2019年6月14日金曜日

「話」を集めた民俗学者

南方熊楠の『十二支考』は驚異的な本である。

これは十二支に宛てられている動物たち(もっとも牛は除く)に関する蘊蓄を縦横無尽に語っている本なのだが、蘊蓄のレベルが超人的だ。古今東西の文献を博引旁証し、仏典のようなお堅い本から現代のゴシップのような話まで自由自在に飛び交っている。

これはある意味ではスクラップブック的な本であって、体系的に何かを論証・分析しようというよりは、興味の赴くままに面白話を乱打しまくるものだ。にも関わらず全体としては熊楠の世界観を提示する大曼荼羅という趣がある。

しかもその文体が、日本語として空前絶後とも言うべきものなのだ。

学術的なことを語ったかと思えばエロ話もあり、ところどころにダジャレや諧謔も差し挟まれ、そうかと思えば自分のことも剽軽に語りだす。さらには社会風刺や政府への批判、時事問題に対する警告(特に神社合祀問題)なども随所に登場し、天才・南方熊楠の人格がそのまま文章になったような天衣無縫、唯一無二の文体なのである。

私は若い頃本書を読んだとき、内容よりもその文体の自由さに惚れぼれして、こんな文章を書けるようになりたいと憧れたものである。もちろん内容の方もすさまじく、神話伝説、伝承、民俗を凄いスピードで駆け巡っており、ある時期、この本は私のタネ本にすらなっていた。

『十二支考』ですっかり熊楠の虜となった私は、東洋文庫の『南方熊楠文集(1)(2)』や中沢新一編集の『南方熊楠コレクション』(河出文庫、全5巻)などを買い集めたものである。十数カ国語を操り、博覧強記、熊野の田舎にいながら世界的研究を進めた(雑誌「ネイチャー」に掲載された論文数は、未だに日本人では最高という)熊楠は、私にとって知的ヒーローだった。

そんな南方熊楠を「日本民俗学最大の恩人」として尊敬していたのが日本民俗学の創始者・柳田國男である。

柳田は熊楠と知り合う前、既に『遠野物語』などを著して民俗学への歩みを進めていたが、熊楠との文通でその考えが具体化され、また熊楠から『The handbook of folklore(民俗学便覧)』を貸してもらったことは日本民俗学の大系化に大きな影響を与えたと言われている。

しかし柳田は熊楠から教唆された舶来の「民俗学」を翻訳して日本民俗学を作ったわけではない。それは二人の書いたものを読んでみればすぐに分かることだ。

熊楠の場合、その研究は今で言えば「博物学」に分類され、良くも悪くも19世紀的な自由さと乱雑さに満ち、分析よりも事実のコレクションの方に重点が置かれている(もちろん分析も緻密であるが)。一方柳田の方は、伝承や昔話をコレクションするという採集者的な側面はありながらも、それをメタ的に解釈する、つまり「どうしてそういう伝説が生まれたのか」を考えることで民衆の思想を再構築しようとするのである。

例えば『山の人生』では、かつて日本には里に暮らす人々とは一風変わった山に暮らす民族がいたという考えの下、残された伝承や民俗からそうした山人たちの実態を推測しているが(なおこれ自体は現代の科学からは全面的には承認されていない)、「たった一つの小さな昔話でもだんだんに源を尋ねていくと信仰の変化が窺われる」として普通の人々の山に対する態度や考えの変化を示しており、柳田國男の想像した「山人」がここに描かれたものではなかったとしても『山の人生』は興味深い論考なのである。

ところで柳田國男を読んでいて感じるのは、様々な伝説や昔話が動員されてはいるものの、いわばそれが「不思議なこと」「ごく稀にしかない変わった出来事」などが中心となっているということである。これは考えてみればこれは当たり前のことで、平凡な毎日は伝説として残されるわけはないのだから、彼の研究の中心が妖怪や怪異が出発点となったのは必然だった。そして柳田の手法の要諦は、そうした奇異な出来事を語る語り口の変化から、人々の平素の思想の移り変わりを読み取る部分にあったように思う。

これは柳田の論考を読む上での最大の醍醐味でもあって、何気ない昔話や怪談から、その背後に隠れた意外な事実をスルスルと引き出して見せるところはまさに快感である。また柳田の文章は文学としても大変に優れているもので、熊楠の文章が唯一無二のものでしかありえないのとは違い、日本語としての普遍的なプロポーションを備えている。民俗学に興味のない人でも、「文学」として読めるのが柳田國男だと思う。

一方、初めて読んだ時に「挫折」したのが宮本常一の『忘れられた日本人』だった。

当時、私は別段民俗学に思い入れがあったわけでもなく、単に「名著だから」というような理由で本書を手に取った。

しかしどうも内容が頭に入ってこない。熊楠はもちろん柳田と比べても、随分内容が地味なのだ。当時私は東京にいて、いわゆる「コンクリートジャングル」で仕事をしていたのだから、この静かな本に耳を傾けることが出来なかったのも当然かも知れない。それで、面白くない本を無理して読むようなタイプではないので、途中まで読んだ『忘れられた日本人』は書架に戻されたのだった。

ところが、鹿児島のド田舎に移住してから本書を読んでみると、こんなに面白い本もなかったのである!

田舎に暮らす人々の、ありのままの暮らしがワーっと目の前に立ち上がってくるようで、しかも普通の人(これを宮本は「常民」と呼ぶ)のありさまが記述されているだけでなく、その暮らしや行動の底流にある「論理」がゆっくりと紐解かれていくのである。

同じフィールドワークをするのでも、柳田國男の場合、かなり意図的に「価値ある話」を選別して記録している感じがするのに比べ、宮本常一の場合は「そこらへんにいる普通の人の身の上話」をある意味で見境なく記録して、そこから社会の古層に入っていこうとする。

だから宮本常一のフィールドワークはすさまじく、日本全国を隈無くと言ってよいほど歩いており、歩いた距離では民族学者中で圧倒的だという。ちなみに宮本常一は、私が今住む南さつま市大浦町にも来たことがある。

しかしそれにしても、こんなに面白い宮本常一を、東京にいた頃は全く面白く思わなかったのだから不思議というか、本と自分との関係性は固定的なものではないということを改めて思い知った。

ところで私は娘たちに毎日読み聞かせをしていて、その基本図書が『日本の昔話 全5巻』(福音館書店)である。

これは昔話の第一人者である小澤俊夫が「おざわとしお」名義で出したもので、「子どもに読み聞かせられるちゃんとした昔話が少ない」という問題意識の下、福音館書店の総力を挙げて編集したものである。

「ちゃんとした昔話」って何? と思うかも知れないが、これは「昔話本来の形を残し、余計な脚色や文学的な表現をせず、耳で聞いて理解しやすいクリアな語り口で、しかも標準語で書かれた昔話」のことである。

というのは、よく売られている昔話絵本は、「残酷だから」という理由で結末が改編されるといったことは論外としても、かなりの程度脚色や補筆、現代化、幼児化(内容が単純化される)がなされており、我々の先祖が営々と伝えてきた昔話が破壊されてしまっているのである。これに対し、昔話のそのままの形を残しつつ、わかりやすく現代語に置き換える語り方を「再話」といい、小澤俊夫はこの強力な推進者なのだ。

また小澤は、「昔話大学」という昔話の保存、記録、読み聞かせ技法の習得などを行う学習会のようなものを全国各地で主催し、昔話の豊穣な世界を次の世代に伝えていくために精力的に活動した。

さて、長々とこういう話をしたのは、実は小澤俊夫が柳田國男から連なる民俗学の系譜に位置づけられる人だからで、柳田國男の弟子の関敬吾、のそのまた弟子が小澤俊夫にあたり、いわば彼は柳田の孫弟子なのである。

実は柳田國男自身も昔話の収集を行っており、それは『日本の昔話』『日本の伝説』にまとめられている。柳田は官僚であったため、全国の市町村に照会して昔話を収集するという、公権力を民俗学の研究に使うような、ちょっと今では考えられない手法で昔話を収集した。しかしそのおかげで全国津々浦々に残る昔話をかなり整理し、『日本の昔話』ではエッセンス的に表現した。

弟子の関敬吾も昔話の収集を行っていて、関の場合はただ収集するだけでなく、ヨーロッパの民俗学の知見を取り入れて昔話の類型分けを行った。ちなみに昔話の類型分けは世界的なプロジェクトであって、現在ではアールネ=トンプソン=ウター分類(Aarne–Thompson–Uther type index、ATU分類)というのが標準になっている。

この類型分けの最新版をまとめたのが分類の名前にも掲げられているドイツのハンス=イェルク・ウター。小澤俊夫は関敬吾に師事した後、ドイツに留学してウターにも学んでいる。小澤俊夫は、柳田から続く昔話収集の学統を継いだエキスパートで、さらにそれをこども向けの書籍へと普及させた人と言える。

こんなわけなので、おざわとしお再話の『日本の昔話 全5巻』は読み聞かせに最適なだけでなく学問的にもしっかりとしており、万人にオススメできる昔話読み物である。


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