2022年4月10日日曜日

『神仏分離を問い直す』神仏分離150年シンポジウム実行委員会 編

山口大学で行われた「神仏分離150年シンポジウム」のまとめ。

本書は、基調講演と3つの発表、短い特別寄稿、討議、そして総括で構成されるものである。

基調講演「明治初期の宗教政策と国家神道の形成 神仏分離を中心に(島薗 進)」では、安丸良夫『神々の明治維新』を援用しつつ、神仏分離政策が概観される。秋葉山では僧侶と修験と禰宜が争い、小国重友という国学者が来て僧侶を追い出した、という話が興味深かった。

発題1「中世における神仏習合の世界観(真木 隆行)」では、まず仏教の世界観と神道の世界観・時間観を比較し、神仏習合が王権をどう支えたのかが述べられる。特に袈裟を着て描かれる後醍醐天皇の肖像画(清浄光寺蔵)が「大日如来と天皇との一体化が観念(p.69)」されているという指摘にハッとさせられた。

発題2「近世史研究からみた神仏分離(上野大輔)」では、安丸良夫を中心とする先行研究を整理し、改めて神仏分離を見直してみるべきであると呼びかけている。最近の研究の動向を踏まえ、仏教排斥というかつてのやや一面的な捉え方を修正し、どうして神仏分離や廃仏毀釈が起こったのかをより細かい解像度で見ることを提案した本書中の白眉である。

発題3「現代の宗教者から捉えなおす神仏分離と宗教的寛容(木村延崇(曹洞宗の僧侶))」では、長州藩の維新前の廃仏毀釈が事例紹介され、薩摩における徹底的な廃仏毀釈と比較される。また節句が新暦になって実態と乖離したことや日本人の自然観などが語られ宗教的寛容と繋げられている。

特別寄稿「狂言と神仏習合(稲田秀雄)」では、山伏狂言「梟」を中心に、狂言の中で山伏が何に祈るかを述べ、神仏習合の事例としている。

討議では、長州藩における状況をケーススタディとしながら、神仏分離政策を改めて振り返り、また会場からの質問に答えている。長州藩は西本願寺と関係が深かったことから、結果的には神仏分離政策を貫徹せず、むしろそれを抑制する方向で働いた。なお長州藩では、幕末には僧侶からなる隊が20以上あり、多くの寺院が軍事基地となっていた。寺院と軍事の結びつきはあまり指摘されていないが、より詳しく知りたくなった。

総括「神仏分離をどう考えるか(池田勇太)」では、「明治維新以前が神仏習合で、維新によって神仏分離した、というほど単純な話ではない(p.178)」とし、シンポジウムの内容を受けて、神仏分離を反仏教政策としてだけ見るのではなく、武家支配の解体や世俗化(脱宗教化:フランス革命時の反キリスト教政策との類似を挙げている)の影響など、より広い視野で捉えようと試みている。

全体として、本書はかなりコンパクトで2〜3時間あれば読めてしまうものであるが、安丸良夫や圭室文雄などの古典的な神仏分離研究を下敷きにしつつも、それを現代の知見で乗り越えようとする意欲的なものに感じた。私はこの分野はちょっと詳しいが、最近の論文の動向などと方向性が一緒であり、このように平易にまとめたことはまさに神仏分離150年を記念するに相応しいと思った。

ただし、あくまでもシンポジウムの内容をまとめたもので論文集ではないので、やや物足りない部分もある。

最新の研究に基づいた神仏分離の捉え方を平易にまとめた本。

 【関連書籍の読書メモ】
『神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈』安丸 良夫 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/05/blog-post_2.html
明治初年の神仏分離政策を中心とした、明治政府の神祇行政史。「国家神道」まで繋がる明治初年の宗教的激動を、わかりやすくしかも深く学べる名著。

 

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