2016年1月25日月曜日

『私と農学―名著を読む』盛永俊太郎 著

農に関する様々な書物への覚書。

本書は、農学者であり技術者であった著者が大日本農会機関誌『農業』へと連載した論考のち、名著を読み解くテーマのものをピックアップしてまとめたものである。

取り上げられているのは、和辻哲郎『風土』、三沢勝衛『風土産業』、ベイリー『農業の原理』、ハワード『農業聖典』、ブロムフィールド『楽しい谷』、新渡戸稲造『農業本論』、横井時敬の農論、中国の農書『済民要術』、クルチモウスキー『農学の原理』、クロッカー『将来の植物学』、ダーウィン『種の起源』、ルンデゴールド『環境と植物の発育』、服部辯之助『二宮尊徳の哲学』、ヒル=スチアーマン(共著)『農業の哲学的背景』、イリース『人間の動物学』の15編。

本書は、名著の内容を要約するものではなく、その記述ぶりから農学に対する姿勢を問うものであり、農業の技術的側面についての論考はほとんどない。それどころか、「農学に対する姿勢」も多様なものを紹介するというよりは、「農学とは純粋な学術研究だけでは意味がなく、実用に耐えることが重要であり、究極的には農家の経営・生活が改善されなければならない」ということをいろいろな角度から指摘するもので、正直、本一冊を費やして長々と述べるテーマではないと思った。

それとも、著者が活躍した時代には、このような論考をものさなければならないほど、農学が現実から遊離した役に立たないものになっていたのだろうか。

それから、本書では農学について深く考究するうちに人間の幸福や至善といったことまで思いを馳せているが、農学というものをそんなに大げさに考える必要があるのかと感じさせられた。もちろん幸福や至善を考えてもいいのであるが、それこそ著者の批判する現実から遊離した理念的農学と同轍なのではなかろうか。農業をことさらに素晴らしい職業とみなしたり、職業以上の「生き方」だと考えたりするのは、むしろ農学への見方を曇らせるものではないのかと感じた。

名著の内容紹介は真面目で参考になるが、そこから引き出す教訓はやや上滑りした感のあるもったいない本。

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