連作短編集。
主人公(夏之)は、恒子という女性が飼っていたタマという猫を押し付けられる。夏之に猫を押し付けたのは恒子の異父弟のアレクサンドル(これはAV男優としての芸名である)だ。
恒子は、妊娠したために猫が飼えなくなった、という。主人公は恒子と関係を持ったことがあった。自分の子ではないと思うが、全くの他人事でもない状態。そこへ、恒子にぞっこん惚れている冬彦が登場。冬彦は、恒子のおなかの中の子は自分の子であると思っているが、恒子の行方が分からなくなって、弟のアレクサンドルを頼ってやってきたのである。当時は携帯電話もない時代なので、簡単には連絡がつかない。アレクサンドルは住所不定の男である。なんだかんだあり、夏之の下にアレクサンドルと冬彦が転がり込んで、奇妙な同居生活が始まる。
本書のテーマは、「身持ちの悪い女に翻弄される男」である。恒子はいろんな男と関係しており、そのうちの何人かは認知を迫られて手切れ金を渡したようである。また冬彦は最初気づかなかったのだが、実は夏之と冬彦は異父兄弟だった。彼らの母親も身持ちが悪く、3回結婚していた。
そんな男たちの中、タマは超然と子猫を出産し、子育てにいそしむ。その父親は誰なのか? そんなことは誰も気にしない。この対比が小説にスパイスを加えている。
私には、この連作小説の筋が、少し構図的というか、しつらえ過ぎのように感じる。いかにも「ピースがはまっている感じ」なのだ。でも人によっては、それが心地よいと感じるかもしれない。良くも悪くも計算された筋である。
だが、それをわざとらしいと感じるとしても、この小説はめっぽう面白い。
第1に、文体が素晴らしい。ほとんど句点がなく、会話文に全く括弧が使われないウネウネと続いていく源氏物語のような文体は読んでいてうっとりする。大変凝った文体であるが、すべてが「ぼく」の独白なのでわざとらしい文学的表現などは使用されず、かといって平板でもない。絶妙なバランスだ。
第2に、随所にちりばめられた文学作品へのオマージュが気持ちいい。一見してわかる通り「タマや」は内田百閒の「ノラや」へのオマージュであり、短編の表題も(解説でわかったが) 文学作品のオマージュとなっている。本文の中にも、文学作品を踏まえているのではないかと思う部分がしばしばあった。ちょっとジョイスの『ユリシーズ』を思わせる仕掛けである。
第3に、キャラクターがいい。自分勝手なのになんだか憎めないアレクサンドルと、頭がいいはずなのにどこか抜けている冬彦の組み合わせはいかにも凸凹コンビで面白い。そこへインテリぶってはいるが流されやすい夏之が加わって、なんだか青春ドラマのような3人の関係ができあがる。悪人も善人もない、複雑な人物造形が素晴らしい。
「身持ちの悪い女に翻弄される男」というテーマは今となっては少し時代遅れに感じるが、小説技法というか文学表現は第一級だ。こういう小説は一気読みではなく、毎日少しずつ読みたい。
文学へのオマージュと美文に身をゆだねられる傑作。
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