天狗党とは、水戸藩の尊皇攘夷派のことである。よく知られているとおり、幕末、水戸藩には「水戸学」と呼ばれる国粋主義的な歴史学・政治哲学が生まれた。水戸学は、国学と合流し、尊王攘夷・倒幕運動の原動力になっていく。
徳川斉昭の擁立にも成功した天狗党は水戸藩政を一度は牛耳るが、安政の大獄によって弾圧され、佐幕の保守派(諸生党)の方が藩政の主導権を握るようになる。こうして藩政から遠ざけられた天狗党は、藩の首脳部はもちろん、攘夷を約束しながらいっこうにそれを実施しない政府にも不満を抱き、その一部が一種の示威行動として挙兵する。
ところが、この無謀な、というよりも本来は単なるデモンストレーションだった行動が、不思議な運命の悪戯によって、同調するつもりがなかった他の天狗党の面々をも巻き込んで一大内戦へと発展していく。幕末明治にかけて、時の政府に対抗して起こされた戦争は数多いが、純然たる藩内の内戦と呼べるものはこの「天狗党の乱」が唯一である。
しかも、この内戦は日本の歴史を通じて稀に見るほどの殲滅戦であった。水戸藩は、天狗党、諸生党の両派が親類縁者まで互いに殺し尽くして人材が払底した。明治政府の成立に果たした水戸藩の役割は決して小さくなかったにもかかわらず、結局政府に高官を輩出することがなかったのはこのためである。水戸藩の自滅を招いた戦い、それが「天狗党の乱」であった。
本書は、この内戦のうち、追い詰められた天狗党が、天皇と将軍徳川慶喜(水戸藩主徳川慶篤の弟にあたる)へ申し開きを行うため京都へ行軍したことを題材とした小説である。
天狗党約千人は、無用な戦を避けるために大変な難路を進んだ。例えば、真冬にもかかわらず軽装で登山して峠を越え、食料補給はその場しのぎだった。この行軍は甘い見込しかもたず、全く無計画的であったが、超人的な努力と、多くの人命を犠牲にして行われる。天皇と将軍は、きっと天狗党の衷心を理解してくれるだろう、という希望的観測だけを頼りにして。
この無謀な行軍には、諸生党の首魁級の係累である二人の美しい女性が、人質として同行させられていた。本書の小説的な中心は、この女性二人をめぐって若い主人公たちが揺れ動く模様であり、これはおそらく創作であるが非常に面白く読んだ。
ところで、天狗党の乱を書こうと思えば、どうしても水戸学や尊王攘夷運動ということを説明せずにはおれないはずなのに、実は本書にはそういうくだくだしい説明は一切ない。そういう背景は、何となく既知のものであるかのように端折って、すぐさま本題に入っていくその手法が、小説として大変うまくできている。
いや、実際のところ、天狗党にしろ諸生党にしろ、その元は思想闘争だったかもしれないが、挙兵直後から尊王とか攘夷といったことはどこかへ吹っ飛んでしまったようなのだ。例えば、戦後処理では、勝者である諸生党は天狗党を一気に352人も(!)死刑にする。その上、妻子までも斬首や永牢という重刑を加える。これなどは、戦国時代はいざ知らず、近世社会においては例を見ない凄まじいものである。これが「思想」闘争の結果と言えるか。
さらに、倒幕が進んで佐幕派の諸生党が没落し、天狗党の残党が息を吹き返すと、今度は彼らが諸生党の大粛清に乗り出す。その中心となったのが武田金次郎(天狗党の首謀者の一人武田耕雲斎の孫)であるが、彼は天狗党の乱で親類縁者が斬殺された復讐のため、修羅の道に入ってしまった人物だ。本書は、なぜ武田金次郎は修羅にならなければならなかったのか、を説明したものといえるかもしれない。そしてそれは、尊王攘夷のような思想には関係がなかった。
思想ではなく、血の応酬が本質だったのだ。
血の応酬であるがために、諸生党と天狗党は、お互いを滅ぼし尽くさずにはおれなかった。彼らのように、佐幕開国と尊王攘夷が藩論を二分した藩は多いが、その対立が内戦まで行き着いたのは水戸藩だけであり、その厖大なエネルギーの無駄遣いによって自滅した藩も水戸藩以外にない。
ところが本書の筋立てでは、この、傍から見ると狂っているようにしか見えない水戸藩が、実際には少数の過激派を除いてそれなりに穏当な道を選ぼうとしているのだ。しかし結果的には、水戸藩は破滅への道をひた走っていた。水戸藩が内戦まで行き着いた原因は、水戸の風土や思想、気質ではなく、混乱の時代の巡り合わせに過ぎなかった、と作者は考えているようだ。それが当を得たものなのか、私には判断できない。しかし、その内実、戦乱に参加したものの心理の描き方は非常にリアルに感じた。
「天狗党の乱」を通じ、対立がエスカレートして自滅まで至る人びとの愚かさを描いた傑作。
【関連書籍の読書メモ】
『フランス・ルネサンスの人々』渡辺 一夫 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/06/blog-post.html
フランスでルネサンス期に生きた12人の小伝。争いや失敗を避けることは十分可能なのに、破滅へと猛スピードで進んでしまう危険性に目を向けさせる本。※天狗党の乱とはもちろん無関係。
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