2016年9月8日木曜日

『宗教を生みだす本能―進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド著、依田 卓巳 訳

宗教を進化の産物と見る視点から、宗教の来し方行く末について考える本。

著者は進化学の研究者でもないし、宗教学の専門家でもない。本書はジャーナリストである著者が、これまでの研究成果をまとめ、それに対する自らの考えを述べた本である(つまり著者自身の研究ではない)。

私は、宗教の進化心理学的考察については、本書でも参照されている主要な一般向け書籍を割合読んできた。例えば、パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』、ダニエル・C・デネット『解明された宗教』、スティーブン・ドーキンス『神は妄想である』、Marc Hauser "Moral Minds"、スティーブン・ピンカーの諸著作といったものだ。こうした書籍に既に目を通していれば、本書のようなジャーナリストがまとめた本を手に取る必要はないかもしれない。だが、素人には素人の慧眼というものもあるので、自らの理解を確認する意味も兼ねて本書を読んでみた。

本書は、概ね4つの内容から構成される。

第1に、宗教は進化の産物であることを論じる(第1〜3章)。すなわち、宗教行動は人間が恣意的に作った文化ではなく、生得的にプログラムされている行動であるということだ。宗教を持った集団はより生き残りやすかったため、宗教を持つ遺伝子はどんどん広まっていった。宗教には集団を結束させる力があり、宗教を持たない集団との戦闘においては、信心深い集団の方が有利だったのである。なぜなら宗教には、自己の利益を顧みないで組織的な行動を優越させる力があるからだ。

この部分は、既存研究のまとめがほとんどであるが、少し要約が過ぎて議論に丁寧さを欠くのが気になる。歯切れよく言おうとするあまり、未だ研究が煮詰まっていないことについても素人の独断を発揮している部分がある。例えば、宗教が進化の産物だとするのは今や通説だとしても、宗教を構成する行動全てが適応的(子孫を多く残せる)かどうかはまだ明らかではない。パスカル・ボイヤーは人間が神を認知するのは、人間の生得的な認知機構の誤作動や副作用であると考えるが、そうした考えを一蹴して、宗教行動の全てが進化的に獲得された、生き残りに有利なものだったと決めつけるのは粗い議論である。

この部分だけでなく全体として、素人の蛮勇というか、先行研究を大雑把にまとめて臆断するような粗い論調が目立つ。宗教の進化・変容というものは、まだ分かっていないことがとても多いので慎重に扱うべきものと私は思う。この部分だけで本1冊分くらい使いたいところである。

第2に、宗教に先立つものとして、音楽やトランスを伴う儀礼が進化したのではないかと論じる(第4、5章)。ここは少し面白いところで、私自身は音楽の発生を宗教と関連させて考えたことがなかった。確かに、音楽は宗教と密接な関係を持ち、その進化の黎明において宗教と共に発達したことはありそうなことである。トランスについては、ヒト以外の霊長類には集団で動きを同期させる(同じリズムに乗る)能力はないとして、なぜヒトでは集団でのリズム運動が発達したか、という考察から原始宗教におけるトランスの重要な役割を推測している。これらは概ね納得できる議論ではあるが、ここに提出された事例が少なすぎるので、悪く言えば床屋談義の域を出ていないようにも思われる。音楽については、リズムだけでなくメロディーや和声のことも考えると宗教との関連で全てを理解することはできないのは当然なので、もう少し広い視野で起源を研究すべきだろうと思った。先行研究を確認したいところである。

第3に、狩猟採集社会から定住社会へ、そして都市文明への社会進歩に応じて、どのように宗教が変容していったかを論じる(第6、7章)。ここは一種のケーススタディ(事例紹介)であり、 あまり理論的なことは述べられていない。しかも提出された事例も少ないので、著者の考える宗教の変容を語るために、恣意的に事例が選ばれているように感じる。特に、定住社会以降の宗教の変容については、ユダヤ、キリスト、イスラムという3大一神教を取り上げているが、このかなり特殊な宗教を事例の代表として持ってきたのはよくなかったと思う。

第7章は、ユダヤ教史、キリスト教史、イスラム教史の要約となっているが、その取り上げ方もあまり誠実なものではない。例えばキリスト教史については、随所にポール・ジョンソンの『キリスト教の2000年』が参照されているが、これはローマ史を繙くのに塩野七生の『ローマ人の物語』を参照するようなもので、学術的な態度としては疑問である。イスラム教史に至っては、ムハンマドは実在していなかった、という仮説をかなり重んじて述べており、無闇にセンセーショナルなことを言おうとしているだけではないかと感じた。

また、宗教が進化的な産物とするならば、最初の人類が既にそれを持っていたはずなので、全ての宗教はその祖宗教からの系統を描けるのだ、という仮説を述べている(つまり全ての宗教は遡るとある一つの宗教へとたどり着くという)が、これはちょっと先走り過ぎの議論である。遙かに研究が先行している言語ですら、全ての言語の祖語があったのかどうかということは未だ明らかでない。こういう議論は軽率であると思う。

第4に、宗教の発展を辿りつつ、社会機構にまつわる様々なことを論じる(第8〜12章)。道徳、取引(経済)、出生率の調整、天然資源の管理、戦闘、国家(アメリカの宗教事情)、そして宗教の未来について。この部分の議論はあまり深みのあるものではなく、それぞれ簡単に宗教との関わりが述べられているに過ぎない。我々は既に脱宗教化した世俗国家に生きているので、こうした社会機構の様々な面に宗教が深く関わっていたことを忘れがちであるが、現在でも宗教は大きな影響力を持っているんですよ、という主張である。ここについては、著者は随分気焔を上げて書いているが、別段新味のある内容でもないと思う。

全体として、専門家ではないから議論が浅くなりやすいのは仕方ないとしても、その浅い議論から断定的に述べる粗忽さが目に付いた。エピソードをいくつか紹介して、そこからすぐに結論に飛びつくようなところがあり、論理的に堅牢でない書物である。ジャーナリストはジャーナリストらしく、自らの見解はあまり述べないで、現在の研究の最前線を素直にまとめるだけでももっと充実した本が書けたのではないかと思う。そもそも、著者はジャーナリストでありながら、本書を書くために誰一人として取材していないようである。要するに、これは刊行資料を読んだだけでわかったつもりになり、自分の考えを付け足した本で、そのために著者の独善が修正されずそのまま書かれている。

また、文化の進化ということを考える際に重要なはずの「ミーム」の概念が全く提出されていないことは重大な問題だと思う。宗教がある程度適応的だったにしても、それが広まるには宗教を生みだす遺伝子が存在している必要はない。宗教がミーム(つまりそれを伝えていく文化的遺伝情報)によって伝わっていけば十分なのだ。ダニエル・C・デネットなどは、宗教は我々に寄生するミームを持つ、譬えればウイルスみたいな存在である、というようなことを述べていて、このアイデアは本書においても紹介する必要があったと思う。

いろいろ問題点を述べてきたが、一つだけ擁護するとすれば本書の内容はそれほど的外れではない。議論は粗忽で、同じことの繰り返しが多く、筆の運びは論理的繋がりが曖昧だが、書かれていることそのものは妥当なことが多い。進化生物学や宗教学者たちにもしっかり取材して書けば、かなり面白い本になったような気がする。

宗教の進化を探るという面白いテーマとそれなりの内容を持ちながら、書き方がマズい惜しい本。

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