2016年9月9日金曜日

『梁塵秘抄』後白河法皇 編纂、川村 湊 訳

『梁塵秘抄』に基づいて書かれた詩集。

本書は、一応『梁塵秘抄』の現代語訳ということで販売されているが、実態としては翻案であり、ほぼ創作に近いものが多い。例えばこんな調子である。

【訳】
甘い言葉も やさしい嘘も
あなたの口から 聞きたいの
ほんとの愛など うそっぱち
いまの 夢だけ あればいい

【原歌】
狂言綺語のあやまちは 仏を讃(ほ)むるを種として 麁(あら)き言葉も如何なるも 第一義とかにぞ帰るなる

どうしてこんな超訳がなされているかというと、もともと『梁塵秘抄』というものは庶民の間での流行歌を収録したもので、「今様(いまよう)=当世風」の言葉の世界が展開されているものであるから、まじめくさった古典の翻訳ではなく、あえて今様の現代語訳にしようという意図があるのである。

私は、その意図には大変共感する。庶民の俗謡を表現するのに、韜晦な訳文を使うのはよくないと思う。しかし本書ではこの意図は十分成功しているとはいえない。というのは、著者の現代語訳は、今様というよりも昭和歌謡調、演歌調であり、どちらかというとレトロな、古くさい表現が多いのである。そして、原歌と比べてどうも「ありがち感」が増している。

つまり、『梁塵秘抄』の詩想を、ありがちな演歌型にはめて表現したような現代語訳が多い。『梁塵秘抄』への入り口として、こういう遊びが入った作品に親しむのもいいと思うが、肝心の現代語訳があまりよくないというのが根本的な問題である。

私が思うに、『梁塵秘抄』を現代詩に翻案するとすれば、演歌というよりヒップホップのようなものになぞらえる方がよい。試みに先ほどの歌を私が訳してみればこんな風だ。

【風狂訳】
うまいセリフ とびきりのライム でも
それ中身空っぽ! なんて言うなよ?
見かけだけクール てわけじゃないんだぜ
ほんとうはフール マジでクソまじめさ
神も 仏も 畏れる男
不器用なリリック でもわかってくれるだろ?
この歌の価値!

ちなみに原歌を少し解説すると、「無闇に飾り立てた言葉や小説・和歌の類は、仏教の立場からは過ちとされるが、その本意には仏への讃仰(今の言葉で言ったら「人間讃歌」かもしれない)があるわけで、それが乱暴な言葉や無理な言葉であっても、結局はその本意こそ重要で軽んずべきではない」というような意味であると思う。

この歌は、この俗謡集を編纂した後白河法皇のまさに衷心が仮託されたものである気がする。後白河法皇は、天皇・上皇の地位にありながら、当時の庶民の歌に惹かれてその練習に明け暮れた。ハイ・カルチャーが支配する宮中の中で、サブ・カルチャーを愛好していた変わり者だった。社会の主流派から軽んじられた俗な流行歌に狂い、最高の地位にありながら、名も無き歌人(うたびと)から歌を習った。後白河法皇の周りには、一種のサブカル・サークルができあがったが、彼ほどの熱意で庶民の歌を歌う人間は他になく、孤独もあったようである。

その後白河法皇が、何十年来聞き、習い、歌った歌を、せめて後の世に残しておこうと編纂したのがこの『梁塵秘抄』なのである。後白河法皇がいなかったら、決して残らなかったであろう、社会のはみ出しものたちの謡。陳腐な昭和歌謡の枠にはめてしまうのは、惜しいと思うのである。

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