プロのカウンセラーである著者が、相談を受ける立場として身につけたい共感の技術を解説した本。
共感とは、人の気持ちと同じ気持ちになることだとか、あるいは人の気持ちをぴたりと言い当てることだ、と誤解されているという。そうではなく、共感とは個人と個人の境界線が曖昧になり、互いに影響し合う「プロセス」のことだと著者は定義する。私なりの言葉で言えば、共感とは、頭の中に存在している状態(例えばAさんのいうことはよくわかるなあ、というような気持ち)のことではなく、個人が相互作用する「場」のことなのだろうと理解した。
そのような共感の場をつくりだすためにはどうしたらよいか。著者はその第一歩は「自分が感じたことを素直に認識し、それを放っておく(離れる)こと」だという。もちろん、相手のいうことを真摯に聞くということも大事である。でもそれ以前に、相手の話を聞いている「自分」が感じたこと、それに注意を向けることが重要で、そこに性急な価値判断をせずに、とりあえず「そう感じた」という事実だけを認識していく。
人の相談話を聞いていると、なにかうまいことを言ってやろうとか思うものであるし、つい自分の意見を言ってしまいたくなる。というか、相談を求められているわけだから、自分の意見を言わないといけない、くらいに思うのが普通だ。が、著者によれば、少なくとも共感の場をつくりだすということにおいては、そういう「自分の視点」からまず離れる必要がある。自分を中心に考えるのではなく、相手の仕草、そぶり、声の調子、そして話の内容、そういったものをしっかりと感じ、同時にそこから自分が感じているものを認識できるようになれば、自然と相手の立場でものを考えられるようになり、いつのまにか共感のプロセスに入ってけるのだという。
本書には、自分の感じたことを認識することがどうして共感に繋がるのかという理論的な説明はない。しかしプロのカウンセラーとしての実践に基づいているため、実際は非常に説得的である。
他の部分でも、「そういう考え方があったのかー!」というような目からウロコみたいな内容はないが、著者の豊富な実践に裏打ちされているものであるだけに、説得力と深みのある議論が展開されている。
正直なことをいうと、私は人の話を「共感的に」聞くのが下手であり、どうも知に傾いたような聞き方をすることが多い。あまり批判的ではない方だと思うが、分析的というか「この人はこういう考え方をする人なんだな」みたいに聞いてしまうことが多く、どうしてもそこに個人と個人の境界線を截然と引くような態度があると思う。本書を読むと、そいう態度自体は悪くないどころか、むしろ共感できないことを認識するのは共感の第一歩だ、ということで安心したのだが、そこで留まっていては結局相談者の力になるのは難しい。より深く人の心を理解し、また相談者自らの変化を催すためには、どうしても共感するというところまで認識を深めないといけない。
本書の内容の約半分は、そういう「認識の深め方」の指南とでもいうべきもので(本書においてこういう言葉が使われているわけではない)、これはカウンセリングのやり方そのものの解説ではないが、日常生活における相談事への対処には十分に活用できるようなハウツーになっている。認識を深めていくためには、自分が注意深い観察者になるだけでは不十分で、結局は相手が心を開いて話してくれなくてはならないわけだから、その基礎に共感の技術が必要になってくるのである。
人は、共感してくれる話し手がいるときは、自分でも思ってもみなかったような言葉が出てくるものである。というのは、心の奥底の自分にとって大事な部分は、実はとても曖昧かつ複雑であり、容易には言語化できないようなもので、「話を聴いている人の反応によってもかなりの部分が形成されてくる類のもの」だからだ。それが「表層に掘り起こされたときにとった具体的な形は、話し手と聴き手の共同作品と言ってもいいほどのもの」だと著者は言う。つまり、心の奥底に閉じ込めていた気持ちは一人では取り出せないのである。共感して聴いてくれる誰かがいなくては、それはずっと謎のままなのだ。
このように、共感する技術というのは、「うんうん、その話分かるよー」とただ相づちを打つ技術ではなく、相手の心の深い部分に触れるために必要な技術なのである。
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