2020年11月2日月曜日

『鉄砲とその時代』三鬼 清三郎 著

織豊時代のあらましを描く。

著者の三鬼清三郎は織豊時代(安土桃山時代)を専門とする。本書は、織豊時代をどのような時代と見なしたらよいか再考することをテーマとし、その概略的な歴史をいくつかのトピックにより述べるものである(よって通史的ではない)。

この時代(正確には戦国時代以降)は、江戸時代とはかなり違った美意識や価値観で動いていた。例えば大阪城は、室内には金箔が施され、屋根瓦は全て黄金色、塔には金色および青色の飾りをつけていたという。江戸時代の白い城郭とは全く違った極彩色の城が作られたのである。我々の常識とは異なった常識があったのが織豊時代だ。

であるから、史料に書かれた内容を理解したと思っても、当時の人がどのようにそれを受け取っていたかは、現代の常識からは直ちには分からないのである。織豊時代をどのような時代と見なすかは、こうした当時の人々の意識まで探る必要がある。

また、織豊時代はちょうど「近世封建制度(中央集権的な封建制)」が成立する時期に当たっているが、その成立過程をどう評価するか。本書では様々な見解が簡単に紹介されているが、本書執筆時、織豊時代の評価が全く定まっていないことに驚かざるを得ない。なお著者は「太閤検地が近世封建社会を成立させる契機をなすもので、織田政権は、戦国大名と同じく中世的権力であるという考え」に近いという。要するに、豊臣秀吉を画期として中央集権的な新しいタイプの封建社会になったとの評価である。

このような見解であることから、本書でも太閤検地はやや詳しく紹介される。太閤検地が土地面積ではなく石高によって行われたこと、中世的な主従関係ではなく名目的であれ国家機関によって実施されたこと、複雑な貢納関係を整理して徴税権を領主に一元化し、領主=農民関係を確立したことなどが重視されている。

私自身は、この時代の思想的な動向に興味があって本書を手に取った。言うまでもなく、織豊時代はキリシタンの世紀であり、貿易による実利を求めてであったにしろ、大名ですらキリシタンに改宗した時代であった。そしてもう一つが、織田信長の比叡山焼き討ち・一向一揆の殲滅・法華宗の否定(安土宗論)など、中世的な仏教勢力の解体が行われたのもこの時代だ。こうした宗教における激動がこの時代に一気に進んだのが興味深い。

さらに面白いことは、信長と秀吉が、自身の統治権を日本全国に及ぼす理屈として天皇の存在を持ち出していることである。信長や秀吉は、必ずしも日本全土を掌握していない段階から「天下人」として振る舞い、日本全土を統治した格好で政策を進めた。それは朝廷への奉仕を名目にしたり、天皇の権威を使うことによってなされたのである。興味深いことに、これはまさに明治維新の際に使われたロジックと全く同じであった。

本書はいわば「歴史観に再考を催す」本であるが、実は私自身があまり織豊時代に詳しくないので「再考」どころかこれまであまり織豊時代の評価について考えてもいなかった。なので本書の促す「再考」は全くできていない。とはいえ、本書は1981年に「教育者歴史新書」として発行され、それが2012年に吉川弘文館の「読みなおす日本史」シリーズの一冊として再刊されていることを考えると、著者の促す「再考」はまだ有効な問いかけなのだろう。もう少しこの時代のことの勉強をしてから機会があれば再読してみようと思う。

織豊時代の再検討を迫る良書。


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