2015年7月21日火曜日

『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著

本書は、日本の政治・行政機構への痛烈なダメ出しの書である。

日本の政治・行政機構はバブル崩壊までは世界的に称讃され、研究もされてきた。世界一優秀な教育システム、倫理感のあるエリート、「日本株式会社」と呼ばれ官民一体で通商を振興する体制、そういうものの秘訣はどこにあるのか、多くの欧米の研究者が日本を訪れた。

また一方では、神秘的な日本文化——茶の湯や能、禅や古寺といった伝統文化も世界的に称揚されてきた。こうしたことから、ジャパノロジストと呼ばれる日本研究者が「神秘的な日本」、「東洋と西洋が融合した日本」、「技術立国であるとともに伝統的な価値観が残っている日本」という日本賛美の声を惜しげもなく注いできた。

しかしそれは本当だろうか? 日本の社会はそんなに褒められたものだろうか? いやそれどころか、今の日本は世界的に見て後れを取っているのではないか? 本書は、そういう観点から著者なりに問題だと思うところを延々と挙げていくものだ。

まずやり玉に挙げられるのは「土建国家」である。日本経済は土木工事なくては立ちゆかなくなるほどに土建業に依存してしまっている。余剰労働力を吸収できるところが土建業しかないために土建業に過度の税金が投入されている。そのため不必要な工事が無定見に行われ、美しい国土がコンクリートで覆われてしまった。どれくらいすごい量のコンクリートが使われているかというと、
「94年の日本のコンクリート生産量は合計9160トンで、アメリカは7790トンだった。面積当たりで比較すると、日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる」(p.52)
とのことだ。だだっ広いアメリカと面積当たりで比較するのはやや的確でないとしても、人口当たりで考えてもアメリカの倍はコンクリートを使っている計算だ。

しかも多くの日本人はそのことを当然だと考えている。災害の多い日本は、治山・治水に力を入れなければ手痛い目に遭うと思っており、土建業への依存はやむないこととされている。特に震災後は、土建業者がいつでも遊軍として控えていることが一種の防災であるかのように認識されてもいる。

確かに、日本は雨が多く山がちであり、舗装されていない坂道があろうものなら大雨ですぐに通れなくなってしまう。今でも東南アジアでは雨が降ると通行止めになる山岳地帯の道は結構あると思うし、気候条件がかなり違うアメリカやヨーロッパとコンクリートの多寡を単純比較することはできない。道路をアスファルトで舗装すること一つ考えても、日本と欧米では必要性の度合いが違うと思う。

しかし問題は、そうした土木工事が本当に意味のある工事となっているか、ということである。もちろん、例年、年度末になると予算消化のための工事が行われることを知っている我々は、とても全てに意味があるとは言えないことは本書に指摘されるまでもなく分かっていることだ。

そして治山・治水に必要な工事であっても、環境と周囲の景観に配慮し、最小の構築物で最大の効果を生む工事を行うべきだ。しかし日本では、本来の必要からかけ離れた大規模な——モニュメンタル(記念碑的)な、といってもよいような工事が好まれる。ほとんど車の通らない山道に、立派な橋が懸けられる。海岸線は、目を覆うばかりのテトラポッドで埋め尽くされる。山は切り開かれ、斜面全体がコンクリートの奇っ怪な格子で覆われるのである。こうして国土は醜くなっていく。

そんな工事は、本当に必要なのだろうか? いくら護岸工事が必要といっても、テトラポッドをむやみやたらに積み上げて効果があるのか? ちゃんと専門的な調査に基づいて護岸しなくては、逆効果なことだってある。護岸工事をしたら海岸の浸食が激しくなった、というような皮肉な話は、日本にはゴロゴロ転がっているのである。

このように、日本では、必要性は低いが金がかかる派手な工事はバンバン行われるが、逆に必要性は高いのに地味な事業には全然手がつけられないのである。

こうしたことは、新聞やテレビでもよく糾弾されていることであるから、あえて本書に指摘してもらうまでもないと思うかもしれない。確かにそういう面もある。だがそうした日本の「リアル」を外国人が英語によって発表(原題 "Dogs and Deamons")したことに意味がある。また著者ならではの視点での問題提起もたくさんある。

例えば、都市と景観の問題。日本でも都市計画はあるにはあるが、そもそも都市を美しくしようという意志に全く欠けており、電線の埋設一つとっても全然進んでいない。それどころか周囲の環境と調和しない奇抜な建物がドンドン建てられる状況にあり、例えば世界的な観光都市といえる京都ですら、一部の古寺を除けば電線とコンクリートの建物に溢れ、古都の情緒など微塵も存在しない。それどころか市内中心部の京都駅は古都らしからぬ醜悪な「現代建築」で、外には京都タワーが聳える。そして周りを見回せば品のない看板ばかり! どうしてこんな無秩序な景観になってしまったのだろうか?

日本は規制が多い社会と思われており、実際に煩瑣な規制はたくさん存在しているが、本質的に意味のある規制は少なく、ほとんど形式的なものであることが多い。よって規制が多いのに無秩序が横行している。景観や都市計画といった面では諸外国の方がよほど規制が多く、しかもその規制が実質的だ。しかし規制の多寡が問題なのではなく、規制によって実現しようとする理想の社会があるかどうか、ということが重要だ。

さらに、膝を打つ思いだったのが街路樹の管理の稚拙さ! 日本では街路樹の落葉が迷惑がられるためか、秋になると無残にもバッサリと街路樹の枝が落とされることが多い。それも不要な部分をバサバサちょん切ってしまい、非常に無様な姿になる。こんな無様な街路樹管理をしている都市は他の先進国にはないのではないか。一方で、盆栽を始めとして日本の庭木管理は高度な技術を持っているはずである。技術は持っているはずなのに、街路樹の管理がどうしてこうもおざなりなのか?

このように、本書は日本への愛のムチとも言える本であり、耳が痛いを通り越して不愉快な部分もある。時に少し偏った紹介の仕方もあるし、日本人として完全に同意できない点もある。しかしその主張は総じて「普通の日本人」の感覚に沿ったものである。普通の日本人が、「この国はどこかおかしい」と感じるそのボンヤリとした違和感を、外国人の視点からスバっと具体的に指摘してくれている。

才覚と能力に溢れた若者にとって、この国はもはやさほど魅力的ではなくなってきている。海外で一旗揚げた若者は、もう日本には戻りたがらない。「平和を謳歌している自由で裕福な国が、そこに属する最も優秀で野心ある人々にとって魅力がないというのは、世界史を見てもほかに例のないことだ。(p.343)」この一文には目が醒める思いだった。日本はまだ裕福で自由な国と呼べるだろうが、優秀な人間に見捨てられるほど、大きな問題も抱えた国なのだ。

ではその問題をどうやって解決していけばよいのか。本書は問題提起の書であり、処方箋を提示するわけではない。ある意味では言いっぱなしである。解決策を考えるのは我々の責任だ。日本社会には巨大な問題があるが、それを解決していくのは超弩級にやりがいのあることでもある。

日本の姿を率直に捉えて、これを改善していこうじゃないか、そういう気持ちにさせられる重要な本。

2015年7月6日月曜日

『百姓たちの幕末維新』渡辺尚志 著

幕末維新期における百姓の実態を探る本。

「百姓たちの目線から幕末維新を見直してみようと思います」と帯にあったので、私は幕末維新の動乱がどのように百姓たちの生活を変えたのか、あるいは百姓たちの力がどう時代を動かしたのか、ということが本書の主眼ではないかと思っていた。

しかし実際には、本書の内容は「幕末維新期における百姓たちの社会生活の一端を垣間見る」というようなものである。

例えば、本書では「抜地(ぬきち)」というものについて詳しく説明がなされる。これは土地が質流れして他人の手に渡ってしまう時、本来は土地に付属する納税(年貢)義務も同時に譲渡されるべきなのに、納税義務の方は元の持ち主にあるまま利用権だけが移ってしまった土地のことである。つまり納税義務者たる名義人と、実際の利用者が合致しない土地ということだ。どうしてこのようなことが生じるかというと、少ない土地でたくさんの金を質から借りたいという時に「納税義務無しの土地」ということにすればその価値は非常に高いので、困窮した百姓がこうした裏技を使って金を借りてしまったのだった。

しかし土地はないのにその納税義務だけあるということは、すぐに行き詰まるのは必然である。抜地が横行した結果、代官にも本当の土地所有者が誰なのか分からなくなり、適切に課税することができなくなって、困窮したものがなおさら困窮して没落していくという現象が生じた。

そこで抜地を解消し、土地の所有者と納税義務者を一致させる改革が必要になってくる。こうした改革を行うには、今風に言えば「言論」の力が必要になるのであるが、本書の白眉は百姓による「言論」がどんなだったかを詳細に記述している点である。時代劇によるイメージでは、百姓は代官に対して「慈悲を乞う」ような接し方しかしていなかったように思いがちであるが、実際には対等な形で非常に立派な議論を展開していることもあり、百姓のイメージが変わった。

それどころか、その議論の仕方を見ると現代の農家よりもよほど立派な部分があるようにも見受けられる。課題を認識し、解決策を自らの手でつくり出していこうとする努力は、ともすれば役所や農協に不満を言うだけで終わりがちな現代の農家よりも優れている。

もちろんそういう立派なやり方だけでもなかったのだろうが、「村」というものが意外と自律的かつ民主的な原理で運営されていて、身分の上下はありながらも武士と百姓が対等な言論によって課題を解決していこうとした(こともあった)ということがよくわかった。

このように、本書に出てくる事例はとても具体的なものであって、一つの案件を丁寧に追っていくということが長所である。「抜地」の部分などは誰それがこう言った、次にどう行動した、ということが詳細に語られ、現場の息吹が感じられる。だが逆にそれが短所でもあって、その現象が全国的に見てどう位置づけられ、それが幕末維新という動乱にどう関係したのか、というマクロな視点というのはほとんどない。

そういう意味では少し物足りないところもあるけれども、当時の百姓の「言論」の有様を知る上では好適な本。

2015年6月17日水曜日

『世界史をつくった海賊』竹田 いさみ著

イギリスが覇権国家として発展した裏には海賊の活躍があったことを書いた本。

大航海時代、イギリスは後発国家として国際競争に参入した。最も早く国際貿易を確立したポルトガル、そしてそれに続くスペインといった先行者がいる中で、イギリス(正確にはイングランド王国)は不利な競争をせざるをえなかった。イギリスには羊毛や毛皮くらいしか輸出に適した製品はなく資源に乏しかったし、既に世界各国の販路は両国に抑えられていたのである。

そこでイギリスはならずもの集団である海賊を国家として活用するという奇策に出る。スペインやポルトガルの貿易船を略奪すればたくさんの富が手に入る上、スペインやポルトガルの国力を削ぐことも出来、さらには最新式の船まで入手できるからである。

だが表立ってそういうことをすれば国際問題になり弱小国家だったイギリスには分が悪い。そこで裏では海賊組織と手を結び、国家の手として足として海賊を使いながらも、表向きにはスペインやポルトガルとの友好関係を演出していたのであった。このため諜報活動に力を入れ、ある年では国家予算の15%が諜報活動に使われていたという。

私はフランシス・ドレークなどが国家公認海賊として国家の英雄として祭り上げられ、イギリス国民の鼓舞に使われたということは知っていたが、それはあくまで象徴的な意味のことだと思っていた。しかし本書を読むと、イギリスの国家財政を支えていたのはまさに海賊マネーであり、海賊による略奪は象徴的どころか手堅い商売だったのだということがわかった。

一方、私が本書を手に取った動機は本筋とは全く関係ないことで、イギリスの海賊たちはどんなものを食べていたのだろうということにあった。それについては簡素な記載があるだけで(当たり前のことです)詳しくわからなかった。船上ではかなり貧しい食事に耐えていたことは間違いないだろうが。

なお、『世界史をつくった海賊』という表題であるが、本書の主人公はあくまでもイギリス国家であり、国家が海賊をどう利用したか、という観点で書かれている。海賊が主体的に何を望みどう行動したか、ということはあまり明確ではない。それどころか、ある意味ではイギリスの政策にいいように使われたようなところがあり、イギリスが貿易立国として成長し海賊マネーが不要になるとあっさりと切り捨てられている。

だからもうちょっと、海賊たちそのものを描いて欲しかったという気もする。ただ国家に使われたというだけでなく、彼らも国家を使ったのであるから、その駆け引きというか、国家v.s.海賊という視点もありうるのではないかと思った。

とはいえイギリス近代史と海賊の関係がよくわかる本。

2015年6月11日木曜日

『無縁声声 新版―日本資本主義残酷史』平井 正治 著

日本の資本主義の裏側を大阪・釜ヶ崎から語る本。

著者の平井正治は日雇い労働者として釜ヶ崎に30年も住んでいる人物。しかし凡百の日雇い労働者とはワケが違う。数々の労働運動を興すとともに、史資料の渉猟やフィールドワーク(という言葉は本書には出てこないが)によって日本の資本主義発展史を最も凄惨な現場の渦中から紐解いてきた、知る人ぞ知る人物である。

その内容は、基本的には著者の自伝であるが、その実全く自伝の枠を飛び越えている。そこでは当時の社会的事件の背景、そこに至る歴史が縦横に語られ、それはほとんどアナール派の歴史記述を思い起こさせるような重厚さがあり、しかもそれが軽妙な大阪弁で表現されているのだから、唸るしかない。

著者が一環して語るのは、いちばん底辺の労働者がどれだけ置き去りにされてきたかということである。特に港湾労働、土木労働といった景気と国策に左右される産業の労働者たちのことだ。そして彼らがどれだけ日本資本主義の犠牲になってきたかということだ。

例えば新幹線の工事ではこうだ。こういう土木工事は多くの人手がいる。だから広くから労働者を集めてこなければならない。しかし常雇いは出来ない。なぜなら、新幹線が開通してしまった後はその労働力は不要になるからだ。しかも工事中だってそうである。生コンを打つ時は多くの人手がいるが、生コンを打ってしまったら固まるまで次の作業ができないのでその労働力は遊ぶことになる。

だから労働力はその日暮らしの底辺労働者で調整することになる。そこで「手配師」の出番だ。半分ヤクザみたいな斡旋屋である。甘いことをいってその日の金にも困っている労働者を連れてくる。もちろん彼らはただ職場を斡旋するワケではなく、やれ食費だ衣料品費だ衛生費(トイレ使用料)だといって手当をピンハネするのである。それでも立場の弱い日雇い労働者はそれに何も言えない。何よりヤクザに反抗するのも怖い。

そして労働者は危険にさらされる。まともな労働衛生は期待できない。アスベストを扱う仕事でもマスクひとつくれない。そういう日雇いの担当する仕事は、孫請けのさらに下請けがやっているような仕事で、何重にもピンハネされた上に何の保証もないものだからである。元請けの大企業が発注する時は、もちろん労働衛生費まで計上されている。だがそれが下請けに出される度に削られていく。何重もの調整構造の中で、全てのしわ寄せが底辺労働者へいく。

さらに無理な日程で無理な作業をするから事故が起きる。そして労働者が簡単に死んでいく。日雇いで働いているような人の命は軽い。労災ではなく、交通事故として処理されたり、身元を調べることもなく無縁仏として処理されたりする。死んだのが誰かなど、誰も気にしない。過去を捨てた人間がドヤ街に集っているのだから。

こうして、彼らに押しつけられた矛盾はなかったことにされていく。

それに反抗するのが著者の平井である。筋が通らないことは許さない。ただゴネるのではなく、理路整然と、諄々と、そして時に激しい言葉で不正を追求する。ある時は、たった数百円の手当を認めさせるのに4年かかったという。例えば汚れる仕事にはその分手当を上乗せすべき、そういう「公正さ」を追求するのに妥協はしない。そういう男である。

実行力と知力を兼ね備えた人間である。やろうとすれば、日雇いの境遇から抜け出すことなどたやすかっただろう。だが平井は釜ヶ崎でほんの少しの労働環境の改善を成し遂げることに全力を注いだ。どうしてそういう茨の道を歩んだのか、本人にもよくわからないらしい。本書の末尾につけられた対談で一言「黙ってられん」からだと笑っている。

本書を読むと、オリンピック、万博、新幹線といった国策による大規模土木工事がいかに不正と事故の温床になってきたかということに気づかされる。そういった「国の威信」を賭けた工事は遅れるわけにいかない。だから無理なスケジュールが組まれる。十分な安全策をとれなくなる。そして工事が終わって不要になった労働者のことなど知ったことではない。見捨てられた労働者は、やがて街の掃きだめへと追いやられそこが次のドヤ街になる。このように労働者を使い捨てて出来たのがオリンピックや万博の会場であり、新幹線だった。

どうしてそんな不条理がまかり通っているのか? それに対する明確な説明は本書にはない。ただ、行政、政治、産業界とヤクザの馴れ合いと癒着の構造が示唆される。日雇いの弱い労働者を使い捨てることで維持されてきた「国の威信」や「経済成長」。「必要悪」という便利な言葉で温存されてきた古い労働のやり方。こうしたものに向き合わない限り、日本には本当の「経済成長」はありえないのではないか?

そして今、再び東京オリンピックの開催が決まっている。無理な設計によって既に工事は波乱含みだ。だが日本のゼネコンは工期を守るだろう。弱い労働者のおおきな犠牲の上に。今度のオリンピック会場にはいくつの人柱が立つのだろうか。

実は戦前にも東京オリンピックの開催が決まったことがあった。皇紀2600年事業(昭和15年)の一環で政府はオリンピックと万博を誘致したのである。これは古い「東京」をぶち壊して国家にとって都合のよい「東京」に変えるための大規模土木工事だった。オリンピックと万博のためということで東京-下関間に高速鉄道を作ろうとした。いわゆる「弾丸列車」である。

しかしこれは、実際には軍事物資の輸送のためのものだった。太平洋戦争で日本が東南アジア諸国を獲得すると、この高速鉄道の計画は順次延長されてシンガポールまでの延長が構想されたという。

結局オリンピックや万博は戦争のために中止されて、弾丸鉄道も戦争中は実現しなかったが、これが戦後の東海道新幹線へと繋がっていく。そして戦前実現しなかったオリンピックや万博も戦後にはどんどん開催され、その裏で日雇い労働者たちは都合よく使われ、そして押し潰されていったのであった。

そしてこの構造は、今でも全く変わっていない。派遣労働者という新たな日雇い人夫の置かれた状況はますます厳しくなっていく。その一方で「過去最高益」を記録する大企業。どこかおかしい。日本がほんとうの意味で「経済成長」するためには、あと百人の平井正治が必要だろう。

横山源之助『日本の下層社会』や鎌田慧氏の一連の著作に連なる、日本の社会を考える上での必読書。


2015年5月19日火曜日

『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ(対談)、飛田 茂雄 訳

ジョーゼフ・キャンベルが神話を題材に人生哲学を語る本。

ジョージ・ルーカスに大きな影響を与えたことで有名な比較神話学者のジョーゼフ・キャンベルが、晩年にテレビの企画でジャーナリストのビル・モイヤーズと対談を行った。本書はその書き起こしである。

その内容は、神話そのものについてというよりも、神話を通じて何を学ぶかということである。そして、キャンベルが神話を通じて学んだ人生哲学へと話が進んでいく。その人生哲学は、私にとって大変共感できるものであった。例えばこういう調子である。
「しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。(中略)人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです! (中略)必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。」
キャンベルの語り口は簡潔でありまた軽妙でもある。対談ゆえに断片的なところは否めないが、「あなたの至福に従いなさい」(自分自身の内なる声に従え)というメッセージがよく伝わってくる。

しかし問題なのは聞き手のモイヤーズで、話があっちに飛びこっちに飛び、「えー、そこで話題変えちゃうの?」というところがたくさんある。聞きたいことがたくさんあって節操なく質問しているのか、キャンベルの言わんとしていることを表面的にしか理解していないのか、あるいは断片的な警句をたくさん引き出そうとしているのか、よくわからない。

巻末の冲方 丁による解説ではモイヤーズを「希代の聞き手」と称揚しているが、これは皮肉なのだろうか? キャンベルの話を落ちついてよく聴き、無闇に質問攻めにすることなくその思想を開陳してもらう対談にすればもっと実りあるものになったと思う。

キャンベルの話は興味深いが、聞き手の軽率な感じが残念な本。

2015年5月14日木曜日

『チベット旅行記』河口 慧海 著

黄檗宗の僧侶によるチベット滞在の記録。

ヴェルヌの『八十日間世界一周』のように面白い。著者はチベットまで仏教の原典を求めに行ったので、私としては当時のチベット仏教の現状に興味があって本書を手に取ったのだが、それがどうでもよくなるほど本書はエンターテインメントとしてよくできている。

誰の紹介もなく独力でチベットを目指し、大した装備もないままヒマラヤを越えて当時鎖国状態だったチベットに密入国するという下りは、ハラハラドキドキの連続である。途中強盗に身ぐるみ剥がされたり、迷ったり、死にかけたりするがそれを乗り越えていく強い決意と知恵が素晴らしい。自分も何か困難な物事に立ち向かってゆくぞ、という気概が湧いてくるような内容である。

チベットの首府ラサに行くまでが全体の分量の半分程度で、次のラサ編では今度は聴き知った医学の知識が役立ち、法王にも認められ医師として活躍することになる。本来求めに行った仏教の仏典についての記載はあまりないが(たぶん余りに専門的なので省いたのだと思う)当時のチベットの風俗、外交、行政システムなどの記述は詳細である。

最後の1/4は帰国編であるが、ここに著者は大きな問題に直面する。というのは、密入国で入ったチベットでは、己をチベット人と偽って活躍していたのであるが、これが脱出後に露見し、のみならず英国の秘密探偵であったとの風評が立ち、ラサで世話になった人びとが探偵への協力の廉で投獄されるという事態に陥ったのであった。著者はこれをなんとか救出すべく手をつくすのであるが、それが最後のハラハラドキドキである。

本書の文体は生き生きしていて読みやすく、明治の作品であることを感じさせない。一部人種的な記述(例えば、チベット人は怠惰だ、とする部分など)、日本人や皇室への過度な自信が窺える部分などは今日的には問題があるが、チベット人は怠惰だ、という場合にもチベット人の長所についても述べており、バランスを取ろうとする意識がある。

また著者は「文明的に遅れた国を探検しよう」というような傲岸な気持ちではなくて、むしろチベットに留学しにいったのであるから(事実大学に入学している)、チベットの文化をなるだけ尊重しようという気持ちが感じられる。

ちなみに、私は本書をiBooks(by iPod touch)で読んだのだが、これはiBooksで読んだ始めての本であった。画面が小さいので4000ページ近くあったがとにかく面白く見づらさも気にならなかった。

チベットに興味があろうがなかろうが、エンターテインメントとして読める第一級の旅行記。

2015年5月4日月曜日

『古代中世 科学文化史 Ⅰ <ホメロスからオマル・ハイヤマまで>』 G.サートン著、平田 寛 訳

科学史の金字塔的な本。

著者のジョージ・サートンは「科学史」を独立した学科として構築することを企図して本書を構想した。「科学史」は、例えば数学史であれば数学研究の一分野(しかもほとんどオマケのような一分野)でしかなかったし、或いは文化史の中の一つのトピックに過ぎない面があった。そういう歴史学の付属物としてではなく、「科学史」自体に学問としての固有の価値があることを信じ、 サートンは大規模な叢書をつくり上げることによって「科学史」そのものを打ち立てようとしたのである。

その叢書は次のような構成として計画された。
第一叢書:編年的に構成された、地域横断型の科学史の概観(7〜8巻)。
第二叢書:例えばユダヤ文明、イスラーム文明、中国文明といったように、種々の文明における科学発展の概観(7〜8巻)。
第三叢書:数学、物理学など分野ごとの発展の概観(8〜9巻)。

つまり、サートンは科学史を縦糸的(年代記)、横糸的(地域的)、分野的という3方向から編むことにより、科学史の目でしか見ることの出来ない人間学を確立しようとした。もちろんこのような大規模で百科全書的な構想はサートン一人の手に負えないことは自身がよくわかっていた。ただサートンは、自らが出来るところまでやってみよう、という決意でこの仕事を始めたのである。

そして結果的に成し遂げられたのは、第一叢書の最初の3巻(古代・中世)だけであった。全体の構想の、ほぼ1/8にあたる量である。しかし、この3巻だけでもサートンの名は科学史史に永久に記される価値がある。 それくらい、科学史において画期的な業績であった。

この3巻(日本語訳では5分冊)の特色は、西洋中心だったそれまでの科学史から脱却し、東洋(特にイスラーム圏、中国、日本)の業績を詳しく紹介するという、世界史的な視座に立った科学史となっていることである。特にイスラーム圏の科学を詳細に研究したサートンは、イスラーム圏の科学がどれだけ大きく科学の発展に寄与したか熱をこめて記述しており、仮に本書がイスラーム圏のみの記述しかなかったとしてもその価値は非常に大きい。

その内容を紹介することは科学史の無様な要約になってしまうし、関心のある人は自ら目を通すであろうから辞めるが、科学史について深く知ろうという人でなくても、この第1巻の序章だけでも面白い。

例えばサートンはこの序章で、中世期には東洋の方が科学の水準が進んでいたのに、近代になってなぜ西洋がそれを追い越し、圧倒的な差がついてしまったのか、という疑問を提示する。そしてそれに対し、「西洋人と東洋人とはスコラ学の大きな試練を受けたが、西洋人はそれを突破し、東洋人はそれを突破しそこなったのである」との回答を与えている。

スコラ学という病理の唯一の治療法は実証的経験に基づいて知識を再構成しなおしてくことだったが、東洋では遂にその大事業をする人間が現れなかったのであった。この回答の含蓄の深さは、実際に本書を手にとっていただかないとなかなか伝わらない。科学の発展の歴史というある意味では無味乾燥な事実の羅列であるにもかかわらず、ここには確かに新たな人間学・文明史学が誕生していると思う。

なお、日本語訳は5分冊あるが、原書3巻の抄訳である。原書では、(1)その時代の主な科学的事績の概説、(2)批判的書肆解題(その時代の科学書の紹介)、(3)それらに対するサートンの覚書、の3つの部分を年代記的に並べていく構成が取られているが、日本語訳ではその(1)の部分のみを訳出しているのである。これは、サートン自身が(1)の部分を通史的に読めるように意図して著述しているため無理な抄訳ではなく、(2)や(3)まで目を通したいという専門的な向きはどのみち原書で読むと思われるのでやむない処置であろう。

ちなみに、日本語の書名は「科学文化史」を銘打っているがこれは不可解である。サートンは、文化の一様態としての科学というより「科学史」そのものを記述したかったわけであるから、単に「科学史」とすべきであった。本書ではそれまでの科学史の範疇に収まらない歴史学、言語学なども含まれているから「文化」をつけたのだろうが蛇足だ。原題は "Introduction to the History of Science"(科学史概説)であり、素直にこれを直訳する方がよかったと思う。

なお、本書が切り拓いた地平には、サートンに続いて新たな科学史がどんどんと打ち立てられていくことになる。例えばその嚆矢はニーダムの『中国の科学技術』(全14巻)であろう。科学史の分野で顕著な業績をあげた人に送られる賞がジョージ・サートン・メダルという名前なのも納得である。

そういう独立した学科としての「科学史」を打ち立てた不朽の名著。