シューマンは、若い頃に文学の道に進むか迷ったほど文筆にも秀でていた。結局彼は音楽の道に進んだが、1833年のライプツィヒで、仲間たちと音楽の行く末を論じているうちに、「進んで事態を改善し、芸術のポエジーの栄誉をもう一度取り戻そうではないか」と新しい雑誌を創刊することになった。
それが「音楽新報」という雑誌であった。シューマンはいろいろな事情から、やがてこの雑誌の編集長的な立場として筆を振るうことになる。本書は、「音楽新報」が活動していた約10年間の、シューマンが執筆した諸編の抄訳である。
当時、「ロマン派」と呼ばれる新しい音楽が続々と発表されていたが、その音楽の真価は十分に理解されていなかった。シューマンらは、それらに対する時に攻撃的なまでの擁護を雑誌上で行った。
「音楽新報」の言論の価値は、次のようにまとめられる。
- ベートーヴェン崇拝を確立したこと。
- シューベルトの世界を再発見したこと。
- ショパンを天才と認めて多くの作品を取り上げたこと。
- ベルリオーズを強力に擁護し、ドイツ楽壇に紹介したこと。
- メンデルスゾーンの新古典主義的な作曲を積極的に評価したこと。
- J.S.バッハ(特に『平均律』)の価値を最大限に喧伝したこと。
- ブラームスを歓迎したこと。
これらは全て、現在の音楽史では完全に正統的な評価である。というよりも、シューマンの価値判断が、間違いなく「定評」を作ったのである。
第一級の音楽家であったシューマンが、当時の第一級の音楽家のことを理解できたのは当然として、実はその文章の方もロマン派まっただ中の時代の雰囲気を感じてなかなか面白い。シューマンはジャン・パウルに傾倒していたそうで、ところどころにその言及もある(とはいえ、ジャン・パウルに比べると文章は断然まとまっている(笑))。
また、中期以降は硬派な評論になっていくが、初期の方は架空のキャラ=フロレスタンとオイゼビウス、ラロー先生の語りになっており、音楽評論としてはやや冗長であるが青年の遊び心(なのか、双極性障害のような人格分裂なのか?)が読んでいて楽しい。ただし、このやり方は結局何が言いたいのか煙に巻かれているような部分もある。やはり署名記事の方が価値は高い。
ところで、本書は音楽評論家として著名な吉田秀和の初めての本である。吉田は、この本を訳している時は内務省地方局庶務係に勤務していて、勤務時間中に堂々と本を広げて翻訳をしたらしい。戦争中の昭和16年にそんなフマジメが許されたというのが不思議である。今だったら懲戒解雇ものだろう。
ロマン派の歴史を、音楽作品でだけでなく文筆によっても作ったシューマンの評論。
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