2016年1月11日月曜日

『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン著、齋藤 磯雄 訳

19世紀末の恐るべきSF。

これは、没落貴族の詩人、ヴィリエ・ド・リラダン伯爵が、インクを水で薄めて使う赤貧の中で書き上げた、数奇で風刺に満ちた本である。

ある青年貴族が、女神のように美しい、完璧な容貌を持つ人と運命的な恋に落ちる。しかしその女性の精神は、芸能界に憧れ薄っぺらい成功を夢見る俗物、というよりも悲しいほどに平凡なものであった。女性の神々しい外見に恋しながら、その俗物さを嫌悪する青年貴族は魂の矛盾にさいなまれる。

そこで発明家のエディソン氏は、あなたの女神から魂を抜き取ってあげましょうと提案する。 恋する女性の代わりに、その女性とそっくりの人造人間を創り、理想的な精神(の模倣物)を入れてしまえばよろしいというのである。

本書のかなり多くが、精神を模倣することなんて不可能だという青年貴族に対する、エディソン氏の反駁に費やされるが、そこが人間性への風刺にもなっていて面白い。例えば、当時は当然コンピュータのようなものはないので、会話は事前に録音したセリフの組み合わせになる。青年貴族はそんな舞台のような会話は耐えられないと言うが、エディソン氏は、我々の会話だって一種の舞台のセリフのようなもので、自分の言いたいことを発言しているというより、その場で言うべきことを半ば機械的に言っているだけなのだから、それはほとんど自然なことだ、というように諭すのである。

このように、我々が「自由意志」に基づくと信じているようなものですら、機械的に模倣することが可能であり、機械はそれを人間よりももっと正確にできるのだから、魂のない人形こそが理想の人間になりうるのだ! というエディソン氏の主張はある意味哲学的ですらある。

最初はそんなわけはないと歯牙にも掛けなかった青年貴族だったが、できあがった人造人間「ハダリー」との衝撃的な出会いによって、この人造人間に首ったけになってしまう。ほとんど、現代の「2次元の嫁」におけるそれと同じように、自分の理想が完璧に投影されたハダリーを「愛し」てしまうのである。

本書には、科学万能主義、工業主義への批判や風刺がこめられているという。しかしその批判や風刺は一筋縄ではない。機械によって人間性が再現できるのだという傲慢は、批判されるべきものというより人間性そのものへの疑問に基づいているし、人造人間を愛する青年貴族は、現実を見ない世間知らずではなく、むしろ浅薄な栄達を夢見る中身のない「現代的な」女への糾弾者である。

この軽佻浮薄な資本主義の世の中で、古き良き品位を備えた人間として生きようと思えば、もはや現実の人間を相手にしていてはダメで、人間以上の理想の存在を伴侶にする必要がある。しかしそれは、嫌悪すべき科学の力を使わなくては創り出すことができないのだ。

創世記において、イヴは知恵の実を食べてアダムを堕落させた。未来において男を堕落させるのは、もはや生身の女ではなく人造人間である。そういう黙示的予感から、「未来のイヴ」というタイトルがつけられたのであろう。それは、21世紀の日本で、「2次元の嫁」として現実化しているのかもしれない。

齋藤磯雄による正字・歴史的仮名遣いの鏤骨の翻訳も光る歴史的名著。

0 件のコメント:

コメントを投稿