2012年9月15日土曜日

『西欧古典農学の研究』 岩片 磯雄 著

18世紀初頭から19世紀中葉までのイギリス及びドイツの農学の流れについてまとめた本。

この本は、テーマが非常に限定されていて、また内容も学術的であり読者を選ぶ本ではあるが、類書もほとんどなく価値が大きい。

内容は、著者の農業経営に対する見方を示す序章の後、農学の流れの概要を解説、その後イギリスについてはジェスロ・タルとアーサー・ヤングの業績をまとめ、次にドイツについてはアルブレヒト・テーアとチューネンの業績をまとめる。

既出の論文等の改稿が多く、若干体系的でない部分があることと、学術的な記述ぶりのため英語及びドイツ語が頻出するものの、近代農学が成立する流れについてはある程度理解できる。とはいっても、各農学者の主張については、かなり取捨選択している感があり、例えばテーアにおいて簿記の導入が記載されないなど、粗密があるように見受けられた。特に休閑については、著者自身がこれを重要視しているにもかかわらず、些末な点に拘泥するあまり、休閑をどのように克服したのかということが最後までよくわからない部分があった。

それに最大の問題は、「西欧古典農学」を謳いながら、その対象をイギリスとドイツのみに絞っていることだ。 ヨーロッパの農学史は詳しくないが、フランスには農書の名著も少なくないと聞く。せめてフランスの農学についても概略を記載してもらいたかった。

と、いろいろと批判する点はあるものの、先述の通り類書もほとんどなく、書かれている事自体は様々な資料を縦横に駆使し、極めて堅実に書かれており、古い本なのでちょっと気になる部分もあるが全体的には明快で、この分野においては基本図書と言うべき重要な本である。

内容については別のブログにまとめたのでそちらもご参照されたい。

2012年9月8日土曜日

『アイガモがくれた奇跡 失敗を楽しむ農家・古野隆雄の挑戦』 古野 隆雄 著

アイガモ農法の第一人者である著者が、さまざまな苦労をしながらアイガモに出会い、やがてアイガモ農法を確立・普及させていくサクセス・ストーリーの本。

本書はアイガモ農法そのものの話ではなく、著者の人生の振り返りとも言うべきものである。ただし、話の流れ上アイガモ農法の利点も学べることができ、その雰囲気や、どのような背景で成立したのかといったことも知ることができる。

一農家にすぎなかった著者が、完全有機栽培を始めアイガモに出会い、苦労をしながらもアイガモ農法によって成功し、各国で講演をしたり、本を出版したり、スイスのシュワブ財団より2001年「傑出した社会起業家」の一人に選出されたりするというのは、話として面白い。

また、これは純粋な著書ではなくて聞き書き(取材したことを編集者が書いて、それを著者が校正する)だし、元は新聞連載なので大変読みやすい。ワクワクドキドキというような展開はないが、ひどく退屈な部分もない。

人生を通して何かを言う、のような偉ぶったところもなく、教訓めいた話もない。同時に、深い洞察や哲理も述べられないが、そこはあっさりとしていて逆によい。

とはいうものの、これはアイガモ農法を確立した著者の人生に関心がある人だけが読む意味がある本である。これを読んで勉強になる! などということは、農業をしていない人にはないと思う。でも農業従事者であれば、著者の生き方には何か感じるところがあるかもしれない。

2012年9月7日金曜日

『生活の世界歴史(4) 素顔のローマ人』 弓削 達 著


頽廃するローマの社会を、そこに生きた人々の叙述を通して描き出す本。

本書はローマの社会を学ぶ本ではなく、むしろ頽廃した社会の中で人がどのように生きたかを学ぶ本であり、極めて現代的な側面がある。

よく知られているように、帝政ローマでは拝金主義、奢侈、堕落、不信、嫉妬、残酷、度を超えた美食といった悪徳がはびこり、性の頽廃とそれによる家庭崩壊によって価値観が崩壊し、さらに度重なる戦争も相まって社会が乱れに乱れていた。

もちろん現代から見ても先進的な制度や、誇るべき言論もあったが、全体として社会は卑俗なものとなっていた。だがそこで生きる人の中にも、悪徳を告発し、高貴な精神を保ちたいと願った人はいて、それが本書の主人公だ。

具体的には、哲学者としても名高いセネカ、『博物誌』を書いた大プリニウスの甥の小プリニウスが中心になる。彼らは社会の悪徳を嫌悪しつつも、その社会の中で勝ち上がった現実的な人間であった。そして、そうした勝ち組も冷ややかに見つめるのが、詩人のマールティアーリスであり、彼の毒舌が本書のアクセントとなっている。

この中で最も魅力的なのがセネカで、「自らもまた罪と悪に染まったところの、この社会における加害者の一人たることを嫌悪をもって実感しつつも、加害者たることをやめ切れず、罪と悪から逃れえない心の弱さと矛盾に悩む奈落の底から、救いを求める求道者がセネカであった」(p.92)という説明に要約されるように、複雑な内省を抱えた憎めない人間像に惹かれる。

本書の難点としては、資料の引用が非常に多く、時に冗長であることだ。当時のローマ人の手紙の長ったらしさは異常で、それを抜粋とは言えかなりの分量引用するので読むのが疲れる。もう少し簡潔に叙述できたのではないかという気もするが、当時の雰囲気をよく理解することができるという利点もある。社会が乱れつつある今、帝政ローマで何が起こったかを知ることは有益だろう。

2012年9月6日木曜日

『インターネットの中の神々―21世紀の宗教空間』 生駒 孝彰 著

インターネット勃興期の20世紀末において、アメリカの宗教団体がどのようにインターネットを活用しているかをまとめた本。

出版が1999年なので、今の宗教界におけるインターネットの利用とは既に隔世の感があり、現状を知りたいという人には無用な本だが、当時を知りたいという人には貴重かもしれない。

本書の基本的構造は、「検索したらこんなのでてきました」というのがずらずら続くだけで、特段深い洞察があるわけでもなく、著者がいろいろな宗教、宗派にわたって検索した結果がまとめられているだけである。そういう意味では非常におざなりな本なのだが、そもそも本書の目的がそういうことをまとめることにあるわけで、これはこれでよいと思う。

なかなか面白いと思ったのは、アメリカの宗教団体のインターネット利用の基本的姿勢が、Eメールによる信者との交流にあるという点だ。様々な問題が宗教の観点から議論されるアメリカでは、家庭や社会の問題について宗教者に相談するというのが一つの常道となっており、そのためEメールでの相談が積極的にされているのだという。日本でも、社会問題に対して宗教団体がだんだん積極的に発言するようになってきたが(例:脱原発)、そういう使い方がされているのは少ないと思う。

アメリカの有象無象の宗教について興味のある(少数の)人には面白い本。

2012年9月5日水曜日

『有機栽培の基礎知識』 西尾 道徳 著

有機栽培を中心にしながら、農業一般に必要となる理論的基礎が学べる本。

有機栽培、有機農法というと「有機栽培の野菜で病気がなおった!」とか「人柄まで明るくなった!」といった迷信的な喧伝がなされることが多く、有機農法を勧める本においても慣行農法の悪口ばかり書いてあり、有機農法がなぜよいのか? という根本がまったく書かれていない本が多い。

本書はこうした凡百の有機栽培本とは一線を画し、まず有機栽培とは何かを明確化した上で、その利点、欠点を冷静に評価する。著者は土壌学、微生物学の専門家であるため施肥の話が多く、特に後半は施肥の応用的知識が多くなってくる。それは「基礎知識」から逸脱している部分もあるが、全体的なバランスはよい。ただ、病害虫についてはほとんど触れずに「有機栽培では少なくとも病害は少ないといえるかもしれない(p.204)」だけで済ますのはやや安直すぎる感がある。病害虫の防除は基本的に輪作や混作で対処すべきといったことは書かれるが、「基礎知識」を銘打つ以上は体系的に述べるべきだ。

とはいえ、書かれている事項は有機栽培のみならず、作物生産を深く理解するためには重要なことばかりで、何度もナルホドと唸らされた。安易なハウツーではなく「基礎知識」を提供することを主眼においているので、これを読んで有機栽培ができるようになるという本ではないが、理論的基礎を学ぶためには格好の書である。

また、有機栽培に取り組みたいという人でなくても、第1章「持続可能な有機農業とは」は読む価値がある。有機農業とは一体何なのか、それが明確に説明されることは意外に少ないので、ここだけでも本書の価値は高いといえる。

2012年9月4日火曜日

『生活の世界歴史(3) ポリスの市民生活』 太田 秀通 著

古代ギリシアの民主制とそれを支える奴隷制の内実を描く本。

古代ギリシアというと、素晴らしい彫刻、建築、文学、哲学といった文化的精華に目を奪われて、ついついそれが(現代的に見て)素晴らしい時代だったかのように思いがちだけれども、その内実は意外に暗鬱な部分がある。

本書では、彫刻や建築といった文化面はほとんど取り上げず、ポリスの市民生活がどうだったかということに焦点を当てて記述する。特にアテネの民主制の実態は興味深い。

アテネの民主制は徹底しており、政治のみならず司法(裁判)も市民の手で運営されていたので、市民はとても忙しかった。しかしそれは所詮素人の仕事であり、話術の巧みな者に唱導されてしまい、衆愚的な方向に陥りやすい。それでなくても、忙しい民主制を維持するためには労働を肩代わりする奴隷制が必須であり、新規奴隷を獲得するため自然と侵略戦争を必要とする。民主制のアテネが地中海の覇権を争う帝国主義国家になったのは、まさしくそれが民主国家であったためということが大きい。

古代アテネの民主制を知ることは、民主主義への幻想を打ち砕く一助となる。確かに素晴らしい部分もあったが、民主制は手間がかかり、国庫の負担も大きく、しかも賢明な選択をなしづらい制度であった。著者は、アテネ民主制の黄金時代は57年間だったと述べる(p.116)が、後代賞賛された民主制とは、ほんの一時期だけ、幸運に恵まれて実現した泡沫の夢であったと言えよう。

しかし意外だったのは、当時の奴隷観だ。私は激しい身分差別が存在していたのだろうという先入観があったが、実際はそうでもないようだ。例えば、身分の別にかかわらず同一労働同一賃金が保障されていたり、奴隷と共に労働することが何ら恥ではなかったりといったことが挙げられる。これは、人権意識があったということではなくて、アテネの経済構造を支える奴隷の利益を保護し、生産を滞りなく進めるためだったらしい。

奴隷とアテネ市民の間には懸隔があったのは確かだが、「弱者が強者に支配されているだけのもので、いわば運命によってそうなっているだけにすぎず、王子も王妃も王女さえも、弱者なるが故に他人の奴隷となることがある、と考えられていた(p.232)」のである。

2012年9月3日月曜日

『日本文化の形成』 宮本 常一 著

独自の視点から、日本文化の形成に大きな役割を果たした先住民(縄文人)や海洋民、焼畑耕作、秦人などについて語る本。

本書は宮本常一の遺稿であって、著者自身がまとめたものではなく、未完成なものだ。本書で提示されたアイデアは、さらに深められ、体系的な文化論としてまとめられるはずだった。その意味では、本書はその壮大な構想の一端だけで終わってしまっている感があり、物足りない部分がある。

しかし、日本中を歩いた著者の確かな目は、記紀や万葉集といった文献に対しても冴え渡っており、そのアイデアには興奮させられる。政治史ではなく、技術・生産・生活の歴史に注目してきた著者ならではの着眼点が素晴らしい。

特に興味深かったのは、海洋民が高床の住居をもたらしたとする説や、焼畑耕作の実際である。海洋民については、近年研究が盛んになってきているが、焼畑耕作についてはこのような視点での研究は未だに多くない。本書においても、山間に住む人々の重要な生産手段だったのではないか、と示唆するだけで、だから何? という部分もなくはない。しかし、東アジアの中の日本という視座で考えるならば、海洋民とともに焼畑耕作の伝播と発展は極めて重要であり、今後のさらなる研究が待たれる。

ともかく、この研究がまとまらないうちに著者が鬼籍に入ったことは残念でならない。本来なら著者のライフワークの集大成となるはずの本だったが、本書は基本的アイデアの(一部の)提示に止まる。それにも関わらず、本書は日本文化の形成ということを考える上での必読書であろう。