2019年6月29日土曜日

『知の職人たち・生涯を賭けた一冊(紀田順一郎著作集〈第6巻〉)』紀田順一郎 著

生涯最大の一冊の誕生のドラマ。

『知の職人たち』は明治から戦前までの大叢書・大辞書・大事典を生みだした天才たちのドラマであり、『生涯を賭けた一冊』は作家や学者ではなかった人を中心に、その生涯の総決算として作った一冊の本について述べるものである。

『知の職人たち』
コンピュータ誕生以前、辞書の編纂は壮絶な作業を必要とした。古今の文献から厖大な情報をカードをに抜き出し、整理し、意味を抽出し、体系化し、それを表現した。その作業は、ある程度は分業ができたとはいえ、本質的には一人の頭の中で統合されるべきものだった。よって辞書の編纂は、知的な「英雄」によって初めて成し遂げられる大事業だったのである。

しかもそれは、一度本を読んだら二度と忘れない、というような驚異的な記憶力を持つ天才の力を以てしても、その全生命を費やさなくては貫徹できない仕事であった。

だから本書を読んで、胸が熱くなった。一冊の本を生みだすのに、ここまでのドラマがあったのかと感動に震えること間違いない。

本書に取り上げられているのは次の9冊。

塙保己一『群書類従』:塙保己一は盲人だったが、生来の学問好きからやがて学者となり、一大叢書製作プロジェクトを率い、数々の困難に遭いながらも635冊をまとめた。彼は門人に読んでもらった書物を記憶し、蓄積、整理して自らの頭の中に図書館をつくり上げ、それを『群書類従』として表現したのであった。

吉田東伍『大日本地名辞書』:吉田東伍も博覧強記の天才タイプだったが、三男だったこともあり満足に教育も受けられず、在野の学者として『日韓古史断』などを出版したものの学術界からは十分に評価を受けなかった。そこで日本中の地名を考証するという壮大な事業に集中することにし、他の全てを擲って執筆に邁進。13年かかって全11冊5800ページをまとめ上げた。この功績で吉田は中学しか出ていないにもかかわらず文学博士の学位を授けられた。今でも本書は地名考証辞典として価値を失っていない。

石井研堂『明治事物起原』:小学校卒でしかなかった石井は文筆を志し少年少女向けの雑誌の編集などを手がける。やがて明治文化研究会に所属し明治時代の研究をするうち、趣味的・好事家的興味から明治時代の様々な生活・文化・技術等の変化を調べるようになり、非常に正確な考証の上『明治事物起原』をまとめた。

斎藤秀三郎『斎藤和英大辞典』:語学の天才でエネルギッシュな人柄、一言で言えば「名物教授」的な人物であった斎藤秀三郎は、堅苦しい漢文的翻訳を廃したわかりやすい訳文によって明治時代の英語教育に新風をもたらした。彼は寸刻も違わぬ規則正しい日常生活・研究生活をたゆみなく続けることで、80年以上にもわたり再版を重ねた英和大辞典を書き上げた。本書の特徴は、熟語(イディオム)を中心として英語を理解しているところである。

日置昌一『話の大事典』:日置昌一は天才タイプでしかも伯父により英才教育を施されたが、大学等に行くことはできず、17年もの間(たった2日を除いて!)上野の帝国図書館に通い詰めた。そしてその成果として、詳細かつ近代までカバーした日本史の年表『国史大年表』全7巻を刊行。これは評判が良くベストセラーになったが、アカデミズムからは素人の仕事として好感を得なかった。そこで昌一は学問以外のところで博識を生かそうと、雑学大百科的なものを執筆し、その第1号が『話の大事典』で、さらにそこから『ものしり辞典』『ことばの事典』などを矢継ぎ早に刊行した。これらの本は戦後、知的に飢えていた人々に、すぐには役立たないが興味深い知識を提供した。彼は好奇心や向学心を持ちながらそれを体系化する機会がなく、身分的制約から昇進も望めなかった人々の中で一種のヒーローであった。

巌谷小波・栄二『大語園』:児童文学の作家であった巌谷小波(さざなみ)は、収集癖があったためか説話を大量に集める仕事をやるようになり、『日本昔噺』全24冊、『日本お伽噺』全24冊、『世界お伽噺』全100冊、『世界お伽文庫』全50冊などを編集。その集大成として東洋の古今の説話約8300を集めた『大語園』全7巻に至った。本書は小波の弟子の木村小舟が執筆を担当したが、荷が重すぎる仕事だったため中絶していたところ小波の息子の栄二がその編纂を継承して完成させた。特に出色の出来だったのが索引で、テーマからも固有名詞からも説話を検索できる当時としては全く例のないものだった。本書は経済的にはあまり成功しなかったが、手塚治虫がタネ本としていたことでも知られる。

牧野富太郎『牧野日本植物図鑑』:牧野富太郎は、採集した標本は40万点にも及び、牧野が命名した新種・変品種は1600に達し、名付けた学名は3000以上という超人的な仕事を成し遂げた。一方で彼は東大にいたけれども、そうした管理機構と馴染まない奔放な学者だった。そのため自ら貧乏くじを引いたようなところもあり、貧困と不自由に甘んじなければならず、晩年には東大を追放された。その翌年、牧野植物学の総決算として著したのが『牧野日本植物図鑑』であり、植物の図鑑であることを越えた普遍的古典である。

諸橋轍次『大漢和辞典』:中国留学時に辞書に苦労した諸橋轍次は自ら索引を作ったことが縁となり、大修館書店から辞書編纂の依頼を受ける。大修館書店は学習用参考書を作っていた出版社だったがその社長鈴木一平は「一生の仕事」として辞書編纂をしてみたいというのである。こうして諸橋と鈴木の苦闘の35年が始まった。途中諸橋は校正のため目を酷使し、失明同様になってしまったが執念で編纂を続けた。印刷にあたっては活字がない字がほとんどのため、最初は木版彫刻師木村直吉に作字を依頼し第1巻が完成。ところが昭和20年の大空襲で校了間近になっていた第2巻以降の組版が消失。再び活字を彫り直すことができないため、写真植字を活用することとなり「写研」の創立者石井茂吉に白羽の矢が立った。石井は晩年の8年間で、5万字の文字をつくり上げた。これは石井にとっても事業を離れたライフワークであった。35年の月日と、述べ25万8千人の労力、9億円(時価)の巨費をつぎ込んだ、未曾有の大漢和辞典はこうして完成した。

新村 出『広辞苑』:新村出はさほど気乗りしない仕事として辞書編纂に取り組み『辞苑』という辞書を完成させたがこれがヒット。この改訂版として百科事典的項目を充実させた『広辞苑』の企画が生まれた。成り行きで編集は大作業となったが、完成した『広辞苑』は世間の需要にマッチし戦後初の本格的大辞典として受け入れられた。やがて『広辞苑』は一人歩きを始め、日本語の規範とさえ考えられるようになった。新村出は「辞書の英雄時代」の最後を飾る存在だった。


『生涯を賭けた一冊』
 本書では、様々な境遇の人が、不思議な運命に導かれてライフワーク的な「生涯を賭けた一冊」を書き上げるドラマを追っている。ここで紀田は、単に伝記的な事実を整理するだけでなく、可能な限り子や孫など関係者に会いに行き、その不思議な導きを繙いていくのである。

特に心を打つのが、その生涯をたった一つのテーマを追うことだけに費やしたような場合で、内面からのやむにやまれぬ衝動が一冊の本に結実していく様子は非常に興味深い。ここに取り上げられている本は以下の通りである。

文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』
岩本千綱『三国探検実記』
山本作兵衛『王国と闇』
田中菊雄『現代読書法』
玖村敏雄『吉田松陰』
松崎明治『釣技百科』
山下重民『新撰東京名所図会』


『知の職人たち』『生涯を賭けた一冊』共に、「本という形にまとめること」に取り憑かれた人々が生き生きと描かれていて引き込まれた。

名著誕生のドラマを追った胸が熱くなる本。


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