2019年2月25日月曜日

『虹と水晶—チベット密教の瞑想修行』ナムカイ・ノルブ著、永沢 哲 訳

チベットの「ゾクチェン」の尊者が語る悟りへの道。

本書は、チベット密教とチベット土着のボン教につたわる「ゾクチェン(大いなる完成)の教え」の修行者であるナムカイ・ノルブが講演などで語った内容を文字に起こしたものである。

前半はナムカイ・ノルブの半生が語られ、後半は「ゾクチェンの教え」についての概説が述べられる。

ナムカイ・ノルブの半生は劇的である。彼は幼いころに高徳な尊者の転生仏(生まれ変わり)と認められ、幼くしてエリート教育が施される。彼は学業を優秀にこなしたので若年にして大学に入り、高度な宗教理論と儀式の手法を身につける。しかし自らのラマ(師匠)と出会い、それらの知識を本当には全くわかっていなかったという衝撃を受ける。彼のラマとなったチャンチュプ・ドルジェは高度な教育を受けていなかったどころか文盲であり、高僧のようでもなく、俗人と変わらぬ暮らしをしていながら、真理の体得者だったのである。

後半の「ゾクチェンの教え」の概説については、私にチベット密教の基礎知識がないために十分理解したとは言い難い。ゾクチェンとは、「リクパ」と呼ばれる三昧の状態(普通の仏教用語では「禅定」が近い)に入り、それを持続させることを目指すものである(と私は理解した)。

この「リクパ」とは、二元論(善か悪か、彼か我か、これかあれか、といった思考の枠組み)を越え、あらゆる制約から解き放たれて思考が澄み渡り、透明に覚醒した状態なのだという。しかもこの状態に至ると、感覚の物理的制約からも自由となり、千里眼とか他人の心を読む能力すら手に入る(ただしそれは副次的な成果であって、それを目的に修行がなされるわけではない)。この三昧の状態にいる人間が、いかに優れた特質を示すかということは本書の随所で述べられる。

ところが本書を読んでいてよくわからなかったのが、まさにこの「リクパ」に至った修行者、ゾクチェンを完成した者の具体的イメージなのである。例えば、彼はこの三昧の状態にいるとき、肉親の訃報に接したらどんな反応を示すのだろうか。感情を超越して平静を保つのか、それとも素直に悲しむのか、あるいは人それぞれなんだろうか。もっと卑近な状況を考えると、リクパの中にある人が車の運転をしていたら、どんな運転になるのだろう。注意深い安全運転なのか、高速で暴走するのか、どっちなのかイメージが摑めないのだ。

ゾクチェン——大いなる完成、という言葉からは、その修行者が穏和で円満な人格となっているかのような印象を受けるがそれは違う。本書に描かれる尊者には、狂人のような生活をする人や、ひどい癇癪持ち、他人など歯牙にも掛けないような態度の人もいる。一方でナムカイ・ノルブのラマ、チャンチュプ・ドルジェは多くの人に敬慕される人格者であった。一体全体、ゾクチェンとは何を目指すものなのか。少なくともそれが人格的完成を目指すものではないことは明白である。

ゾクチェンが目指すものは、禅宗の悟りに近い。私は本書を読んで盤珪禅師の「不生禅」を思い出した。「不生禅」とは、人は生まれながらにして必要なものは全て備わってると考え、人はあるがままで悟りの境地にいるとするものである。ゾクチェンの教えも「ひとりひとりの個人そのものに生まれつきそなわっている本性なのである(p.28)」とされ、「この境地にはいることは、あるがままの自分を経験すること」(同)なのだという。

もちろん「あるがままの自分」でいることは難しいことだから(そもそも「あるがままの自分」とは何だろうか)、このために厳しい修行が求められる。そこが苦行を不要とした盤珪との違いとなっているが、他にも禅宗との類似点はある。例えば両者とも悟りを平安で寂滅な状態としては描いていない。むしろあらゆる制約から自由になった能動的な状態と見なしている。そして悟りを非日常的なものではなく、むしろ日常生活全体が悟りの世界たりうると考えるのも禅宗と通じるところである。私はチベット密教の知識が薄弱なため、本書を禅宗の考え方を土台として読んだから、特にそう感じたのかもしれない。

本書を読んでもう一つ感じたのは、「ゾクチェンの教え」による心の働かせ方が、心理療法におけるカウンセラーの心の働かせ方と非常に似通っているということである。例えば「この自然な状態から善や悪、多様な思考の動きがわき起こってきたら、(中略)覚醒を保って、そこにあらわれてくるすべての思考をただ認めてやればいい(p.200)」とか、「嫌悪がわき起こっても、その感情をコントロールしようとしたり、逆にそれにまどわされたりせずに、覚醒したままでいることが必要だ(p.204)」などという心の在り方は、まさにカウンセラーがクライアント(患者)と向かい合うときに必要とされる態度なのである。

「ゾクチェンの教え」には、迷信的に感じられる部分(千里眼とか、超自然的存在の顕現など)も多いのであるが、その心の働かせ方については現代の心理療法と通じているのである。しかもそれは治療法(どうやったら心の病気が治るか)においてではなく、治療者(カウンセラー)の心の持ち方(どうやって患者に向き合うか)においてなのだ。してみると、ゾクチェンとは自分で自分の治療者となる方法ということなのだろうか。

不思議な「ゾクチェンの教え」を垣間見ることができる良書。

【関連文献】
『プロカウンセラーの共感の技術』杉原 保史 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/09/blog-post_20.html
プロのカウンセラーである著者が、相談を受ける立場として身につけたい共感の技術を解説した本。

2019年2月24日日曜日

『石と人間の歴史—地の恵みと文化』蟹澤 聰史 著

世界各地の地質の説明と、それに付随する文化の話。

著者は東北大学名誉教授で地質学を専門とする。本書は、地質学の調査で訪れた各地の見事な景観や地形を紹介することを中心として、それに著者が定年退官してから触れるようになった美術史、歴史学、民俗学、宗教学といった文系学問の話題をちりばめ、地質と文化の繋がりについても述べた本である。

構成としては、概ね古い地質の地域から新しい地質の地域へと進んでいる。日本にはそれほど古い地質がないから、特に原生代と呼ばれる時代のことなどは興味深く読んだ。

「第1部 古い大陸とその周辺の石」では北欧が取り上げられ、「石の国」イギリスについて述べられる。イギリスは地質学を作った国であり、ストーンヘンジだけでなく様々な石の文化があるそうだ。

「第2部 テチス海の石」は「テチス海」を中心として地中海諸国の地質が述べられる。「テチス海」とは、石炭紀に存在した超大陸パンゲアの東にあった海で、パンゲアが分裂すると北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に挟まれた海になり、徐々にその海が狭まってできた名残が今の地中海なのだという。地中海の石の文化というとギリシアとローマの壮大な石造建築物が思い浮かぶ。あれらを育んだ大理石は、テチス海の珊瑚礁によって厚く堆積した石灰岩が変成したものだ。

「第3部 アジアの古い大陸とテチス海の石」では、モンゴル、アンコール遺跡、中国について触れている。アジアの石文化というとアンコール遺跡、中国の万里の長城は当然として、そこにモンゴルが取り上げられていたのが意外だった。モンゴルは後期原生代から新生代にかけての地層や火成岩、変成岩類が複雑に分布していて、地質的に面白いところなんだそうだ。ちなみに中国の能書家として知られる顔真卿が、唐の時代に化石について正しい認識をしていたというのが興味深かった。「滄桑之変(滄海変じて桑田と為す)」とは修辞的な表現ではなく、撫州の刺史(県知事)として彼が赴任した際、近くの麻姑山に巻き貝や二枚貝の殻が見られるのは海底が隆起して山になったためだと考えたことから出来た言葉だという。

「第4部 新しい活動帯の石」では、トルコ、イタリア、日本といった火山国・地震国が取り上げられ、 火山国ならではの特徴的な景観(トルコのカッパドキア、イタリアのヴェスヴィオ火山など)について述べられる。日本は木と紙の文化と言われるが、石造物も意外とあって、例えば城郭の石垣などは技術的にも造形的にも見事だという。日本は地震が多いことと、加工に適した石が少なかったことなどから壮大な石造建築物は発展せず、その代わり小さな石仏など民衆的なものとして石の文化が育まれたという。

「第5部 天から降ってきた石と地の底から昇ってきた石」では、隕石と地球深部から溶岩や凝灰岩中に取り込まれて湧き上がってきた「捕獲石」が取り上げられている。

全体として、地質学に疎い人間でも楽しめるように様々な話題がちりばめられており、飽きない本である。一方、体系的な説明はないので、例えば石の種類がよくわからない私のような人間には、もう少し地質学の説明をして欲しかったという部分もある。

石と人間の歴史について大上段に何かを論じるのではなく、半ばエッセイ風に地質に親しむ本。


『百代の過客—日記にみる日本人』ドナルド・キーン著、金関 寿夫 訳

平安時代から徳川時代までの日本の日記文学を紹介する本。

著者にれば、日記が文学形式として小説や随筆に劣らず重要だと思われている国は日本以外にはないという。有名無名の大勢の日本人が、平安時代から今に至るまで日記を書き続け、しかもそれを日々の記録としてだけでなく文学的鑑賞の対象として捉えてきた。

しかし、この日本人の日記世界を俯瞰するような研究はこれまでになかった。そこで著者はその多くの日記を網羅的に読み、そこに描かれた作者の姿を探るという探求を行った。

ここにはよく知られた著名な日記(少なくとも文学として捉えられている日記)はほぼ全て取り上げられている。平安時代12、鎌倉時代17、室町時代22、徳川時代27の項目が立てられ、1項目に1つ以上の日記が取り上げられている場合があるから80以上の日記が触れられる。もちろんそこには全体の繋がりやバランスを重視した取捨選択がされているとはいえ、近世以前の日記世界を理解するには十分すぎるほどの内容だ。

しかも著者は、これらの日記を(悪い意味で)「文学的に」読むことをしない。かつて日記(だけでなく文学作品全般)は、和漢の典籍からの引用や本歌取り、込み入った修辞技法や古事を踏まえた表現など、華麗な名文を評価する傾向があった。誰に読ませるつもりで書いたわけではない日記でさえ、こうした名文をものそうと推敲を重ねた人は多く、そして実際そのような点が評価もされてきたのである。しかし著者は、そうした表現を作者の教養の高さを表すものとは認めても、むしろ「少なくとも私には、いささかじれったい」(p.240『十六夜日記』への言及)とし、それよりも作者の人間性の発露と呼ぶようなものを厖大な日記から丹念に探っていくのである。

多くの名文とされた日記は、個性的であるよりもいわば「歴史的」であることを目指して書かれていた。例えば多くの旅日記は、旅の様子をありのままに記すのではなく、各地の歌枕を訪ね、古人の歩んだ道、古人の見た風景を「追体験」することに主眼を置いていた。知られていない新鮮な風景や壮大な絶景に心を躍らすよりは、誰もが古典を通じて知っている、そして今となってはさほど情趣のない場所で古い時代の有様を想像する方が、ずっと「文学的」であると思われていたのである。要するに日本人は日記においても、作者個人の感性を表現するより、いかに古事を踏まえたその場に似つかわしい表現を当て嵌めるかということに心を砕いてきたのだ。

しかしそうであっても、やはり日記というものは個人的な性格のものである。古典の知識を引けらかすような形式張った日記でさえ、ふとした拍子に作者の内心がこぼれ出てしまう場合がある。著者はそういった一文を、徹底的に探している。それを著者は「今日私が知る日本人と、いさかでも似通った人間を、過去の著作の中に見いだす喜びのため」に行ったという。

そういう視点であるから、本書は一見すると日記をひたすら紹介するだけの無味乾燥な本と思われるかもしれないが、さにあらず、非常に興味を持ってそれらの作品に接することができる本である。それは著者なりの視点で日記を読み解き、つまらない点はつまらないと明言する一方、興味の引かれる点については遠慮なく詳述しているからで、平坦な文学評論とは全く違い、日記を通じて作者の人間性に触れる工夫が施されている。

さらに、やはり網羅的に日記世界を俯瞰してみると時代によってかなり変遷があり、それを見ることも本書の興味深い点である。例えば平安時代の女性の日記が、その内省的な性格において日記文学の一つの精華となったにも関わらず、宮廷の衰微とともにその伝統が廃れ、鎌倉時代の『竹むきが記』を最後に女性が日記を書くということは約300年も途絶してしまうのである。こうした変遷は、大量に日記を並べてみないと見えてこないことで、本書の面目躍如たるところであろう。

こうして、日記に描かれた(あるいは当然にそこにあったにも関わらず敢えて描かれなかった)ことを通じ、一種の日本人論にまでなっていることが本書の特徴である。個別の日記を知るための事典的な本として読むのも可能だが、ぜひ通読をお薦めする。

本書を読むと、とにかくこの過去の日記を読みたくなること請け合いである。日記文学案内としても最良な上、それに留まらない価値を持っている名著。

2019年2月10日日曜日

『鹿児島古寺巡礼―島津本宗家及び重要家臣団二十三家の由緒寺跡を訪ねる』川田 達也 写真・文、野田 幸敏 系図監修

墓所から見る島津家とその家臣団。

薩摩藩の島津家には、姻戚関係で結ばれた重要家臣団23家があった。本書は、島津本宗家および家臣団といういわば島津一族を体系的に紹介するものである。しかもその手法が変わっていて、由緒寺跡を巡ることで家臣団の世界に入っていく仕掛けになっている。

由緒寺「跡」というのは、鹿児島では廃仏毀釈で全ての寺院が取りつぶされているためで、本書のタイトルは「古寺巡礼」を冠しているが、実際に巡っているのは寺跡、もっと具体的に言えば墓地なのである。よって本書は、墓地を訪れることで往時の島津家・家臣団を偲ぶというものだ。

墓地を訪れるといっても、著者はただ墓参りをするわけではない。墓地に残された遺物から歴史を読み解くだけでなく、石塔や石積み、石仏や仁王像といった今に残されたものの美を感じ、端正な写真によってそれを表現した。本書はテキスト部分だけ見ると島津一族の歴史を紹介する本なのであるが、写真部分は古寺跡の美しさ・奥深さを伝えるものとなっており、墓所という具体的なモノを通じて島津一族を縦覧できる稀有な本である。

しかも著者の視点が清新なのは、廃仏毀釈に対する姿勢である。廃仏毀釈を嘆き糾弾する人は多いのだが、 実際に破壊された寺跡を大事にしようとする人は少なく、多くの廃寺跡が顧みられることもないまま、朽ち果てつつある。それはいわば「現在進行中の廃仏毀釈」なのだという。地域の人や子孫によって細々と維持管理されているところもあるが、それもこれから先どうなっていくか分からない。

そうしたことから、「廃仏毀釈を批判し、その悲惨さを伝えるためでは」なく、「少しでも多くの人が鹿児島にあった古寺や歴史に興味を持ち、さらには現地を訪れて」ほしいとの願いで本書は書かれている(本書まえがきより)。そしてその言葉通り、本書には全ての由緒寺跡の詳細な地図がついており、廃寺跡の見方・見どころもしばしば案内されている。例えば、「これほど大きな石仏が無傷で残っているのは奇跡と言ってよい」(真如院)、「自然の中に溶け込み始めた墓塔が、わびしくも美しい風景を作り出している」(長善寺)など。本書を読めば、廃寺跡での歴史の謎解きと写真撮影に繰り出したくなるだろう。

なお、著者がまだ30代というのも本書の驚くべき点である。著者の廃寺跡巡りの目的意識を考えると、そのスコープは島津一族だけに限らないはずであり、鹿児島にまだまだある名刹跡を取り上げた次回作を期待したい。

廃寺跡を通じて鹿児島の歴史や島津一族を知ることができる、新しい視点の歴史歩きの本。