2015年12月20日日曜日

『大地・農耕・女性—比較宗教類型論—』ミルチャ・エリアーデ著、掘 一郎 訳

様々な宗教に共通して見られる種々のモチーフについて述べる本。

本書は、エリアーデによる大規模な著作『比較宗教における類型(評者仮訳)』の抄訳である。世界的な宗教学者である著者は、様々な宗教に共通して見られるモチーフ、例えば「天空神」「地母神」「宇宙木」といったものを取り上げ、考察する。そして、何が「聖なるもの」として扱われるのかという宗教の根源を探ろうとする。

ただし、その態度は体系的・学術的なものというよりは、とにかく並べてみようという博物学的、コレクション的なものであって、そこに添えられた考察も素人目には思いつきの域を出ないもののように思われる。エリアーデの研究はある意味で19世紀的な手法によって行われていて、独断や大胆な推論が多く、今日的な視点からは少し脇が甘いような感じがするが、世界の諸宗教から縦横に例を引いてくるのはさすがというべきで、そこに現れる共通のモチーフをただ列挙していくだけであったとしても本書には価値があると思う。

しかもそのモチーフが、思想的なものというよりも、図像的なものを中心として取り上げているので、イコノロジーの博物館とでもいうべき本である。本書には図が全く掲載されていないが、本書に適当な図をつけて参考書としたら非常に面白い本が出来ると思う。

私が本書を手に取ったのは、地母神信仰について知りたかったからで、特にその地理的広がりや地母神の性格といったものに興味があった。日本の神話では地母神らしい地母神がなく、鹿児島の農耕の神である「田の神」は男性であるし、中東あたりによく見られる「生産力の象徴としての女性」という観念が希薄である。どうしてこのような差異が生じたのであろうか?

本書は体系的な研究書ではないので、それに対する答えは全く得られなかったが、様々なモチーフがどんどんと現れ、いろいろなことを空想させられる本である。

2015年12月12日土曜日

『食の終焉』ポール・ロバーツ著、神保 哲生 訳

食システムの破綻が間近に迫っていると警告する本。

先進国のスーパーマーケットには安価な食材が溢れ、肥満も大きな問題になっている。一方で、世界には未だ多くの飢餓状態にある人たちが存在し、農業には持続可能性を疑わせる数々の懸案が存在する。例えば、過剰施肥、土壌の流亡、地下水の過剰な汲み上げ、大規模単一栽培によって病害虫被害に脆弱になっていること、モンサントやウォルマートなどの巨大企業による支配、などなど。

本書は、こうした問題を取り上げて、食システムの破綻は間近であると畳み掛ける。なお、ここでいう「食システムの破綻」とは、本書中では明確な定義がないが、サプライチェーンのどこかに問題が起こって、需要を満たすだけの生産ができなくなること、といった意味のようだ。しかし、問題がたくさんあるからといって破綻は間近だと結論づけるのも短絡的であり、これは食システム全体を俯瞰して考えなければならないテーマであるにも関わらず、現在のシステムがうまくやっている点については全く触れず、延々と問題だけを取り上げているのはやや誠実さに欠ける。

しかも、その問題の取り上げ方も、専門家の誰それがこういっている、というような断片的なことがたくさん書かれているだけで、本書中には一つのグラフも表も出てこない。将来を見通すには全体の趨勢を理解するのが大事なのに、事実を経年的に把握するグラフの一つも出さないというのは信頼性に欠ける。要するに、取材の態度が科学的ではなく、ゴシップ的なものと言わざるを得ない。

もちろん、ここで提示されたような問題は、それぞれ事実大きな問題であろうと思う。しかし、食糧危機が間近に迫っているという警告は、それこそ何十年も前から出されているが、これまでのところその予言が外れているところを見ると、ここで挙げられている問題も破綻が不可避なものとは思えない。

例えば、現在は安い価格で大量の食肉が生産されており、これは安価な穀物と補助金に支えられているが、今後新興国の生活水準が上がってきてさらに食肉需要が増大した時、現在の食システムはその需要に応えられないかもしれないと本書は予言する。でもそれが何の問題なんだろうか? 食肉需要が高まって、でも供給がそれに追いつかなかったら、食肉価格が上がるだけのことだろう。要するに価格調整によって需給は調整されるのだから、そこに「破綻」と呼べるほどの問題は起こらない。

もちろん、これまでの先進国はたくさん肉を食べられたのに、これからの先進国はそれほど多くの肉を食べられないというのは不平等ではある。しかし、これは19世紀の先進国は植民地を持てたのに、21世紀の先進国は植民地を持てない、 というのと同じことで、不平等かもしれないがそれを受け入れて社会を構築していけばいいだけのことだし、これは食システムの問題というより、国際的な不均衡の問題、つまり国際政治の話だと思う。

ただし、人口が90億人に達したとき、十分な量の穀物が生産できるのかという点だけは、シンプルなだけに重大深刻な問題で、ここだけは真面目に考究する価値があると思った。ただ、本書においては「既に利用しやすい農地は利用しているし、灌漑用の水も限界まで使っているし、これ以上生産量を増やそうとすれば森林を切り拓くしかないがそれは環境破壊になるし、どうする」みたいなことが定性的に書いてあるだけで、真面目な(定量的・科学的な)考察がない。もう少しデータに裏付けられた分析が必要だと思った。

食システム全体を俯瞰する視点がなく、食にまつわる問題をゴシップ的に列挙するとりとめのない本。

2015年12月2日水曜日

糞尿の文学

『ガルガンチュアとパンタグリュエル』という、もう書名を目にした瞬間にうずうずしてしまうような偉大な文学作品がある。
 
この本を初めて見たのは神保町の古本屋だった。古びた岩波文庫の5冊揃い。渡辺一夫訳の伝説的な作品。

当時は絶版の岩波版がほとんど唯一の『ガルガンチュア』だったから、確か9000円くらいしたと思う。お金がない時で、当然買えなかった。神保町へ行くたび、もうちょっと安いセットはないものかと一時期は探していた。

ちくま文庫から宮下志朗訳が出版されたのが2005年。もちろんすぐに購入した。この世界文学史に燦然と輝く作品が、一体どのようなものなのか期待してページをめくったのを覚えている。

それは、期待以上の読書体験だった。この本は、とにかく、笑える。荒唐無稽な巨人王の生涯! ナンセンスと言葉遊びの嵐! 下品なことも高尚なこともごった煮にした、百科全書的で無秩序な物語。

鋭い社会風刺、文明批判、そういうものもあるが、それは横に措いてもとにかく面白い(もちろん理解すればもっと面白い)。16世紀のユマニスム——つまり「人間中心主義」が作品のありとあらゆるところに横溢している。「ガルガンチュア伝説」という中世的な素材を扱いながら、教条主義に凝り固まった無益な規矩から解き放たれた人間が「自由」を存分に謳歌する。ここでは優等生的な人間でなく、ありのままの人間そのもの(巨人だからスケールは桁外れだが)が主人公である。

ぜひ紹介したいのが第13章「グラングジェ、ある尻拭き方法を考案したガルガンチュアのすばらしいひらめきを知る」。主人公たる巨人のガルガンチュアは、この章では「何を使ったら一番気持ちよくお尻が拭けるか」を父上のグラングジェに講釈する。

ビロードのスカーフ、深紅のサテンでできた頭巾の耳当て、母上の手袋、で拭くのもまずまず宜しいそうである。逆にカボチャやほうれん草の葉っぱ、レタスやバラは気持ちよくないらしい。カーテン、クッション、ゲーム台、そういうものは気持ちよい。

最上のお尻拭きを明らかにする前に、ガルガンチュアは「脱糞人に雪隠が話しかける歌」をグラングジェに聞かせる。
うんち之助に、
びちぐそくん、
ぶう太郎に、
糞野まみれちゃん、
きみたちのきたないうんこが、
ぼたぼたと、
ぼくらの上に、
落ちてくる。
ばっちくて、
うんちだらけの、
おもらし野郎、
あんたの穴がなにもかも
ぱかんとお口を開けたのに、
ふかずに退散するなんて、
聖アントニウス熱で焼けちまえ!
すばらしい「世界文学」! 下品なものを下品なままで文学に表現出来るようになったのが、16世紀のユマニスムであるような気がする。ユマニスム万歳!

さらにガルガンチュアの試行錯誤は続く。おんどりやめんどり、子牛の皮、ウサギ、ハト、弁護士の書類袋などでも尻を拭いてみた。が、「しかしながら、結論として申しますれば、うぶ毛でおおわれたガチョウのひなにまさる尻拭き紙はないと主張いしたしたいのであります」とのことである!

フランソワ・ラブレー先生の世界文学上に名だたる作品が、こういう調子なのだから、これはもう驚きというより痛快な読書体験であった。ありのままの人間を描こうとするなら、その最も汚い部分、つまり排泄だって描く必要がある。人は誰でも食べてそして排泄する。我々は誰でも「うんち之助」であり「糞野まみれちゃん」なのである。

こういうテーマをそれまでの文学ではあまり扱ってこなかった。というより、未だにそうである。

でも世の中にはやっぱりそういうテーマで文学を書いてみようという人もいるもので、安岡章太郎はそういう作品だけを集めた『ウィタ・フンニョアリス』というアンソロジーを編んだ(これも題名が洒落ている。「ウィタ・フンニョアリス」はもちろん森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』のもじりだ)。

この本では、主に日本近代文学の書き手による糞尿やトイレを題材にした短編が集められており、芥川龍之介、谷崎潤一郎、吉行淳之介、北 杜夫、遠藤周作といった名前が並ぶ(『ガルガンチュア』の第13章も渡辺一夫訳で所収)。全体を通じて意外に思うのは、糞尿が汚いものという観念が薄く、厠の匂い(当然昔は水洗便所ではなかった)には一種の情緒すらあるという考えである。作家たちには、世の中が水洗便所に変わっていき、清潔第一になってしまったことが何か寂しいという郷愁があるようだ。

私などは水洗トイレの方がいいだろ! という現代人で、汲み取り式便所の匂いにどんな情緒があるのか理解できないが、明治や大正の文豪たちにとっては、糞尿は現代の人に比べてずっと身近なものだった。何しろ、昔(といってもそんなに昔ではない)は人糞は肥料として使われていたので、それは大切に集められていた。

以前、江戸時代の農書の勉強をしていたとき、「上農(上手な農家)はあたりかまわず小便をしない」というようなことが書かれていて、何のこっちゃと思ったら、小便はちゃんと溜めておいて肥料に使うべきで、畑の隅で立ち小便をしているようではダメだ、という意味だった。汚いからとか、はしたないから立ち小便をしてはダメということではないのである。

そういう次第だから、化学肥料と水洗便所以前の人たちにとっての糞尿は、今の私たちとは全然違うものとして認識されていた。だが化学肥料が利用できるようになると、自ずから糞尿は役立たずとなり、ただ穢らしいもの、処分すべきもの、できれば目にしたくないものに変わっていった。

そうした風潮に真っ向から異議申し立てをし、糞尿こそ世界を救うとのたまった学者がいる。中村 浩という人だ。

この人の『糞尿博士・世界漫遊記』という本は、めっぽう面白い。中村 浩は幼少の頃よりなぜか糞尿に心惹かれ、微生物学者となってからも「ウンコ博士」として糞尿の研究を続け、ついに糞尿からクロレラを培養して直接的に食糧生産する方法を編み出す。妖気漂う臭気芬々たる研究室から、「緑のパン」が生みだされたのだ。

この功績により、中村はソ連から招聘される。宇宙空間では糞尿はたくさん溜めておけないので、その水分を浄化し、栄養分を食糧生産に使えるなら、宇宙での長期滞在の役に立つ。そういうわけで、日本では奇人・変人扱いされていたウンコ博士が、ソ連へは重要人物として招聘されたのだった。このほか中村は、香港、インド、エジプト、イタリア、スイス、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカと巡り、各地で糞尿談義をふっかけるのである。

中村の夢は、糞尿という毎日生ずる大量の有機物を有効活用し、クロレラを中心とした食糧生産をすることで地球から飢えの心配をなくすという「食糧革命」なのだが、世界各地での彼の興味関心は、糞尿をどうやって排泄し、利用し、処分するかという実務的な面だけでなく、糞尿をどう語り、どう扱うかという文化的側面にまで渡っている。それどころか、本書には「糞尿からの文明批評」というべき風采があって、「糞尿をキタナイもの、イヤラシイものと目のかたきにしていては、人類の進歩はのぞみえない」とか、「人間は糞をひる葦である」といった面白い警句が並ぶ。しかもユーモアいっぱいの!

本書の白眉は、水と太陽と糞尿さえあれば人は自給自足できるんだ! という「食糧革命」の理論を証明するために、自らアリゾナ砂漠で「人体実験」をするくだり。砂漠の朽ちた一軒家に身を寄せて、小さな池を掘り、そこに糞尿を栄養としてクロレラや水草を培養、それらを食べて3ヶ月生きるという何ともワイルドな実験である。

そして中村は池を掘ってから3週間で自給自足の体制を整えた。農業だったらこうはいかない。自給自足できるのに1年はかかるし、その上かなりの面積が必要だ。たった5坪の池で大人一人が生きていくというのは、ものすごい生産性である。中村の夢見る「食糧革命」も絵空事ではないのだろう。

本書のエピローグにはこういう言葉がある。「人間の生活をみてみても、食べることには熱中するが、フンベンなどは口にするもいやらしいこととして葬りさっている。この誤った観念が今日の公害問題を引き起こしたのである。近代工業においても、生産品を高く売りつけて儲けることには熱中するが、工業廃棄物などはコッソリ始末してしまえという安易な考えがあった」その通りであると思う。

ところで、糞尿が社会から隠されてしまうと、逆にそれを覗き観たいと思う人が現れてくる。隠されたものを愛でる行為はそれだけで淫靡なものである。この世界にはそういう、糞尿をなぜだか偏愛している人たちがいて、スカトロジストと呼ばれている。

ある種のポルノビデオには、そういう人たちのための過激な排泄や糞尿表現があるだけでなく、糞便を食べることすらする。ちょっとここまでくると、厠の匂いの情緒とかそういう文学的なものから離れて、ただのゲテモノ趣味のようにも見える。

でも、知り合いからホンモノのスカトロジストの話を聞いてみたら、その活動(?)は結構真面目で、まず彼らはご飯をいただくというところからするそうだ。そのご飯が体内を通って、そして糞便になって出てくる。それをまたいただく——というのが私には全く理解できないが、そういう行為を通じて「生の営み」を実感するんだとかなんとか。

その話を聞いて、最高のスカトロ文学というのが何かひらめいた。それは、『Dr.スランプ(アラレちゃん)』である。アラレちゃんはいつもうんちを持って走り回っているが、それはアラレちゃんがロボットであるため自分には絶対にうんちができないからで、要するにアラレちゃんにとっての生命の象徴がうんちなのだ(と鳥山 明が実際に考えたのかどうか知らないがそういうことにしておく)。

うんちは汚いが、その汚さは人工的に生み出せるものではなく、生命にしか生み出しえない汚さなのである。だからアラレちゃんはうんちに憧れている。かつて、これほど純粋に糞尿に憧れる主人公を登場させた文学作品があっただろうか。

ラブレーが『アラレちゃん』を読んだら歯ぎしりするに違いない。糞尿への憧れが、ロボットによって表現されるなんて、なんて文学的なんだろうか!

2015年11月25日水曜日

『食と文化の謎』マーヴィン・ハリス 著、板橋 作美 訳

歴史・宗教・文化といったものからではなく、唯物論によって人が何を食べ、何を食べないかを説明する本。

インドでは牛が神聖視され食べられないし、一方イスラーム圏では豚が汚れたものとして忌避される。アメリカには馬はたくさんいるのにアメリカ人は馬肉を食べず、昆虫は西洋文明にとって身の毛もよだつ食材だ。ペットを食べるなどともってのほかと考える人もいれば、愛情たっぷりに育てたペットを食べるのは当然のことと考える人たちもいる。さらには、我々にとっては恐怖でしかない食人すら、全く公認されていた地域もあった。

こうした食文化の違いは、どうして生じたのか。これまでは、歴史や宗教の気まぐれ、そして合理的な思考ができない人々の遅れた考え方といったものがその原因ではないかと考えられがちだった。しかし、著者のマーヴィン・ハリスは、こうした一見つじつまが合わない食文化の多様性の背景には、そのものが食べるに適するか適さないかを支配するコスト・ベネフィットの構造、つまり合理性があるという。

例えば、インドで牛が食べられないのは、役畜として重要な役割を果たし、またミルクを供給しているから、 豚がイスラム圏で食べられないのは、中東に豚の飼育に適した森林が少なく、豚の餌が人間の食料と競合しているため、といった具合である(本書の説明を暴力的に簡略化しています)。つまり、その食料(になりうるもの)を生産・獲得するのに必要なコストと、それを食べることによるベネフィット(他の食料を生産しないで済むといったこと)を天秤に掛け、コスト・ベネフィットの帳尻が合うものは食べられるし、そうでないものは食べられないのだという。

著者の説明は、多くの場合非常に説得的である。人類学界では著者は「異端の人類学者」などと呼ばれ忌み嫌われているらしいが、私にとってはその論理は明解かつ合理的であって、別に「忌み嫌われる」要素があるとは思えなかった。それどころか、食の原価計算をするようなこうした無味乾燥で(!)唯物論的な考え方が、人類学の世界にもっと広まって欲しいと思う。

ただし、宗教的タブーに関する説明だけはちょっと疑問がある。例えば、インドでの殺牛のタブーである。インドでは牛は神聖なもので手厚く保護されており、牛を殺すことは重大な宗教的タブーであるが、それは著者の説明では牛を屠ることはインドではコストが高すぎるからだという。牛は棃を引いてくれる上に粗食に耐え、ミルクを出してくれる有り難い存在だから、食べることが罪になるというのだ。要するに、コスト的に引き合わないから殺牛はタブーになった、と著者は主張する。

これは一見もっともらしいが、「コスト的に引き合わないことをなぜあえてタブーにする必要があったのか」という新たな謎を生み、謎を謎で説明している感じがする。コスト的に引き合わないなら、別に禁止規定を設けなくても人はそれを積極的にしようとはしないだろう。実際、馬肉や昆虫食といった他の項目では、コスト的に引き合う時はそれらは食べられ、引き合わなくなったら食べられなくなる、といった説明がなされている。コスト的に引き合わないものをわざわざ禁止する道理はないのである。

ヒンズー教が牛を殺すことを重大な罪として禁止しているということは、禁止しなければ牛を殺して食べようという人たちが大勢いたはずだ。著者の言うことが正しいなら、そういう人たちはコスト的に引き合わないことを敢えてやろうとしていたということになるが、それはなんでなんだろうか。コスト的に引き合わないならそれは食べられなくなるのではないのか? これに対してはいろいろな説明ができることを承知してはいるし、本書にもそれなりに理屈を書いてはいるが、あまり説得的ではなく物足りなく思った。

もう一つの物足りない点は、本書で扱っているものが動物性タンパク質(要するに「肉」)ばかりで、野菜や果物、穀物といったものがほとんど登場しないことである。著者の主張はいろいろな食品に応用できるものだと思うので、肉以外の食品文化に「唯物論」を適用するとどのような説明が可能なのかは興味あることである。

タブーに関する説明は曖昧なところがあるが、食文化を経済面から解明する小気味よい本。

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2015年11月9日月曜日

『食の思想と行動』石毛直道 監修、豊川裕之 責任編集

本書は、「講座 食の文化」の一冊で、この叢書は味の素食の文化センターがやっている「食の文化フォーラム」の研究成果をまとめたものである。監修は、世界各地で実際に食べ歩いてフィールドワークをしてきた「鉄の胃袋」の異名を持つ石毛直道氏。

本書の構成は若干散漫なものである。元々、この叢書自体が研究の寄せ集めであるためさほど体系的でないが、「食の思想と行動」という大上段に構えたテーマからすると内容の方は少し物足りない。

まず、本巻の責任編集をしている豊川裕之氏の序章「複雑系としての食」は本巻全体に通底するパラダイム的なるものを示したものだが、これがあまりいただけない。多分、同氏は「複雑系」というものをあまり理解していないし、「複雑系」の視点によって食文化にどのような新たな知見がもたらされるのかも全く見通しがない。ただ、これまでの唯物論的・機械論的な食文化の分析だけでは解明できないことがある、と言いたいらしい。

しかし私の見るところ、食文化については唯物論的・機械論的な見方の研究すら端緒に付いたばかりの状況なので、こういう批判をしなくてはならない意味が分からなかった。

その他、「食の思想」を銘打つにはあまりに個別的な研究が多く、それぞれは興味深い部分もあるが全体としてまとまりがない。ただ、「食の思想」というテーマが非常に難しいものであるだけにしょうがないのかとも思う。しかしここに収録された多くの研究が、フィールドワークに基づいた具体的・帰納的・現実的な事実を蔑ろにしていて、理念的・演繹的・図式的な理解に留まるものであることは、そのテーマが「思想」であるにしても残念である。

「食」という非常に現実的な対象を扱うわけだから、あくまでも現実の食べ物を相手にして考察を行うべきであり、理屈をこねくり回すだけの研究はしてほしくない。確かに要素に分けていって分析するという旧来の科学の手法では、食文化という総合的な現象は解けないのかもしれない。しかし「食文化は複雑系なのだから、要素に分けないでありのままに考察すべきだ」というような主張からは、結局表面的な結論しか出てこないということが、本書により図らずも露呈した感じがする。

とはいえ、面白い論考も中にはある。「医食同源」は日本で作られた漢語だとして薬膳理解を促す「薬膳と医食同源の由来」(田中静一) 、日本での脚気研究の展開を見る「鷗外と高木兼寛」(山下光雄)、茶の湯がもたらした料理への影響を語る「つつしみの美—近世初頭にみる料理観の転回」(平田萬里遠)、日本近代文学における粗食派と美食派について語る「文学にみる粗食派と美食派」(大河内昭爾)などは面白く読んだ。

まとまりがなく玉石混淆な、食文化に関する論考集。

2015年11月1日日曜日

『今こそ伝えたい 子どもたちの戦中・戦後 小さな町の出来事と暮らし』 野崎 耕二 著

南さつま市万世に育った著者が、戦中・戦後の出来事を思い出して書いた画文集。

著者の野崎 耕二さんのことは、萬世酒造の展示施設「松鳴館」で知った。松鳴館は基本的には焼酎造りの見学をするところだが、最後のスペースに野崎さんが描いた絵が常設してあったのだ。芸術的にどうこうということはよくわからないが、昔の素朴な暮らしぶりが生き生きと描かれていて、すごく好感を持った(参考:南薩日乗の記事)。

本書は、その野崎さんがかつて執筆した『からいも育ち』という画文集を大幅に増補改訂したものである。私は『からいも育ち』を読んでいないのでどこが増補されているのか正確には分からないが、本書のあとがきによると「戦中・戦後のことを十分に伝えられなかったとの思いを、ずっと抱いてきました」とあるから、多分戦争の話が補われているのではないかと思う。

しかし著者が戦争を体験したのは主に小学校低学年の時で、10歳くらいの時の話なのに、よくここまでいろいろ覚えているものだと感心する。しかもエピソード的に覚えているだけでなく、記憶から呼び起こして絵まで描いているわけで、それだけ戦争というものが強く記憶に残る出来事だったのかもしれない。

本書では、「小さな町の出来事」が全て一人の少年(だった人)の視点で書かれている。戦争への批判もあるにはあるがそれは思い返してみればの話で、子どもの頃は意外と何もわかっていなかったということが率直に語られる。特攻というものを知らされずに学校で特攻隊の見送りをしたエピソードや、戦争が唐突に終わっていたという話(ラジオがなかったので玉音放送を聞いた人はほとんどいなかった)は当時の実情の象徴だと思った。

そしてそういう深刻な話があるかと思えば、かなりの紙幅を割いて当時興じた遊びの数々もいろいろと説明されている。松林で遊んだ思い出、虫や小動物を獲った思い出、大勢で遊んだ思い出、全てみずみずしく語られて、他人事ながらノスタルジックな気持ちになった。

それから、個人的な関心としては、やはり昔の農業のことがとても気になった。サツマイモ、小麦、大麦、米、カボチャといったものの栽 培方法がところどころで書かれていて興味深い。現在と違う部分もあれば、同じ部分もある。特にカボチャの立体栽培をしているのは大変気になるところで、な ぜ昔の人は敢えて立体栽培をしていたのか非常に疑問である。

万世の戦中・戦後を、一人の少年とともに追体験する本。

2015年10月25日日曜日

『李陵』護 雅夫 著

李陵の存在を手がかりにしながら、匈奴の社会について考察する本。

本書は、中島 敦の『李陵』に刺激されて書かかれたものである。 古代遊牧民族の研究者である著者は、中国人としての李陵の生き様だけでなく遊牧騎馬民族の視点も加えて李陵のことを語ってみたくなり、この書をものしたという。

李陵は、漢の武帝の厚い信頼を受け、軍隊を率いて匈奴と戦ったが、行き違いや勘違いから匈奴に寝返ったと誤解され、親族を誅殺されてしまう。 これに激怒した李陵は、その本心では漢へ戻りたかったにも関わらず、本当に匈奴へと寝返り、以後匈奴の忠臣として栄達することになる。一方、同じような境遇にあって匈奴へは寝返らず、あくまで漢の臣すなわち敵国人として匈奴の地で辛い生活に耐えた蘇武との鋭い対照もあって、李陵の物語は永く中国大陸で語られてきた。それ恰も、我が国における判官伝説のようなものであるという。

著者はこの物語の背景にある匈奴と漢の関係、言い換えれば遊牧民族国家と農耕民族国家の関係を考察する。李陵は、ただ匈奴へと投降したのではなく、単于(ぜんう)からの誘いを受けて匈奴の将軍となっているが、敵国人を将軍にするというのはどうしてか。

しかも独り李陵のみではなく、意外と多くの漢人が匈奴へと亡命し、匈奴社会において軍人や官僚として栄達の道を歩んでるのである。李陵も単于の娘を娶っており、相当な権勢を誇っていたようであるし、彼らは現代社会での亡命者のイメージとはかなり違う。

そして、それは漢人が優秀だったから遊牧民族社会で成功した、ということではおそらくない。それよりも、単于は積極的に漢人をリクルートしてポストを準備しており、かなりの数の漢人が匈奴に亡命して住んでいたらしいことを考えると、匈奴の社会構造自体が、亡命漢人の存在を前提にしたものだったように思われる。

なぜ匈奴の社会は亡命漢人を必要としたのか? 著者の考えはこうである。匈奴は文字を持たなかった。しかし広大な匈奴を文書を使わずに治めていくのは困難で、人口や生産力の把握といった基本的なことでも、文字がないととても管理しきれない。そこで漢人を官僚として使い、支配機構に組み込むことで国家体制を維持していたのではないか。

とするなら、匈奴と漢の戦いというと、遊牧民族と農耕民族の争い、というように見がちなのだが、それは妥当な見方ではなく、匈奴は遊牧民族と農耕民族のハイブリッドで出来た国家であり、漢なかりせば匈奴もなかったということになる。

ところで本書のエピローグは、まるで本編とは違うテーマのことが書かれていて、唐帝国と突厥、そしてそこに活躍したソグド人たちについて述べられている。実は私が本書を手に取ったのは、まさに護 雅夫がソグド人に深い関心を寄せていたからで、李陵を中国史からの視点だけではなく、中央アジア史からの視点から書いているのではないかと期待したからであった。

著者がエピローグでソグド人に触れているのは、突厥を内部で支えて(あるいは操って)いたのがソグド人だったからであり、突厥が遊牧民族とソグド人のハイブリッド国家であったとするなら、匈奴も遊牧民族と漢人のハイブリッド国家であったといえぬこともなかろう、と傍証する意図のようである。

本書は漢文に親しんだ人でないとちょっと読みにくいところがあり(読み下し文にはなっているが)、地の文も文語体になっているところがあって(中島 敦の影響だと思う)、そのテーマもやや専門的なので少し取っつきにくい本である。しかし遊牧民族国家というものを考える時、面白い切り口を提供していると思う。

文学でなく史学として李陵を考察した真面目な本。

2015年10月1日木曜日

『ハイパー・インフレの人類学:ジンバブエ「危機」下の多元的貨幣経済』早川 真悠 著

ジンバブエで著者が経験したハイパー・インフレについて見聞記的に語る本。

著者はジンバブエの大衆音楽の人類学的研究をするために同国へ滞在していた。そこで図らずもハイパー・インフレーションという異常事態を経験して音楽の研究どころではなくなり、研究テーマを急遽ハイパー・インフレに変更、ハイパー・インフレ下という混乱の中を自ら生きながら、社会がどのようになってしまうのかを現地で見つめ、博士論文として書いたのが本書(の元になったもの)である。

こういう言い方は不謹慎だが、ハイパー・インフレ下の社会の混乱は、はたから見る分には面白い!

ジンバブエのハイパー・インフレはもの凄いもので、2008年7月の公式統計では月間2600%ものインフレとなっていた。その後インフレがすさまじすぎてインフレ率を計算することもできなくなり公式統計が停止。インフレ末期の2009年11月では何と月間769億%ものインフレとなっていたと推計されている。これは年間インフレ率にすれば897垓(10の20乗)%という天文学的数字になる。

ここまで来ると「ものの値段が上がる」とか「お金が減価する」というような甘いものではなく、「経済自体が解体」されていってしまう。本書は、経済がどのように解体されていったのか、ということの観察が主要なパートになっている。

インフレも月間インフレ率50%〜150%あたりをうろうろしていた2007年頃は、人々はそれなりに対応していた。それどころか、こうした混乱を商機として零細な商売が活発にすらなった。サラリーマンや公務員は月給制であるためインフレには脆弱だが(何しろ1ヶ月で給料の価値が半分程度になる!)、その日暮らしの零細商売の場合は逆に強いからだ。

そして政府がインフレをコントロールしようとする価格統制などの措置が、さらに公式経済を衰退させた。実質的にインフレしているのに、価格統制されたら商売あがったりなわけで、スーパーマーケットからは商品が姿を消し、生活必需品にすら事欠く有様となった。こうした中、人々は露天商や闇市といった「非公式経済」に頼るようになり、携帯電話の通話カードを売る露天商が公務員やサラリーマンにお金を貸すようにもなってゆく。

インフレとは、ただお金の価値が減じていくだけではない。ジンバブエでは深刻なお札不足にも陥った。ジンバブエのお札はドイツの会社が印刷していたが、EUによる制裁措置(選挙での不正への罰則)としてドイツからお札を仕入れられなくなった。預金しておいてもどんどんお金の価値が下がってしまうので、インフレ下ではただでさえ人々は預金ではなく現金を持ちたがる。しかし現金を引き出そうとしてもお札が足りない!

これに対し政府は預金の引き出し制限を実施。引き出し上限額は当初はそれなりに合理的だったが(約60米ドル/日)、やがてインフレに応じて引き出し上限額をどんどん引き上げても追いつかなくなり、2008年7月には、1日の引き出し上限額では新聞を1部買うこともできなくなるという有様(1.1米ドル/日)。これでは給与生活者は、たとえ毎日銀行に並んでも生活に必要なお金を手に入れることが全くできなくなったのだ。

こうしてジンバブエでは預金と現金が「非公式には」全く違うものとして扱われた。額面価格は同じでも、預金でのお金と現金でのお金では、現金のお金の方が高い価値を持つものとされた。つまり現金と預金の間の闇の為替レートがあったわけだ。さらに、外貨との為替レートも公式レートと闇レートがあって、さまざまな価値尺度に公式と非公式が入り交じり、ものの価格を表すのに、預金ならいくら、現金ならいくら、外貨ならいくら、と様々な表現手段が用いられた。

このようになってくると、なぜ人々は価値の安定している外貨を使わないのか、という疑問が生じる。ジンバブエドルを手に入れたら、それをすぐに米ドルに替えるのが合理的な気がするが人々はそのようにはしない。本書のテーマの一つは、価値がすさまじい速さで減じていくジンバブエドルを人々がいつまでも使い続け、外貨経済に移行しないのはなぜなのか、ということである。

ただ、これについては現地の状況を見てみるとそこまで不思議なことでもないらしい。というのは、外貨はその経済にとって例外的な存在で、いくら価値が安定しているといっても人々はそれを普段の生活で使うものとは見なしていない。そしてそれ以上に、外貨は絶対的に不足しているということがある。例えば米ドルを使うにしても、1米ドル札だけでは事足りない。1枚の1米ドル札に対してずっと多くのおつりの貨幣が準備されていなければ、商売は成り立たないのだ。しかし外貨の小額硬貨をまとめて入手するのは困難だ。銀行ではジンバブエドルですら僅かずつしか引き出せない状況だというのに! おつりを準備することができないという現実的な問題から、草の根の自主的な対応としての外貨への移行は決して簡単なものではなかったのである。

やがてジンバブエのハイパー・インフレは、天文学的領域へと突入していく。本書の白眉がここだ。

あまりにもインフレ率が高くなりすぎ、商店では1日に3度も価格を付け替えるようになる。そして誰も本当のジンバブエドルの価値がわからなくなり、ものの値段もつけられなくなっていくのである。価値が変動しているのは「お金」だったはずなのに、「ものの価値」の方も解体していってしまうのだ。

それはこういうことだ。例えば、タバコ1箱というのは、それなりに安定した価値があると見なせるだろう。タバコ1箱が500円だったとして、それが翌月に1000円に値上がりしたとすると、お金の価値は半分になったと考えられる。これが普通の「ハイパー・インフレ」の世界である(ちなみに、ハイパー・インフレとは月間インフレ率が50%以上のインフレのこと)。しかし翌日に1箱が1500円になり、その次の日に3000円になるような世界だったとするとどうだろう。商店主は、400円で仕入れたタバコをいくらで売れば商売が成り立つのか、それすら分からなくなる。今そのタバコの価値はどれくらいなのか、売っている本人の方も知らないという事態が生じるのだ。

そうなると、タバコの価値はもはや客観的には決められない。首尾一貫した価格付けはもうできないのだ。タバコを売ってくれという客が、どれだけ切実にタバコを求めているか、商店主がタバコを早く現金化したいと思っているかどうか、そういったことの総体として暫定的にタバコの価格が決まるのである。だから、タバコが1箱500円の時に、横に置いてあるティッシュペーパーが4000円もする、というような奇妙な事態が起こりうる。要するに、価格付けはめちゃくちゃになって、その場しのぎでしか価格が決まらなくなってしまうのだ。

価格がめちゃくちゃになるということは、ものの価値が人間関係やその場での状況に寄るということである。もうこの段階にまで来ると、人々は持ちつ持たれつでお金ともののやりとりをするようになって、ジンバブエドルの「存在」そのものが無価値になっていく。お金によって作られた価値体系が崩壊して、人間関係と社会的文脈による価値体系が澎湃として沸き上がってきたのだ。それでなくてもジンバブエは、インフレ・もの不足・金不足のために、人々は路上で、職場で、どこででも、立ち話をして情報交換をし合う社会になっていた。今日牛乳を売っているのはどこか、今の闇為替レートはどれくらいか、乗り合いタクシーに乗るのに今日はいくらかかるのか。それに社会階層は関係なかった。露天商、公務員、サラリーマン、知っている人も知らない人も、普段は交わることのない人々がごた混ぜになり、ある意味で社会が一体化したのである。

その頃になるとインフレが激しすぎて零細商すら没落。社会全体が混乱の渦に巻き込まれどうにもならなくなり、政府は外貨を公式に認めてインフレが終熄(ジンバブエドルも引き続き公定通貨ではあったが実質上廃止)。

それによって社会はどうなったか。これまで路上で長話をしていた人はいなくなり、これまで親しげに話していた露天商とサラリーマンはまた他人のようになってしまった。人々を結びつけていた何かはもうなくなって、何も面倒なやりとりをしなくてもお金が決める価値によってスムーズに取引ができる社会になった。もちろんそれはいいことだ。牛乳一本買うために、人間関係がどうだこうだ、という社会はいやだ。しかしジンバブエの経験した一時期は、「お金の存在そのもの」に対して鋭い問題提起をしているように見えてならない。

本書は、出版社の紹介文によれば「一元的貨幣論に縛られた経済学への反論」だそうだが、そんなつまらないものではないと思う。著者は(専門ではない)経済学の勉強は実直にこなした印象があるが、経済学的な分析についてはさほどのことが書かれていない。もちろん人類学的な分析というのも深くはなく、見聞記のレベルを出ていない。しかし単なる見聞記だからこそ、お金というものが社会をどう形作っているのかまでも垣間見た気がする。著者自身の深い洞察というものはないが、実体験した人だからこそ書ける貴重な記録である。

ハイパー・インフレを通じて「お金の存在そのもの」の意味を考えさせられる面白い本。


2015年9月24日木曜日

『万能人とメディチ家の世紀―ルネサンス再考』池上 俊一 著

フィレンツェの万能人アルベルティとメディチ家のあれこれを述べてルネサンスの雰囲気を説明する本。

本書の内容はあまりまとまりがない。タイトルが「万能人とメディチ家の世紀」であるが、万能人の活躍について体系的に述べるでもないし、メディチ家の繁栄について詳しい説明があるわけでもない。ただ万能人とかメディチ家といったわかりやすい言葉を軸にして著者の考える「ルネサンス」をとりとめもなく語っていくというようなスタイルである。

もちろん章立てはちゃんとあるし、著者なりの主張もあるのだが、それが体系的に示されるということがなくて、書きたいことを書いているという感じである。

また文章もよくない。悪い意味で「文学的」であり、文飾には大変力が入っているが、それが虚飾になってしまっている。表現に具体性がなく理念的・概念的・総論的な説明が多い。大体の雰囲気を摑もうという本だから、それでいいのかもしれないが私には物足りなかった。

著者がのお気に入りの万能人といえるアルベルティ(レオン・バティスタ・アルベルティ)に関してはかなり詳しい説明がある。伝記的な情報だけでなく、アルベルティの著作の紹介も1次資料をちゃんと読み込んで真面目に書いている印象でそこは好感を持つ。

でもやはり書きたいことを書いている、というようなつまみ食い感があるのは否めない。アルベルティがどうして重要なのか、というのが最後までよくわからなかった。その後のルネサンスの「万能人」の原型になったのがアルベルティだ、というのがポイントなんだろうか? それとも様々な著作を通じ後世の人に影響を与えたということ? いろいろ書かれてはいるものの何だか頭にスッキリと入ってこない構成の本である。

アルベルティとメディチ家を巡る、エッセイ的な本。

2015年9月9日水曜日

『砂糖百科』高田 明和、橋本 仁、伊藤 汎 監修

砂糖についての科学的知識を網羅的に提供してくれる本。

本書は、砂糖の業界団体である社団法人糖業協会が発行したもので、数多くの執筆者により専門的事項がまとめられたまさに『砂糖百科』の名にふさわしい本である。砂糖は人間の主要なエネルギー源であるが、甘い=嗜好品というイメージから様々な面で不当に不健康なものだという扱いを受けてきた。本書は、そうした非科学的な俗説を退けるだけでなく、砂糖に関する科学的で正確な知識を提供してくれるもので、業界団体が出しているものだけにちょっと身内びいきな点はあるが、概ね公平・中立的な記述となっている。

以下、読書メモとしてはやや煩瑣になるが各章の内容を紹介し、印象に残った点について述べることとする。

第1章は「砂糖と栄養」。糖質が体内でどのように消化・吸収されて、やがて代謝されエネルギーとして消費されるかをかなり詳細に記述する。

糖質は炭水化物の一種であり、栄養的には炭水化物と等価である。このことは砂糖を考える上での基本定理とも呼ぶべきものであるが、つい閑却しがちである。炭水化物は体内で消化されて糖として吸収される。砂糖たっぷりのお菓子は体に悪く、白いご飯は体によいというのはイメージだけのことで、実際には栄養の面で見ればどちらも糖なのである。そして糖は人間の主要なエネルギー源として非常に重要だ。血糖値は半分ほどになってしまうと昏睡状態に陥ることもあり、血液中の糖分は常に一定濃度に保たなくてはならない。

しかも糖分は主要エネルギー源であるにもかかわらず、体内にあまり貯蔵できない。だから我々は継続的に糖分(炭水化物)を摂取する必要があるのである。しかし常に糖分が潤沢に補給されるとは限らない。そうして食間などに血糖値が低下した場合は、人間の体はアミノ酸やピルピン酸からブドウ糖を合成さえもする、つまり体内で糖を製造するという仕組みがあり、これを「新糖成」という。エネルギーをあえて使ってもブドウ糖を合成せざるをえないくらい、糖分というのは体にとって欠くべからぬ栄養素なのである。

第2章は「砂糖と健康」。砂糖が健康を害するという様々な俗説を取り上げ、そのうち代表的なものについて科学的に反駁する。

例えば、砂糖は酸性食品(摂取すると体が酸性になる)だとか、 砂糖は骨を溶かすとか、甘いものを摂りすぎると子どもがキレやすくなるとか、白砂糖は漂白されているので体に悪いとか。こうしたことには科学的な根拠がないことを丁寧に説明する。

また砂糖を食べると急に血糖値が上昇してよくない、というのも実は俗説で、砂糖の血糖指数(食べ物がどの程度血糖値を上昇させるか、を白パンと比較して表した数字)は、実はバナナ(94.5)とパスタ(83)の間の88.5で、特に血糖値の上昇が早い食品ではない。それどころかこれは白パン(100)よりも低く、またこれが高い食品としてニンジン(119)がある。早く血糖値を上げて空腹感を抑えたいということがあれば、甘いものを食べるよりもニンジンを食べた方がよい。

また砂糖が肥満の原因というのも間違いで、砂糖(ショ糖)の100gあたりカロリーは387kcalで、ヘルシーなイメージがあるそば粉(364kcal)と大差ない。国民全体の砂糖摂取量と肥満率には関係がなく、運動不足の方がはっきりとした関係がある。さらには砂糖が糖尿病の原因となるということもない。ただし砂糖は虫歯の原因となるというのは俗説ではなく、本書では業界に気を使っているのか曖昧な書きぶりになっているが(本書ではなぜか俗説に分類されている)、甘いものを間食するのはやっぱりよくないらしい。

第3章は「砂糖と味覚」。砂糖の甘さはどう感じるか。様々な糖質の甘さを相対的に比べた指数である「甘味度」を紹介し、糖質ごとの甘味度の特徴を述べる。

「甘味度」とは、ショ糖を100(1とする場合もある)として、食品の甘さを比べたもので、例えばブドウ糖は64〜74、マルトースは40、キシリトールはショ糖と同じ100、ソルビトールは60、といった具合である。「最も甘い糖」と呼ばれることもある果糖(フラクトース)は115〜173。

果糖の甘味度にどうしてこんな幅があるのかというと、立体構造の差などによって同じ糖質でもα型とβ型で甘味度が異なるからで、α−フラクトースの甘味度は60、β−フラクトースは180である。

興味深いのは、こうした糖質を混ぜた時の甘味度が、単純にその平均の甘味度にはならないことで、ブドウ糖とショ糖を混ぜると相乗効果により甘味度が増すことが分かっている。果糖とショ糖も混合すると甘味度が10%ほど上昇する。

さらに、甘味度は温度によっても変化する。ショ糖は温度によってほとんど甘味が変化しないが、果糖やキシリトールは温度が低い方が甘味度が増し、逆に40℃以上の高温になるとショ糖より甘味度が低くなってしまう。

この性質は、清涼飲料水において甘味が「ブドウ糖・果糖・液糖」(液糖はショ糖)という複合材料によってつけられていることをうまく説明する。冷やして飲む清涼飲料水の場合、低温で甘みが強くなる果糖と相乗効果を生むブドウ糖・ショ糖を混ぜることで少ない糖質で強い甘味を感じられるようにし、糖質の量を節約しているのである。

第4章は「砂糖の種類」。砂糖の工業的な分類を紹介する。本章についてはカタログ的な記述である。

第5章は「「糖」とは」。種々の「糖」について化学的に解説する。糖の構造、定義、異性体、アルドースとケトース、 ピラノースとフラトースなどについて。

糖は分子式CnH2mOmで表される物質で、その分子構造にヒドロキシ基(-OH)を2つ以上持ち、アルデヒド基(-CHO)またはケトン基(>C=O)を持っている。糖は鎖状構造の時もあれば環状構造の時もあり、分子式構造式は同じでも多くの異性体がある。またそれらが結合して二糖、三糖、そして多糖類も形成される。本章では、こうした複雑な科学的性質について述べる。

第6章は「光合成」。光合成の仕組みをかなり詳しく解説した後、光合成によって糖がどのように生成されるかを述べる。

本章は、砂糖百科の内容から少しはみ出ている印象がある。要するに、光合成によって生みだされたエネルギーの貯蔵物質として糖があるということが言いたいようであるが、C4回路(普通の植物の光合成に比べて効率がよい光合成の方式)みたいなことは砂糖を理解するには必要ないような気がする。

第7章は「砂糖の製造法」。甘蔗糖、ビート糖、精製糖について製造法を工業施設のレベルまで解説する。

 砂糖はありふれた食品であるがその製造法はあまり知られていない。甘蔗糖ならサトウキビから穫れたジュースを煮詰めて精製するという概略は分かっても、どのように濃縮していくのかといったことは知らなかった。本章は業界団体の出版の本領発揮とも言うべき章で、製造方法について明解に知ることができる。

ところで狂牛病騒ぎの時、砂糖の業界団体が「骨粉が輸入されないのは困る」みたいなことを言っていて、その時は「どうして砂糖製造に骨粉が必要なのか」と思っていたが、その謎が解けた。骨粉は、焼成して骨炭にし、砂糖の不純物の除去に使っていたのである。

白砂糖は漂白されているから体によくない、というのは先述したように根拠のない俗説で、白砂糖やグラニュー糖は、砂糖から徹底的に不純物を除去して作っているだけで漂白はされていない。砂糖の純粋な結晶は無色透明で、これが粒になっているから粉末が白く見える。

ではどうやって不純物を除去するのかというといくつか工程がある。まず糖液に石灰乳と炭酸ガスを吹き込んで溶液中の不純物を析出させる。次に骨粉から作った骨炭を通し、不純物を吸着させる。これは活性炭で浄水するのと原理は同じだが、コスト的な問題で骨炭が使われている。この工程でほとんどの不純物が除去され脱色される。さらに色素成分を除くため脱色用イオン交換樹脂に通される。糖液に含まれる色素成分には陰イオン性のものが多いのでこうしたイオンを選択的に吸着するのである。その後セラミックフィルターに通し、紫外線によって殺菌して精製が終わる。このようにして白い砂糖の原料となる無色透明な糖液が得られているのである。

第8章は「砂糖の特性」。砂糖の物理・化学的な特性を述べて、調理における種々の性質や食品加工において有用な性質について述べる。

物理的な特性については、密度、屈折率、溶解性、粘度、沸点、凝固点降下、浸透圧などが説明され、化学便覧的な記述である。化学的な特性については、まず加熱による変化を説明する。砂糖をうまく加熱するとカラメルができるのだが、これはどういう化学変化によるものだろうか。実は、カラメル化の化学変化は完全には解明できていないそうだ。加熱によって複雑な化学変化が起こり、非常に他種類の揮発性の生成物が生まれるということだ。カラメルとはかなり複雑な物質の集合だそうである。

もちろんカラメル化する前の変化もドラマチックで、色や粘性や水中での挙動がどんどん変わっていく。温度によってこのような微妙な変化をするからこそ、加熱程度をいろいろに調整することでお菓子や料理に砂糖だけで違った風合いをつけることができるのである。

次に酸がある状況でショ糖が加水分解しブドウ糖と果糖に分解されていくことを述べる。つまり有機酸がある溶液中では次第にショ糖がこのように分解されていくわけで、酸っぱいジャムやシロップを保存しているとだんだん味が変わっていくのはこのためではないかと思った。

次に話は調理における砂糖の使い方になる。お料理する上での実践的な砂糖の性質が説明されているのは本書ではこの項目だけである。といっても砂糖の使い方を教えてくれるわけではなくもっと一般的な性質について解説している。

例えば、砂糖は食品のテクスチャーを保つ。軟らかい羊羹を軟らかいまま保ったり、アイスクリームやマシュマロのように泡が内包されている食品の泡が崩壊しないできめ細かい泡のまま保持されるのは砂糖のお陰である。これらは砂糖の親水性(水を保持する性質)による。

また砂糖には防腐性もある。水を保持することで細菌が使える水(自由水)を減らすのだ。なんだか砂糖が入ったものはカビやすいというイメージがあるがそれは逆である。

さらに砂糖は芳香を保持する効果もある。食品の揮発性芳香成分はどんどん失われていくが、砂糖があれば砂糖が芳香成分を吸着してその香りを長く持続させる。

そして、砂糖は食品の造形性にも深く関わっている。つまり粘りや固さを調節したり、かさやボリューム感を持たせる(先述したような泡の保持などの面で)といったことにも使われる。しかもそれを、煮詰める温度のような簡単な調整方法によって様々に変えることができる。この造形性が食品としての砂糖(ショ糖)が優れている理由の一つである。他の甘味料、ブドウ糖、水飴、ソルビトールなどの場合は、味覚の他にテクスチャーの調整を別に考慮しなければならない。

さらに砂糖の乳化保持性、デンプン老化の防止効果などに言及して本書は終わっている。

本書はISBNが取得されておらず、取次−書店の流通を経なかった本であり、基本的には図書館にしか置いていない。 内容は極めて専門的で、確かに一般の人が読みこなすのは大変だ。しかし科学的に信頼できる内容で、それこそ百科事典的に興味のあるところだけ読むのでもかなり参考になると思う。

砂糖についてたった一冊で深く知ることができる本。



2015年9月8日火曜日

『フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠』マイケル・モス著、本間 徳子訳

糖分・塩分・脂肪分を巡る、米国の食品メーカーの内幕を描いた本(原題 "Salt, Sugar, Fat")。

本書における著者のスタンスは次のようなものだ。今や米国人の食卓に加工食品は欠かせないものになっているが、食品メーカーは消費者の健康には目もくれず利益ばかりを追求し、結果として食べ過ぎを催すような過剰な糖分・塩分・脂肪分が使われた不健康な食品が跋扈している。そのために米国人の多くが肥満になり、生活習慣病に苦しんでいる。食品メーカーはこのような事態に道徳的な責任があるのだ!

しかし本書は、このような告発の書として書かれながら、その糾弾的なトーンに騙されずに事実だけ辿っていくと、正直なところ、食品メーカーを弾劾するつもりにはなれなくなる。この面では、著者の意気込みは空回りしている。

糖分・塩分・脂肪分は、これまでも何度となくその不健康さが喧伝されて消費者団体やFDA(アメリカ食品医薬品局)などから低減を求める活動が行われてきた。アメリカ人に肥満が多いのは清涼飲料水の飲み過ぎのせいだとか、糖尿病が多いのはチーズたっぷりのピザを食べ過ぎるせいだとか。

そのたびに食品メーカーの心ある人たち(そういう人が著者のインタビューに応じてくれている)は、低糖、低塩分、低脂肪の健康的な加工食品を開発するよう努力してきた。それが消費者の要請であり、いつまでも砂糖たっぷり、脂肪たっぷりの刺激的な食品ばかりを作っていては、やがて消費者にそっぽを向けられるのではないかと本気で心配してきた。

巨大食品メーカーのフィリップ・モリスも健康的な加工食品づくりに力を入れた時期があった。それには主力商品であるタバコでの苦い経験が効いていた。タバコは健康を害さないということを言い続けていたのに、結局はタバコと癌との因果関係が立証され、巨額の和解金を払う羽目になった。食品でも同じことが起こるかもしれないと考えたのは当然だ。

だが低糖、低塩分、低脂肪の加工食品は、どうしても味が落ちる。なぜなら、糖分、塩分、脂肪分がおいしく感じるように、私たちの舌が設計されているからだ。だから、消費者の求めに応じて開発したはずの「健康的」な製品は、結局鳴かず飛ばずで消えていってしまう。その間に、ライバル社の「不健康」な製品のシェアが伸びるのである。

食品店の限られたスペースを熾烈に奪い合っている大手食品メーカーにとって、シェアの奪い合いに負けるということは、社長のクビが飛ぶような事態だ。結果、健康的な製品の開発は脇に追いやられて、より売れ行きがいい、糖分・塩分・脂肪分たっぷりの製品が強力にプッシュされていくことになる。

そうして、米国人の肥満はもっと進んでいくのだ。だが誰が悪いのだろう? 利益ばかりを追求して「健康的」な製品を積極的に販売しない食品メーカーなんだろうか? 本書は、少なくとも食品メーカーには「道徳的な責任」がある、という。事実食品メーカーの中には、不健康な製品を売りまくったことに対する悔悟の念を持つものも少なくない。そして不健康な自社製品を決して食べず、新鮮な野菜や魚だけを食べるという経営者だっている。

確かに、自ら誇れるような製品を売っていない、食品メーカーにも責任の一端はあるのかもしれない。だが食品メーカーだって消費者の求めに応えようとはしている。でも「健康的」な製品がサッパリ売れないのなら、その「消費者の求め」とは何なのか? 消費者は、口では「こんな甘過ぎのお菓子は子どもに食べさせたくない」とか、「ポテトチップスを食べ過ぎると悪いことをしたような気になる」などと言いながら、実際には甘くないお菓子は買わないし、脂ぎって塩辛いポテトチップスでなければ食べないのである。そうでなければ、フィリップ・モリスは「健康的」な製品で一儲けしていたはずだ。

では悪いのは、バカな消費者なんだろうか? 口では健康的なものが食べたいと言いながら、実際にはジャンクフードが大好きな消費者に責任があるのだろうか?

しかし実のところ、悪いのは消費者でもない。悪いのは、安価なカロリーに頼らざるを得ない「貧困」である。経営者が自社製品を食べないのは当然だ。それらは、手頃な加工食品に頼りがちな、時間もお金もない労働者に向けて作られているからだ。彼らは確かに健康的な食事を求めてはいる。だが新鮮な野菜は結構高いし、それ以上に調理の手間が掛かる。そして塩を振りかけなくても肉が美味しくなるハーブには手が届かない。共働きで子どものランチを手作りする余裕がない。時間もお金もない人間に、できる食事は限られている。安くカロリーが取れて調理の手間もないジャンクフードだ。

本書は、糖分・塩分・脂肪分に抗しがたい魅力があるから不健康な食品が跋扈するのだ、というトーンで書かれているがそれは事実ではないだろう。上質な食事を楽しむエスタブリッシュメント(上流階級)がジャンクフードを愛していないことでもそれは明らかだ。そうではなくて、健康を犠牲にせざるをえない貧困層の食事が、自然と糖分・塩分・脂肪分という手っ取り早い魅力に頼ったものになるというのが実態だろう。何しろ、糖分・塩分・脂肪分は原材料としてかなり安い。ハーブを使うのに比べたら塩を振るのはタダみたいなものだし、肉は脂肪分が多いほど安くなる。

つまり、糖分・塩分・脂肪分の跋扈は食品会社の問題ではなく、貧困問題のはずである。しかし本書にはそういう視点はほとんどない。利益を追求する食品会社が悪い、というだけの表面的な話になってしまっている。せっかく綿密な取材をしているのに、そういう単純な構図に収めようとするからエピソードに深みがない。

それに、糖分・塩分・脂肪分の摂りすぎが問題だ、というのも、間違ってはいないがどうも俗説を真に受けているところがある。例えば、著者は糖分が肥満の大きな原因だと疑っていないが、砂糖のカロリーはそば粉と大差がない。それに砂糖が肥満の原因なら、炭水化物(体内で分解されて各種の「糖」になる)もやり玉に挙げられなくてはおかしいが、本書では炭水化物によるカロリーの摂りすぎは全く看過されている。

他にも、ちょっと口が滑っただけかもしれないが砂糖の摂りすぎで多動になるといった俗説も真に受けていたし、態度がちょっと科学的でない。本書の大きな問題点は、著者に化学の素養がないことで、次の記述を見つけたときはのけぞった。
「フルクトースは12個の水素原子が6個の炭素と6個の酸素に挟まれた白色の結晶で、…」(p195)
化学を少しでも囓ったことがある人なら、こんな間違いはしない。これはきっとフルクトースの化学式がC6H12O6で表されることから来る誤解で、この化学式を見てそういう構造なんだと思い込んだのだろう。しかし実際のフルクトースはそんな構造ではなく、せめて「6つの炭素原子に5つの水酸基(-OH)と一つの酸素、いくつかの水素がくっついた」くらいの説明にすべきである。

こういう調子で、著者は糖分・塩分・脂肪分について語りながら、その化学的な様相についてほとんど理解していないように見える。多くの食品科学者にインタビューしていながら、フルクトースの構造を理解していないというのは不可解だ。

また、仮に糖分・塩分・脂肪分の跋扈は食品会社の責任だ、と主張するにしても、本書には欠陥が多い。まず第1の欠陥は、エピソードだらけで体系的な主張が全くないことである。例えば糖分について語るなら、糖分は体にどれくらい悪いのか、米国人はいつからどれくらいの糖を摂取しているのか、それによって誰にどのような影響があったのか、その相関係数はどれくらいなのか、といったようなことを一つ一つ積み上げなければならないのに、本書では「元食品メーカーの誰それは○×(商品名)を売りまくったことを今では後悔している」みたいなエピソードだけで済まそうとしている。

第2の欠陥は、図表が全くないことである。エピソードだけで話を進めようとする当然の帰結であるが、本書には図も表も、ついでに言えば写真も一つもない。 糖分・塩分・脂肪分のように計測可能なものを相手にしているにもかかわらず、グラフ一つ出さないというのは全く科学的態度ではない。本書にも多少の数字は出てくるが、つまみ食いの数字ほど信頼できないものはなく、経年的に追える数字の変化を明解に出すべきだ。

第3の欠陥は、 食品会社が悪い、というのを最初から決めてかかっていることで、これは公平でないだけでなく全体の論旨が説得的でなくなっている。本当に食品会社に責任があるのか、あるとしたらどれくらいあるのか、というのを考察しなければ糾弾の名に値しない。「ほら、やっぱり食品会社が悪いでしょ」みたいなトーンだけで食品会社を悪玉にしようとしてもダメで、悪いなら悪いと徹底的に論証する姿勢がないとフェアでない。

このように本書には大きな問題がある。

しかし大きな問題はあるが、著者の取材は真面目であり、そこに書かれたエピソードは生き生きしている。米国の巨大食品会社の内幕を覗くようなスリリングさすらあるといえる。そして私が感じたのは、著者の主張するような食品会社悪玉論よりもむしろ、消費者に振り回される食品会社の哀れな姿である。

私も本書を読むまでは、米国の加工食品市場を牛耳る巨大食品メーカー、例えばコカ・コーラ、ネスレ、フィリップ・モリスといった企業は、米国の食事をも牛耳る巨人なのではないかと思っていた。しかし本書を読むとそういう巨人の姿は片鱗もない。やれ糖分がダメだ、脂肪分が多すぎる、といった移り気な消費者の動向に右往左往し、結局「健康的」な製品で失敗するお人好しにすら見える。彼らは巨大過ぎて、もはや自分たちが売りたい製品を売るという「贅沢」が出来なくなっているのだ。

つまり巨大すぎるから、巨大な需要に頼るしかなくなる。巨大な需要というのは、要するに米国の人口ピラミッドの最下層の需要ということだ。緻密にマーケティングして、あらゆる成分の分量を最適化する。製品を買ってくれる人たちの嗜好にバッチリ合う商品開発を行うのだ。そこに、こんな商品が美味しい、という理想はどこにも存在しない。ただ、どんな商品が「美味しいと思われるか」という現実だけが横たわっている。味の分かる料理人を雇う必要はなく、たくさんの微妙に味を変えた試作品を作って調査を行い、一番売れそうなものを商品化するだけの空疎な商品開発。

米国の食卓を牛耳っているかに見える巨大食品メーカーは、ただ消費者の動向をマーケティングして「美味しいと思われる」商品を出すだけのつまらない存在になってしまった。そうしなくては、巨大な企業を支えられないのである。青臭い理想を言っている暇はない、利益がでなければ投資家からせっつかれる。シェアを奪われれば、雇われ社長はクビになる。巨大であるがゆえに多数派に阿(おもね)るしか選択肢がない。こんなにも強大そうに見える企業が、移り気な消費者の動向に振り回される哀れな存在だったなんて、幻滅すら感じたのは私だけだろうか?

著者の筆致は非科学的で主張は独りよがりだが、豊富なエピソードで巨大食品メーカーの悲哀をも感じる本。

2015年9月1日火曜日

『カウンセリング・心理療法の基礎―カウンセラー・セラピストを目指す人のために』金沢 吉展 編

カウンセリング・心理療法の道に入る人に対するガイドのような本。

本書は、カウンセラーなどを目指す大学生に向けて書かれており、職業案内的なものも含めて専門分野に入っていく前のガイダンスである。であるから、心理療法の基礎、という表題になっているが治療法のハウツーではなく、本書によってそういう技術を身につけることはできない。むしろ、心理療法がどういうものであるのか、ということをしっかり知りたいという人のための本である。

本書で最も印象に残ったのは、カウンセリングの効果分析の項である。効果分析とは、カウンセリングには本当に効果があるのか。効果があるとすればどのような方法が効果的なのか、といったことを明らかにする研究である。たくさんのカウンセリングのサンプルから統計的にそうしたことを分析した結果、驚くべきことに、カウンセリングの理論や介入モデル(どういった助言をするかなど)間で効果に統計的な差はないことが明らかになったのである(M.L.スミスらの研究による)。

カウンセリングにはたくさんの心理理論が使われている。例えば、「心」には自我、イド、超自我といった構造があって精神を意識と無意識のメカニズムとしてとらえるのが「精神分析」、そういう反証可能性のない理屈を用いず、「心」をあくまで観察可能な行動の集積として理解しようとしたのが「行動療法」、逆に個人の主観的世界を「心」として理解しようとしたのが「クライエント中心療法」、といった具合である。

こうした種々の理論に基づいて、 様々なカウンセリングのアプローチが開発されておりその数は400以上もあるという。こうなってくると、そのうちのどれが最も効果的か、ということになるのであるが、先述のとおりその差はほとんどなかったのである!

ではカウンセリングの効果には何が決定的な要因となるのか。それは、クライエント(治療を受ける人)とカウンセラーとの間に「作業同盟」が築けるかどうかなのだ。つまり、クライエントがカウンセラーを信頼し、この人と一緒になって自分の心理的問題を解決しようという気になるかどうか、ということである。それには、カウンセラーの傾聴的姿勢とか誠実な態度とかいうことが重要になってくるが、心理理論はほとんど関係がない。

こうなってくると、じゃあ心理理論なんか必要ないのではないか、という疑問が生まれる。しかし、いくら自分の問題を傾聴して共感してくれる誠実な聞き手がいたとしても、クライエントがその人を心理の専門家ではない、ただの話し相手だと思ったとすると、「作業同盟」ができないので治療の効果が期待できない。やはりクライエントはカウンセラーをその道の専門家だと思うからこそ一緒に治療しようとするのであり、そのためにこそ心理理論という錦の御旗が必要なのである。本書はそこまでは書いていないがかなりそれに近いことが書いており、これには驚かされた。

このことを逆に考えると、信頼さえ構築できるのであれば心理理論など全く理解しない人であっても、心理的問題の解決にはかなり役立てるということになる。問題をよく聞き、理解し、共感し、力を貸すことができるなら、誰でも(特定の)誰かの立派なカウンセラーになれるのではないか。

カウンセリング・心理療法の世界をその限界まで含めて簡潔に説明してくれる良書。

2015年8月24日月曜日

『土壌微生物の基礎知識』西尾 道徳 著

農業に関係ある土壌微生物について簡潔に説明した本。

農業は土作りが大切だ! とよく言われる。が、土作りとは一体何なのかというのは往々にしてあやふやである。土作りとは、私の理解では土壌微生物の生物相(生態系)を作物の生育の助けとなるように整えることであり、平たく言えば、圃場に生きている微生物の数を増やすことである。

しかし、土壌微生物の世界は未だによくわかっていない。ただ、人間にとって有用な、または有害な微生物、つまり目立つ微生物について分かってきただけである。本書は、そういう農業に関する有用な、または有害な微生物について、基礎的知識を提供するものであり、土壌微生物についての初学者用の教科書のような本である。

本書で最もナルホドと思ったのは、土壌微生物の全体量を規定するのは土壌中の有機炭素の量だというところである。農業をやっていると、窒素やカリウムの量には敏感になるが、炭素の量というのには無頓着になる。植物は、根から炭素を取り込まないし、取り込む必要もない、要するに生育にほどんど関係がないからだ。

だが、多くの微生物にとっては炭素が主食にあたる。これは人間が炭水化物を主要なエネルギー源にしているのと同じである。だが、実は炭素は土壌中に不足しがちである。なぜなら、有機炭素というと、具体的にはセルロースとかヘミセルロース、リグニンといった物質になるが、これらはかなり頑丈な物質であり、なかなか分解できないからである。

特に木質の中心であるリグニンのベンゼン環を完全に分解できるのは、きのこの仲間の白色木材不朽菌だけだということだ。

ちなみに、炭素が微生物の主食とすれば、副食にあたる存在が窒素、リン、イオウだという。農業をやっていれば窒素やリンは十分過ぎるほど補給されるから、微生物層を豊かにしようとする時にボトルネックになるのが炭素なのである。本書には、普段農業をやっていると閑却しがちな炭素の重要性に気づかされた。

また微生物の世界は目に見えないからその変化に気づかないことが多いが、実はかなりダイナミックに変わっているということも心に残った。多細胞生物と違って分裂や死滅といった変化がとても早いから、土壌微生物の世界というのは、極端に言えば雨が降るだけで全然変わってしまう。そういう変化の大きな、動的なものの上に植物は生育しているわけで、そのダイナミズムを理解しなくては本当の意味では植物の栽培は理解しえないのではないかと思わされた。

本書はあくまで土壌微生物の教科書であり、土作りのハウツー本ではないから、土作りという言葉は全然出てこない。本書は、直接農業に活かせるというものではない。だがそのヒントがたくさん詰まっていて、こういう基礎的なものをちゃんと理解した上で農業をやるというのは重要だと思う。

難解な土壌微生物の世界を農業に関連する部分に限ってわかりやすく解説した、手軽だが堅実な本。

2015年8月19日水曜日

『西南戦争 遠い崖—アーネスト・サトウ日記抄13』萩原 延壽 著

外交官アーネスト・サトウの日記で西南戦争の時代を読み解く本。

本シリーズの副題は「アーネスト・サトウ日記抄」となっているが、単なる日記の抄訳ではない。サトウの日記が縦軸とすれば、それに同時代資料が横軸に組み合わされ、重層的に時代の雰囲気が感じられる体裁となっている。アーネスト・サトウの日記を中心として明治維新を追体験する叢書と呼べるだろう。

本書の白眉は、なんといっても西南戦争での挙兵に際しサトウを訪ねてきた西郷隆盛との一席である。明治10年2月11日、もうあと数日で進軍を開始するというその時、西郷は旧知のサトウを突然訪問した。その時の様子をサトウはこう記す。
「西郷には約二十名の護衛が付き添っていた。かれらは西郷の動きを注意深く監視していた。そのうちの四、五名は、西郷が入るなと命じたにもかかわらず、西郷に付いて家の中へ入ると主張してゆずらず、さらに二階に上がり、ウイリスの居間へ入るとまで言い張った」
護衛たちは、他ならぬ西郷を監視していたのであった。西郷がこの外国人とどのような会話を交わすかを確認しなくてはならなかったのだろう。西郷はサトウとウイリス(鹿児島県に雇われていた外国人医師)に水入らずの状況で何か重要なことを語りたかったに違いない。それは護衛たちが家に入ることを西郷が制止したのを見ても明らかだ。しかし護衛は付いてきた。監視下に置かれた西郷は、サトウらへ伝えたかった何かを、遂に告げることはできなかった。結局、
「会話は取るに足らないものであった」
そうサトウの日記には記されている。これが、サトウと西郷の最後の別れとなった。

このとき、西郷はサトウに何を語りたかったのだろうか。それは多分、西南戦争という望まない内戦で兵を率いることの内心だったに違いないと思う。挙兵の本当の理由、そして自分が残せる最後の言葉を伝えたかったのだと思う。鹿児島の大勢の士族に慕われながら、実のところ孤独で四面楚歌だった西郷が、数少ない心を許せる旧友へ別れの挨拶に来た、その瞬間がこの時だったのだろう。ツヴァイクなら『人類の星の時間』に編んだような、そんな別れの時だった。

これ以降のサトウの日記は、外交官というより文人のそれへとなっていく。混迷する日本の状況、敬愛する西郷の悲惨な運命、それらについて深く語ることはしない。それが、サトウなりの西郷への愛情だったのかもしれないと著者は言う。ありそうなことだ。

サトウと西郷の別れという劇的な瞬間が収められた貴重な本。

2015年8月9日日曜日

『EUの農協―役割と支援策』 ヨス・ベイマン 他編著、株式会社農林中金総合研究所 海外協同組合研究会訳

EUが2012年に出した農協に関する包括的な調査報告書の日本語訳。

今のタイミングでEUが農協に注目するのにはいろいろな理由がある(その一つは「南薩日乗」でも触れた)。

農協の活動が盛んな国(フランスやドイツ)が農業全体も強い傾向があることから、農業振興をしていく上でEUは農協に着目しており、未だ農協が十分に整備されていない国々(特に東欧の旧社会主義国)での農協整備を進めたいという思いがその一つ。

もう一つは、EU域内における小売りの力がものすごく大きくなって来つつあるということ。EUの小売りはたった15のグループに牛耳られている(!)そうで、食品に関して言えばほとんどが110の小売業者の買付窓口を通じて購入されていると推定されている。

考えてみればこれはありそうなことで、EUという巨大な統合市場が出来れば、必然的に強いものが寡占していく流れとなるであろう。そういうわけで、EUの小売業界は少数のスーパーパワーが幅をきかせる状態になっているようだ。だが生産の方は昔ながらの小さな組合が中心で、生産者組織(農協)は何百もある。

そうなると当然、生産者の交渉力は弱くなる。市場を寡占する巨大な小売業者は、農産物を買い叩いて生産者を破滅させることすらできるようになるだろう。

もちろんそうなってしまったら困るので、この巨大な小売業の力に農協は対抗できるのか? ということが重要になってくる。これまで欧州の農協はうまくやってきたにしても、小売業者の力があまりに強くなりすぎた現在、それにどうやって拮抗していけばよいのか、そういう知恵が求められている状況である。要するに、フード・チェーンにおいて農協が小売りと対抗できる力を持つためにはどうすればよいのかということだ。

本書は現状報告書であり提言書ではないので、それに対する直接的な処方箋は書いていない。しかしいくつかの示唆が提示されている。

その一つは、農協の合併(特に国際的な合併)によって農協の規模を大きくすることだ。実際、欧州には1万人以上もの組合員を持つ国際的なメガ農協があって、こうしたところは小売りと十分に対決していける。

だが農協が大規模化すれば、管理者・使用者・投資者が同一である農協は経営が困難になる。組合員一人一票制の下で巨大な組織を運営していくことが困難なことは、日本で言えば相互会社がうまく経営できていない(現実の経営と組織規則上に規定する経営とが乖離している)ことでも例証されている。

他の策は、例えば生産物のブランド化といったようなことが挙げられているが、要するに投資家所有の企業と同じくらい経営を強くしなければならないということである。

ではどうやって経営を強化していったらいいのか。農協の経営を強化する支援策はあるのか、というのが次の問題になる。だがこれに対して、本研究は否定的な見解を述べる。欧州各国の制度、支援策、また歴史的経緯なども考慮した結果、農協の経営(市場規模ではかる)を強くする支援策や制度は存在しないらしいことが明らかになったのである。

ただし、直接的な支援策というわけではないが、未だ小規模な農協に対して、人材育成や技術支援を行うことは発達を助ける上で有効であるとは言っている(だがこれは当たり前すぎることだとは思う)。

逆に、農協の発達を阻害するものはかなり分かってきて、本書はこういうネガティブリストが大変役に立つが、その第一は「信頼の欠如」だという。例えば旧共産主義国で共同農場をやっていたようなところは、(他人を信頼するという素直な意味での)一般的な信頼が低下しているらしく、こういうところでは農協はうまくいかないそうだ。

農協とは相互扶助的な組織であるため、組合員や経営陣が互いを信頼し合うという状況にないと経営がうまくいかないのだという。日本の農協も、経営側と組合員側でかなり信頼が低下している現象が見受けられ、互いに疑心暗鬼になっているところがある。そういう状況では日本の農協の将来も暗い、と思わされた。

ところで本書では、農協を便宜的に8つの部門に分けて研究している。それは、①羊肉、②オリーブ、③ワイン、④穀物、⑤豚肉、⑥砂糖、⑦酪農、⑧果実・野菜、の8つである。このリストを見てすぐに気づくことは、鶏肉および牛肉が除外されているということである。本書を読む上での最初の疑問はなぜ鶏肉と牛肉が研究から外れたのか、ということでこれは本書のどこにも理由が書いていない。欧州では鶏肉・牛肉は農協が取り扱っていないのかとも思ったがそれはありそうにないことである。なんでなんだろうか。

それはともかく、日本の農協のあり方を考える上でも示唆に富む、農協の経営学ともいえる視野の広い本。

2015年8月3日月曜日

『西郷隆盛―西南戦争への道』猪飼 隆明 著

西郷隆盛の行動原理を説明する本。

西郷隆盛は不思議な存在である。明治維新の最大の立役者の一人であるにもかかわらず、(本意ではなかったとは言え)西南戦争を起こし、反明治維新の旗手ともなった。征韓論争では刎頸の友である大久保利通と鋭く対立することも厭わず、朝鮮との外交をなぜか強硬に主張した。そこには何か一貫しないものが感じられる。本書は、それを説明しようとするものである。

つまり、西郷の行動原理は一体何であったかということだ。それを一言にまとめれば、西郷はあくまで忠君たらんとした、と言えると思う。

幕末においては、自分を取り立てて表舞台へと引き出した島津斉彬公への敬慕が西郷を英雄にした。斉彬公が亡くなると殉死しようとしたが果たせず、内心軽蔑する島津久光へ仕えるものの、冷遇されやがて讒言により島流しに遭う。時を得て明治政府に復帰すると、大久保等のお膳立ての上で明治政府最大の改革の一つ「廃藩置県」を行った。これは藩を解体するということであるから、先君斉彬公の残した鹿児島藩もなくしてしまうということで西郷にとって非常に悩ましいことであったに違いない。

それは西郷ならずとも維新の志士の多くが抱えていた感情であったろう。藩の力を背景にして成立したのが明治政権であるのに、力の基盤であるはずの藩を自らの手で解体するということは大きな矛盾であったのである。

西郷はこの矛盾を、明治天皇への忠誠によって克服する。天皇に従うということは、藩主に従うということと矛盾しないのであり、より大きな立場で見たとき、仮に藩主の不利益になることでも、天皇の意志であればそれを貫徹することができたのだ。

一方、大久保等進歩派官僚・政治家にとってみれば、この時期の天皇は象徴的に至上権を有しているに過ぎず、自らの政策に大義名分を与えるための存在だった。いわば天皇を傀儡化して、実質的には少数の実力者の独裁政権を作っていたのである。この独裁体制のことを「有司専制」という。

西郷にとってはこの「有司専制」が気にくわない。西郷は共和制への理解を示しながらも、期待していたのは天皇による親政であったという。ただ、西郷という人はどこまでも軍人であり、行政官でも政治家でもなかったため、具体的にどのような政治体制にしたらよいのか、というような青写真があったわけでもなく、天皇への忠誠心の発露としてそうした空想的な体制を夢見ていたようである。

著者によれば、征韓の目的の一部もこの「有司専制」の打倒にあったという。ただ、これもまた具体的な青写真があったわけでないようだ。どうも西郷という人は、緻密に考えて動くというよりは、「至誠天に通ず」を地で行くような人で、ともかくも誠意を持って動いていれば結果的にはうまくいくに違いない、というような楽観主義があったようである。

しかしそれが裏切られたのが西南戦争だ。征韓論争に破れて下野したのち、鹿児島で士族の教育や社会事業(開墾)に取り組むが、結果的には不平を抱く士族たちを押さえることができず望まない開戦を迎えた。この戦争は大義なき戦争であり、士族たちの不平不満が爆発しただけのものだった。西郷にとっては、天皇に背いて反乱を起こすことはあってはならないことだっただろうし、おそらく開戦にあたって、やるだけやったら最後は自害と決めていただろう。天皇に逆らい、逆賊として人生を終えることは、西郷の最大の悲劇であり不幸だった。

西郷は古いタイプの人間だった。主君に忠義を尽くす人生を歩みたいと思っていたし、斉彬没後はそれに足る主君を探してもいた。そして見つけた主君こそが天皇だったのである。この西郷の態度はやがて日本全体へと広がり、国家神道の暴走も招くが、この時点では中世的な主君ー臣下の双務的関係だったようだ。もはやそうした古い関係の中で生きるのではなく、政治家・官僚といった国家システムの中で働くことが求められていても、忠君という行動原理しか内に持っていなかったのも西郷の不幸だったのかもしれない。

小著ではあるが西郷の葛藤が垣間見えるような優れた論考。

2015年7月31日金曜日

『麵の文化史』石毛 直道 著

麵の歴史を考察する本。

麵とは、伝統食品としては変わったところがある。作るのに特別な道具を必要とし、作るには手間もかかり技術もいる。手づかみでは食べにくく、箸や匙の使用を前提とする。さらには主食的なものでありながら肉や野菜も入っており副食的な部分もある。

このようなことから、ある文化が麵を食べるようになるには、ある程度の段階に達しなければならない。例えば最も道具を必要としないタイプの製麺方法である手延べ麵であっても、小麦の製粉のための道具(石臼など)がいるし、 麵を打つ台が必要である(ここまではパンと同じ)。

うどんのような切り麵だともっと道具は高度になる。麺棒は断面が真円に近くないとうまく麵が打てないので、木を削る轆轤(ロクロ)が存在しなくては麺棒が作れないし、台の方も真っ平らでないといけないので、真っ平らな台を作る技術や道具(のこぎり、カンナ等)が必要だ。

そしてこのように道具・技術・手間をかけて食品を作るという文化的・経済的余裕も必要である。

しかし一度麵を打ってしまえば、ワンプレートで主食と副菜が採れる上、茹でるのは簡単で調理の手間も時間もかからないことから、麵は外食向きの手軽な食品であり、麵の文化は外食する文化と共に発展してきた。いうまでもなく外食文化は都市化と関係があり、自給自足的経済には外食が存在しない。また高度な技術を要する麵打ちは家庭では作りづらいということも、麵が商品経済的な食品(つまり職人によって製造され販売される食品)となることに一役買っていた。

さらに、本書には指摘がないが、麵にはエネルギーの節約という側面もある。ご飯を炊くのには長い時間の炊爨(すいさん)を必要とするが、素麺を茹でるのはものの1~2分だ。しかも一度麵を茹でたお湯は次の麵を茹でるのにも使える。基本的には薪で火を焚いていた前近代社会では、特に人口が集積していた都市部で薪は慢性的に不足しており、エネルギー効率のよい麵食は歓迎されていた。江戸時代に蕎麦が流行したのも、薪の不足が原因の一つと言われる。

この麵という食品は、どこで生まれ、どう世界に伝播していったのだろうか。本書は、それを探るべく東アジアを中心としてフィールドワークし、また史料によっても探っていこうとする世界初の試みである。

その成果は下図に纏まっているが、一言で言えば、麵は中国に発祥し、5世紀頃に中国の文化を受容した地域(漢字文化圏)に広まり、近世(1700年代以後)に多様化していった、とまとめられるだろう。麵は特に箸で食べやすい食品でもあり、箸を使う地域での発展が顕著である。


なお図においては、地域ごとではなく麵づくりの技術によって系譜がまとまっている。すなわち、切り麵(うどん)、手延べ麵(ラーメン)、そうめん(道具をつかって細く長く延ばしていく麵)、押し出し麵(ビーフン)、河粉(東南アジアの麵)である。本書は、料理法や製法に着目して麵を系統分類している。

さて、中国が麵のふるさとであるとすれば、当然問題になってくるのはもう一つの麵食文化の中心地であるイタリアとの関係だ。イタリアのパスタは、中国に由来するものなのだろうか? 中国に直接由来する麵文化はカスピ海の東までしか存在しないのだが?

ここはまだまだ研究が進んでいないことで、本書でも控えめな表現で書いてはいるが、著者はやはりイタリアのパスタも中国からの伝来であると推測している。

というのは、イタリアのシチリアに12世紀にはあった「イットリーヤ」というパスタはアラブから伝えられた「リシュタ」というものを元にしていたらしい。この「リシュタ」は遅くとも10世紀には中央アジアにあったものらしいが、中央アジアはシルクロードによって中国の強い影響下にあったことを思うと、 この「リシュタ」が中国の麵文化と独立に発祥したものであることは考えがたい。要するに、シルクロードによって中国の麵はアラブを介してイタリアに渡り、パスタになったのだろうというのである。

さらに、本書には指摘がないが、元々ヨーロッパには硬質小麦(パスタを作るデュラム小麦など)はなく、硬質小麦をヨーロッパに伝えたのはアラブ人たちである。硬質小麦の伝来とあわせて、アラブ人たちが麵づくりの技術を伝承したということはありそうなことである。

ただし、イタリアのパスタの特徴であるネジ式の押し出し製麵は中国の押し出し麵とは独立してイタリアにおいて考案されたものだということだ。

ところで、本書は元々は日清の企業出版であったものが講談社文庫により文庫化され、内容が学術的なものであったためか改題して講談社学術文庫に移されたものである。原題の『文化麵類学ことはじめ』はユーモアがあってよかったと思うが、学術文庫に収載されるにあたりふざけるのはよくないとなったのか『麵の文化史』という真面目な題に改題されたのはちょっと残念である。

食文化の研究というのは世界的に見てもまだ始まったばかりで、身近に存在する美味しい食べ物の故事来歴というのは意外に謎なことが多い。麵という一つの食材を取ってみても分からないことだらけで、本書は麵文化を解明する最初の試みとしてほんのアウトラインを描くものだ。

麵を通じて文化の伝播まで考えさせる意欲作。


【関連書籍の読書メモ】
『食味往来—食べものの道』河野 友美 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
日本における食べものの伝播を考える本。
食べものの道を考察することで、文化の伝播や食文化の価値を考えさせる良書。


2015年7月28日火曜日

『渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」』溝口 敦 著

山口組五代目組長 渡辺芳則にインタビューした本。

渡辺は山口組組長としては異色の人物。先代の指名ではなく幹部の合議で組長に就任したし、少年時代もいわゆるワルではなく、少年院にも行っていない。賭け事はしないし、親はカタギで親との関係も良好(家庭に問題を抱えた人間がヤクザの道に入ることが多い)。そして山口組としてはヨソ者となる関東の出身。

本書は、「組長が語った山口組経営学」を謳っているが、実際には渡辺が組長に就任するまでの話がほとんどで、組長時代のことについては後日談的に語られるに過ぎない。

何しろ渡辺が組長を務める間には、暴力団対策法が施行された上にバブル後の不況時代でもあり、暴力団の経営は思わしくなかった。不況であったことと、暴力団が広域暴力団に集約されていく趨勢から、その間も山口組の団員だけは増え続け4万人以上になったのだが、シノギ(仕事)の減少や抗争の禁止などから組織が停滞して活力が失われた。そのため渡辺は事実上クーデターの形で司忍へと組長の座を明け渡すことになったのだった。

そういうことから、本書は「渡辺の「山口組経営学」は結果的に敗北した」と結ばれている。

「ナントカ経営学」というような本は、基本的に成功者が経営哲学を語るという体のものがほとんどだろう。それが本書は逆で、結果的に敗北したものが(未だ敗北していない段階で)語っているという点が一つの価値かと思う。なお内容は経営哲学を語るというようなものではなく、基本的には渡辺がいかにして山口組で上り詰めたか、という成り上がりストーリーになっている。

その言葉の端々に窺える組織論や人生論は、意外と(いい意味で)普通で、カタギの人間とそれほど変わったところがない。ある意味で暴力団というより実務家風な感じがした。だがその人間が、結果的にはクーデターで追い落とされているわけなので、やはり極道のトップは実務家では務まらなかったということなのだろうか。

ところで私は、ヤクザは日本社会を写す鏡だと思っている。ヤクザ組織は日本社会のいいところも悪いところも増幅して具現化したような存在である。そういう観点で見てみれば、渡辺の敗北もなんとなく分かる気がする。日本社会では、実務家はトップにいてはならないのである。

書名と内容はちょっと食い違っているが、暴力団の組織に関心がある人には楽しめる本。

2015年7月21日火曜日

『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著

本書は、日本の政治・行政機構への痛烈なダメ出しの書である。

日本の政治・行政機構はバブル崩壊までは世界的に称讃され、研究もされてきた。世界一優秀な教育システム、倫理感のあるエリート、「日本株式会社」と呼ばれ官民一体で通商を振興する体制、そういうものの秘訣はどこにあるのか、多くの欧米の研究者が日本を訪れた。

また一方では、神秘的な日本文化——茶の湯や能、禅や古寺といった伝統文化も世界的に称揚されてきた。こうしたことから、ジャパノロジストと呼ばれる日本研究者が「神秘的な日本」、「東洋と西洋が融合した日本」、「技術立国であるとともに伝統的な価値観が残っている日本」という日本賛美の声を惜しげもなく注いできた。

しかしそれは本当だろうか? 日本の社会はそんなに褒められたものだろうか? いやそれどころか、今の日本は世界的に見て後れを取っているのではないか? 本書は、そういう観点から著者なりに問題だと思うところを延々と挙げていくものだ。

まずやり玉に挙げられるのは「土建国家」である。日本経済は土木工事なくては立ちゆかなくなるほどに土建業に依存してしまっている。余剰労働力を吸収できるところが土建業しかないために土建業に過度の税金が投入されている。そのため不必要な工事が無定見に行われ、美しい国土がコンクリートで覆われてしまった。どれくらいすごい量のコンクリートが使われているかというと、
「94年の日本のコンクリート生産量は合計9160トンで、アメリカは7790トンだった。面積当たりで比較すると、日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる」(p.52)
とのことだ。だだっ広いアメリカと面積当たりで比較するのはやや的確でないとしても、人口当たりで考えてもアメリカの倍はコンクリートを使っている計算だ。

しかも多くの日本人はそのことを当然だと考えている。災害の多い日本は、治山・治水に力を入れなければ手痛い目に遭うと思っており、土建業への依存はやむないこととされている。特に震災後は、土建業者がいつでも遊軍として控えていることが一種の防災であるかのように認識されてもいる。

確かに、日本は雨が多く山がちであり、舗装されていない坂道があろうものなら大雨ですぐに通れなくなってしまう。今でも東南アジアでは雨が降ると通行止めになる山岳地帯の道は結構あると思うし、気候条件がかなり違うアメリカやヨーロッパとコンクリートの多寡を単純比較することはできない。道路をアスファルトで舗装すること一つ考えても、日本と欧米では必要性の度合いが違うと思う。

しかし問題は、そうした土木工事が本当に意味のある工事となっているか、ということである。もちろん、例年、年度末になると予算消化のための工事が行われることを知っている我々は、とても全てに意味があるとは言えないことは本書に指摘されるまでもなく分かっていることだ。

そして治山・治水に必要な工事であっても、環境と周囲の景観に配慮し、最小の構築物で最大の効果を生む工事を行うべきだ。しかし日本では、本来の必要からかけ離れた大規模な——モニュメンタル(記念碑的)な、といってもよいような工事が好まれる。ほとんど車の通らない山道に、立派な橋が懸けられる。海岸線は、目を覆うばかりのテトラポッドで埋め尽くされる。山は切り開かれ、斜面全体がコンクリートの奇っ怪な格子で覆われるのである。こうして国土は醜くなっていく。

そんな工事は、本当に必要なのだろうか? いくら護岸工事が必要といっても、テトラポッドをむやみやたらに積み上げて効果があるのか? ちゃんと専門的な調査に基づいて護岸しなくては、逆効果なことだってある。護岸工事をしたら海岸の浸食が激しくなった、というような皮肉な話は、日本にはゴロゴロ転がっているのである。

このように、日本では、必要性は低いが金がかかる派手な工事はバンバン行われるが、逆に必要性は高いのに地味な事業には全然手がつけられないのである。

こうしたことは、新聞やテレビでもよく糾弾されていることであるから、あえて本書に指摘してもらうまでもないと思うかもしれない。確かにそういう面もある。だがそうした日本の「リアル」を外国人が英語によって発表(原題 "Dogs and Deamons")したことに意味がある。また著者ならではの視点での問題提起もたくさんある。

例えば、都市と景観の問題。日本でも都市計画はあるにはあるが、そもそも都市を美しくしようという意志に全く欠けており、電線の埋設一つとっても全然進んでいない。それどころか周囲の環境と調和しない奇抜な建物がドンドン建てられる状況にあり、例えば世界的な観光都市といえる京都ですら、一部の古寺を除けば電線とコンクリートの建物に溢れ、古都の情緒など微塵も存在しない。それどころか市内中心部の京都駅は古都らしからぬ醜悪な「現代建築」で、外には京都タワーが聳える。そして周りを見回せば品のない看板ばかり! どうしてこんな無秩序な景観になってしまったのだろうか?

日本は規制が多い社会と思われており、実際に煩瑣な規制はたくさん存在しているが、本質的に意味のある規制は少なく、ほとんど形式的なものであることが多い。よって規制が多いのに無秩序が横行している。景観や都市計画といった面では諸外国の方がよほど規制が多く、しかもその規制が実質的だ。しかし規制の多寡が問題なのではなく、規制によって実現しようとする理想の社会があるかどうか、ということが重要だ。

さらに、膝を打つ思いだったのが街路樹の管理の稚拙さ! 日本では街路樹の落葉が迷惑がられるためか、秋になると無残にもバッサリと街路樹の枝が落とされることが多い。それも不要な部分をバサバサちょん切ってしまい、非常に無様な姿になる。こんな無様な街路樹管理をしている都市は他の先進国にはないのではないか。一方で、盆栽を始めとして日本の庭木管理は高度な技術を持っているはずである。技術は持っているはずなのに、街路樹の管理がどうしてこうもおざなりなのか?

このように、本書は日本への愛のムチとも言える本であり、耳が痛いを通り越して不愉快な部分もある。時に少し偏った紹介の仕方もあるし、日本人として完全に同意できない点もある。しかしその主張は総じて「普通の日本人」の感覚に沿ったものである。普通の日本人が、「この国はどこかおかしい」と感じるそのボンヤリとした違和感を、外国人の視点からスバっと具体的に指摘してくれている。

才覚と能力に溢れた若者にとって、この国はもはやさほど魅力的ではなくなってきている。海外で一旗揚げた若者は、もう日本には戻りたがらない。「平和を謳歌している自由で裕福な国が、そこに属する最も優秀で野心ある人々にとって魅力がないというのは、世界史を見てもほかに例のないことだ。(p.343)」この一文には目が醒める思いだった。日本はまだ裕福で自由な国と呼べるだろうが、優秀な人間に見捨てられるほど、大きな問題も抱えた国なのだ。

ではその問題をどうやって解決していけばよいのか。本書は問題提起の書であり、処方箋を提示するわけではない。ある意味では言いっぱなしである。解決策を考えるのは我々の責任だ。日本社会には巨大な問題があるが、それを解決していくのは超弩級にやりがいのあることでもある。

日本の姿を率直に捉えて、これを改善していこうじゃないか、そういう気持ちにさせられる重要な本。

2015年7月6日月曜日

『百姓たちの幕末維新』渡辺尚志 著

幕末維新期における百姓の実態を探る本。

「百姓たちの目線から幕末維新を見直してみようと思います」と帯にあったので、私は幕末維新の動乱がどのように百姓たちの生活を変えたのか、あるいは百姓たちの力がどう時代を動かしたのか、ということが本書の主眼ではないかと思っていた。

しかし実際には、本書の内容は「幕末維新期における百姓たちの社会生活の一端を垣間見る」というようなものである。

例えば、本書では「抜地(ぬきち)」というものについて詳しく説明がなされる。これは土地が質流れして他人の手に渡ってしまう時、本来は土地に付属する納税(年貢)義務も同時に譲渡されるべきなのに、納税義務の方は元の持ち主にあるまま利用権だけが移ってしまった土地のことである。つまり納税義務者たる名義人と、実際の利用者が合致しない土地ということだ。どうしてこのようなことが生じるかというと、少ない土地でたくさんの金を質から借りたいという時に「納税義務無しの土地」ということにすればその価値は非常に高いので、困窮した百姓がこうした裏技を使って金を借りてしまったのだった。

しかし土地はないのにその納税義務だけあるということは、すぐに行き詰まるのは必然である。抜地が横行した結果、代官にも本当の土地所有者が誰なのか分からなくなり、適切に課税することができなくなって、困窮したものがなおさら困窮して没落していくという現象が生じた。

そこで抜地を解消し、土地の所有者と納税義務者を一致させる改革が必要になってくる。こうした改革を行うには、今風に言えば「言論」の力が必要になるのであるが、本書の白眉は百姓による「言論」がどんなだったかを詳細に記述している点である。時代劇によるイメージでは、百姓は代官に対して「慈悲を乞う」ような接し方しかしていなかったように思いがちであるが、実際には対等な形で非常に立派な議論を展開していることもあり、百姓のイメージが変わった。

それどころか、その議論の仕方を見ると現代の農家よりもよほど立派な部分があるようにも見受けられる。課題を認識し、解決策を自らの手でつくり出していこうとする努力は、ともすれば役所や農協に不満を言うだけで終わりがちな現代の農家よりも優れている。

もちろんそういう立派なやり方だけでもなかったのだろうが、「村」というものが意外と自律的かつ民主的な原理で運営されていて、身分の上下はありながらも武士と百姓が対等な言論によって課題を解決していこうとした(こともあった)ということがよくわかった。

このように、本書に出てくる事例はとても具体的なものであって、一つの案件を丁寧に追っていくということが長所である。「抜地」の部分などは誰それがこう言った、次にどう行動した、ということが詳細に語られ、現場の息吹が感じられる。だが逆にそれが短所でもあって、その現象が全国的に見てどう位置づけられ、それが幕末維新という動乱にどう関係したのか、というマクロな視点というのはほとんどない。

そういう意味では少し物足りないところもあるけれども、当時の百姓の「言論」の有様を知る上では好適な本。

2015年6月17日水曜日

『世界史をつくった海賊』竹田 いさみ著

イギリスが覇権国家として発展した裏には海賊の活躍があったことを書いた本。

大航海時代、イギリスは後発国家として国際競争に参入した。最も早く国際貿易を確立したポルトガル、そしてそれに続くスペインといった先行者がいる中で、イギリス(正確にはイングランド王国)は不利な競争をせざるをえなかった。イギリスには羊毛や毛皮くらいしか輸出に適した製品はなく資源に乏しかったし、既に世界各国の販路は両国に抑えられていたのである。

そこでイギリスはならずもの集団である海賊を国家として活用するという奇策に出る。スペインやポルトガルの貿易船を略奪すればたくさんの富が手に入る上、スペインやポルトガルの国力を削ぐことも出来、さらには最新式の船まで入手できるからである。

だが表立ってそういうことをすれば国際問題になり弱小国家だったイギリスには分が悪い。そこで裏では海賊組織と手を結び、国家の手として足として海賊を使いながらも、表向きにはスペインやポルトガルとの友好関係を演出していたのであった。このため諜報活動に力を入れ、ある年では国家予算の15%が諜報活動に使われていたという。

私はフランシス・ドレークなどが国家公認海賊として国家の英雄として祭り上げられ、イギリス国民の鼓舞に使われたということは知っていたが、それはあくまで象徴的な意味のことだと思っていた。しかし本書を読むと、イギリスの国家財政を支えていたのはまさに海賊マネーであり、海賊による略奪は象徴的どころか手堅い商売だったのだということがわかった。

一方、私が本書を手に取った動機は本筋とは全く関係ないことで、イギリスの海賊たちはどんなものを食べていたのだろうということにあった。それについては簡素な記載があるだけで(当たり前のことです)詳しくわからなかった。船上ではかなり貧しい食事に耐えていたことは間違いないだろうが。

なお、『世界史をつくった海賊』という表題であるが、本書の主人公はあくまでもイギリス国家であり、国家が海賊をどう利用したか、という観点で書かれている。海賊が主体的に何を望みどう行動したか、ということはあまり明確ではない。それどころか、ある意味ではイギリスの政策にいいように使われたようなところがあり、イギリスが貿易立国として成長し海賊マネーが不要になるとあっさりと切り捨てられている。

だからもうちょっと、海賊たちそのものを描いて欲しかったという気もする。ただ国家に使われたというだけでなく、彼らも国家を使ったのであるから、その駆け引きというか、国家v.s.海賊という視点もありうるのではないかと思った。

とはいえイギリス近代史と海賊の関係がよくわかる本。

2015年6月11日木曜日

『無縁声声 新版―日本資本主義残酷史』平井 正治 著

日本の資本主義の裏側を大阪・釜ヶ崎から語る本。

著者の平井正治は日雇い労働者として釜ヶ崎に30年も住んでいる人物。しかし凡百の日雇い労働者とはワケが違う。数々の労働運動を興すとともに、史資料の渉猟やフィールドワーク(という言葉は本書には出てこないが)によって日本の資本主義発展史を最も凄惨な現場の渦中から紐解いてきた、知る人ぞ知る人物である。

その内容は、基本的には著者の自伝であるが、その実全く自伝の枠を飛び越えている。そこでは当時の社会的事件の背景、そこに至る歴史が縦横に語られ、それはほとんどアナール派の歴史記述を思い起こさせるような重厚さがあり、しかもそれが軽妙な大阪弁で表現されているのだから、唸るしかない。

著者が一環して語るのは、いちばん底辺の労働者がどれだけ置き去りにされてきたかということである。特に港湾労働、土木労働といった景気と国策に左右される産業の労働者たちのことだ。そして彼らがどれだけ日本資本主義の犠牲になってきたかということだ。

例えば新幹線の工事ではこうだ。こういう土木工事は多くの人手がいる。だから広くから労働者を集めてこなければならない。しかし常雇いは出来ない。なぜなら、新幹線が開通してしまった後はその労働力は不要になるからだ。しかも工事中だってそうである。生コンを打つ時は多くの人手がいるが、生コンを打ってしまったら固まるまで次の作業ができないのでその労働力は遊ぶことになる。

だから労働力はその日暮らしの底辺労働者で調整することになる。そこで「手配師」の出番だ。半分ヤクザみたいな斡旋屋である。甘いことをいってその日の金にも困っている労働者を連れてくる。もちろん彼らはただ職場を斡旋するワケではなく、やれ食費だ衣料品費だ衛生費(トイレ使用料)だといって手当をピンハネするのである。それでも立場の弱い日雇い労働者はそれに何も言えない。何よりヤクザに反抗するのも怖い。

そして労働者は危険にさらされる。まともな労働衛生は期待できない。アスベストを扱う仕事でもマスクひとつくれない。そういう日雇いの担当する仕事は、孫請けのさらに下請けがやっているような仕事で、何重にもピンハネされた上に何の保証もないものだからである。元請けの大企業が発注する時は、もちろん労働衛生費まで計上されている。だがそれが下請けに出される度に削られていく。何重もの調整構造の中で、全てのしわ寄せが底辺労働者へいく。

さらに無理な日程で無理な作業をするから事故が起きる。そして労働者が簡単に死んでいく。日雇いで働いているような人の命は軽い。労災ではなく、交通事故として処理されたり、身元を調べることもなく無縁仏として処理されたりする。死んだのが誰かなど、誰も気にしない。過去を捨てた人間がドヤ街に集っているのだから。

こうして、彼らに押しつけられた矛盾はなかったことにされていく。

それに反抗するのが著者の平井である。筋が通らないことは許さない。ただゴネるのではなく、理路整然と、諄々と、そして時に激しい言葉で不正を追求する。ある時は、たった数百円の手当を認めさせるのに4年かかったという。例えば汚れる仕事にはその分手当を上乗せすべき、そういう「公正さ」を追求するのに妥協はしない。そういう男である。

実行力と知力を兼ね備えた人間である。やろうとすれば、日雇いの境遇から抜け出すことなどたやすかっただろう。だが平井は釜ヶ崎でほんの少しの労働環境の改善を成し遂げることに全力を注いだ。どうしてそういう茨の道を歩んだのか、本人にもよくわからないらしい。本書の末尾につけられた対談で一言「黙ってられん」からだと笑っている。

本書を読むと、オリンピック、万博、新幹線といった国策による大規模土木工事がいかに不正と事故の温床になってきたかということに気づかされる。そういった「国の威信」を賭けた工事は遅れるわけにいかない。だから無理なスケジュールが組まれる。十分な安全策をとれなくなる。そして工事が終わって不要になった労働者のことなど知ったことではない。見捨てられた労働者は、やがて街の掃きだめへと追いやられそこが次のドヤ街になる。このように労働者を使い捨てて出来たのがオリンピックや万博の会場であり、新幹線だった。

どうしてそんな不条理がまかり通っているのか? それに対する明確な説明は本書にはない。ただ、行政、政治、産業界とヤクザの馴れ合いと癒着の構造が示唆される。日雇いの弱い労働者を使い捨てることで維持されてきた「国の威信」や「経済成長」。「必要悪」という便利な言葉で温存されてきた古い労働のやり方。こうしたものに向き合わない限り、日本には本当の「経済成長」はありえないのではないか?

そして今、再び東京オリンピックの開催が決まっている。無理な設計によって既に工事は波乱含みだ。だが日本のゼネコンは工期を守るだろう。弱い労働者のおおきな犠牲の上に。今度のオリンピック会場にはいくつの人柱が立つのだろうか。

実は戦前にも東京オリンピックの開催が決まったことがあった。皇紀2600年事業(昭和15年)の一環で政府はオリンピックと万博を誘致したのである。これは古い「東京」をぶち壊して国家にとって都合のよい「東京」に変えるための大規模土木工事だった。オリンピックと万博のためということで東京-下関間に高速鉄道を作ろうとした。いわゆる「弾丸列車」である。

しかしこれは、実際には軍事物資の輸送のためのものだった。太平洋戦争で日本が東南アジア諸国を獲得すると、この高速鉄道の計画は順次延長されてシンガポールまでの延長が構想されたという。

結局オリンピックや万博は戦争のために中止されて、弾丸鉄道も戦争中は実現しなかったが、これが戦後の東海道新幹線へと繋がっていく。そして戦前実現しなかったオリンピックや万博も戦後にはどんどん開催され、その裏で日雇い労働者たちは都合よく使われ、そして押し潰されていったのであった。

そしてこの構造は、今でも全く変わっていない。派遣労働者という新たな日雇い人夫の置かれた状況はますます厳しくなっていく。その一方で「過去最高益」を記録する大企業。どこかおかしい。日本がほんとうの意味で「経済成長」するためには、あと百人の平井正治が必要だろう。

横山源之助『日本の下層社会』や鎌田慧氏の一連の著作に連なる、日本の社会を考える上での必読書。


2015年5月19日火曜日

『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ(対談)、飛田 茂雄 訳

ジョーゼフ・キャンベルが神話を題材に人生哲学を語る本。

ジョージ・ルーカスに大きな影響を与えたことで有名な比較神話学者のジョーゼフ・キャンベルが、晩年にテレビの企画でジャーナリストのビル・モイヤーズと対談を行った。本書はその書き起こしである。

その内容は、神話そのものについてというよりも、神話を通じて何を学ぶかということである。そして、キャンベルが神話を通じて学んだ人生哲学へと話が進んでいく。その人生哲学は、私にとって大変共感できるものであった。例えばこういう調子である。
「しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。(中略)人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです! (中略)必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。」
キャンベルの語り口は簡潔でありまた軽妙でもある。対談ゆえに断片的なところは否めないが、「あなたの至福に従いなさい」(自分自身の内なる声に従え)というメッセージがよく伝わってくる。

しかし問題なのは聞き手のモイヤーズで、話があっちに飛びこっちに飛び、「えー、そこで話題変えちゃうの?」というところがたくさんある。聞きたいことがたくさんあって節操なく質問しているのか、キャンベルの言わんとしていることを表面的にしか理解していないのか、あるいは断片的な警句をたくさん引き出そうとしているのか、よくわからない。

巻末の冲方 丁による解説ではモイヤーズを「希代の聞き手」と称揚しているが、これは皮肉なのだろうか? キャンベルの話を落ちついてよく聴き、無闇に質問攻めにすることなくその思想を開陳してもらう対談にすればもっと実りあるものになったと思う。

キャンベルの話は興味深いが、聞き手の軽率な感じが残念な本。

2015年5月14日木曜日

『チベット旅行記』河口 慧海 著

黄檗宗の僧侶によるチベット滞在の記録。

ヴェルヌの『八十日間世界一周』のように面白い。著者はチベットまで仏教の原典を求めに行ったので、私としては当時のチベット仏教の現状に興味があって本書を手に取ったのだが、それがどうでもよくなるほど本書はエンターテインメントとしてよくできている。

誰の紹介もなく独力でチベットを目指し、大した装備もないままヒマラヤを越えて当時鎖国状態だったチベットに密入国するという下りは、ハラハラドキドキの連続である。途中強盗に身ぐるみ剥がされたり、迷ったり、死にかけたりするがそれを乗り越えていく強い決意と知恵が素晴らしい。自分も何か困難な物事に立ち向かってゆくぞ、という気概が湧いてくるような内容である。

チベットの首府ラサに行くまでが全体の分量の半分程度で、次のラサ編では今度は聴き知った医学の知識が役立ち、法王にも認められ医師として活躍することになる。本来求めに行った仏教の仏典についての記載はあまりないが(たぶん余りに専門的なので省いたのだと思う)当時のチベットの風俗、外交、行政システムなどの記述は詳細である。

最後の1/4は帰国編であるが、ここに著者は大きな問題に直面する。というのは、密入国で入ったチベットでは、己をチベット人と偽って活躍していたのであるが、これが脱出後に露見し、のみならず英国の秘密探偵であったとの風評が立ち、ラサで世話になった人びとが探偵への協力の廉で投獄されるという事態に陥ったのであった。著者はこれをなんとか救出すべく手をつくすのであるが、それが最後のハラハラドキドキである。

本書の文体は生き生きしていて読みやすく、明治の作品であることを感じさせない。一部人種的な記述(例えば、チベット人は怠惰だ、とする部分など)、日本人や皇室への過度な自信が窺える部分などは今日的には問題があるが、チベット人は怠惰だ、という場合にもチベット人の長所についても述べており、バランスを取ろうとする意識がある。

また著者は「文明的に遅れた国を探検しよう」というような傲岸な気持ちではなくて、むしろチベットに留学しにいったのであるから(事実大学に入学している)、チベットの文化をなるだけ尊重しようという気持ちが感じられる。

ちなみに、私は本書をiBooks(by iPod touch)で読んだのだが、これはiBooksで読んだ始めての本であった。画面が小さいので4000ページ近くあったがとにかく面白く見づらさも気にならなかった。

チベットに興味があろうがなかろうが、エンターテインメントとして読める第一級の旅行記。

2015年5月4日月曜日

『古代中世 科学文化史 Ⅰ <ホメロスからオマル・ハイヤマまで>』 G.サートン著、平田 寛 訳

科学史の金字塔的な本。

著者のジョージ・サートンは「科学史」を独立した学科として構築することを企図して本書を構想した。「科学史」は、例えば数学史であれば数学研究の一分野(しかもほとんどオマケのような一分野)でしかなかったし、或いは文化史の中の一つのトピックに過ぎない面があった。そういう歴史学の付属物としてではなく、「科学史」自体に学問としての固有の価値があることを信じ、 サートンは大規模な叢書をつくり上げることによって「科学史」そのものを打ち立てようとしたのである。

その叢書は次のような構成として計画された。
第一叢書:編年的に構成された、地域横断型の科学史の概観(7〜8巻)。
第二叢書:例えばユダヤ文明、イスラーム文明、中国文明といったように、種々の文明における科学発展の概観(7〜8巻)。
第三叢書:数学、物理学など分野ごとの発展の概観(8〜9巻)。

つまり、サートンは科学史を縦糸的(年代記)、横糸的(地域的)、分野的という3方向から編むことにより、科学史の目でしか見ることの出来ない人間学を確立しようとした。もちろんこのような大規模で百科全書的な構想はサートン一人の手に負えないことは自身がよくわかっていた。ただサートンは、自らが出来るところまでやってみよう、という決意でこの仕事を始めたのである。

そして結果的に成し遂げられたのは、第一叢書の最初の3巻(古代・中世)だけであった。全体の構想の、ほぼ1/8にあたる量である。しかし、この3巻だけでもサートンの名は科学史史に永久に記される価値がある。 それくらい、科学史において画期的な業績であった。

この3巻(日本語訳では5分冊)の特色は、西洋中心だったそれまでの科学史から脱却し、東洋(特にイスラーム圏、中国、日本)の業績を詳しく紹介するという、世界史的な視座に立った科学史となっていることである。特にイスラーム圏の科学を詳細に研究したサートンは、イスラーム圏の科学がどれだけ大きく科学の発展に寄与したか熱をこめて記述しており、仮に本書がイスラーム圏のみの記述しかなかったとしてもその価値は非常に大きい。

その内容を紹介することは科学史の無様な要約になってしまうし、関心のある人は自ら目を通すであろうから辞めるが、科学史について深く知ろうという人でなくても、この第1巻の序章だけでも面白い。

例えばサートンはこの序章で、中世期には東洋の方が科学の水準が進んでいたのに、近代になってなぜ西洋がそれを追い越し、圧倒的な差がついてしまったのか、という疑問を提示する。そしてそれに対し、「西洋人と東洋人とはスコラ学の大きな試練を受けたが、西洋人はそれを突破し、東洋人はそれを突破しそこなったのである」との回答を与えている。

スコラ学という病理の唯一の治療法は実証的経験に基づいて知識を再構成しなおしてくことだったが、東洋では遂にその大事業をする人間が現れなかったのであった。この回答の含蓄の深さは、実際に本書を手にとっていただかないとなかなか伝わらない。科学の発展の歴史というある意味では無味乾燥な事実の羅列であるにもかかわらず、ここには確かに新たな人間学・文明史学が誕生していると思う。

なお、日本語訳は5分冊あるが、原書3巻の抄訳である。原書では、(1)その時代の主な科学的事績の概説、(2)批判的書肆解題(その時代の科学書の紹介)、(3)それらに対するサートンの覚書、の3つの部分を年代記的に並べていく構成が取られているが、日本語訳ではその(1)の部分のみを訳出しているのである。これは、サートン自身が(1)の部分を通史的に読めるように意図して著述しているため無理な抄訳ではなく、(2)や(3)まで目を通したいという専門的な向きはどのみち原書で読むと思われるのでやむない処置であろう。

ちなみに、日本語の書名は「科学文化史」を銘打っているがこれは不可解である。サートンは、文化の一様態としての科学というより「科学史」そのものを記述したかったわけであるから、単に「科学史」とすべきであった。本書ではそれまでの科学史の範疇に収まらない歴史学、言語学なども含まれているから「文化」をつけたのだろうが蛇足だ。原題は "Introduction to the History of Science"(科学史概説)であり、素直にこれを直訳する方がよかったと思う。

なお、本書が切り拓いた地平には、サートンに続いて新たな科学史がどんどんと打ち立てられていくことになる。例えばその嚆矢はニーダムの『中国の科学技術』(全14巻)であろう。科学史の分野で顕著な業績をあげた人に送られる賞がジョージ・サートン・メダルという名前なのも納得である。

そういう独立した学科としての「科学史」を打ち立てた不朽の名著。

2015年4月19日日曜日

『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会』角山 栄 著

茶の近代貿易のありさまを通じて歴史のダイナミズムを感じる本。

本書はいわゆる「物が語る世界史」であり、茶という商材を題材にして近代西洋の資本主義(特に英国のそれ)の様子を描き出している。

第1部は、茶と西洋人との出会い。西洋人が茶に出会ったとき、それは緑茶であった。日本の茶の湯は深い精神性と芸術性に基づいており、単なる飲料ではない喫茶文化に魅了されたのだという。 西欧人が東洋に到達した頃は、まだ西洋の力が絶対的に優位にあるという自信はなかったし、むしろ東洋の豊かさ、歴史と文化に嫉妬している部分すらあった。

そこで、茶の文化は進んだ文化として西洋に移入されることになる。しかし緑茶は西欧の食文化との相性が悪かったためか、緑茶であってもミルクや砂糖を入れて飲まれていたし、次第に紅茶へとその重心が移っていく。

その重心移動と並行にして、生産力の増大を背景に西洋の(東洋に対する)絶対的優位性が揺るがないものになってくると、茶は進んだ文化などではなく、単なる消費財になっていく。そしてそれが大衆に茶を飲む習慣を浸透させることにもなり、より消費量も増加していった。こうして茶(特に紅茶)は西欧諸国(特にイギリス)になくてはならないものとなり、茶を手に入れるために歴史が動いていくのである。

第2部は、その茶の輸出入の動向に対し日本がどのように動いたか。かつて日本の輸出品は第1に生糸、第2に茶であり、茶は主要輸出品であった。しかし世界の消費動向が次第に紅茶へと移っていく中で、日本も紅茶製造の取り組みはしたけれども、基本的には緑茶の販売をし続けた。もちろんこれは世界の動向に沿わないものであったために次第に茶の輸入は低減していく。

なぜ世界の動向に沿わない輸出を続けたのか、ということに関して、本書では外交文書等を引いて具体的にその情報収集能力のなさを指摘しているが、今も当時も変わらない、日本人の「世界的な空気を読めない」感が多分に出ていて暗鬱な気持ちになった。だがその背景にはもちろん日本にとって茶が重要な生産品ではなくなり、徐々に工業国家として立ち上がってくるということがあるわけなので、これは歴史の必然でもあったろう。

ところで本書は少し看板に偽りありで、「世界史」を銘打っている割には西洋近代史しか取り扱っていない。茶と世界史と言えば、例えば中国の「茶馬貿易」も重要かつ面白いトピックであるし、この内容を「世界史」と言い切るのは少し弱い感じがした。

しかしその内容は具体的な資料に基づいて考証を行っていて堅実であり、端正で読みやすくまとめられている。それこそお茶でも飲みながら読みたいような手軽で知的な本。


2015年4月8日水曜日

『ニッポン景観論』アレックス・カー 著

日本の都市・農村の景観が高度経済成長期以降に大変劣化したことを嘆く本。

著者はイェール大で日本文化を学び、渡日して書、古典演劇、古美術などを研究、さらに京都の町屋が壊されていくことを危惧して修復し宿泊施設として開業。その経験を元に古民家再生コンサルティングなどを行っている人物である。

その論旨は痛快である。

第1章では、日本には細かな建築規制などがあるのに枝葉末節を規定しているばかりで、景観に大きな影響を及ぼす電線・鉄塔・携帯基地局などが無秩序に乱立することを嘆く。

第2章は、街に無意味な広告看板が溢れていることについて。「消費税納税完納推進の街」といったような、無意味なスローガンから品のない巨大な看板まで。しかもそれらは何の広告効果も持っていないようである。

第3章は、他国に比べて圧倒的に多い公共工事とその「前衛的」な景観について。予算を消化するために必要性の低い土木工事が行われ、かつそれが周囲の環境と調和していない前衛的・近未来的なものとなっている。必要な土木工事を、周囲と調和させて行うのが先進国の公共事業の常識である。

第4章は、奇抜なデザインを尊ぶ建築界の悪弊について。権威あるデザイン賞を取るのが奇抜なデザインの建築ばかりなのはなぜなのか?周囲の景観に融け込んだ、落ちついたデザインは日本ではなぜ尊ばれないのか。

第5章は、ピカピカにしなければ気が済まないという「工業思想」について。景観への愛着がなく、単にキレイに管理できさえすればよいという悪習のもたらすもの。

第6章は、町中に溢れる「スローガン」について。特に「ふれあい」「環境に優しい」といった言葉がなぜ多用され、しかも何の意味もなしていないのかという考察。

第7章は、古い街並みに誇りを持たず、奇抜な建物や周囲と調和しない建物の建設を許してきてしまった住民のメンタリティについて。

第8章は、日本の貧弱な観光産業について。大型バスで観光客を周遊させ、凡庸なシティホテルが乱立しているだけの残念な観光地の多いこと。

終章では、それまでの議論を踏まえて、景観の面について今後日本人が進むべき方向を提言する。既存の公共工事で行われた無様な土木建築物の撤去やメンテナンスなど、公共工事の中身を改善していく必要性などについて。

どこをとっても膝を打つ内容で、「街は私たち住民のものだ」という意識が全くない日本人の内向きでお役所依存のメンタリティを見せつけられる思いがした。また、文章はとても皮肉が効いていて、単なる現状の批判に終わっていない。

公共工事の担当者はもちろん、建築家、商店主、いや街の景観を形作る全ての人に読んで欲しい本。 


【関連書籍の読書メモ】
『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2015/07/blog-post_21.html
日本の政治・行政機構への痛烈なダメ出しの書。
日本の姿を率直に捉えて、これを改善していこうじゃないか、そういう気持ちにさせられる重要な本。『ニッポン景観論』は、本書を下敷きにして書かれたもの。


2015年4月6日月曜日

『アラビア科学史序説』矢島 祐利 著

アラビア科学史を考える断片的論考・メモ。

著者は科学史を研究するうちアラビア科学の重要性に気づき、アラビア語を学んでその研究の道に入る。しかしまずアラビア語がなかなか読めるようにならない。10年たって、ようやく人名が分かるようになってきた、と述べるが、これはどうも謙遜ではないようだ。というのも、アラビア語の人名は大変に複雑かつ同姓同名が多く、ある人物を同定する決まった呼び方も確立していない(※)ので、それだけでも確かに難事業なのだ。

そういうわけで、とてもアラビア科学の通史を書くところまで研究が進まないため、暫定的に研究成果をまとめたのが本書である。まとめたといっても、通史を書くに当たっての考え方なり基盤なりを語る「序説」ではなく、どちらかというと「研究メモ」的なものであって、著者自身の備忘録的でもあるような、散漫な体裁の「序説」である。

例えば、アラビアの科学者について、科学史で取り上げるべき人とその主要な著書をずらずらと並べる章があるが、これは研究カードを引き写したものであるようで、いわゆる「序説」に入るものではなく、これ自体が小辞典のようなものである。

その他の章も、通史的なものの準備というより、断片的にイスラーム科学のサワリを紹介するという感じで、既に発表した論考の寄せ集めも多い。

だが、その内容は極めて堅牢であり、原典から研究しようとしている人の誠実さと慎重さが伝わってくる。文献がなかなか手に入らないなかで、手持ちの文献を最大限に活用して科学史の歩みを明らかにしようとする態度には好感を持つ。

一方そのせいで、引用がかなり冗漫だったり、「序説」といいながら結局アラビア科学の発達の姿がイマイチ見えづらい感じがするという難点もある。とはいうものの、安易にまとめようとするのではなく、分かっていることと、実はまだよくわかっていないことをしっかりと書き分けようとしており、「わかった気になる」他の本よりもずっとよいと思う。

本書の難点があるとすればちょっと古いことで、アラビア科学について今ではもう少し研究が進んでいると思われる。ただしその基礎を理解するには普遍的な価値がある本だろう。

※例えば、ピカソの本名は「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード」だったと言われるが、今ではただ「ピカソ」と言えばこの画家を指すのは明らかだ。しかし文献によって「ホセ・フランシスコ」とか「パブロ・ディエゴ」とか呼び方が一定していなければそれがピカソだと同定するだけで一苦労するだろう。これは極端な例だが、同じようなことがアラビア語の人名では(特にアラビア科学の研究書において)起きているようだ。

2015年4月3日金曜日

『方法序説』デカルト 著、谷川 多佳子 訳

世にも名高い、デカルトの画期的哲学書。

デカルトは本書を発表する前に、より踏み込んだ『世界論』という本を出版準備していた。が、ガリレオが地動説を発表した廉で逮捕されたことを知り衝撃を受ける。それはデカルトからすれば何ら信仰上の問題を惹起するものとは思えなかったからだ。そこでデカルトは自分の哲学についても慎重にならざるを得ないと考え、出版の途上にあった『世界論』をお蔵入りさせてしまう。そして結局これは死後に発表されることになる。

しかし『世界論』の発表は控えるにしても、その結論に至った「方法」だけでも世に訴えたいとデカルトは考えた。 それは、今日的に言えば「科学的な方法」といういうように言えるだろうし、もっと適切な言葉を使うならば「科学的世界観」である。

言うまでもなく、当時はカトリックの考え方が真理と思われていたし、その土台になっていたアリストテレスの大きな影響下にあった。その考え方を乱暴にまとめるなら、「この世は第一原因(神)から演繹的に導ける」ということになろう。例えば「科学」について述べれば、個別の現象を観察して理論を組み立てていくというよりも、より上位の理論から演繹して理論を組み立てていくのが正しいやり方と思われていた。

本書においてデカルトは、そういった演繹的な理論はなんら真実性を保証せず、真理に到達するには実験・観察に基づいて帰納的に求めるべきである、というような趣旨のことを述べている。すなわちデカルトは、本書においてアリストテレス的世界観の代わりに科学的世界観を確立しようとする世界観の大転換を図ったのであった。

しかし本書はその成立の背景から分かるように、当局(教会)に対して相当遠慮して書かれたものであるため、今風に言えばポリティカル・コレクトネスを気にして、奥歯にものが挟まっているような表現をとっている箇所が多い。それに、科学的真理に到達するための「方法」そのものの説明というよりも、その「方法」を見つけるに至った自らの精神の遍歴をなぞる書き方をしているので、それがなおさら遠回しに感じられる。

また、その「方法」の基礎となるものは、真実であると明証されていないものは信じない、という徹底的懐疑にあるのであるが、敬虔なキリスト教徒であったデカルトらしく、神の存在については割と簡単に証明した気になっているあたり、今日的に見ればやや懐疑主義も不徹底な部分がある。

しかしながら、本書は小著ながら世界観の大転換を図るという壮大な意図をもったものであり、そういった点は後世の安全圏にいる人間からの後付けの批判であって、本書の価値を減ずるものではない。

しかも、このような画期的な大転換を図る本をラテン語ではなく、女性や子どもでも読めるようにという配慮からフランス語で発表したのも意味があることである。そして本書には遠慮がちな表現が多いのは確かだが、文は平易であり、難解さは微塵もない。中世哲学の迷宮に比べ、この霧が晴れたような明晰さは爽快である。

なお、ここに述べられた科学的世界観は現代では当たり前のものであるから、今の人間にとって当然な部分も多いが、現代日本でもEM菌、マイナスイオン、コラーゲンの経口摂取、江戸しぐさ等々、科学的根拠のないものが跋扈しているわけで、今でもデカルトの「方法的懐疑」に学ぶことは意味があると思う。

近代哲学の始まりとなる不朽の名著。

2015年4月2日木曜日

『イスラーム思想史』 井筒 俊彦 著(その4)

イスラーム世界は8世紀にはスペインに達し、中東から北アフリカを経てスペインへと至る双頭の鷲となった。これまで述べてきたのはその東方の頭での哲学思潮であるが、西方の頭ではまた違った哲学が花開いた。

その嚆矢となるのは、スペインに生まれ12世紀に目覚ましい活躍をしたイブン・バーッジャである。イブン・バーッジャは哲学者である以上に実務家であり、世俗的な事業に忙しかったため、遂に体系的な著述を残さなかった。しかしその後の西方の哲学の道筋を決めるほどの大きな影響を及ぼした。

それは、知性を最重要に考えるという点である。イブン・バーッジャはファーラビーの哲学、つまり新プラトン的アリストテリスムを受け継つぎつつ、真理は知性による冷静な思考によってのみ到達できると考え、安易な神秘主義思想を否定した。その合理主義から、晩年は無神論者との謗りを受け、おそらくは毒殺されたと考えられている。

イブン・バーッジャの思想を発展させたのがイブン・トファイルである。その頃のスペイン(アルモハド王朝)は、当時まだ東方では異端とされていたアシュアリーやガザーリーの説を公認し、信仰と理性を調和させる宗教改革を行っていた。そのさなか、イブン・トファイルは公然と理性の優越を説いたのである。

彼は大学者というよりディレッタント的であって、その思想を大上段の思想書にはせず、『ヤクザーンの子ハイ物語』という小説で表現した。これは、無人島で人を知らずに(つまり言葉すら知らず)育ったハイという天才的人物が、自らの思索のみで最高の真理に到達するという話である。しかし話はそれで終わらない。ハイはやがて宗教心に富む人物に出会い、共に民衆教化の事業に乗り出すが、その事業は全く失敗に終わる。民衆はハイが見た最高の真理など見向きもしなかったのだった。

この小説において、イブン・トファイルはあからさまに形式的な宗教を蔑視している。彼は建前としては、最高の知性と最高の信仰は一致すると述べたけれども、実際には一般の民衆は低脳愚劣な輩であり、宗教とは低脳な民衆に哲学的真理を理解させるための象徴的な手段に過ぎないと見なしたのであった。このような民衆蔑視は、当然ながら民衆の間に反哲学の感情を呼び起こした。そしてこのような理性至上主義をさらに推し進めたのが、中世カトリック世界に大きな影響を与えたアヴェロエスことイブン・ルシドである。

イブン・ルシドは哲学者として絶頂にあったイブン・トファイルから王の主治医の地位を譲られ王の信任を得、王の勧めでアリストテレスの注釈の研究に邁進した。彼のアリストテレス研究は慎重を極め、学習者の学力と理解力に応じて大中小三種の違った注釈が作られるほどであった。そういう背景から出発した彼の哲学を一言で言えば「アリストテレスに還れ!」ということになる。

既に述べてきたように、これまで長い間イスラーム世界で培われてきたのは純粋なアリストテレス思想ではなく新プラトン主義的なアリストテレス理解であり、それはアリストテレスの思想をイスラームと融和させようとする折衷主義の産物でもあった。イブン・ルシドはそうした折衷主義を痛烈に批判したのである。

しかし、彼とて、最初から折衷主義の批判ありきではなかった。むしろ、イスラームの合理主義運動ムアタズィラが東方世界で挫折し、正統派の学者によって排斥されるに至り、哲学界では合理的な思考と信仰をどうやって調和させるべきかということが切実な課題となっていたのであり、イブン・ルシドも哲学と信仰の両立を明確に示そうとした。

彼も先輩のイブン・トファイルと同様、知性によって到達した最高の真理と信仰は一致するとしたが、よりその主張は激烈になっていった。例えば、知性によって導かれることとコーランが衝突する場合、どちらが正しいのかという問題がある。イブン・ルシドにとっては、それは知性が絶対に正しいのである。そのような場合はコーランの字句を文字通り受け取るべきでなく、譬喩的解釈をしなくてはならない。

つまり表面上哲学と宗教の一致を説いていても、その実はあからさまに哲学優位なのだ。それどころか、素朴な信仰は民衆の教導のためには必要なことであるから認めるとしても、神学などはかえって知性を曇らせる害悪であるとして、神学者は憐れむべき「病人」であるとされた。

そして哲学者は、自己の見解を他の人びとに漏らしてはならないとまで考えた。それは結局、愚昧な民衆はもちろん神学者などにも、知性によって到達した真理など理解できようはずもないからである。そして究極的には、哲学者にとって宗教など必要ないとまで言い切った。なぜなら、真理にまで到達するには理性のみで足りるのであり、コーランは必要ないのである。

こうした極めて無神論的な思想は、もはやイスラーム思想からはみ出していた。このような思想を土台にした微塵も妥協を許さないアリストテレス理解は、もはやそれ自体が異端であり、この学統を継ぐものはイスラーム世界には一人も現れなかった。また、西方イスラーム世界自体がイブン・ルシドとともに凋落し、キリスト教徒によるレコンキスタによってスペインの領土を失い雲散霧消してしまう。世界史上の大思想家とよべるイブン・ルシドは、イスラーム世界にはほとんど何の影響も残さずに消え去ってしまったのである。

しかしイブン・ルシドの全著作は13世紀にはラテン語訳され、カトリック世界でラテン・アヴェロイストたちの活躍を見るのである。しかしその思想において、カトリック世界のアヴェロイストたちもあくまでキリスト教の枠内で活動していたわけで、イブン・ルシドの方がより徹底して理性至上主義者であったといえよう。