2023年9月1日金曜日

『神道とは何か—神と仏の日本史』伊藤 聡 著

神道の歴史を概観する本。

神道とは古代より連綿と受け継がれてきた神祇信仰ではない。今の神道は明治政府の神仏分離政策によって、いわば政策的に生み出されたものである。では元の神道はどうだったか。実は、いつ神道が生まれたのかということすらも、古代から近代(!)までいろいろとあり、定説はまだない。よって本書では、神道以前の神祇信仰から説き起こし、近世に至るまでの仏教を含めた信仰世界の歴史を概観することで神道の形成について述べている。

古代においては、カミやマツリという言葉、崇仏論争、神仏習合、法楽(神のための造寺造仏)、八幡神、本地垂迹説、陰陽道や修験道などについて簡単に整理している。神祇信仰そのものというよりは、紙幅のほとんどは仏教の動向について費やされており、意外と神祇官など神祇制度についての記述は簡略である。

また、道鏡失脚後に光仁天皇が神事から僧侶を遠ざけた平安時代の神仏隔離が取り上げられる。これは高取正男が『神道の成立』で提唱したもので、神道成立の画期とされている。

この趨勢の中で伊勢神宮でも神仏隔離が行われ、僧侶の参拝を禁止した。しかしながら、その理由はいまいち明瞭でない。しかも伊勢神宮の神官(祭主・大宮司・禰宜)には、退職後あるいは死の直前に出家しているものが多く、後の廃仏のような思想はなかったようだ。伊勢神宮の神官は、神と仏の間で苦労していた。

そういう中で、天照大神の本地は観音だとか、大日如来だとかいう説が登場する。観音説は伊勢神宮の内部から出てきており、大日如来説の初見は真言宗小野流の成尊の書『真言付法纂要抄』にある。後者の場合、仏教的には「粟散辺土」(延喜17年(917)の『聖徳太子伝暦』)とされる日本を、天照大神・天皇の存在によって「神国」と逆転させる密教化した神国思想が展開されており、明らかに仏教側が伊勢神宮にすり寄っている気配が感じられる。

東大寺の復興に尽力した重源の場合も、伊勢神宮(内宮・外宮)に大般若経をそれぞれ奉納するよう求め、これにより前例のない神宮法楽供養が行われている。行基信仰においても、彼が東大寺建立のために伊勢神宮に参って天照大神の示現を得たという説話が登場する。この頃、仏教勢力は伊勢神宮の存在にずいぶん頼っていたということは間違いない。

こうした動きに呼応してのことであろう。伊勢神宮周辺でも、後に「両部神道」を形成する教理書の一群が製作された。伊勢神宮の祭神・社殿・由緒等を仏教教理によって説明したのである。中でも重要なのは、志摩国吉津の仙宮院で撰述されたと考えられる『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』である。これらの書では、伊勢神宮の内宮・外宮を胎蔵界・金剛界曼荼羅になぞらえ、社参自体を一種の灌頂作法と見なしている。

さらに鎌倉中期以降は仙宮院以外にも広がり、両部神道書がどんどん登場した。それらの中で後世に大きな影響を与えたのが後醍醐天皇に仮託された『麗気記』であり、「これは南北朝期以降、『日本書紀』と並ぶ中世神道の最も重要な聖典と見なされるようになった(p.96)」。

一方の伊勢神宮では、こうした動きと前後して外宮の渡会氏が「伊勢神道」を形作っていた。外宮が内宮と同格(さらには優越)であることを示すために構築された神道理論である。まず『造伊勢二所太神宮宝基本記』、次いで『倭姫命世記』、その後、文永・弘安頃までに『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『豊受皇太神御鎮座本紀』がなった。これを後に「神道五部書」という。これらでは、天照大神は天御中主神と同体とされ、また内外宮を胎金両界とするなど両部神道の理論が援用されている。しかしながら南北朝期には渡会氏は南朝につき、南朝の衰亡とともに力を失った。

南北朝期から室町期では、仏教側では神道書が伝授されることで次第に流派が形成された。細かい違いは省くが、三宝院流、三輪流、西大寺流、御流などが生まれ、中世末期には「神道に十二流あり」と言われている。御流では、天照大神が如意宝珠の垂迹だと考えていたことが面白い。これらは真言系が多いようで、比叡山(天台宗)の方では山王一実神道が生まれている。黒田俊雄は「神道は仏教の一部だった」としたが、それはこうした状況を述べたものだろう。

鎌倉新仏教では、(1)法然・親鸞は神祇不拝だったが、浄土宗ではだんだん神道説を導入した。(2)時衆は一遍が各地の神社をめぐっており、神祇信仰を全面的に受け入れた。(3)臨済宗では、台・密・禅兼修を基本としたことから神祇信仰と融和的で、特に円爾の聖一派では神宮との関係が深い。室町後期には吉田神道に学ぶものが出、近世神道の揺りかごになった。(4)曹洞宗は、瑩山紹瑾が本地垂迹思想を受け入れ、禅僧が在地の神々を化度・帰伏させていくという説話が生まれた。(5)日蓮宗では護法善神思想を受け入れ、三十番神信仰を導入した。三十番神信仰をめぐって吉田兼倶から論争を仕掛けられているのが面白い。つまり、鎌倉新仏教では浄土真宗を除き、神祇信仰と融和的だったのである。

こうした仏教と神祇信仰の融和により、どんどん新しい神格が追加されていった。本地垂迹説による実神・権神に加え法性神(本覚神)、蛇神(垂迹した神は蛇体と観念されたのが不思議)、神は心に宿るという観念、御霊信仰から発展した人神信仰(豊国大明神、東照大権現)、御法神、習合神(蔵王権現、牛頭天王、荒神)、外来の神(泰山府君、媽祖)、弁財天や鬼子母神などの女神信仰といったものである。「弁財天は宇賀神と同体」などとするような、神格をつなげる理論が盛んになる一方で、神格が整理されるのではなく、むしろ乱立する方向になっていったことが興味深い。

また、多種多様な神道(に関係ある)説も登場。天皇の世は百代をもって滅亡するという「百王思想」、『野馬台詩』や『聖徳太子未来記』といった予言書、そして『日本書紀』の再解釈ともいうべき「中世日本紀」(神話記述の総称である「日本紀」の名のもとに、多くの異説・異伝が付け加えられて成立した新たなテキスト群)が中世国家へと変質していく平安末から出来上がっていった(先述の「神道五部書」などもその一環)。

そういう動きによって出来上がっていったのが「中世神話」である。例えば、大日印文・第六天魔王をめぐる国土創生神話(第六天魔王が三種の神器を授けたとか!)など面白い。それらの神話は、以前からの神話の表面上の記述の背後にある別の意味を見出し、意味を重ね合わせることによって変奏したものであった。

中世神話の中で肥大化し、後世に大きな影響を与えたのが神功皇后の三韓征伐神話。これにより朝鮮蔑視が増幅された。『八幡愚童訓』で「新羅国の大王は日本国の犬」という言説が書かれたことは、後の秀吉の朝鮮出兵へ繋がっていく。

近世神道については、著者の専門である中世に比べだいぶ簡単な記述である。まず吉田兼倶の吉田神道の成立について述べる。それは吉田家の『日本書紀』研究を土台にしてはいたが、密教修法の模倣による祭祀儀礼の創出、捏造による古代からの権威の創出といったことが綯い交ぜになっていた。吉田神道は、独自の教義・経典・祭祀組織を持った、自立した神道を始めて形成した。

また、近世神道では「天道」の概念が重要となった。これは「思想の還俗」を象徴するものであるという。さらに鎌倉期以来の諸教一致思想が進む中で、易・道教(老子)・仏教(密教)・儒教が全て「神道」なのだと吉田兼倶は言っている。これは、神道が根本で、道教や仏教はそこから派生したものなのだ、という倒錯した立場である。しかし神仏儒三教一致思想は、石田梅岩や手島堵庵など心学でも盛んに言われるようになった。

さらに、儒家は神道を再解釈し「儒家神道」を生みだす。林羅山は『神道伝授』『本朝神社考』を著して理当地神道なる独自の神道を早くも生みだしていたが、やはり山崎闇斎の垂加神道の影響が大きかった。これは朱子学の「理」の概念を「神」に結びつけ、習合的理解ではなく、神道を倫理主義的に理解することによって生みだしたものである。

そして、神道は国学と接続していく。これは、基礎的文献の出版によって中世的な附会説が排斥されて、実証的研究が行われるようになったことを背景としていた。中世に生みだされた典籍が偽書として指弾され、神話や古典が批判的に見直されたのである。ところが平田篤胤以降、再びそこに宗教性が導入されていったのは皮肉である。

最後に、「神道」の成立について著者の見解がまとめられており、それを要約すれば、(1)仏教の本地垂迹説の影響を受け神を教理化した中世期が一つの画期であり、それは「神道」の読みが「ジンドウ」から「シントウ」へ変化したことでも根拠付けられる(マーク・テーウェンの説)が、(2)神仏分離・廃仏毀釈によって仏教と分離したことによって民族宗教としての神道が成立した、とまとめられる。

本書は全体として、著者の専門である中世期を中心に神祇信仰の変化を詳述するものであるが、神道成立の画期である近代はほとんど全く触れられず、近世についてもかなり概略的である。特に江戸幕府による神道統制について等閑に付したのはバランスが悪かったと思う。また、時代が行ったり来たりするのは頭の整理に苦労した。ただし中世については新書を超えるレベルの専門性があり、大変参考になる。

なお、神道説の随所に聖徳太子が出てくるのに興味が湧いた。太子信仰と神道の繋がりは本書にはまとまって書いてはいないが、神仏融和の象徴として聖徳太子が扱われていたのかもしれない。

中世神道を中心に、神道の多様な側面を描いた良書。

【関連書籍の読書メモ】
『神道の成立』高取 正男 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/07/blog-post_21.html
神道の成立過程を丹念に辿る本。神道成立前夜の動向を、細かい事実を積み重ねて究明した労作。

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