2012年9月2日日曜日

『古代オリエントの宗教』 青木 健 著

2〜12世紀のオリエントの諸宗教が、聖書のストーリーに影響を受けて変容していった歴史について語る本。

これは主題がかなりマニアックで、取り上げられている「諸宗教」もマンダ教、マーニー教、ゾロアスター教ズルヴァーン主義、ミトラ信仰とアルメニア正統使徒教会、イスラム教イスマイール派などと、相当にディープな世界である。

これらの諸宗教が、当時支配的な影響力を持っていた聖書(旧約、新約、クルアーン)に自らの神話を位置づけるかたちでその内容を変化させていった、ということが学術的な正確さを保ちつつ、簡潔かつ系統的に記述される。

なにぶん主題がマニアックなので、読者を選ぶ本だと思うが、その中身は充実していて完成度は高い。ややこしい関係が図などを用いてわかりやすく説明されているし、このような主題の下にまとめられた書籍はかつてなかったと思うので、こういう分野について興味のある人にとっては必読書だと思う。

しかし、聖書ストーリーから受けた影響だけに焦点をあてて記述されているため、やや現実が単純化されているような部分もある。宗教が社会から独立して存在していたわけではなく、信者がいて、その信者が依って立つ経済構造があったわけで、それらに全く触れずに宗教の変遷を語るというのは少し無理がある。

また(これは著者の責任ではないが)、初版の帯の売り文句が「異教の魔神たちが織りなすもうひとつの精神史」なのだが、これは本書の内容と全く関係がない。それから書名も簡潔すぎ、せめて「聖書が及ぼした影響」などと副題をつけるべきだろう。本書では、古代オリエントの宗教に関する基礎的な事項は、読者にとって既知である前提がある気がする。マニアックながら端正にまとめられた良書ではあるが、編集者のセンスを疑う。

2012年9月1日土曜日

『かたち誕生―図像のコスモロジー (万物照応劇場)』杉浦 康平 著

グラフィックデザイナーの杉浦康平氏が、古今東西のさまざまな「かたち」について縦横無尽に語る本。

この本を楽しめるかどうかは、著者の「かたち」への見方に共感できるか、さらに言えば著者と「かたち」の世界観を共有できるかどうかにかかっていて、杉浦康平ファンにとっては垂涎の品だろうが、そうでない人にとっては「はあ?」という本だと思う。そして私は残念ながら後者である。

客観的に見てナルホドと思う部分もなくはないが、「かたち」の考察の大部分は著者の思い込みと推測で構成されていて、著者と世界観を共有しない者にとってはかなり違和感がある。私は、本書を図像発展の歴史の本だと思っていたので、このような自由な考察の書だということが、かなり期待はずれだった。

とはいえ、かたちというとすぐに西欧中心のイコノロジーの話になってしまいがちなのであるが、本書ではそういう安易さは微塵もなく、普通あまり取り上げられないアジアの図像をふんだんに参照して独自の解釈を加えている。その解釈に賛同するか否かはともかくとして、その価値は大きい。

また、本のつくりが非常に凝っていて、大量の図がちりばめられていたり、余白にちょっとした何かが描いてあったりと、杉浦康平ブックデザインが好きな人にとっては本としての魅力も高い。カバーを取ると非常にかっこいいので、その点は唸らされた。

『チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門』ニコラス・マネー 著、小川 真 訳

菌類が樹木や作物に与えている甚大な被害と、それに翻弄されたり研究したりした人の逸話をまとめた本。

私は植物病理学に関心があって、本書の副題に惹かれて読んだのだが、これは副題が悪く、植物病理学への入門的な側面は微塵もない。そもそも原題は『The Triumph of the FUNGI: A Rotten History(菌類の勝利:腐れた話)』で植物病理学入門などという大それたことは謳っていなかったみたいで、これは編集者の責任。

とにかく、「菌の被害は凄いです」という事例がどんどん出てくるが、その被害が例えば害虫の被害に比べてどのくらいひどいのかという比較もないし、 研究エピソードなども専門の人には面白いのかも知れないが「で?」で終わるようなものも多く、全体的に無駄話がだらだら続く調子。

せっかく菌学者が執筆しているのだから、病理学の体系的な説明があればよいのにそういうこともなく、個別の細菌の枝葉末節的な説明に終始するだけ。雑学としてはいいが、物足りなさが残る。

本書のメッセージの一つは、「大規模な単一植物栽培が菌類による被害を拡大させている」ということなのだが、それは害虫でも同じことだし、当たり前のこと過ぎて今さらメインメッセージにするほどのことでもないのではないか。枝葉末節の四方山話ばかりで表面的な本。

『生活の世界歴史 (2) 黄土を拓いた人びと』 三田村 泰助 著

明代を中心に、中国大陸の文明論をたくさんの小ネタを用いていろいろな角度から展開する本。

「黄土を拓いた人々」の副題は紛らわしい。実際には、開墾を進めた農民の話は多くないし、むしろ歴代中国王朝の税収の約半分は塩の専売による収入であった、などという話や、穀物生産の中心が地味が豊かな江南であったことなどが記述されており、どちらかというと河北的なものである「黄土」を副題に持ってきた意図が不明である。

明代を中心に、とはいいながらも実際に取り上げられる時代は古代から近代にも及び、よく言えば縦横に、悪く言えば散漫に文明論が語られる。テーマも、南北の対照的な性格、支配者の原理、反乱と革命、都市と農村、東洋的「婦道」など多岐にわたる。体系的な論考というより、様々なテーマのもとに中国文明の特質を考えるという調子で、読書中はなんだか「いつ本題に入るの?」と隔靴掻痒な感じがしたが、それぞれのテーマは面白く、これはこれでよかったと思う。

そういう意味では要約が難しい本で、とにかく小ネタをたくさん披瀝している。例えば、「極楽往生をねがう阿弥陀浄土が、柔弱な南人に支持されるに対し、現世の幸福をかちとる弥勒浄土が、北人の気質に合った(p205)」という記載など、簡単に書いてあるが、阿弥陀と弥勒という類似しつつ差異のある神格が平行して信仰される理由を明快に説明しており、ナルホドと唸らされた。

他にも、皇帝の朝はやたら早かったという話や、中国の経験した4度のファッション革命、中国法の集大成としての大明律の成立、漢代の古典儒教は北人的だが、近代合理主義の上に立つ新儒教主義は南人的であるなど、面白い話題が多い。

2012年8月31日金曜日

『生活の世界歴史 (1) 古代オリエントの生活』 三笠宮 崇仁 編

メソポタミア、アッシリア、エジプトの古代社会の構造や技術、経済についての論文集。

本シリーズは、その趣旨や目的がシリーズ中のどこにも説明されていないが、その内容から忖度するに、「世界史といってもこれまで書かれた“世界史”の実態は政治史に過ぎないのではないか。それだけでは見えてこない社会の変遷があるのでは? そこに注目してみよう」ということだと思われる。

「生活の世界歴史」という表題から予想されるような庶民の生活のありさまなどはあまり描かれず、どちらかというと社会構造というか、社会の雰囲気の説明に重点が置かれているようだ。

本書では、三笠宮崇仁(プロローグ)、糸賀昌明(メソポタミア)佐藤 進(アッシリア)、屋形禎亮(エジプト)、立川昭二(鉄)の論文が収められているが、シリーズの趣旨や目的が明確でないだけに、筆致は各著者でバラツキがあり、必ずしも統一的な視点で叙述されていない。しかし、生活という茫漠として複雑多岐に亘るものを書こうとすると、こういうやり方しかないのかもしれないとは思う。

一般的な通史ではわからない、経済構造、食料供給構造、技術史、社会構造などがおぼろげながらに見えるということで、古い本ではあるが一読の価値はある。一番驚いたのは、エジプトの話で、社会構成は意外に流動的であったということ。現代社会にも通じる部分があるといえよう。
奴隷を除いては、たとえ貴族であろうと農民であろうと、たてまえとしてはみなファラオの臣下として制限された「自由」しか認められなかったということ、その意味で社会層が固定しておらず、その構成員の変動の余波がファラオの手によって確保されていたということ、これがファラオ文明を二〇〇〇年以上にわたって存続繁栄させた社会的要因であるということができる。(本書p219)


『五輪塔の起原―五輪塔の早期形式に関する研究論文集』 藪田 嘉一郎 編著

日本全国にありふれているのに、基本的な研究がほとんど進んでいない五輪塔についてまとめられた稀有な本。

五輪塔は平安時代末期以降に非常に流行した墓石形態であるが、その形態や信仰についてのまとまった書籍は少ない。本書は論文集ではあるが、分量的にはほとんど編著者の論考が占め、他の著者の論文は前菜として掲げられている程度である。

前菜部分の論文は、一般向けというより研究者が限られた範囲の専門的事項について語っているという感じであるが、あまり難しいものではなく、さらりと読める。後半の編著者の論考も、研究者向きに語っているのだが、割合に総論的な内容であるために一般にも十分に理解できるだろう。

ただし、論考が進むにつれ、「~かもしれない」式の憶測が多くなる印象があり、悪く言えば編著者の空想の要素が強くなっている感を受けた。

どうして五輪塔が非常に流行したのかという疑問に対しては、要は製作が容易だったからだという見解が表明されており、これには膝を打つ思いがした。単純なことであるが、このような基本的なことを指摘しているだけでも本書の価値はある。

なお、積石信仰のような民間信仰との繋がりも考究してもらいたかったが、本書ではインドからの文化伝播の視点で五輪塔の起源が考えられており、その点は物足りない。また、起源を考えるなら早期五輪塔の地域分布を分析するといったことも必要な気がするが、そういったこともなされていない。

論文集であり、出版年も古く、広く読まれる本ではないが、五輪塔について考える際には座右に置くべき本。

2012年8月30日木曜日

『石の宗教』 五来 重 著

日本人にはもともと自然石を敬ったり、石を積むことで死者を弔ったりといった、石による信仰があったことを様々な事例を引いて主張する本。

著者の主張にはナルホドと思わせる部分が多く、旧来の仏教・神道・民間信仰などという縦割りの研究では見えにくかった日本人の素朴な信仰が透けて見える思いがする。

庚申塔や道祖神が境界や道標となっていることはよく指摘されるが、地蔵も境界を示すものであり、またこれらは男根像でもあったというのは新鮮だった。 この他にも、これまで見過ごされがちであった石塔や石像のもつ民間信仰的な意味合いが説明されており、「石の宗教」という視点は非常に重要だと感じた。

特に前半部分は石の宗教についての概論・体系的なまとめの色彩が強く、説得性がある。しかし、後半になってくると、体系的な説明というより、著者の個人的な経験であったり、「これもある、あれもある」式の叙述が多くなってくる。こういうのも大事だと思う、のような単に重要性を示唆するだけのテーマも散見され、生煮え感は否めない。書き下ろしではなく、『石塔工芸』という雑誌に連載していたものだから、後半はネタ切れというか準備不足があったのかもしれない。

とはいうものの、「石の宗教」という視点の重要性は強調するに足るものだ。今後の研究の進展を期待したい。