2013年3月23日土曜日

『石敢當』 小玉 正任著

沖縄及び鹿児島において、丁字路のつきあたりなどで見かける除災の石塔である「石敢當(セキカントウ、イシガントウ等いろいろな読み方がある)」について、その由来の文献調査を行った本。

石敢當の由来として、「中国五代の勇士の名」が挙げられることが多いのだが、本書の主要目的はこの俗説を完膚無きまでに否定することである。このため著者は多くの漢書典籍に当たり、こうした俗説がなぜ生じたのかを丹念に追う。

結論としては次のようにまとめられる。
  • 俗説の典拠を遡ると、『序氏筆精』が引用する『姓源珠璣』に行き着く(共に明代の書)。
  • しかし、『姓源珠璣』の原文にあたってみると、似たような話は書かれているが俗説の典拠となる部分はない。
  • どうやらその部分は『序氏筆精』の著者が引用にあたって勝手に付け加えた部分らしい。名のある学者がどうしてそのように改変して引用したのか不明。
  • というわけで、俗説が広まったきっかけとして『姓源珠璣』が挙げられることがあるがそれは間違いで、本当の犯人は『序氏筆精』なのである。
とまあ、このまとめを読んだだけでも分かるように、非常にマニアックな内容であるし、たったこれだけのことを何十ページもかけて論証するということで、石敢當に興味を持つものにとっても退屈な本であり、本というより研究ノート的な存在である。

ただ面白いのは著者の小玉さんで、この人は官僚出身で、沖縄開発事務次官にまでなった人。国立公文書館の館長も務めており、本書で漢書典籍の原文を縦横に渉猟するのは、公文書館での仕事(人脈)が活かされた結果でもある。小玉さんが石敢當に興味を持ったのは沖縄出張中に目にしたことをきっかけとしており、役人稼業の傍らで地道な研究を続けたらしい。その結果は、本書と、更に網羅的に研究を纏めた『日本の石敢当―民俗信仰』に結実している(未読)。

ちなみに、現代の代表的な石敢當研究者はもう一人いて(もう一人しかいなくて)久永元利さんというが、この人も学者ではなく趣味でフィールドワークをしている方である。こうした在野の人が主要な研究者というのは、石敢當というやっかいな習俗は、安定的に業績を出さなくてはならない大学所属の研究者としては難しいテーマだからなのだろうか。

ともかく、石敢當は在野の研究者が中心というニッチな研究領域であり、基本的な事実を積み上げることは重要なことなので、読んで面白いものではないが意義のある本。

2013年3月2日土曜日

『薩摩塔の時空―異形の石塔をさぐる』井形 進 著

薩摩塔の時空―異形の石塔をさぐる (花乱社選書)
近年研究が進みつつある「薩摩塔」について、著者の体験も交えつつ紹介する本。

「薩摩塔」とは、九州西岸に数十基が確認されているに過ぎない非常にレアな石塔で、中世に中国から渡来した商人が造立したのではないかと考えられている。

この石塔、数が少ないのは勿論のことその形も変わっていて、壺型の本体に仏が彫り込まれている。そして、どこの誰が、どんな目的で作ったのかも分かっていないという研究途上の石造物である。

それが、いろいろなきっかけがあったことで、著者も含め数人が平行して研究に着手し始め、2000年代に入って急速に研究が進んできた。そして、ある程度その研究にまとまりが見えてきたので、その成果をまとめておこうというのが本書執筆の動機だ。

その内容はどうかというと、研究内容の紹介以上に、著者の薩摩塔のフィールドワークの記録(いついつどこそこに行って○○を見た)が多く、正直ここまで書く必要はなかったのではないかと思う。だが、著者が一歩一歩研究を進めていく様をドラマ的に追いたい向きにはよいと思われるので、これは好みの問題かもしれない。

ところで、本書によって「薩摩塔とは何か」が分かるかというと、そこまでは研究が進んでいないというのが率直なところではないかと思う。著者の考えでは、塔の造立には神仙思想もしくは道教が関係しているのではということだが、まだまだ茫漠としている。今後研究がさらに進むことが期待されるテーマなので、もう少しまとまってからさらに執筆してもらいたい。

『日宋貿易と「硫黄の道」』山内 晋次 著

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)
日宋貿易において日本からの重要な輸出品だった(と思われる)硫黄について、その貿易の実態を探る本。

日宋貿易と言えば、日本からは金が輸出されていたというが、量的には硫黄の方が大きいのでは? というところから、資料に残された硫黄貿易の記録を辿り、東アジアにおいて10世紀末から16世紀ごろまで硫黄貿易のネットワークが広がっていたことを推論し、それを「硫黄の道」と名付ける。

そもそも硫黄貿易に関する記録は少なく、論拠する資料が限定的にならざるを得ない。正直、「それだけしかないのか」というのが感想だ。そのため、当時硫黄貿易が盛んに行われていたこと自体は事実らしくても、定量的な話は今のところ一切できないし、具体的にどのような船でどのような人々が硫黄を扱っていたのかもよく分からない。

とはいえ、そのあたりの研究もないわけではないのだから、もう少し紹介したほうが親切だと感じた。800円(税別)もするにしては内容が薄い(87ページしかない)と言わざるを得ないが、硫黄貿易の研究は始まったばかりで、このように纏められたのは最初と思うのでその点は大いに評価したい。

『美の幾何学―天のたくらみ、人のたくみ』伏見 康治、安野 光雅、中村 義作 著

美の幾何学―天のたくらみ、人のたくみ (ハヤカワ文庫 NF 370 〈数理を愉しむ〉シリーズ)
伏見 康治、安野 光雅、中村 義作の三人が、対称性をテーマにして幾何学について語る本。

特に「美の幾何学」というものがあるわけではなく、これはキャッチフレーズ的につけているだけで、中身は三人が「これもきれい、あれもきれい」と語り合う内容。

私は本書が「幾何学における美の構造を探る」的なものかと思っていたのでかなり期待はずれな部分があった。さらに、取り扱っている内容もサワリだけをちょっと紹介して終わり、というようなものが多く、正直もう少しそれぞれの題材についてテーマを深めるべきだと思ったし、そのために鼎談の内容を大胆に編集する必要があったと思う(結構、とりとめもなくしゃべっている感じがする)。

ただ、対称性の幾何学のサワリを垣間見る、というだけなら悪い本ではない。特に内容があるわけではないが、ふーん、と眺めるにはちょうどよい本。

2012年12月18日火曜日

『孔子』 貝塚 茂樹 著

孔子の人生、そして彼が生きた時代について概観する本。

本書を手に取ったのは、孔子について知りたいというよりは、孔子について貝塚先生がどう料理しているのだろう? という興味からだった。

まず感想としては、中国古典時代の碩学らしい重厚な背景知識を感じさせながらも、冗長になることなく簡潔にまとめられているな、というところ。だが、少し物足りないところもある。著者本人が後書きで述べているように、前半生を描くことに力をかけすぎて、大勢の弟子を引き連れていた後半生についてはかなりあっさり目な記述になっている。

しかも、なぜか後半では前半の記述の繰り返し的なものが散見され、短い本なのに力尽きたのかなあと感じさせられた。

また一方で、史実に基づき理想化しない孔子を描きたいという気持ちがあるものの、やはり著者自身が孔子に尊崇の念を抱いているためか、思いがやや上滑りしているような記載も見受けられる。気になる程ではないが、全体がフラットに描かれているので、もう少し距離を置いた書き方でもいいのではないかと感じた。

とはいうものの、孔子という人間を生んだ時代についての解説としては、教科書的な本で安定感はある。すごく面白いというものではないし、何かが分かった気になるような本でもないが、基礎的な知識を仕入れる本としては申し分ない。

2012年10月27日土曜日

『生活の世界歴史(5) インドの顔』 辛島 昇、奈良 康明 著

インドというつかみ所のない国を、「多様と統一」「本音と建前」というキーワードを用いながらその横顔を紹介する本。

この本は「生活の世界歴史」のシリーズに入っているが、ほとんど歴史的なことは語られない。それに、インド民衆の生活の変遷(例えば、カースト制の変遷など)を知りたいという人にも役に立たない。インドの民衆がかつてどうであったか、ということは資料があまりにも限定されていて、実際のところよくわからないそうだ。

というのも、インドにおいては書記階級はずっとバラモンであったので、バラモンの目からだけの「建前」の世界が記述されてきた。しかし実際とは食い違いがあったようで、その実態は茫洋としている。カースト制度も、実は本音と建前が入り乱れていて、その運用は複雑怪奇なのである。

ただ、現在のインドの姿の紹介は非常に丁寧で、インドに在住していた著者達ならではの実感のこもった記述が溢れている。一般の日本人にとってあまりイメージがないインド民衆の衣食住について、このように整理・紹介してくれる本は稀有である。

また、インドというと「とにかく多様な国だ」、と語られがちなのであるが、本書では多様な民俗や言語を包容するインド亜大陸が、どのように「インド」として統一されているかを説明する。それを乱暴に要約すれば、ヒンドゥーとカースト制(この2つは不可分であるが)による社会の規定が、良くも悪くもインドを統一しているのだ、となる。それが妥当な見解なのか私にはよくわからないが、ナルホドと唸らされる説明ぶりである。

本書は、インドの文化論としては論旨が明快で説得力があり、バランスの取れたものであると思う。とはいえ、文化論を謳っているわけではないから、その記述は体系的でないし、あくまでインド文化の軽い紹介のレベルに留められている。それは少し残念だが、そのためもあってか語り口は平易で、読みやすい。

「生活の世界歴史」の本なのかというのが疑問ではあるが、良書だと思う。

2012年10月1日月曜日

『日本神話の源流』 吉田 敦彦 著

日本神話と類似の構造やストーリーを有する南洋、江南、印欧神話を紹介する本。

日本神話が大陸および南洋(ポリネシア等)から様々な影響を受けて成立したことはよく指摘されるとおりで、特に海幸彦・山幸彦の釣り針喪失譚などはポリネシアにも類似の神話が多数散見されるなど、神話の分布の様相は人類史的にも興味深いテーマである。

しかし、釣り針喪失譚についてはよく指摘されるもののそれを体系的に述べた本は実はあまりなく、本書においてもつまみ食い的に紹介されるに過ぎない。著者は印欧神話の比較神話学の大家ジョルジュ・デュメジルに師事しており、その専門は印欧神話、特にギリシア神話なのでこれはしょうがない面がある。

つまり、印欧神話との比較の部分以外は著者にとっても専門外であるため、少し物足りない部分もあるのは否めない。しかしながら、むしろ本書の面白さは、バリバリの日本神話の学者ではなく、印欧神話を中心にした比較神話学者が日本神話を見るとどう映るか、という点にある。

正直、その見解は「こうとも考えられる」「これはあれと似ていなくもない」のような憶測に頼った弱い面が散見され、説得力は強くない。私自身は、著者の見解にはかなり懐疑的だ。 とはいうものの、日本神話がこうして様々な地域の神話との比較を受けるという機会はあまりないので、その意味では貴重な本だと思うし、憶測が多いとは言っても著者は学術的スタンスを崩さないので安心して読める。

著者が一貫してその主張を支持した民俗学者の大林太良や松本信広の本も読んでみたいと思った。