2014年9月29日月曜日

『マゼラン 最初の世界一周航海』長南 実 訳

世界で初めて世界一周を行ったマゼラン隊の記録。

本書には、マゼラン隊の一員で無事生還したピガフェッタの『最初の世界周航』と、マゼラン隊の生還者3名からの聞き取り記録をまとめたトランシルヴァーノの『モルッカ諸島遠征調書』を所収する。

ピガフェッタの方は実際の体験に基づいていることもあり物語風で、未知の世界との遭遇が興味深い。またピガフェッタはかなり民俗学的な関心があった人なのか、各民族の言葉(語彙)などを書き記すとともに、生活習慣や文化などを記録している。

また興味深かったのは、相当長かったはずの太平洋横断がかなりあっさりと、何事もなかったかのように記述されていることである。当時、アメリカ大陸はアジアの一部とされており、目的地であるモルッカ諸島(東南アジア)とさほど遠くないものと思われていた。だから実際には遠路だったにも関わらず、それを強調しなかったのだろうか? 事実、マゼランの航海後も、かなり長い間世界地図には(広大な海という意味で)太平洋が描かれなかったそうであるから、隊員たちにもその距離感がよくわかっていなかったのかもしれない。

トランシルヴァーノの方は、いわば報告書であるので記述はあっさりしているが、一種の解説の面持ちもあるため私には面白かった。特に目を引いたのは、地球の遙か彼方にも「怪物がいなかった」という報告である。当時は、ヨーロッパ人たちに知られない遠方の地は、まさしく化外の地であり、魑魅魍魎が跋扈していると思われていたし、一つ目の人間とか一本足の人間とか、こびとといったものが住んでいると信じられていたのである。

しかし実際にマゼラン隊の人間が出会ったのは、ヨーロッパ人とさほど変わらない、普通の人間だったのである。この事実は、当時の世界観を大きく揺さぶったに違いない。そしてより重要なのは、そうした変わった人間や怪物の存在をまことしやかに書いていた巨匠たちの書物の信頼性を揺るがせたことである。トランシルヴァーノによると
それどころかむしろ、昔の文筆家たちが書き残している事柄のほうが作り話であり、事実に反しているということをわれわれは今理解し、そして現代の人たちの経験によって(昔の人たちの)それらの記録を否定することができることを、確信しているのであります。
という認識に達した。大航海時代に少し先立つルネサンス期においては、「昔の文筆家」たちの作品が再発見され、古代の知によって文芸が勃興したのであるが、この時代にはその古代の知の限界が認識され、批判され、現実世界の観察に基づいて新たな世界観を構築していこうとする姿が現れてくる。それが後の科学の発達や啓蒙主義に繋がっていくのだと思われた。

ところで、マゼラン隊は基本的には香料を仕入れに航海を行ったのだが、各地で「生姜」の有無を非常に気にしており、生姜は重要な香辛料だったのだなあと感じた。

航海の記録というよりも、世界観の転換期に生きた人びとの実感を伝える書として貴重な本。

2014年9月26日金曜日

『アレクサンドロスの時代(第1巻)―文明の道 NHKスペシャル 』NHK「文明の道」プロジェクト著、 森谷 公俊著

少し前のNHKスペシャル「文明の道」の第1回「アレクサンドロスの時代」の単行本。

こういうNHKスペシャルの単行本は、番組の内容を深掘りするというより、一種の取材記に近いものがあるので、アレクサンドロス大王やその文明史的影響についての記述はさほど多くはない。ただ、番組を見るよりも若干情報量は多く、また背景情報なども分かるのは確かである。

アレクサンドロスの事績については、私は『アレクサンドロス大王東征記』も合わせて読んでいたのでさほど新味のある情報はなかったが、『東征記』には図表もなく重要な会戦(例えば「イッソスの会戦」とか)の具体的な様子もわからない。本書には図表がたくさんあるので、『東征記』の参考図書としてよいのではないかと思う。もちろん、『東征記』自体の要約にもなっているので、本書のみでも楽しめる。

本書の(というか多分番組の)主張は、「アレクサンドロスはギリシア文明の帝国を作ろうとしたのではなく、東西の文明を融合させようとした(少なくともそのきっかけをつくった)」というところにあり、それはさほど間違っているとも思わないが、2001年の同時多発テロの直後の製作ということもあり少しイデオロギー的すぎる記述も散見される。『東征記』を読む限りアレクサンドロスには戦いの明確な目的もなく(というのは本書でも指摘されているが)、東西の文明を融合といっても戦乱の一生を送ったわけで、どうも文明の仲介者として賞揚しすぎているきらいもある。

とはいえ、一般向けのアレクサンドロスの本は意外と少ないので、このように図版も豊富で関連事項まで含めて俯瞰できる体裁でまとめられた本は貴重である。ものすごく参考になるというわけではないが、手軽に参照できるアレクサンドロスの本。

2014年6月27日金曜日

『ペクチン―その科学と食品のテクスチャー』真部 孝明 著

ペクチン―その科学と食品のテクスチャー (Food Technology)
ペクチンについての先行研究をまとめた本。

ペクチンは、食品のテクスチャー(固さ、食感など)を決める重要な物質だが、構造が複雑で植物ごとに千差万別な組成を持つこともあり、十分に解明が進んでいるとはいえない。であるから、食品製造業の現場においても、科学的というよりは職人の感的に扱われているきらいがある。

そこで、これまで分かっていることをまとめて、食品製造業やその基礎研究に携わる人への参考書にしてほしいというような意図を持って本書は執筆されている。

であるから、本書では膨大な先行研究(論文)が参照されて、これまで何がわかっていて、何がわかっていないのか、ということが示されるのであるが、その調子はやや羅列の感が強くとりとめのない箇所がある。軸足は基礎研究にあるので、ペクチンを食品製造の実際でどのように扱うべきかというテーマでまとめられていないのはしょうがないとしても、もう少し系統立った、すっきりした記述ができたのではないかと思う。

一方で、情報量は多いのでペクチンについての参考書としての価値は高く、ペクチンについて知りたいと思ったら必ず座右に置くべき本であると思う(というか類書もほどんどない)。数少ないペクチンの教科書・参考書。

※本書の内容については、別ブログ(南薩日乗)にも触れている。→「ペクチン」のお勉強

2014年6月22日日曜日

『おっぱいとトラクター』マリーナ・レヴィツカ 著、青木 純子 翻訳

ウクライナの近代史を下敷きにして移民のドタバタ騒動を描く気軽な小説。

最近ウクライナの政変があって、実際のウクライナ人は祖国の近代をどう見ているのだろうか? という、娯楽小説を読むにしては鬱屈した興味から手に取ったのだが、ウクライナの近代史に関しては詳しい記述はない。それは、ロシアにひどいことをされた、その後は西側諸国にいいようにあしらわれた、というだけの話で、(実際そのくらい単純な話なのかもしれないが)どこか一般論的というか、実体験した人ならではのディテールがない歴史観だと感じた。


娯楽小説としての出来は悪くない。特に前半の、色ぼけした老父が美女(ビザと金目当て)に目が眩んで結婚し、その生活がめちゃくちゃになるあたりはよく出来ている。だが、中盤で離婚闘争編に入ると少し中だるみというか、サスペンス仕立てにしようという意図はわかるが、少し騒動が地味になり、主人公の迂闊さや子供っぽさに頼った筋書きになっているような気がする。もう少し、荒唐無稽なネタを入れたり、人物描写に深みを持たせたりするなど、展開に変化を持たせた方が退屈しなかったと思う。

そして後半は「話を回収する」という感じが強い。中だるみしたせいでうまく話が深まっていないからか、話の筋が平板なものになっている。また、ドタバタ劇のおかげで家族間の確執が解決するという筋も少しとってつけたようなところがある(最後の最後に、娘に諍いをやめるよう諭される場面など、ない方がよかったと思う)。

それから、翻訳小説に慣れている人には気にならないことであるが、あまりに「翻訳文体」なのが少し気になるところ。この小説は、登場人物が悪態をつきまくる場面が多いので、もう少し罵倒にリアリティが欲しい。例えば「アバズレ」という言葉が出てくるが、これは日常語ではほとんど使われない単語であるから、「ヤリマン」くらいにしたらよかったと思う(まあ、これもあまり使われない単語だが、この小説ではやたらと若者言葉を使っているので)。

原題の『ウクライナ語版トラクター小史』は気が利いている。これは老父が作中で書いている本の名前で、かつて農業とエンジニアの国として発展していたウクライナが、パワーポリティクスに翻弄され衰退していく様を象徴するものとしてトラクターの歴史が語られているわけだ。ただ、話の筋とはほとんど独立して、単なる象徴として扱われているので、もう少し本筋のプロットと関係づけたら読者が退屈しないだろう。私はトラクターの歴史にも関心があるので全く退屈しないどころか、もっと詳しくトラクターの歴史を紹介してほしいと思ったくらいだが、娯楽小説としては収まりが悪い。

暇つぶしの娯楽小説として考えると出来はそれほど悪くないが、翻訳の生硬さもあってイギリスの「滑稽小説」(P.G.ウッドハウス的な)として見ると、笑いの要素は少ない。小難しくない程度に社会派の、昼ドラな小説。

2014年6月11日水曜日

『イスラーム農書の世界』 清水 宏祐 著

中世から近世のイスラーム世界で著された農書を概観する本。

10世紀から17世紀の中東イスラーム世界(アラビア語を共通語とし、ムスリムが中心となって構成されている世界)では、多くの農書が出現したという。本書では、それらの農書を地域的・歴史的に概観し、そのうちの一書『農業便覧』の内容をやや詳しく紹介した上で、中東の農業の特質を考察するものである。

本書には記載がないが、10世紀のイスラーム世界というと、いわゆる「アラブの農業革命」の時代にあたる。これは、このころのイスラーム世界で農業の生産性の飛躍的な向上と作物の広範な伝播が起こったとする説で、アンドリュー・ワトソンという人が1973年に提唱した。その後、革命といえるほどの大変化ではなかったのでは、という反論(例えばマイケル・デッカーという人が主張している)が出ているので、今の学界ではどのように考えられているのか分からないが、平均的な農業技術が進歩した時代であることは認められているように思う。

そこで、実際のイスラーム世界の農業はどのくらい発展していたのだろうか、という疑問を抱いて本書を手に取ったのだが、本書は農書をごくかいつまんで紹介するものであるから、農業そのものの有り様(例えば、どのような人が農業を担っていたのか、どのような土地制度だったのか、など)を説明してはいないし、中東の農業技術の発展段階についても世界的な比較を行って位置づけることはしない。例えば、中世において既に中東では条播きと中耕の技術が一般化していたが、ヨーロッパにこれが導入されるのは近代になってからであって、この面で中東の農業は欧州のそれに先んじているのであるが、そういった比較は本書ではなされないのである。

また、なぜ農書が出現したのか、という根本的な問題についてもあまり深く考察していない。農業というのは、現代においてすら口伝えや研修、いわばOJTによって学んでいくものであり、ましては中世においては書物を頼りに農業技術を習得するということはほとんど稀有なことだったに違いない。にも関わらず多くの農書が生まれたのはなぜか、というのは大きな問題で、本書ではその理由について(1)領地の経営を行うため、(2)一度農書が生まれるとそれを各地の気候や風土に合わせる必要がでてきたから、と簡単な解説を添えているが、それが本質なのだろうか? 私はこの点に関して、徴税の仕組みともしかしたら土地制度が関連しているのではないかと思っているが、本書を読む限りでは不明である。

というような不満があるのだが、なにしろ本書は中世イスラーム世界の農業というニッチな分野の入り口を用意する短い本なので、込み入った考察を期待するのは酷というものだろう。イスラーム農書の系譜を簡潔に述べる章だけでも本書の価値はあるくらいで、よくぞこういうテーマで本を書いてくれたと喝采したい気持ちである。

また、農書の内容については、本書が中心的に解説する穀物栽培のことはさておき、果樹栽培の技術が進んでいたらしいことに興味を惹かれた。本書ではほとんど果樹栽培の内容については触れていないが、これはより具体的に栽培技術を知りたいと思う。

とにかく、簡潔すぎることが憾みではあるものの、イスラーム農書という豊穣な世界の入り口となる貴重な本。

2014年6月5日木曜日

『Lemon: A Global History』by Toby Sonneman

レモンの辿った世界史を語る本。

先日読んだ『Citrus: A History』が期待はずれだったので、リベンジを期して最近出版された本書を手に取った。これは、レモンを中心としたカンキツの世界史を概説する本である。

アジアに発祥したカンキツ(シトロン)は、まずはユダヤ人によって祭祀に使われたことで西洋世界に広まった。だが、ユダヤ人たちがヨーロッパに直接カンキツ文化をもたらしたのではなかった。本書が指摘するのは、カンキツ栽培の技術を高め、栽培を広めたのはアラブ人たちの功績であるということだ。そのため、近代世界までのカンキツの大生産地は、シチリアやスペインといった、中世までにイスラム勢力により征服されていた地域と重なっている。例えばシチリアでは、レコンキスタ以降には、かつてアラブ人たちが作った灌漑設備を受け継いでレモン栽培が行われたのである。

ユダヤからアラブへと受け継がれたカンキツ栽培は、こうしてイタリアにもたらされた。そして、それを北部ヨーロッパへと伝えていくのがメディチ家である。フランスに嫁いでいったカトリーヌ・ド・メディシスがカンキツ文化を伝導するわけである。メディチ家は、カンキツのコレクターでもあり、大変な種類のカンキツ類を栽培していたようだ。カンキツ類は貴族たちのステータスシンボルとなり、ほとんどカンキツ類の採れないネーデルラント(オランダ)ではカンキツを静物画に描くことが流行した。

大航海時代には、レモンは壊血病の予防のために非常に重要な作物となる。長い航海中にビタミンCの欠乏から「壊血病」に罹るわけだがこれの「特効薬」がカンキツ類であることがわかったため、「命がけ」だった航海が比較的安全なものになったのである。このあたりの科学史について本書は詳しいが、私が疑問なのは、より古くからの航海者だったアラブ人は、そのことを知っていたのだろうか、ということだ。あるいは、他の予防法があってカンキツに頼る必要がなかったのかもしれないが、ここは非常に気になるところである。

米国にカンキツ産業が興ってからの歴史は、既に『Citrus: A History』で読んでいるところであるからさほど新味はなかったが、そこにシチリア系移民が関わっているというのが面白かった。

全体として、冗長な部分があまりなく、端正にまとめられている本である。著者はジャーナリズムを専門としており、レモン業界の人でも研究者でもないが、適度な距離感でレモン(を中心とするカンキツ類)の歴史を概説している。ただ、気になるのは世界史とは言っても結局はヨーロッパとアメリカの話しか出てこないことで、アラブの話をもう少し深掘りして欲しかったのと、本場である中国とインドのカンキツの歴史について触れてもらいたかったというところである。

レモンの(世界史ではなく)西洋史をコンパクトにまとめた本。

2014年5月17日土曜日

『だれでもできる果樹の病害虫防除―ラクして減農薬』田代 暢哉 著

果樹の病害虫防除、つまりは薬剤散布を効果的・省力的に行うためにはどうすればよいか、という本である。

私はカンキツの無農薬栽培に取り組んでいるが、農薬に対してさほど敵意はなく、無農薬に取り組むからこそ農薬のことをよく知らなければならないと思い本書を手に取った。

本書が強調するのは、JAなどが提供する防除暦によるカレンダー的防除を脱し、合理的に農薬を使いましょうということである。では合理的な薬剤散布とはどういうことかというと、それは必要な時に必要なだけの薬剤を、できるだけ効果的に撒布するということである。これは極めて当たり前のことで、問題なのはその具体的手法だ。

まず、殺菌剤に関してはその効果が切れないようにローテーション的に撒布しなくてはならない。そのためには、農薬散布後からの累積降雨量を記録して、残効期間があっても降雨量が多い場合には薬剤を散布するといった工夫が必要である。

殺虫剤に関しては、その発生初期に集中的に薬剤散布を行い、初期の発生数をとにかく低く抑えるということが重要である。そのためには、毎日圃場に足を運び、害虫の発生に注意しなくてはならない。また殺虫剤に関しては、新薬よりも長く使われている伝統的な薬剤(マシン油、ボルドー液など)をうまく使うことを推奨する(これらは抵抗性が出にくいため)。

そして、撒布については、果樹栽培ではよく使われているピストルタイプの噴霧器は、ドリフト(飛散)が多く実は撒布が効率的でないとし、飛散防止タイプの使用を勧める。飛散防止タイプのノズルを低圧(1Mpa程度)で使うことで、撒布する薬剤の量をかなり減らすことができるらしい。

本書によれば、一人の農家が使う農薬の種類は必ずしも多くない。であるから、その数少ない農薬の特性をしっかり理解してほしい、という。かくいう私も、園芸野菜に関してはあまり農薬の特性を理解しないままに使っている一人である。反省して、徐々に農薬の勉強もしていきたいと思う。

また、本書では展着剤の効用は実はあまりないのではないか、と指摘する。 要は、既に個々の農薬はそれぞれが最適な展着性能を持っているわけだから、展着剤を添加することによる機能性の向上はさほど望めないどころか、展着剤を使うことにより付着量は確実に低下するので、使わない方がマシな場合が多い、とのこと。もちろん、使う方がよい場合もあるのでこれは是々非々で使い分ける必要がある。

ところで、「ラクして減農薬」を謳う割には、殺菌剤の効果が切れないように農薬をローテーションすること、とかしており、さほど省力的な管理は推奨していない。そこが信頼できるところでもあるが、減農薬に取り組むための本ではなくて、どちらかというと農薬をばっちりと効果的に使うための本であると思う。それから、「病害虫防除」は必ずしも薬剤散布だけでなくて、耕種的防除や生物的防除など農薬以外の手法もあるわけだが、実質的には農薬散布のみが詳細に書かれているので、タイトルは『果樹の薬剤散布』とした方がよいように思った。

全体として、なんとなくやっていた薬剤散布を基礎から学べる良書。