2023年10月7日土曜日

『江戸の幽明―東京境界めぐり』荒俣 宏 著

荒俣宏が語る江戸の田舎めぐりの本。

本書は、「朱引のうちそと」を荒俣宏が歩き、江戸時代そこはどういうところだったか、どのような変遷があったか、見どころはどこかなどを自分史に絡めて語る本である。

では「朱引のうちそと」とは何か。江戸時代には、江戸は府内と郡部(郊外)が分かれていた。その境界は時代により変わって一定しておらず、しかも明快さを欠いていたが、江戸時代後期になってようやく境界が定められた。その地図を「朱引図」といい、府内が朱線で囲まれていた。だいたい四里四方の範囲であり、これは旗本が外出届不要で江戸郊外へ外出できる範囲でもあった。この範囲内がいわゆる「江戸」であり、大江戸八百八町などという「町」はこの内側にある。最も多い時で1700もの町があり、人口100万人を超える当時世界最大の都市であった。

では府内と郡部は何が違うか。要は、郡部は各地の代官が支配していた、ということが一番大きな違いのようだ。では府内は全て町奉行の管轄だったかというとそうでもなく、寺社奉行の管轄する場所(寺社地)や勘定奉行の管轄する場所もあった。そして町奉行が独占的に支配している地域が朱引の中にあり、これは黒線で表したため「墨引」の名がある。

ところが朱引の外に墨引がはみ出した地域がある。これは、江戸府内ではないが町奉行が管轄した地域で、具体的には目黒にあたる。目黒は森と山ばかりの地域であったが目黒不動周辺は門前町として栄え(他にも名刹が10以上あった)、そこに不法滞在する人が多かったので町奉行の管理を要したためと考えられる。

つまり江戸は、都市計画的に作られた境界のある都市ではなかった。徐々に町が拡大し、郊外との間に「朱引のうちそと」がまじりあう領域を持った膨張する都市だったのである。本書は、そうした境界部をめぐることで、江戸の周辺的話題を盛り込んだ本なのである。

しかしながら、江戸に都市計画がなかったわけではもちろんない。特に上水と水路(運河)については入念に整備されており、中心から放射状に延びる陸路と、環状または同心円状に造られた水路という二重構造が江戸をダイナミックに発展させた。

本書は約500ページあり、本書に描かれた江戸=東京は多様であるが、心に残った項目だけをメモしておく。郊外都市を人工的に生み出した田園調布、明治神宮のS字型に曲げられた参道、井上円了がつくった中野の「哲学堂」、明治の末まで「文化果てる地」だった田端文士村(芥川龍之介の居宅があった)、深川の八幡祭りの巨大かつ豪華な神輿(重量4.5トン、佐川急便の社主佐川清の奉納。鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンド! 大きすぎて使えない)、馬込文士村(尾崎士郎、川端康成など)、銀座大火をきっかけにして築地から銀座へと繁華街は移ったこと、など。

ちなみに、著者が「本書は、私が刊行した書物のうちで、もっとも私的な要素を盛り込んだ本になったのではないだろうか(p.503 )」という通り、個人的な回想や私的な関連事項の記載が多く、これはこれで面白い。特に著者が力を入れて書いているのは著者の文学上の師匠である平井呈一についてで、平井が永井荷風から絶縁されて後のことなど、本書の主題からは逸れるのだが興味深く読んだ。

また、上述の田端文士村や馬込文士村だけでなく、文学とのかかわりがたくさん書かれているのも本書の特徴である。それで感じたのは、近代文学は文士たちの「お隣さん意識」に支えられて勃興したということだ。彼らはバラバラな個人だったのではなく、しばしば近所に住み、文学的な議論はもちろんのこと、奥さん同士が助け合ったり、困ったときに金を貸しあったりしながら作品を書いていた。新しい芸術を生み出すには、そういう「密度」が必要だとつくづく思った。

江戸の残照を感じつつ、いろんな話題を気軽に読める肩の凝らない本。

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