2023年8月13日日曜日

『奈良の寺—世界遺産を歩く』奈良文化財研究所 編

奈良の寺の発掘調査の報告。

本書は、奈良文化財研究所が最新の(本書刊行2003年)発掘調査の結果を基に、奈良の代表的な宮跡・寺院・寺院跡について平易に紹介するものである。執筆は同研究所の研究者約50人が分担して行っているが、調子が整っているので論文集的ではなく、通読して全く違和感がない。優れた編集の力を感じる。

紹介されているのは、平城宮跡、法隆寺・斑鳩三塔、薬師寺、興福寺、春日社と春日山、元興寺、唐招提寺、東大寺、西大寺・西隆寺、法華寺、大安寺である。

これら全ての内容は手に余るので、特に面白かったもののみメモする。

まず元興寺の僧房の復原図。元興寺の僧房の建物は今はないが、僧房の部材が極楽坊に再利用されており、その加工跡の様子から元の僧房が復原できるわけだ。

一つの房は間口6.7メートル、奥行き12.9メートル(約50畳)で、これが3つや4つ連なっていた。この房に数人が共同生活をしていた。教授と学生が共同生活するようなものだそうだ。当時の仏教のリアルなあり方を感じさせる。

次に、東大寺戒壇院。戒壇院は、「授戒堂(戒壇堂)、講堂、僧房を備え、平安時代には中門、食堂(じきどう)もあり、独立寺院の体裁を整えて(p.149)」いたというのに驚いた。なぜ戒壇院は独立寺院として運営されなければならなかったのだろうか。

一番心に残ったのが西大寺。道教と称徳天皇が創立した巨大寺院である。この巨大さが異常なほどで、寺域は約50ヘクタール(当時の街割りで31町)。薬師寺などの官寺の3倍もあり、平城京全体71町の中で約40%も西大寺が占めていたのである。東大寺は50町あるが平城京外なので、平城京内でいえばぶっちぎりの巨大寺院なのである。

なぜこれほどまでに巨大な寺院を作ったのかといえば、聖武天皇の娘の称徳天皇は、父にライバル心を持っていて、”東”大寺と並ぶ”西”大寺を建立したのではないかと考えられるという。もちろん寺域が広大なだけでなく個々の建物も想像を絶する壮大さだった。

しかしながら、西大寺だけでなく、他の古代寺院の建築も、作りが異常なまでに巨大なのが心に残った。五重塔など象徴的な意味しかないのに、なぜあんなにも大きさを競ったのか。本書にも「大きさは関係なく、小さくとも塔としての機能は果たす」と述べているのに、実際には奈良人たちは巨大さに憧れていた。

寺院の巨大建築は、実のところ、なんのためだったのだろうか。それが国家や家門の威信を示すものだったからだろうか。そうだとしても、それだけでは説明ができないほどの作りの立派さを感じるのである。本書を読みながら一番感じたことがその点であった。

奈良の古代寺院のリアルに気軽に触れられる本。

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