2023年9月2日土曜日

『古代寺院の成立と展開』岡本 東三 著

古代寺院の建立を概説する本。

本書は、仏教の導入や古代寺院の建立について、政治的な文脈から述べるものである。欽明朝において仏教は私的な信仰から政治的イデオロギーに転化していき、在来の自然神とは違った役割を負うようになった。

蘇我氏と物部氏の戦いの後、勝った馬子が飛鳥寺を、厩戸皇子が四天王寺を建立したことで、それは「政治的モニュメント」「政治的デモンストレーション」となった。国家が仏教を受容することは東アジアの国際秩序を共有するという「ヤマト政権の「古代化」あるいは「文明開化」を意味(p.8)」したのである。

そして古墳は、寺院造営に置き換わる。つまり寺院は国家的なモニュメントとしての役割を帯びたのだった(「古墳から寺院へ」)。その後も古墳は作られるが、前方後円墳体制は終わる。仏教が古墳という葬送装置を駆逐したことは副次的な影響ではあったが、その後の仏教の歴史を鑑みると興味深い。

当初、寺院は貴族の邸宅の一部に仏像を安置するような形態(捨宅寺院)であったが、ついに飛鳥には伽藍が建立される(飛鳥寺)。それはまさに文明を象徴し、また蘇我氏専制体制を象徴するものであった。642年、「僧正・僧都・法頭」と呼ばれる僧官制の原形となる統制機関が飛鳥寺に置かれ、飛鳥寺は国家的・公的な寺院となった。

本書では飛鳥寺の造営過程について触れ、それが未熟な技術ではなく、完成された技術を導入する形で行われたことを述べ、また瓦の文様を概観し、寺院建築がどのような経路でどう伝播していったかを簡単にまとめている。また7世紀中期の地方寺院については山田寺式軒瓦が関与しているとし、孝徳朝の評制施行の地域再編に伴う在地の動向として捉えられている。

しからば地方豪族はなぜ寺院を造立したか。それは国家の場合と同じく、「「古墳」にかわる新しい在地の支配秩序・支配原理の確立は必須で(中略)、祖霊追善と現世利益の普遍性をもった仏教に求め(p.61)」たからである。

他方、川原寺式の瓦も全国に広がっていったが、それは壬申の乱に対する地方豪族への論功行賞から寺院建立が始まったとする学説が紹介される(八賀晋の説)。さらに法隆寺西院伽藍について詳しく紹介し、法隆寺式軒瓦の全国分布について述べている。

天武朝になると、国家仏教体制の基盤が整えられる。673年僧官制の改革、677年大官大寺の整備、680年諸寺への食封(じきふ)の停止(←意味深)が打ち出され、685年「家毎に、仏舎(ほとけのおおとの)を作りて[…]礼拝供養せよ」という詔が発布された。この時期にはおそらくはこれに呼応して郡ごとに地方寺院が作られた。

さらに国家仏教の総仕上げとして「僧尼令」が制定され、仏教は国家祭祀となった。ところで藤原京には紀寺・本薬師寺・大官大寺の3つがあったが、都に紀氏の氏寺があったのが謎だということだ(氏寺ではなかったのか?)。

都が平城京に移ると、さながら仏教都市の様相を呈し、後に南都六宗と呼ばれる諸寺院が出来上がった。しかし郡司や豪族層は、仏教があつく保護されていることを逆手に取り、所領や財産を寺に移して保全する行動をとり始めた。財産保全のために寺が乱立したのである。こうした弊害を是正するため、得度・受戒のシステムを整備するとともに、713年には諸寺の田記の誤りを修正させ、寺田対策として716年に「寺院併合令」を発した。また721年には按擦使や大宰府に命じて併合令の徹底化を図っている。これは一定の成果をあげ、735年に併合令は終結している。

741年には国家仏教政策が転換し、地方に国分寺・国分尼寺の造営を命じた。が、督促令まで出したにもかかわらず国分寺は完成せず、しかも各国でつくられた国分寺は国家統制が十分になされず千差万別なものとなった。そして仏教は国家主義的な色彩を帯びてはいたが、次第に民衆にも受容され、墾田永年私財法の発布以降は、村落内寺院がどんどんつくられるようになるのである。

本書は全体として、仏教の置かれた政治的状況が要領よくまとめられており、古代仏教については教科書レベルの知識しか無かった私にとっては蒙を啓かれる思いだった。ただし、ある程度知識がある人を対象にしているのか、簡潔すぎる記述が却って謎を深める結果になった部分もある。例えば上にメモしたように、政府は680年に諸寺への食封を停止しているが、これは寺院保護の趨勢とは逆のようで気になった。

ともかく、仏教は日本へは政治的なものとして伝わり、政治的な存在として発展した。地方豪族層や民衆も、それを(少なくとも当初は)政治的なものとして受け取ったということになる。しかしそれは、仏教が皮相的にしか理解されていなかった、ということにはならない。例えば政治的というならば、古墳も政治的な産物であったが、古墳は日本在来の思想によってつくられていたに違いない。そして古墳を寺院が駆逐したということは、政治的なモニュメントの交代以上のものがありそうである。古墳による死後の観念が、仏教による死後の観念に置き換わったということだからだ。この点はさらに詳しく知りたいところである。

古代寺院をキーワードに古代仏教の政治性を語る啓発的な本。

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