2014年6月5日木曜日

『Lemon: A Global History』by Toby Sonneman

レモンの辿った世界史を語る本。

先日読んだ『Citrus: A History』が期待はずれだったので、リベンジを期して最近出版された本書を手に取った。これは、レモンを中心としたカンキツの世界史を概説する本である。

アジアに発祥したカンキツ(シトロン)は、まずはユダヤ人によって祭祀に使われたことで西洋世界に広まった。だが、ユダヤ人たちがヨーロッパに直接カンキツ文化をもたらしたのではなかった。本書が指摘するのは、カンキツ栽培の技術を高め、栽培を広めたのはアラブ人たちの功績であるということだ。そのため、近代世界までのカンキツの大生産地は、シチリアやスペインといった、中世までにイスラム勢力により征服されていた地域と重なっている。例えばシチリアでは、レコンキスタ以降には、かつてアラブ人たちが作った灌漑設備を受け継いでレモン栽培が行われたのである。

ユダヤからアラブへと受け継がれたカンキツ栽培は、こうしてイタリアにもたらされた。そして、それを北部ヨーロッパへと伝えていくのがメディチ家である。フランスに嫁いでいったカトリーヌ・ド・メディシスがカンキツ文化を伝導するわけである。メディチ家は、カンキツのコレクターでもあり、大変な種類のカンキツ類を栽培していたようだ。カンキツ類は貴族たちのステータスシンボルとなり、ほとんどカンキツ類の採れないネーデルラント(オランダ)ではカンキツを静物画に描くことが流行した。

大航海時代には、レモンは壊血病の予防のために非常に重要な作物となる。長い航海中にビタミンCの欠乏から「壊血病」に罹るわけだがこれの「特効薬」がカンキツ類であることがわかったため、「命がけ」だった航海が比較的安全なものになったのである。このあたりの科学史について本書は詳しいが、私が疑問なのは、より古くからの航海者だったアラブ人は、そのことを知っていたのだろうか、ということだ。あるいは、他の予防法があってカンキツに頼る必要がなかったのかもしれないが、ここは非常に気になるところである。

米国にカンキツ産業が興ってからの歴史は、既に『Citrus: A History』で読んでいるところであるからさほど新味はなかったが、そこにシチリア系移民が関わっているというのが面白かった。

全体として、冗長な部分があまりなく、端正にまとめられている本である。著者はジャーナリズムを専門としており、レモン業界の人でも研究者でもないが、適度な距離感でレモン(を中心とするカンキツ類)の歴史を概説している。ただ、気になるのは世界史とは言っても結局はヨーロッパとアメリカの話しか出てこないことで、アラブの話をもう少し深掘りして欲しかったのと、本場である中国とインドのカンキツの歴史について触れてもらいたかったというところである。

レモンの(世界史ではなく)西洋史をコンパクトにまとめた本。

2014年5月17日土曜日

『だれでもできる果樹の病害虫防除―ラクして減農薬』田代 暢哉 著

果樹の病害虫防除、つまりは薬剤散布を効果的・省力的に行うためにはどうすればよいか、という本である。

私はカンキツの無農薬栽培に取り組んでいるが、農薬に対してさほど敵意はなく、無農薬に取り組むからこそ農薬のことをよく知らなければならないと思い本書を手に取った。

本書が強調するのは、JAなどが提供する防除暦によるカレンダー的防除を脱し、合理的に農薬を使いましょうということである。では合理的な薬剤散布とはどういうことかというと、それは必要な時に必要なだけの薬剤を、できるだけ効果的に撒布するということである。これは極めて当たり前のことで、問題なのはその具体的手法だ。

まず、殺菌剤に関してはその効果が切れないようにローテーション的に撒布しなくてはならない。そのためには、農薬散布後からの累積降雨量を記録して、残効期間があっても降雨量が多い場合には薬剤を散布するといった工夫が必要である。

殺虫剤に関しては、その発生初期に集中的に薬剤散布を行い、初期の発生数をとにかく低く抑えるということが重要である。そのためには、毎日圃場に足を運び、害虫の発生に注意しなくてはならない。また殺虫剤に関しては、新薬よりも長く使われている伝統的な薬剤(マシン油、ボルドー液など)をうまく使うことを推奨する(これらは抵抗性が出にくいため)。

そして、撒布については、果樹栽培ではよく使われているピストルタイプの噴霧器は、ドリフト(飛散)が多く実は撒布が効率的でないとし、飛散防止タイプの使用を勧める。飛散防止タイプのノズルを低圧(1Mpa程度)で使うことで、撒布する薬剤の量をかなり減らすことができるらしい。

本書によれば、一人の農家が使う農薬の種類は必ずしも多くない。であるから、その数少ない農薬の特性をしっかり理解してほしい、という。かくいう私も、園芸野菜に関してはあまり農薬の特性を理解しないままに使っている一人である。反省して、徐々に農薬の勉強もしていきたいと思う。

また、本書では展着剤の効用は実はあまりないのではないか、と指摘する。 要は、既に個々の農薬はそれぞれが最適な展着性能を持っているわけだから、展着剤を添加することによる機能性の向上はさほど望めないどころか、展着剤を使うことにより付着量は確実に低下するので、使わない方がマシな場合が多い、とのこと。もちろん、使う方がよい場合もあるのでこれは是々非々で使い分ける必要がある。

ところで、「ラクして減農薬」を謳う割には、殺菌剤の効果が切れないように農薬をローテーションすること、とかしており、さほど省力的な管理は推奨していない。そこが信頼できるところでもあるが、減農薬に取り組むための本ではなくて、どちらかというと農薬をばっちりと効果的に使うための本であると思う。それから、「病害虫防除」は必ずしも薬剤散布だけでなくて、耕種的防除や生物的防除など農薬以外の手法もあるわけだが、実質的には農薬散布のみが詳細に書かれているので、タイトルは『果樹の薬剤散布』とした方がよいように思った。

全体として、なんとなくやっていた薬剤散布を基礎から学べる良書。

2014年5月1日木曜日

『Citrus: A History』Pierre Laszlo 著

老化学者によるカンキツ類の四方山話。

本書は「A History」という副題だったので、カンキツ類が辿ってきた歴史に関する本かと思い購入したのだが、分量的には歴史部分は半分程度である。また、歴史の記述についても、中心的なのは米国のカンキツ産業がどうして興ったか、ということで、世界的なカンキツの歴史は簡単に触れられるに過ぎない。

例えば、大航海時代においてカンキツは大変重要な役割を果たした果物であるわけだが、具体的にどこでどのようなものが生産されていたのか、というような話は出てこず、概略的・一般論的にその重要性が指摘されるに留まっている。ただ、イギリス人は17世紀までカンキツ類でビタミン欠乏を防げることを知らなかったので命がけの航海をしていたが、ポルトガル人は知っていたので健康的な航海ができたというのは知らなかったのでナルホドと思った。

米国のカンキツ産業の歴史についてはやや詳しい。いかにして米国にオレンジが渡ったかから説き起こし、それが次第に広まり、寒波などの天災を乗り越えて一大産業を築き、またやがて生産過剰となって「オレンジを飲もう」キャンペーンを実施し、オレンジのジュースとしての消費を開拓してアメリカ人の朝食にオレンジジュースが不可欠なものとなるまでが説明されている。 このあたりの歴史のダイナミズムは大変に興味深いところで、より詳しい文献で調べてみたい気持ちになった。

歴史を除いた残りの半分に何が書かれているかというと、著者の思い出やカンキツが文化的にどう扱われてきたか、そしてレシピといったところで、正直私は興味があまり湧かなかった。例えば、絵画作品において柑橘類がどう描かれてきたかという項があるが、著者の提示する作例が絵画史的に見て妥当なものであるのか判断もつかないし、そもそも話題に出ている絵画のサムネイルが載っていないし、著者の好みの単なる羅列なのか、学術的に意味のある話なのか不明である。

詩におけるカンキツ、という項目もあるが、これに至ってはWallace Stevensという詩人の”An Ordinary Evening in New Haven"という詩を紹介したかっただけなんじゃないかなあ…というような内容で、カンキツが表現された詩を体系的に見渡してみようという意志が感じられず、思いつきで挙げていった感が強い。

というように、歴史の部分は記載が表面的であり、それ以外の部分については思いつきや著者の思い入れが先行して散漫である。ただ、カンキツというテーマでこうした本は他にないと思うので、特にカンキツに対して思い入れがある人は、面白く読めるだろう。

ところで、本書について個人的に失敗したのは、邦訳があったのにわざわざ原書で読んでしまったことだ。別段原書で読む価値がある本でもなかったので、ちゃんと調べてから購入すべきだったと思う。カンキツの文化誌という比類ないテーマでまとめられながら、内容には今ひとつ深みが足りない本。

2014年4月2日水曜日

『薩摩民衆支配の構造―現代民衆意識の基層を探る』中村 明蔵 著

薩摩藩がどうやって民衆を支配し、それが現在の県民性にどのように影響を及ぼしているかを推測した本。

本書では、近世の薩摩藩における農民の統治政策を概観しているが、著者は古代史の専門家であり、近世史は「興味ある分野」としているに過ぎないので、その記述ぶりは随分と大雑把であり、「民衆支配の構造」というほど重厚な分析はされていない。だが逆に様々な統治政策の全体像を見渡すのには便利ではある。

私が本書を手に取ったのは、薩摩藩の宗教政策について知りたいことがあったからなのだが、実は疑問点については解消しなかった。また、内容は郷土誌等でよく説明されることが多い「門割制度」「外城制」や高率の税制などが中心なので、特に新規な事項もなく、個人的にはさほど勉強になる本ではなかったが、そうしたことが教科書風に手際よくまとまっているところに本書の価値がある。

内容を簡単に紹介すると以下の通りである。

少し長いプロローグでは、江戸期に鹿児島を訪れた人の目を通してその実態を探り、他藩にくらべて遅れた社会であったとする。

第1章では鹿児島の土地の低い生産性と近世以前の鹿児島の歴史を概観する。

第2章は薩摩藩の統治政策の説明であり、武士が極端に多い社会だったこと、その帰結としての外城制、そして農民を均一で弱い存在とするための門割制度、高率の税制を述べ、それらが他藩の一般的状況とどう異なっていたか比較する。

第3章は文教政策の説明であり、武士階層は郷中教育があったが庶民階層には教育施設・仕組みらしきものはなかったとし、特に鹿児島には寺子屋がほとんど存在していなかったことを指摘する。また宗教政策では真宗禁制と廃仏毀釈について述べる。

第4章では、そうした統治政策を「中世的」であったとまとめ、そのために農民が無知蒙昧で無気力な状態に置かれたとする。

第5章は明治以降に士族・平民の意識がどう変化していったかを簡単に見るもので、士族的な考え方や行動様式が平民にも次第に浸透していった(その逆ではない)と推測し、郷土芸能などにも民衆的なものが少なく武士階級のものがよく残っているとのはその証拠であると示唆する。

これらそれぞれの項目について、それぞれ一冊の本が必要であるような大きなテーマなのであるが、本書では深くは立ち入らず、簡潔にまとめている。そこに不満もないではないが、薩摩藩の統治政策を大まかに掴むにはよい本。

【関連書籍】
『鹿児島藩の廃仏毀釈』名越 護 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/10/blog-post_18.html
鹿児島の廃仏毀釈の実態について、郷土資料を中心にまとめた本。

2014年3月25日火曜日

『 生活の世界歴史(7) イスラムの蔭に』前嶋 信次 著

生活の世界歴史〈7〉イスラムの蔭に (河出文庫)
地中海周辺のイスラム文明圏の生活と文化について、10世紀を中心として記述する本。

生活と文化といっても、庶民の衣食住についてはさほど触れられない。むしろ、イスラム文明を担った中心的人物たち、具体的にはカリフとか宰相とか、あるいは文化人たちの織りなす人生のタペストリーを眺めてみましょうという体の本である。

叙述の形式は、縦に流れる歴史というより、「こんなこともあった」「あんなこともあった」というようなエピソードを連ねるもので、 まさに千夜一夜物語風の、アラビア文学的なとりとめもない話の集成である。これが歴史の本としてどうかというのは人それぞれの好みだろうが、私には結構面白かった。

特に、典拠としているアラビア文学の書物に書かれていることが生き生きしているのがよい。本書に紹介されている書物のみで判断すれば、アラビア文学は同時代や少し後の時代のラテン語文学と比べると随分と平明で人間性があり、近代的とさえ言える。アラビア語は、イスラム文明圏の共通語であったので、キリスト教文明圏におけるラテン語のような位置づけにあったわけだが、アラビア語とラテン語では発展していった方向性が全く異なっていたようだ。

アラビア語は物語を記述するのに便利だったのか、どこが始まりとも終わりともつかないような問わず語りの文学が数多く残っている(らしい)。本書ではアラビア文学の豊穣な世界を垣間見ることができるが、あまりにも面白そうなので、アラビア語を学びたいという気持ちにさせられてしまった。

本書は、イスラム文明圏に生きたいろいろな人の悲喜こもごもを並べた本であって、生活の歴史を解説するものではないし、イスラム文明圏の何かを学ぼうという本でもない。ただ、10世紀のイスラム文明圏に生きるというその雰囲気を、少しだけ感じてみようという本である。

2014年1月16日木曜日

『道教の伝播と古代国家』野口 鉄郎、酒井 忠夫編

日本への道教伝播に関する重要な論文をまとめた本。

本書は、「選集 道教と日本」の第1巻を飾るもので、日本への道教伝播について考察する1920年代の津田左右吉の「天皇考」、黒板勝美の「我が上代に於ける道教思想及び道教について」といった先駆的論文から始まり、1980年代の論文まで収めた、この研究分野の発展史を縦覧するような本である。

道教の日本への影響についてはとかく「これまで閑却されてきた」などという枕詞がつくことが多いが、現代提示されているような日本文化への影響については、既に1920年代に指摘されていたことを知った。第1部に収録されている、津田左右吉、黒板勝美、妻木直良、小柳司気太、那波利貞の各論考では、現代における当該テーマの基本的着眼点が大凡提示されていると言っても過言ではない。

本書は日本文化と道教ということを考える際に土台となる部分を提示するものであるが、決して基礎的な内容ではなく、例えば「功過格」「老子化胡経」といった言葉が注釈なしで出てくるために、ある程度の道教の知識を前提としている。既に日本への道教の影響がボンヤリと見えている人が、その輪郭をはっきりさせるために読む本という感じで、ある意味では退屈な部分もあるが、必ず一度は目を通すべき内容と言える。

道教と日本という大きなテーマに分け入っていく上で、先人の考察の肩に乗るための本。

2013年12月1日日曜日

『近代日本の戦争と宗教』小川原 正道著

明治時代の戦争に、各宗教団体がどのように「対応」していったかを詳述する本。

明治政府というものは事実上クーデターによって成立したため、その正統性があやふやなところがあったし、一方、各種宗教団体は自らの存在意義を政府に認めてもらうため積極的に政府に協力する素地があった。そのため、両者の利害が一致し、かくして宗教団体は明治政府の戦争を積極的に支持し、寄付を集め、戦地へ赴くものを激励し、皇恩に報いよと教えたのであった。

この基本構造は、仏教も神道も、そしてキリスト教においても変わらない。ごく少数の例外はあったけれども、当時の宗教界は諸手を挙げて開戦に賛同し、戦争で人を殺すことはなんら教義に悖るものではないと人々を諭したのであった。ただ、もちろん、具体的にどのような協力をしたかは、各団体がおかれていた状況によって異なることは言うまでもない。

本書を読む上での私の関心は、浄土真宗西本願寺派の動向にあったのであるが、同派は明治期の戦争協力において、宗教団体として最大の貢献をしている。信徒から莫大な金を集め政府に寄附し、戦地へ従軍僧侶を大量に送りこんだ。そして、戦後は台湾、朝鮮、満州において積極的な布教活動を展開している。

どうして西本願寺派がこのように政府に協力的な姿勢を見せたのかというと、神道を国家の祭祀としていた明治政府に対し、真宗の存在意義を示す必要があったということ。そして本願寺派と政府要人との関係が深かったということがあるだろう。

本書の白眉は、西南戦争の項目である。私自身、西南戦争と宗教の関わりについてはあまり認識していなかったのであるが、蒙を啓かされる思いであった。西南戦争について、著者は別に一巻の本をものしておられるので、そちらも読んでみたい。

戦争と宗教ということについては、従来様々な研究があるが、このように通史的にまとめられたのは稀有であり、しかも、やや引用が煩瑣に過ぎるきらいはあるとはいえ、各種の資料を縦横に駆使しているため記述が総論的になることはなく具体的であり、しかも物語性と臨場感もある。完全な書き下ろしではないが、労作といえよう。

ただし、少し不満な点もある。それは神道界の動向がややあっさりと記述されていることだ。浄土真宗西本願寺派の必死の戦争協力に比べれば、神道界の動きは地味であったのは間違いないが、何しろ「国家の祭祀」であるわけで、もう少し丁寧に書いて欲しかった。国家神道の成立過程については既にたくさんの書があるということで、少し遠慮したのではないかと見受けられたが、せっかくの「通史」であるのでより詳しく説明した方がよかったと思う。