2016年11月20日日曜日

『知られざる傑作―他五篇』バルザック著、水野 亮 訳

バルザックの短編6編。

バルザックも、いつか読もうと思っていながら今まで手を出さなかった作家の一人である。『人間喜劇』——これはバルザックの作品の集成で、一つ一つ独立してはいるが、共通の世界観や登場人物によって構成される絵巻物的なもの——の厖大な世界を前にすると、足がすくむというか、気軽に手を出すことを峻拒されているような気がして、今までバルザックを視て見ぬ振りをしてきたのだった。

しかしそういう気負いを感じる年齢でもなくなってきたので、かえって気軽な気持ちから、短編でも読んでみようか、と手に取ったのが本書である(本書の内容も、『人間喜劇』に包摂されている)。

私は、基本的には古典と前衛的な20世紀文学が好きで、19世紀の文学というと「いかにもな話」という目で見るようなところがあり、これも若い時分に読んだら斜に構えて読んでいたかもしれない。しかし今になって見ると、こういう「いかにもな話」にも力があることを再確認させられ、19世紀文学もいいじゃないか、と思うようになってきた。

本書に収録された短編に通底するテーマを挙げるとすれば、それは「執着」である。ここに描かれた人物たちは、みな何かに対して強烈に執着している。表題作の『知られざる傑作』では、理想の女性を描くために10年を費やし、しかしそれでも理想へと到達できないことに絶望して自決する老画家が出てくるが、芸術に対する偏執狂的なまでの執着は、見ていて痛々しいほどである。

そして、非常に心に残った作品が『ざくろ屋敷』。これは不治の病に冒されたシングルマザーの母親が、せめて死ぬまでの短い間に子どもたちに最高の教育と環境を与えたいと願い、「ざくろ屋敷」に自分と子どもたちだけのユートピアをつくり上げ、そして死んでしまうという話。子どもたちへの執着、そして劇中では詳らかにされないが、別れた夫との諍い(おそらくは不倫関係?)への執着がありつつも、近い将来訪れる自らの死はそれらの執着を無にしてしまう、という一種の諦念がスパイスとなり、彼女の心象風景を複雑なものにしている。

この2作に限らず、本書に収録された短編は、登場人物の感情が劇中を強く照射して輪郭をはっきりとさせ、ぐいぐい引き込まれるような作品になっている。しかも、その感情は直接的に描写されるというよりも、ふとした仕草、持ち物や住居の具合、一瞬の戸惑いといったものによって表現されており、そのエピソードの作り方が実にうまい。

良質なエンターテイメントであり、また人間観察や歴史巻物としても楽しめる良質な短編集。

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