2015年9月1日火曜日

『カウンセリング・心理療法の基礎―カウンセラー・セラピストを目指す人のために』金沢 吉展 編

カウンセリング・心理療法の道に入る人に対するガイドのような本。

本書は、カウンセラーなどを目指す大学生に向けて書かれており、職業案内的なものも含めて専門分野に入っていく前のガイダンスである。であるから、心理療法の基礎、という表題になっているが治療法のハウツーではなく、本書によってそういう技術を身につけることはできない。むしろ、心理療法がどういうものであるのか、ということをしっかり知りたいという人のための本である。

本書で最も印象に残ったのは、カウンセリングの効果分析の項である。効果分析とは、カウンセリングには本当に効果があるのか。効果があるとすればどのような方法が効果的なのか、といったことを明らかにする研究である。たくさんのカウンセリングのサンプルから統計的にそうしたことを分析した結果、驚くべきことに、カウンセリングの理論や介入モデル(どういった助言をするかなど)間で効果に統計的な差はないことが明らかになったのである(M.L.スミスらの研究による)。

カウンセリングにはたくさんの心理理論が使われている。例えば、「心」には自我、イド、超自我といった構造があって精神を意識と無意識のメカニズムとしてとらえるのが「精神分析」、そういう反証可能性のない理屈を用いず、「心」をあくまで観察可能な行動の集積として理解しようとしたのが「行動療法」、逆に個人の主観的世界を「心」として理解しようとしたのが「クライエント中心療法」、といった具合である。

こうした種々の理論に基づいて、 様々なカウンセリングのアプローチが開発されておりその数は400以上もあるという。こうなってくると、そのうちのどれが最も効果的か、ということになるのであるが、先述のとおりその差はほとんどなかったのである!

ではカウンセリングの効果には何が決定的な要因となるのか。それは、クライエント(治療を受ける人)とカウンセラーとの間に「作業同盟」が築けるかどうかなのだ。つまり、クライエントがカウンセラーを信頼し、この人と一緒になって自分の心理的問題を解決しようという気になるかどうか、ということである。それには、カウンセラーの傾聴的姿勢とか誠実な態度とかいうことが重要になってくるが、心理理論はほとんど関係がない。

こうなってくると、じゃあ心理理論なんか必要ないのではないか、という疑問が生まれる。しかし、いくら自分の問題を傾聴して共感してくれる誠実な聞き手がいたとしても、クライエントがその人を心理の専門家ではない、ただの話し相手だと思ったとすると、「作業同盟」ができないので治療の効果が期待できない。やはりクライエントはカウンセラーをその道の専門家だと思うからこそ一緒に治療しようとするのであり、そのためにこそ心理理論という錦の御旗が必要なのである。本書はそこまでは書いていないがかなりそれに近いことが書いており、これには驚かされた。

このことを逆に考えると、信頼さえ構築できるのであれば心理理論など全く理解しない人であっても、心理的問題の解決にはかなり役立てるということになる。問題をよく聞き、理解し、共感し、力を貸すことができるなら、誰でも(特定の)誰かの立派なカウンセラーになれるのではないか。

カウンセリング・心理療法の世界をその限界まで含めて簡潔に説明してくれる良書。

2015年8月24日月曜日

『土壌微生物の基礎知識』西尾 道徳 著

農業に関係ある土壌微生物について簡潔に説明した本。

農業は土作りが大切だ! とよく言われる。が、土作りとは一体何なのかというのは往々にしてあやふやである。土作りとは、私の理解では土壌微生物の生物相(生態系)を作物の生育の助けとなるように整えることであり、平たく言えば、圃場に生きている微生物の数を増やすことである。

しかし、土壌微生物の世界は未だによくわかっていない。ただ、人間にとって有用な、または有害な微生物、つまり目立つ微生物について分かってきただけである。本書は、そういう農業に関する有用な、または有害な微生物について、基礎的知識を提供するものであり、土壌微生物についての初学者用の教科書のような本である。

本書で最もナルホドと思ったのは、土壌微生物の全体量を規定するのは土壌中の有機炭素の量だというところである。農業をやっていると、窒素やカリウムの量には敏感になるが、炭素の量というのには無頓着になる。植物は、根から炭素を取り込まないし、取り込む必要もない、要するに生育にほどんど関係がないからだ。

だが、多くの微生物にとっては炭素が主食にあたる。これは人間が炭水化物を主要なエネルギー源にしているのと同じである。だが、実は炭素は土壌中に不足しがちである。なぜなら、有機炭素というと、具体的にはセルロースとかヘミセルロース、リグニンといった物質になるが、これらはかなり頑丈な物質であり、なかなか分解できないからである。

特に木質の中心であるリグニンのベンゼン環を完全に分解できるのは、きのこの仲間の白色木材不朽菌だけだということだ。

ちなみに、炭素が微生物の主食とすれば、副食にあたる存在が窒素、リン、イオウだという。農業をやっていれば窒素やリンは十分過ぎるほど補給されるから、微生物層を豊かにしようとする時にボトルネックになるのが炭素なのである。本書には、普段農業をやっていると閑却しがちな炭素の重要性に気づかされた。

また微生物の世界は目に見えないからその変化に気づかないことが多いが、実はかなりダイナミックに変わっているということも心に残った。多細胞生物と違って分裂や死滅といった変化がとても早いから、土壌微生物の世界というのは、極端に言えば雨が降るだけで全然変わってしまう。そういう変化の大きな、動的なものの上に植物は生育しているわけで、そのダイナミズムを理解しなくては本当の意味では植物の栽培は理解しえないのではないかと思わされた。

本書はあくまで土壌微生物の教科書であり、土作りのハウツー本ではないから、土作りという言葉は全然出てこない。本書は、直接農業に活かせるというものではない。だがそのヒントがたくさん詰まっていて、こういう基礎的なものをちゃんと理解した上で農業をやるというのは重要だと思う。

難解な土壌微生物の世界を農業に関連する部分に限ってわかりやすく解説した、手軽だが堅実な本。

2015年8月19日水曜日

『西南戦争 遠い崖—アーネスト・サトウ日記抄13』萩原 延壽 著

外交官アーネスト・サトウの日記で西南戦争の時代を読み解く本。

本シリーズの副題は「アーネスト・サトウ日記抄」となっているが、単なる日記の抄訳ではない。サトウの日記が縦軸とすれば、それに同時代資料が横軸に組み合わされ、重層的に時代の雰囲気が感じられる体裁となっている。アーネスト・サトウの日記を中心として明治維新を追体験する叢書と呼べるだろう。

本書の白眉は、なんといっても西南戦争での挙兵に際しサトウを訪ねてきた西郷隆盛との一席である。明治10年2月11日、もうあと数日で進軍を開始するというその時、西郷は旧知のサトウを突然訪問した。その時の様子をサトウはこう記す。
「西郷には約二十名の護衛が付き添っていた。かれらは西郷の動きを注意深く監視していた。そのうちの四、五名は、西郷が入るなと命じたにもかかわらず、西郷に付いて家の中へ入ると主張してゆずらず、さらに二階に上がり、ウイリスの居間へ入るとまで言い張った」
護衛たちは、他ならぬ西郷を監視していたのであった。西郷がこの外国人とどのような会話を交わすかを確認しなくてはならなかったのだろう。西郷はサトウとウイリス(鹿児島県に雇われていた外国人医師)に水入らずの状況で何か重要なことを語りたかったに違いない。それは護衛たちが家に入ることを西郷が制止したのを見ても明らかだ。しかし護衛は付いてきた。監視下に置かれた西郷は、サトウらへ伝えたかった何かを、遂に告げることはできなかった。結局、
「会話は取るに足らないものであった」
そうサトウの日記には記されている。これが、サトウと西郷の最後の別れとなった。

このとき、西郷はサトウに何を語りたかったのだろうか。それは多分、西南戦争という望まない内戦で兵を率いることの内心だったに違いないと思う。挙兵の本当の理由、そして自分が残せる最後の言葉を伝えたかったのだと思う。鹿児島の大勢の士族に慕われながら、実のところ孤独で四面楚歌だった西郷が、数少ない心を許せる旧友へ別れの挨拶に来た、その瞬間がこの時だったのだろう。ツヴァイクなら『人類の星の時間』に編んだような、そんな別れの時だった。

これ以降のサトウの日記は、外交官というより文人のそれへとなっていく。混迷する日本の状況、敬愛する西郷の悲惨な運命、それらについて深く語ることはしない。それが、サトウなりの西郷への愛情だったのかもしれないと著者は言う。ありそうなことだ。

サトウと西郷の別れという劇的な瞬間が収められた貴重な本。

2015年8月9日日曜日

『EUの農協―役割と支援策』 ヨス・ベイマン 他編著、株式会社農林中金総合研究所 海外協同組合研究会訳

EUが2012年に出した農協に関する包括的な調査報告書の日本語訳。

今のタイミングでEUが農協に注目するのにはいろいろな理由がある(その一つは「南薩日乗」でも触れた)。

農協の活動が盛んな国(フランスやドイツ)が農業全体も強い傾向があることから、農業振興をしていく上でEUは農協に着目しており、未だ農協が十分に整備されていない国々(特に東欧の旧社会主義国)での農協整備を進めたいという思いがその一つ。

もう一つは、EU域内における小売りの力がものすごく大きくなって来つつあるということ。EUの小売りはたった15のグループに牛耳られている(!)そうで、食品に関して言えばほとんどが110の小売業者の買付窓口を通じて購入されていると推定されている。

考えてみればこれはありそうなことで、EUという巨大な統合市場が出来れば、必然的に強いものが寡占していく流れとなるであろう。そういうわけで、EUの小売業界は少数のスーパーパワーが幅をきかせる状態になっているようだ。だが生産の方は昔ながらの小さな組合が中心で、生産者組織(農協)は何百もある。

そうなると当然、生産者の交渉力は弱くなる。市場を寡占する巨大な小売業者は、農産物を買い叩いて生産者を破滅させることすらできるようになるだろう。

もちろんそうなってしまったら困るので、この巨大な小売業の力に農協は対抗できるのか? ということが重要になってくる。これまで欧州の農協はうまくやってきたにしても、小売業者の力があまりに強くなりすぎた現在、それにどうやって拮抗していけばよいのか、そういう知恵が求められている状況である。要するに、フード・チェーンにおいて農協が小売りと対抗できる力を持つためにはどうすればよいのかということだ。

本書は現状報告書であり提言書ではないので、それに対する直接的な処方箋は書いていない。しかしいくつかの示唆が提示されている。

その一つは、農協の合併(特に国際的な合併)によって農協の規模を大きくすることだ。実際、欧州には1万人以上もの組合員を持つ国際的なメガ農協があって、こうしたところは小売りと十分に対決していける。

だが農協が大規模化すれば、管理者・使用者・投資者が同一である農協は経営が困難になる。組合員一人一票制の下で巨大な組織を運営していくことが困難なことは、日本で言えば相互会社がうまく経営できていない(現実の経営と組織規則上に規定する経営とが乖離している)ことでも例証されている。

他の策は、例えば生産物のブランド化といったようなことが挙げられているが、要するに投資家所有の企業と同じくらい経営を強くしなければならないということである。

ではどうやって経営を強化していったらいいのか。農協の経営を強化する支援策はあるのか、というのが次の問題になる。だがこれに対して、本研究は否定的な見解を述べる。欧州各国の制度、支援策、また歴史的経緯なども考慮した結果、農協の経営(市場規模ではかる)を強くする支援策や制度は存在しないらしいことが明らかになったのである。

ただし、直接的な支援策というわけではないが、未だ小規模な農協に対して、人材育成や技術支援を行うことは発達を助ける上で有効であるとは言っている(だがこれは当たり前すぎることだとは思う)。

逆に、農協の発達を阻害するものはかなり分かってきて、本書はこういうネガティブリストが大変役に立つが、その第一は「信頼の欠如」だという。例えば旧共産主義国で共同農場をやっていたようなところは、(他人を信頼するという素直な意味での)一般的な信頼が低下しているらしく、こういうところでは農協はうまくいかないそうだ。

農協とは相互扶助的な組織であるため、組合員や経営陣が互いを信頼し合うという状況にないと経営がうまくいかないのだという。日本の農協も、経営側と組合員側でかなり信頼が低下している現象が見受けられ、互いに疑心暗鬼になっているところがある。そういう状況では日本の農協の将来も暗い、と思わされた。

ところで本書では、農協を便宜的に8つの部門に分けて研究している。それは、①羊肉、②オリーブ、③ワイン、④穀物、⑤豚肉、⑥砂糖、⑦酪農、⑧果実・野菜、の8つである。このリストを見てすぐに気づくことは、鶏肉および牛肉が除外されているということである。本書を読む上での最初の疑問はなぜ鶏肉と牛肉が研究から外れたのか、ということでこれは本書のどこにも理由が書いていない。欧州では鶏肉・牛肉は農協が取り扱っていないのかとも思ったがそれはありそうにないことである。なんでなんだろうか。

それはともかく、日本の農協のあり方を考える上でも示唆に富む、農協の経営学ともいえる視野の広い本。

2015年8月3日月曜日

『西郷隆盛―西南戦争への道』猪飼 隆明 著

西郷隆盛の行動原理を説明する本。

西郷隆盛は不思議な存在である。明治維新の最大の立役者の一人であるにもかかわらず、(本意ではなかったとは言え)西南戦争を起こし、反明治維新の旗手ともなった。征韓論争では刎頸の友である大久保利通と鋭く対立することも厭わず、朝鮮との外交をなぜか強硬に主張した。そこには何か一貫しないものが感じられる。本書は、それを説明しようとするものである。

つまり、西郷の行動原理は一体何であったかということだ。それを一言にまとめれば、西郷はあくまで忠君たらんとした、と言えると思う。

幕末においては、自分を取り立てて表舞台へと引き出した島津斉彬公への敬慕が西郷を英雄にした。斉彬公が亡くなると殉死しようとしたが果たせず、内心軽蔑する島津久光へ仕えるものの、冷遇されやがて讒言により島流しに遭う。時を得て明治政府に復帰すると、大久保等のお膳立ての上で明治政府最大の改革の一つ「廃藩置県」を行った。これは藩を解体するということであるから、先君斉彬公の残した鹿児島藩もなくしてしまうということで西郷にとって非常に悩ましいことであったに違いない。

それは西郷ならずとも維新の志士の多くが抱えていた感情であったろう。藩の力を背景にして成立したのが明治政権であるのに、力の基盤であるはずの藩を自らの手で解体するということは大きな矛盾であったのである。

西郷はこの矛盾を、明治天皇への忠誠によって克服する。天皇に従うということは、藩主に従うということと矛盾しないのであり、より大きな立場で見たとき、仮に藩主の不利益になることでも、天皇の意志であればそれを貫徹することができたのだ。

一方、大久保等進歩派官僚・政治家にとってみれば、この時期の天皇は象徴的に至上権を有しているに過ぎず、自らの政策に大義名分を与えるための存在だった。いわば天皇を傀儡化して、実質的には少数の実力者の独裁政権を作っていたのである。この独裁体制のことを「有司専制」という。

西郷にとってはこの「有司専制」が気にくわない。西郷は共和制への理解を示しながらも、期待していたのは天皇による親政であったという。ただ、西郷という人はどこまでも軍人であり、行政官でも政治家でもなかったため、具体的にどのような政治体制にしたらよいのか、というような青写真があったわけでもなく、天皇への忠誠心の発露としてそうした空想的な体制を夢見ていたようである。

著者によれば、征韓の目的の一部もこの「有司専制」の打倒にあったという。ただ、これもまた具体的な青写真があったわけでないようだ。どうも西郷という人は、緻密に考えて動くというよりは、「至誠天に通ず」を地で行くような人で、ともかくも誠意を持って動いていれば結果的にはうまくいくに違いない、というような楽観主義があったようである。

しかしそれが裏切られたのが西南戦争だ。征韓論争に破れて下野したのち、鹿児島で士族の教育や社会事業(開墾)に取り組むが、結果的には不平を抱く士族たちを押さえることができず望まない開戦を迎えた。この戦争は大義なき戦争であり、士族たちの不平不満が爆発しただけのものだった。西郷にとっては、天皇に背いて反乱を起こすことはあってはならないことだっただろうし、おそらく開戦にあたって、やるだけやったら最後は自害と決めていただろう。天皇に逆らい、逆賊として人生を終えることは、西郷の最大の悲劇であり不幸だった。

西郷は古いタイプの人間だった。主君に忠義を尽くす人生を歩みたいと思っていたし、斉彬没後はそれに足る主君を探してもいた。そして見つけた主君こそが天皇だったのである。この西郷の態度はやがて日本全体へと広がり、国家神道の暴走も招くが、この時点では中世的な主君ー臣下の双務的関係だったようだ。もはやそうした古い関係の中で生きるのではなく、政治家・官僚といった国家システムの中で働くことが求められていても、忠君という行動原理しか内に持っていなかったのも西郷の不幸だったのかもしれない。

小著ではあるが西郷の葛藤が垣間見えるような優れた論考。

2015年7月31日金曜日

『麵の文化史』石毛 直道 著

麵の歴史を考察する本。

麵とは、伝統食品としては変わったところがある。作るのに特別な道具を必要とし、作るには手間もかかり技術もいる。手づかみでは食べにくく、箸や匙の使用を前提とする。さらには主食的なものでありながら肉や野菜も入っており副食的な部分もある。

このようなことから、ある文化が麵を食べるようになるには、ある程度の段階に達しなければならない。例えば最も道具を必要としないタイプの製麺方法である手延べ麵であっても、小麦の製粉のための道具(石臼など)がいるし、 麵を打つ台が必要である(ここまではパンと同じ)。

うどんのような切り麵だともっと道具は高度になる。麺棒は断面が真円に近くないとうまく麵が打てないので、木を削る轆轤(ロクロ)が存在しなくては麺棒が作れないし、台の方も真っ平らでないといけないので、真っ平らな台を作る技術や道具(のこぎり、カンナ等)が必要だ。

そしてこのように道具・技術・手間をかけて食品を作るという文化的・経済的余裕も必要である。

しかし一度麵を打ってしまえば、ワンプレートで主食と副菜が採れる上、茹でるのは簡単で調理の手間も時間もかからないことから、麵は外食向きの手軽な食品であり、麵の文化は外食する文化と共に発展してきた。いうまでもなく外食文化は都市化と関係があり、自給自足的経済には外食が存在しない。また高度な技術を要する麵打ちは家庭では作りづらいということも、麵が商品経済的な食品(つまり職人によって製造され販売される食品)となることに一役買っていた。

さらに、本書には指摘がないが、麵にはエネルギーの節約という側面もある。ご飯を炊くのには長い時間の炊爨(すいさん)を必要とするが、素麺を茹でるのはものの1~2分だ。しかも一度麵を茹でたお湯は次の麵を茹でるのにも使える。基本的には薪で火を焚いていた前近代社会では、特に人口が集積していた都市部で薪は慢性的に不足しており、エネルギー効率のよい麵食は歓迎されていた。江戸時代に蕎麦が流行したのも、薪の不足が原因の一つと言われる。

この麵という食品は、どこで生まれ、どう世界に伝播していったのだろうか。本書は、それを探るべく東アジアを中心としてフィールドワークし、また史料によっても探っていこうとする世界初の試みである。

その成果は下図に纏まっているが、一言で言えば、麵は中国に発祥し、5世紀頃に中国の文化を受容した地域(漢字文化圏)に広まり、近世(1700年代以後)に多様化していった、とまとめられるだろう。麵は特に箸で食べやすい食品でもあり、箸を使う地域での発展が顕著である。


なお図においては、地域ごとではなく麵づくりの技術によって系譜がまとまっている。すなわち、切り麵(うどん)、手延べ麵(ラーメン)、そうめん(道具をつかって細く長く延ばしていく麵)、押し出し麵(ビーフン)、河粉(東南アジアの麵)である。本書は、料理法や製法に着目して麵を系統分類している。

さて、中国が麵のふるさとであるとすれば、当然問題になってくるのはもう一つの麵食文化の中心地であるイタリアとの関係だ。イタリアのパスタは、中国に由来するものなのだろうか? 中国に直接由来する麵文化はカスピ海の東までしか存在しないのだが?

ここはまだまだ研究が進んでいないことで、本書でも控えめな表現で書いてはいるが、著者はやはりイタリアのパスタも中国からの伝来であると推測している。

というのは、イタリアのシチリアに12世紀にはあった「イットリーヤ」というパスタはアラブから伝えられた「リシュタ」というものを元にしていたらしい。この「リシュタ」は遅くとも10世紀には中央アジアにあったものらしいが、中央アジアはシルクロードによって中国の強い影響下にあったことを思うと、 この「リシュタ」が中国の麵文化と独立に発祥したものであることは考えがたい。要するに、シルクロードによって中国の麵はアラブを介してイタリアに渡り、パスタになったのだろうというのである。

さらに、本書には指摘がないが、元々ヨーロッパには硬質小麦(パスタを作るデュラム小麦など)はなく、硬質小麦をヨーロッパに伝えたのはアラブ人たちである。硬質小麦の伝来とあわせて、アラブ人たちが麵づくりの技術を伝承したということはありそうなことである。

ただし、イタリアのパスタの特徴であるネジ式の押し出し製麵は中国の押し出し麵とは独立してイタリアにおいて考案されたものだということだ。

ところで、本書は元々は日清の企業出版であったものが講談社文庫により文庫化され、内容が学術的なものであったためか改題して講談社学術文庫に移されたものである。原題の『文化麵類学ことはじめ』はユーモアがあってよかったと思うが、学術文庫に収載されるにあたりふざけるのはよくないとなったのか『麵の文化史』という真面目な題に改題されたのはちょっと残念である。

食文化の研究というのは世界的に見てもまだ始まったばかりで、身近に存在する美味しい食べ物の故事来歴というのは意外に謎なことが多い。麵という一つの食材を取ってみても分からないことだらけで、本書は麵文化を解明する最初の試みとしてほんのアウトラインを描くものだ。

麵を通じて文化の伝播まで考えさせる意欲作。


【関連書籍の読書メモ】
『食味往来—食べものの道』河野 友美 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
日本における食べものの伝播を考える本。
食べものの道を考察することで、文化の伝播や食文化の価値を考えさせる良書。


2015年7月28日火曜日

『渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」』溝口 敦 著

山口組五代目組長 渡辺芳則にインタビューした本。

渡辺は山口組組長としては異色の人物。先代の指名ではなく幹部の合議で組長に就任したし、少年時代もいわゆるワルではなく、少年院にも行っていない。賭け事はしないし、親はカタギで親との関係も良好(家庭に問題を抱えた人間がヤクザの道に入ることが多い)。そして山口組としてはヨソ者となる関東の出身。

本書は、「組長が語った山口組経営学」を謳っているが、実際には渡辺が組長に就任するまでの話がほとんどで、組長時代のことについては後日談的に語られるに過ぎない。

何しろ渡辺が組長を務める間には、暴力団対策法が施行された上にバブル後の不況時代でもあり、暴力団の経営は思わしくなかった。不況であったことと、暴力団が広域暴力団に集約されていく趨勢から、その間も山口組の団員だけは増え続け4万人以上になったのだが、シノギ(仕事)の減少や抗争の禁止などから組織が停滞して活力が失われた。そのため渡辺は事実上クーデターの形で司忍へと組長の座を明け渡すことになったのだった。

そういうことから、本書は「渡辺の「山口組経営学」は結果的に敗北した」と結ばれている。

「ナントカ経営学」というような本は、基本的に成功者が経営哲学を語るという体のものがほとんどだろう。それが本書は逆で、結果的に敗北したものが(未だ敗北していない段階で)語っているという点が一つの価値かと思う。なお内容は経営哲学を語るというようなものではなく、基本的には渡辺がいかにして山口組で上り詰めたか、という成り上がりストーリーになっている。

その言葉の端々に窺える組織論や人生論は、意外と(いい意味で)普通で、カタギの人間とそれほど変わったところがない。ある意味で暴力団というより実務家風な感じがした。だがその人間が、結果的にはクーデターで追い落とされているわけなので、やはり極道のトップは実務家では務まらなかったということなのだろうか。

ところで私は、ヤクザは日本社会を写す鏡だと思っている。ヤクザ組織は日本社会のいいところも悪いところも増幅して具現化したような存在である。そういう観点で見てみれば、渡辺の敗北もなんとなく分かる気がする。日本社会では、実務家はトップにいてはならないのである。

書名と内容はちょっと食い違っているが、暴力団の組織に関心がある人には楽しめる本。