2014年12月18日木曜日

『生活の世界歴史(8) 王権と貴族の宴』金澤 誠 著

16世紀から18世紀、フランス革命に向かって進む時代に生きた人びとを描く本。

本書も他の「生活の世界歴史」シリーズの本がそうであるように、歴史自体を語る本というよりは、歴史の中に生きる人びとを描く本である。年表的な歴史についてはごく簡略にしか述べられないので、フランス革命の概略は前提知識として知っておく必要がある。

舞台は大体3つに分けられる。まずは絶対王政の完成までである。次にフランス革命、そして最後にフランス革命に直面した王族たち。

絶対王政の成立の背景には、売官制があったというのが面白い。つまり官僚の地位を金で買えたのである。旧貴族が没落する中で新興の成金が現れ、しかも教養を身につけた彼らは官職すらも金で買うようになっていく。一見これは行政機構の腐敗に見えるのだが、旧い価値観を持つ貴族が排されて、清新な思想を持つ新興階級(ジャンティヨム)が勃興してくることはフランスの行政を動かす力の一つにもなった。

この新興階級は新しい時代の貴族としてやがて民衆と結託するようになる。そして様々な思想のゆりかごにもなるのである。その象徴の一つがサロン文化だ。サロンは女主人が切り盛りする一種の社交サークルであり、そこでは文学と芸術が語られ、貴族たちが風流を競い合った。しかしそれはただの風流合戦ではなく、そこで科学主義(デカルト、パスカルなど)が育ち、また政権への鋭い批判が論ぜられていくのである。

新しい時代の思想が百家争鳴する中で、旧態依然の宮廷との対決は鮮明になっていく。そして遂に起こったのがフロンドの乱だ。新貴族と民衆が王権に挑戦したのである。だがこれはあえなく失敗に終わる。そして再度権力を掌握した宮廷は、絶対王政を敷くことになる。

絶対王政は、フランスの宮廷文化の最後の仇花であった。そこからフランス革命まではもう一歩である。そして著者の筆は、この最後の仇花の中で生きた貴族たちの人生を鮮やかに活写する。恋に生き、哲学に生き、現実と妥協し、理想を追求し、栄達を極める。悲喜こもごもの人間模様だ。いきおい著者の筆は、歴史を語るそれよりも、文学のそれに靡いていく。それもやむなし、と思う。語るべきことは人生の襞の中にある。文飾、いや虚飾によってしか語れぬ世界を、著者は語ろうとするのである。

最後のフランス革命に直面した王族たちの話は、ちょっととってつけたようなところがある。だが、ルイ17世の逸話は面白い。ルイ17世が、密かに幽閉先から運び出されたのではないか、というのはフランス革命の最後を彩る謎である。もちろん、その謎は歴史のダイナミズムには関係ない謎である。だがそういう逸話によってしか、語られない歴史があるのだろう。

歴史というより文学的な、フランス革命を語る好著。

2014年12月6日土曜日

『発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 』ジェイン・ジェイコブス 著、 中村 達也 翻訳

都市の発展と衰退のダイナミズムを説明する本。

著者のジェイン・ジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』で著名な都市の経済論の論客である。彼女は経済学者ではなくジャーナリストであったので、その筆は理論的というよりも経験主義的で、その主張は厳密でもない。しっかり定義せずに新出概念を提示するあたりは、ちょっと学問的に脇が甘い感じがする。

だが一方で、既存の経済学が見落としていた「都市を基本単位に据えた経済」というものを鮮やかに描くのは爽快である。国を単位に経済を見れば、統計などの面で対象を厳密に扱うことができ学問的にはなるけれども、経済のダイナミズムを解明するという点ではあまりにその解像度が低すぎて、どうして経済は成長する(できる)のかという基本的なことすらもよく分からない有様なのである。

本書では、都市を経済の単位に見て、経済成長のダイナミズムの中心を「輸入置換」という現象に置く。これは、これまで他の都市から輸入されていた財を、自ら生産するようになること、つまり輸入品を地場品で置換することである。これによって、これまで輸入に当てられていた資本を他の輸入品に振り向けることもでき、より重要なことに置換品の生産のための雇用も生まれるのである。

都市が発展していくためには、この「輸入置換」が次々に起こっていく必要がある。さもなければ、その「都市」は僅かな特産品のみを生産するだけの地域になってしまい、情勢の変化などに脆くなり、発展の道がなくなるからである。

では、この「輸入置換」が起こるためにはどうしたらよいのだろうか? 著者は、そのためには「インプロヴィゼーション」が必要だという。「インプロヴィゼーション」とは、即興的な工夫とでも言えばいいだろうか。先進都市から輸入されている物品は、発展途上にある都市にとっては高度すぎることが多く、自前でそのものを作ることは難しい。またそのための設備や材料も乏しいだろう。だから、あり合わせのものでなんとかする必要がある。この「あり合わせのものでなんとかする」のがインプロヴィゼーションである。

これをもっと乱暴にまとめてしまうと、経済発展の原動力は広い意味での「創造性」にあるといえるだろう。本書ではここまで乱暴にはまとめない。経済発展は個人の才覚だけの問題ではないことも示す。しかし大きく見れば、経済が活性化するということは、創造性ある事業家が様々な事業を地域内で興していくこと以外にはない、というのが著者の見解であるようだ。

後半は、逆に都市の衰退のダイナミズムについて述べる。都市に衰退をもたらすものの第一に掲げられているのは為替変動の間違ったフィードバックである。マクロ経済学では、ある国家の競争力が落ちてきたらその国家の通貨の価値が下がり、輸出がしやすくなることによって競争力を取り戻すというフィードバック機構がある、とされている。しかし著者によればこの仕組みはうまく働かない。

なぜなら、通貨は国家を単位にして流通しているが、経済の実態は都市が単位だからである。ある為替水準は、ある都市にとっては高すぎ、ある都市にとっては低すぎる。円安になると喜ぶ企業もあれば、いやがる企業もある。つまりいくら為替変動というフィードバック機構があっても、それは都市という単位ではさほど有益なものではないということである。

そしてひとたび衰退が始まると、それは坂を転げ落ちるように進んでしまい、挽回が難しい。競争力を取り戻すための現実的な処方箋は、ほとんどないようである。ただ、衰退を遅らせることはできる。それが著者のいう「衰退の取引」というもので、こういう取引が行われるようになることは衰退の象徴でもあり、また衰退しているさなかではやむを得ないものでもあり、しかもある面では衰退をさらに進めてしまうものでもある。

それは、軍需産業への依存、後進国への輸出に頼ること、また補助金に頼った取引である。これらは詰まるところ、都市に必要な創造性を発揮させる機会を減らし、経済を単調なものにしてしまうのである。だがしかし、これらを続けている間はある程度経済を回すことができる。だから衰退の過程にある都市(または国家)は、こうした取引を続けていくことになる。そしてこれらの取引への依存度がどんどん高まってしまい、経済は後戻りできないほど衰退していくのだという。

著者が提示する、この衰退の過程を回避する空想的な解決策は、都市ごとに通貨を独立させることである。そうすれば為替変動により適切なフィードバックが働き、都市は競争力を取り戻せるかもしれない、という。この思考実験は、まだまだ多くの検証が必要だと思う。それにいくらこの方法が有効だとしても、現実的な問題(例えば九州と本州で異なる通貨にするということだけでも、クリアすべき障壁が膨大にある)のために実現はできないだろう。

にしても、都市を単位に経済のダイナミズムを考えるという本書の視点は有効である。どうやって都市に経済発展を起こせるか、というところまでは踏み込んでいないが、そのヒントがたくさん詰まっている良書。