である。

神は自らの似姿として人間を創った。その人間が楽園を追放されるのは、「知恵」のためである。このことの宗教的意味がなんなのか、私にはよく分からない。たかが「知恵」を持ったからといって、それが原罪と呼ばれるほどの重罪となるというのがピンと来ない。

神が人間を創るということを、人間が人造人間を創るということのアナロジーで考えると、どうして「創世記」で「愛」が問題にならなかったのだろうと思う。人間が楽園を追放されるのは「知恵」ではなく「愛」ゆえであるべきだった。「知恵」をつけたから神に反逆するのではなく、神よりも伴侶を大事に思うことが神への反逆になるという筋書きであったら、私にとっては「創世記」はもっと魅力的なものだったろう。

科学技術が進歩して、人間が神にも等しいほどの力を持つ時が来ても、 「愛」こそが最後のスフィンクスとなるに違いない。人々に難問を突きつけて、答えられなければ喰ってしまうというあのスフィンクスに。