2020年11月11日水曜日

『増補 無縁・公界・楽』網野 善彦 著

日本の中世・近世に存在した「無縁の原理」について述べる本。

「無縁」とは、縁がないということではなく、もっと広く「俗世の主従関係・親族関係・貸借関係等から離れ、訴訟・紛争などが停止され、自律的な自治が行われる場」の性質を指す言葉である。

例えば「無縁所」とされた寺の場合、そこに駆け込むと、追っ手は捉えることができず、借金の取り立ては不可能になり、たとえ科人であっても誅罰されないのである。そういう場——ある種の「アジール(避難所)」が、その形態は様々であったが中世から江戸時代にかけて存在し続け、幕府の統治とは違った意味での「自由と平和」を実現する場となっていた。

「無縁」をまとっていたのは「場」だけではない。例えば遍歴する芸能民・職人には、関所の自由通行を認められ、課役から自由なものが多く見受けられる。どうやら芸能と「無縁」には深い関係があるようだ。また「禁裏供御人(天皇・朝廷に山海の特産物や工芸品などを納めた人)」はこうした特権の発生に関わっていると見られる。さらに「女性」も「無縁」的であったかもしれないと示唆されている。

一方、寺の全てが「無縁所」だったわけではない。大名や家臣の氏寺のようなものは普通「無縁所」にならなかったし、「無縁所」になるためには古跡であるといった条件もあったようだ。

「無縁」は時代が下ると「公界(くがい)」という言葉でも表されるようになる。幕府の統治から外れた人を「公界者」と呼び、自治都市は「公界」と呼ばれた。さらに追って、こうした場は「楽(らく)」とも呼ばれる。「楽市場」とは、営業権の自由だけでなく、地子・諸役免除の場でもあった。

もちろん、公権力にとってはその力が及ばない「無縁所」などは好ましくなかったので、そこに圧力を加えてその特権を排除していくことが多かったのであるが、しかし一方で公権力は法制的に「無縁所」を追認していることもまた一般的であった。公権力を無効化する「無縁」の力は、公権力にとってやっかいなものだったように思うものの、必ずしも敵対的な関係ではなかったのである。

本書は、こうした「無縁」の様々な事物について、史料の片言隻句から推測していく、という微証の積み重ねの本である。よって、体系的な「無縁」の考察というより、「無縁」の世界を垣間見るとでもいうか、考察の入り口となるような論考である。ところが「無縁の原理は人類史に普遍的に存在する」といった大雑把な言明が飛び出してきたり、学問的にはやや脇が甘い点もあって、本書の初版発表時には、批判も多く寄せられた。

そこで著者が主要な批判に対して「補注」の形で応え、若干の論考を補ったのが書名の「増補」の意味である。 しかしながら、著者の立論は「補注」を含めてもあまり堅牢ではない。様々な微証はそれなりに豊富だが、まるで跳び石のようにあちこちに散らばっており、文字通り一筋縄ではいかない。私も、何か「無縁」についてわかったような、わからないような、狐につままれたような気分になってしまった。

そんなわけで、あまり明確に理解してはいないが、私なりに「無縁」の意味について述べてみる。

まず、中世(鎌倉・室町)の公権力は、「将軍—御家人」の主従制を基本的な統治原理としていた。特に鎌倉幕府は、公権力全てを掌握したのではなくて、法務局(土地の登記)と裁判所(紛争の解決)と軍事指揮権のみを保持した”半”公権力であった。 御家人というのは、将軍から土地を認定(安堵)されたことによって主従関係を持ったもので、今風に言えば法務局で登記してもらった人が御家人なのである。では土地を安堵されていない人(非御家人)と、公権力との関係はどうであったか。

例えば、裁判において御家人と非御家人が係争したとき、非御家人に不利な判決が出がちだったかというとそうでもないらしい。それに軍事指揮権は土地の給付とは名目上は関係なく、朝廷から委任された惣追捕使といった役職から発せられる権能だった(しかし実際に戦に動員されたのは御家人のみ)。「御成敗式目」でも、「御家人の場合はこうする、御家人でない場合はこうする」といった規定があるから、鎌倉幕府は確かに非御家人も統治していた。ただしそれは、主従関係で結ばれた統治ではなかったから、曖昧な部分を残した統治であった。

では、そもそも土地を持たない職人とか商人といったものは、鎌倉幕府の中でどのように位置づけられるのだろうか。裁判が起これば幕府に従わなくてはならなかったが、そうでなければ幕府の統治外の存在だったと言える。鎌倉幕府は法務局と裁判所と軍事以外の面では、明確な権能がないのである。幕府とは、形式上、朝廷から行政権の一部を付託されて成立していて、全統治権を保持しているわけではなかったから、統治権に隙間が大きかった。

私の理解では、「無縁」とはそういう「統治権の隙間」のことではないかと思う。大名や家臣の氏寺が「無縁所」にならなかったのは、主従制の中に組み込まれた存在だったからであろう。こういう場は幕府にはちゃんと統治権があるのである。芸能民・職人のような、(土地を安堵されないため)御家人になる可能性がない者が「無縁」的であるのもそういう理由であろう。

してみれば、「無縁」が存在し得たのは、統治権が未確立で、非中央集権的な封建社会であったからだという単純なことになる。著者がある種のロマンティズムをもって語っている「無縁」を、こういう統治権の面から理解するのは無粋なことかもしれないし、これだけで説明できることでもない。何しろ、「無縁所」で断たれるのは、公権力との関係だけでなく、婚姻関係など親族関係や金の貸借関係まで含まれる。つまり今で言えば民法も無効化される。公権力が保証しなくても自然発生的に認められていた(に違いない)民法まで無効化されるのが「無縁」の不思議なところである。

しかも、幕府はそういう統治権の隙間をしぶしぶながら認めて、そこに幕府とは異なる統治原理の別世界を建設するのを許していた。こういう考察をしていくと、結局「中世における幕府の統治権とは何か」という話になってきて、「無縁」とはちょっと違う話になってくる。しかし私が本書を読んで思ったのは、「無縁」の基盤となった法制的なものは何かということと、「非御家人から見る中世の歴史」はどんなものなんだろうか、ということだった。

「無縁」の世界という沃野を切り拓いた、荒削りだが触発されるところも多い論考。

【関連書籍の読書メモ】
『寺社勢力—もう一つの中世社会』黒田 俊雄 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/09/blog-post_13.html

中世における寺社勢力の勃興と衰退を述べる。非御家人の一大勢力であった寺社の中世史。
中世の申し子とも言える寺社勢力を通じて当時の社会の内実を考えさせる良書。

 

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