2021年9月24日金曜日

『第二の性 II 女はどう生きるか』ボーヴォワール著、生島 遼一 訳

『第二の性』、5分冊のうちの第2巻。

本巻では、「妻」「母」「社交生活」「娼婦と囲い女」「成熟期から老年へ」という章分けで、成人してから亡くなるまでの女性の生活が活写される。

「第1章 妻」では、結婚制度が再考される。

女性にとって結婚は大きな意味を占めている。将来の方針を尋ねると「結婚したい」と応える若い娘は多い。しかし男性も同様に結婚はするはずなのに、そのように応える男性は少ない。それは、男性の成功は主に経済的成功であって結婚は副次的なものであるが、女性は経済的成功を自ら手にすることができないために、結婚を通じて成功するしかないからである。もちろん職業につく女性もたくさんいることはいる。だが女性の職業はしばしば不利で給料が安いので、仕事での成功を追い求めるよりは結婚に落ちついた方が有利なのである。そのため、結婚自体にも女性に不利な点は多いのに、結局は女性はそれを自ら望んで行うのである。

結婚は愛し合う二人のゴールだと見なす考え方がある。しかしボーヴォワールは、それが幻想であることを執拗なまでに例証する。むしろ結婚とは愛の否定ですらあるというのが著者の考えのようだ。ちなみに数多いその例証の一つに挙げられているのが「無痛分娩」への反対だ。この頃、「陣痛は母性本能の出現のために必要だ」というような理由で、「無痛分娩」に反対する男性がいた。しかし母性本能云々は彼らにとってさほど重大な理由ではなく、その実は「女の負担が軽くなることをよろこばぬ若干の男達があるというのが実状(p.25)」だったのである。この「無痛分娩」への態度は、現代の日本でもほとんど変わっていないのではないかと驚かされる。

では、女の不幸や苦痛を喜ぶ男がなぜいるのか? 愛し合って結婚したはずの妻の負担をも軽減しようとしない男がいるのはなぜなのか? それは、結婚が「制度」であるためだ、と著者は考える。結婚前の、互いに自由な、愛によって結びついている段階では、男女はお互いをいたわり、尊重する。しかしひとたび結婚するや、二人を結びつけるものは愛でもいたわりでもなく「制度」なのである。夫婦生活が味気ないものであってもそこから逃げ出すことはできないから、時として嗜虐的な行動に出る男性(女性も)が出てくるのである。

手垢のついた言葉ではあるが、結婚は自由意志を弾圧する、という意味で「牢獄」なのだ。 しかし結婚が「牢獄」だとしても、男性が活躍する場はたいてい職場であるから、それほど気に病むことはない。だが女性は結婚すると家庭に閉じ込められる。だから彼女の仕事は「この牢獄を一つの王国に変えること(p.56)」になる。それは家や衣服を清潔に保ったり家具を調えたりすることであって、「善」を建設することではなく、「悪」を追っ払うこと、つまり果てしない現状維持の仕事である。「家庭の主婦の仕事ほどシジフォスの刑罰によく似たものは(p.62)」ないのだ。

こまごまとした雑用を好きになり、そういうものを愛するように自分を仕向ける女性も多い。趣味よく調えられた部屋を作りあげることはひとつの創造的行為かもしれない。しかし多くの場合、やはりそれは本当の意味での(つまり経済的に報われる)やりがいのある仕事ではない。 女性は、終わることのない面倒な雑務を押しつけられていながら、重要な仕事には何一つ関与させてもらえない。というのは夫は妻を無能だと見なしているからだ。「女性には無理だよ」といいながら夫は妻から重要な仕事を取り上げ、代わりに「誰でもできる簡単な仕事」を大量に押しつけるのである。

この議論が展開されていけば、話は自然と「家事の平等分配」に移っていくと予想される。女性だけが家事をやらされるのは不平等だと。ところがボーヴォワールはそう進まない。むしろ結婚制度自体が無用だと糾弾するのである。「夫婦のあいだに誠実と友情が存在するためには、そのための必須条件は二人がともに互に自由であり、具体的に平等であること(p.110)」なのだから、本当に「愛」が存在するのならば、自由を縛る結婚「制度」はむしろ害悪なのである。

もちろん、幸せな結婚生活を送る夫婦も少なくはない。 本書に大量に引かれる不幸な結婚の事例が極端なものであることは著者も認めている。しかし結婚の失敗は少なくない数で起こっている。そしてそれは、個人の選択ミスというよりは、結婚という「制度そのものが根本的に頽廃している(p.132)」ためなのである。結婚が、女性を不当に従属的にするとしたらそんな制度はないほうがいい。

そして、女性に男性と同様の経済的自由が与えられない限りは、「家事の平等分配」のような見せかけだけの平等は意味がない。「深い本質的な不平等は、男は労働者あるいは行動の中に具体的に自己完成ができるのに、妻の方は妻であるかぎり、その自由は消極的な形のものでしかない、ということから来る(p.133)」。そういう不平等を助長するのが結婚制度なのである。要するに、女性は自己実現の機会を結婚によって不当に奪われているのである。

「第2章 母」の出だしはちょっと奇異である。それは、堕胎の問題から始まるからだ。当時(約70年前)、フランスでは堕胎は非合法だったが、それに頼らざるを得ない女性たちがいた。社会は胎児の権利を保護することには熱心だったのに、いったん生まれた子どもには無関心で、女性への支援など眼中になかった(←今の日本と同じ!)。だからこそ女性達は望まない妊娠をしたとき、やむなく堕胎をしたのである。それなのに社会は堕胎した女性たちを断罪した。堕胎には男性にも責任があるはずなのにそれはなかったことにされ、全てを女性に押しつけたのである。

堕胎への断罪は、女性がおかれた状況を象徴するものである。子どもを産むということは男女がともに関与することなのに、実際には女性にのみその重みを負わせているということなのである。

このように始まった「母」になることの検証は、「妻」に引き続き厖大な例証によって暗鬱な様相を帯びるが、その要諦といえば「母性<本能>などというものがそれほどはっきり存在しないことを示す(p.182)」ことにある。

世間では「母性本能」なるものを当然とみなして、「お母さんなら赤ちゃんがかわいいはずだ」「子どもの世話に幸せを感じるはずだ」などという。もちろん親にとって子どもは大切な存在だし愛おしいことが多い。しかしながらそれを世話するのは楽ではないし、しかもそれが母にだけ一方的に押しつけられているならなおさらだ。子育てを通じて「母性愛」が女性を満足させるなどというのは間違っている。子どもをたくさん産んでも「不幸で、ヒステリックで、不満な母親がたくさんある(p.201)」

結局、「母性愛」も社会が女性に押しつけた都合のいい神話に過ぎないのである。赤ちゃんや小さい子どもの世話をするには、自分の生活を犠牲にしなければならない。実際、毎日のほとんどすべてを子どもの世話に献げなくてはならない女性は、結局は自分のやりたいことを諦めるのを学ぶ。ひとたび自分の意欲を封印してみれば、子どもの世話にかかりっきりになる生活にもそれはそれで充実はある。しかしずっとそういう生活をしていると、やがて「子ども」が自分の失われた人生の埋め合わせと見なされてくることが多い。こうなると子どもの成長にもよくない親子関係になっていくのである。

子どもを持つことが男性にとっての最高目的ではないように、女性にとってもそうではない。「女に一切の公的活動を拒否し、男性がいとなむような職業を閉ざし、あらゆる領域において女の無能をはっきり公言しつつ、<人間の形成>というもっともむつかしく、もっとも重大な仕事を女にゆだねるというのは許しがたい矛盾(p.205)」なのだ。

その問題を解決するため、ボーヴォワールは子どもの世話は大部分外部委託する(≒保育園)ことを提案する。その方が子どもの人間形成にもいい影響があるし、なにより「もっとも豊富な個人的生活をもっている女こそ子供にもっとも多くを与え、子供からはもっとも少なく要求する(p.207)」のである。そして「子供は大部分は集団によって負担され、母もちゃんと世話され援助されている場合は、母になることは女が働くことと絶対に両立せぬのではない(p.206)」のだ。このあたりの議論は、保育園に入れないために「保活」などというものをしなくてはならない今の日本の状況にぴったりはまってくる話だろう。

「第3章 社交生活」では、女性の人付き合いについて述べており、今の言葉でいえば「社会生活」のことである。 が、ここで述べられるのは、女性が社会生活を営む上ではおしゃれが必須になっている現況である。もちろん男性もしっかりした服装は着なければならない。しかし男性の場合は社会的地位や仕事の能力の方が重要であるため、外見にはそれほど気を遣う必要は無い。一方女性は、社会からモノとして扱われているために、どう装うかがその価値を大きく左右する。だから女性は「自分をひとに見せたい気持ちと、そんなことはいやだという気持ちとに分裂する(p.212)」ことも多い。

ここに描かれる姿は、約70年前のそれであるにも関わらず今の日本と全く同じである。本書に引用されるコレット・オードリィの描く女性の毎日は驚くほど「現代的」だ。それは美容に気を遣い、健康食品を食べ、アンチ・エイジングに血眼になる姿である。「美容雑誌は無限に更新される処方で彼女に息もつがせぬ(p.221)」。女性にとっておしゃれは、「武器、看板、護身用の物、そしてまた推薦状(p.220)」であるから、それは半ば義務なのである。

女性は中身がないから外面を着飾るのだ、というような批判は当を得ていない。例えば素晴らしい頭脳を持った女性学者がいたとする。しかし彼女が不美人でおしゃれに気を遣っていなかったら、人は彼女は不完全であるという印象を持つ。女性は能力が十分にあるだけではだめなのだ。見た目も麗しくなくては! 社会は、女性におしゃれを強いているのである。

このような議論を展開した後、女性同士の人付き合い(家に招待することなど)について述べ、そして話は不倫へと展開していく。先述の通りボーヴォワールは結婚制度について口を極めて攻撃するのであるが、その理由の一つとして夫婦が互いに性的に満足することはめったにない、ということを挙げている。それは結婚制度は「肉体的な愛」を基盤としていないからである。だからボーヴォワールは、結婚と性的関係は区別した方がいいのではないかという。つまり結婚していても、互いの性的自由は認めてもいいのではないか、と。実際、ボーヴォワールはサルトルと事実婚の状態にあり、深く愛し合ってはいたのだが、互いの性的自由を認めていた。

しかしながら、世界中の社会で、結婚は排他的な性的関係の樹立と等しい。それは人為的な制度ではなく文化人類学的な基盤を持ったもののように思える。ボーヴォワールの提案はちょっと無理があるような気がした。

「第4章 娼婦と囲い女」は、女を売りにする女のことが語られる。まず、娼婦が存在するのは、女性が堕落した存在だからではなく、女性が職業的に差別され、経済的に弱いからだとしている。ある種の女性は「社会にちゃんと入れてもらえず、大都会の中に見失われたようになっている(p.258)」から、そういう「仕事」を選ぶのである。売淫の存在は、女性の堕落を示すのではなくて、社会の悪さに依るものなのである。

そして当然、娼館に通ってくる男性の需要があるからこそ、その商売は成り立つ。女性が堕落しているとするなら、男性も堕落しているとしなければならない。しかし男の方は、娼館では堕落していたとしても、一歩そこを出れば立派な顔をしているのである。だから娼婦たちは、男が振りかざす高尚な道徳や立派そうに見える品位といったものを鼻で笑う。

一方、「囲い女」の方はこちらとはちょっと違う。「囲い女」とは、「自分の全人格を資本とかんがえて利用する、そういう女たち全部(p.277)」を指す。つまり「女を武器としている女」だ。「逆説的な言い方では、女としての武器を徹底的に利用する女は、ほとんど男性に劣らぬ立場をつくることができる(p.278)」。彼女は「男性社会」に完璧に適合し、それを逆手に利用する。これは女性の生き方としては最も自己実現を図れるもののようだ。ところがボーヴォワールは(予想されるとおり)、この生き方を積極的には評価しない。結局、彼女は「男性社会」に寄生しており、その道を突き進む限り本当の自由を手に入れることはない、ということのようだ(はっきりとは書いていない)。

「第5章 成熟期から老年へ」では、更年期から老年が語られる。更年期あたりになると、女性は自分の人生を無駄遣いしたように感じ、未だ何も成し遂げていないことに愕然とする。そして今のうちにできることをやっておこうと齷齪(あくせく)するが、やがて閉経を迎えて老年に入っていくと、むしろ女性は自由を手に入れるのである。それは「女性であること」から解放されるからだ。女性は「女性」としての価値を失って初めて、社会が彼女に押しつけていた義務から逃れられる。「彼女はまた流行や世間ていをはっきり無視し、社交的な義務や摂生や美容の手入れなど一切ごめんこうむる(p.300)」。

だから老境においては、女性は男性よりもかえって生き生きし出す。それに男性は職業を退くと社会生活においてはほぼ無用の存在と化すが、女性は家庭を切り盛りするという今や重要な仕事を手にしている。「夫にとって彼女は必要なものだが、夫の方はただ邪魔ものでしかない(p.318)」のだ。男性と女性の立場は逆転し、「ついにここで彼女は、世界を自分自身の目で眺め出す(同)」。こうして封じ込まれていた批判精神が自由に働くようになるとはいえ、それは老境の慰み程度の意味しか持たないのだ。

全体を通じ、本書に描かれる女性の姿は不幸をかなりデフォルメしている、というのは誰しも感じるところだろう。幸せな女性だって世の中にはたくさんいるのだから。だが本書が言いたいのは、個別の女性が幸せであるか不幸であるかということよりも、社会の構造自体が女性を抑圧している、ということなのである。本書の価値はまさにそれを徹底的に論証したことにある。

本書(原書)の刊行時、本書は女性の「性」の問題をあけすけに取り上げたことでスキャンダルな反応を引き起こし、ために世界各国でベストセラーになった。しかしそれは本書の価値の一端でしかない。刊行から約70年経ち、女性問題への理解は格段に進んでいるが、それでも本書が言っていないことはそれほど多くないのではないか、と思わせるほど、本書は包括的に女性問題を取り上げている。女性問題がまだそれほど認知されていなかった時代に、これほど総合的で徹底的で、容赦ない本を書いたということは奇跡的だった。

 

【関連書籍の読書メモ】
『第二の性 I 女はこうしてつくられる』ボーヴォワール 著、生島 遼一 訳
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/07/blog-post_31.html
この巻では、女性が生まれてから成年になるまでを取り扱っている。


2021年9月12日日曜日

『コーヒー・ハウス—18世紀ロンドン、都市の生活史』小林 章夫 著

17世紀に勃興したロンドンのコーヒー・ハウスについて述べる。

イギリスと言えば紅茶で、コーヒー(カフェ)はフランスの文化だと思われている。が、実は17世紀のロンドンはコーヒー・ハウスが大繁盛し、そこでは活気ある世界が展開されていた。

イギリスはモカの産地である現イエメンを植民地としていたためコーヒーが輸入され、この新規な飲み物を提供する店が、新しいライフスタイルの提案とともに登場したのである。

それは、第1に情報交換と仕事の場、第2に言論とニュースの発信地、第3に文芸・文化の交流の場、であった(本書でこのような章立てがされているわけではない)。

第1の点「情報交換と仕事の場」については、当時のロンドンの住宅事情がからんでいた。ロンドンは過密都市で、ボロ屋が犇めき衛生的でもなかった。これは1666年のロンドン大火でその大部分が焼け落ちたことで改善され、家が石造りに変えられたりはするものの、過密都市であることは変わらなかったので家賃が高く、狭小で汚く、当時の個人住宅は人を呼べるようなところではなかった。そして家賃が高いということは、商売をやっている人が事務所をもちたくてもおいそれと持つことはできないということだ。

そんなわけで、コーヒー・ハウスは商売人(この時期、投資家がたくさん登場した)にとって事務所のような場所として活用されるのである。郵便もコーヒー・ハウス留めにして受け取っていた。当時は電話もないので事務所を開いてもそこだけで仕事ができるわけではない。それよりは、市場関係者や事情通が集まる場所にいて仕事する方が効率がよかった。

また、ものを販売するにしても、ショーウィンドウがあるような時代ではない。コーヒー・ハウスに商品を置かせてもらい、欲しい人にその場で販売するのが合理的だった。であるから、当時のコーヒー・ハウスの内部はいろいろな商品(怪しげなものもたくさん)が所狭しと置かれた雑貨屋的なところでもあった。 

他にも、世界最大の保険機構である「ロイズ」は元々コーヒー・ハウスであった。ロイズは客のために海事ニュースを提供し、海上保険の元締めとして不動の地位を占めていく。ロイズは最初から保険会社だったのではなく、海事情報を提供するコーヒー・ハウスだったというのが面白い。ロイズは、正確な情報が商売には一番大切だということを分かっていたのである。

なおこのようにコーヒー・ハウスが商売に利用されたのは、それが当初はノン・アルコールの店だったということも影響していた。イギリスではパブで飲んだくれるのが日常茶飯事であったが、いくらたくさんの人が集まる場所であっても酔っ払っていては仕事はできない。コーヒー・ハウスはノン・アルコールの”真面目な"店であった。

第2の点「言論とニュースの発信地」については、コーヒー・ハウスはお金さえ払えれば誰でも入ることができたので(コーヒー代と別に入場料のようなものを取った)、身分に関係なくいろいろな人が出入りした。身分というものが非常に強力であるイギリスの社会において、コーヒー・ハウスは「人間の<るつぼ>」としての役割を果たした(ただし女性は入店できなかった)。

そしてそこでは、新聞や雑誌が置かれて回し読みされ、また時事問題についての議論が自由に交わされたのである。当時は新聞や雑誌は非常に少部数でしか発行されなかった上、当然のように高価なものでもあったので、コーヒー・ハウスに置かれることには集客上の利点もあった。そこに貴賤の人々が雑多な情報を持ち寄っていたから、政府広報的な情報のみならず市井の生きた情報が集まることとなり、コーヒー・ハウスでの話題や人々の批評が新聞や雑誌に掲載されていくというジャーナリズムが育っていくのである。

特に雑誌と呼べるものができたのがこの時代であり、デフォーの『レビュー』、スウィフトが主筆だった『エグザミナー』、リチャード・スティール創刊の『タトラー』などが18世紀前半に矢継ぎ早に創刊される。特に重要な存在が1711年に創刊された『スペクテイター』(なんと毎日発行)で、この雑誌によってイギリスの雑誌は一挙に隆盛した。『スペクテイター』は当時の文化風俗を知るのに不可欠な有名な雑誌である。こうした雑誌が生まれる母体となったのがコーヒー・ハウスだったのである。

なおコーヒー・ハウスにおける自由な言論・政治談義は、時の政権にとって好ましくなかったのは言うまでもない。そこで1675年にはチャールズ2世が「コーヒー・ハウスは不満分子の根城になっている」としてコーヒー・ハウスの閉鎖令を出したこともある。しかし既にコーヒー・ハウスはさまざまな階層の人にとって欠くべからざるものになっていたため、大反対に遭ってこの命令は10日後に撤回されるのである。

しかしながら、開放的で自由な言論・政治談義がコーヒー・ハウスで行われたのはそんなに長くなかった。次第に政治的な立場によってどの店にいくか決まるようになっていったからだ。そしてやがては会員制のクラブが交流の中心となっていくのである。

第3の点「文芸・文化の交流の場」については、著者の専門がイギリス文学であるためにかなり詳しい。17世紀の文芸(詩作・劇作)というものは、著者が書斎で呻吟しながら書き上げるものではなく、大勢の前で披露し、批評され、それに応じて書き改めるといった公的な場でつくりあげる性格を持っていた。であるから、コーヒー・ハウスにおける交流が文芸の中心、つまり「文壇」となったのである。この時代の、いわば文壇の流派は「ウィル」「バトン」「ベッドフォード」といったコーヒー・ハウスに分かれて存在しており、それらの店の特徴やそこに集まった文士たちについて本書では詳しく触れている。

そしてコーヒー・ハウスは中産階級における読書の啓発にも大きな役割を果たした。17世紀後半には、まだ本は高価で普通の人の手には届かなかったし、また図書館も不十分だった。一方で雑誌の普及や小説の登場(例:デフォーの『ロビンソン・クルーソー』)などにより、中産階級の読書欲も高まってくるのである。そこでコーヒー・ハウスでは、店内で本が買えるようになるばかりでなく(=つまり本屋の機能もあった)、18世紀には店内に図書室を設けて本が読めるようになっていくのである。

18世紀のコーヒー・ハウスには、今風にいえば「ブックカフェ」が流行ったのである。 また貸本屋や本の共同購入サークル(本を回し読みする)、そして「読書会」もコーヒー・ハウスを舞台として行われた。コーヒー・ハウスは読書文化の発信基地でもあったのである。

このように様々な面で時代の先端を走ったコーヒー・ハウスだったが、その栄華は長く続かなかった。17世紀後半から18世紀前半までの約100年がコーヒー・ハウスの栄えた時代であり、特に活発な活動や展開が見られたのはその前半50年に過ぎない。

ではなぜコーヒー・ハウスは衰退したのか。その理由としては、(1)数が増えすぎて需要を超えた、(2)モラルが低下し賭博やアルコールの提供が行われるようになった、(3)コーヒー・ハウスの発展にともなって店ごとに客層が固定化し、「人間の<るつぼ>」でなくなった、(4)オランダによってジャワ・コーヒーがヨーロッパにもたらされて、イギリスのモカ・コーヒーが競争力を失いコーヒー輸入が減少した(それを埋め合わせるように茶の輸入が増大する)、(5)ロンドンの住宅事情が改善された、といったことが挙げられている。

ただし、1849年の報告で、ロンドンには2000軒のコーヒー・ハウスがあって労働者で賑わっている、うち500軒には付属図書室があって労働者が読書にふけっている、といった情報があるので、18世紀後半には衰退したといっても、19世紀半ばにもかなり繁盛しているのも間違いない。コーヒー・ハウスの勃興期の研究はいろいろあるらしいが、衰退期の研究はあまりないようで、どのように衰退していったのかは不明な点もあるそうだ。

本書はコーヒー・ハウスの歴史を多面的に追うもので、時系列的ではないので混乱する部分もあるが筆は平易で読みやすい。ただし、副題に「18世紀ロンドン」とあるものの、分量的には17世紀の記述の方が多いくらいで、18世紀についてはほぼ前半に限られている。また先述のとおり著者はイギリス文学を専門にしているためその面は詳しい一方、逆に言えば他の文化についてはあまり触れられていない。

例えばこの時代は演奏会が勃興してくる時期と重なっているが、コーヒー・ハウスはそれにどう関わっていたのか(関わっていなかったのか)。そのあたりはもう少し書いて欲しかった。

ロンドンのコーヒー・ハウスについて多面的に学べる良書。

【関連書籍の読書メモ】
『生活の世界歴史〈10〉産業革命と民衆』角山 榮 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/12/10.html
本書の参考文献として「17世紀から19世紀のイギリス社会、生活について概観したもので、日本人の手になるものとしては最も包括的で、また面白く読める本といえる」と紹介されている。コーヒー・ハウスについても詳しく述べている。