2023年3月16日木曜日

『武家の女性』山川 菊栄 著

幕末の水戸藩で、女性たちがどのように生活していたかを述べた本。

著者山川菊栄の母は、水戸藩の儒学者・青山延寿の娘千世であり、本書に述べられる話は菊栄が千世から聞いた思い出話である(他に、叔母や祖母(きく)の話も出てくる)。

きくの少女時代が烈公(徳川斉昭)が藩政を執っていた頃で、千世の時代が、幕末の動乱(水戸藩は天狗党の乱)に当たっている。しかし本書に描かれる女性たちの生活には、そうした政治的な事柄はほとんど影響を及ぼしていない。水戸藩は大変な混乱と対立の中にあったが、平生の生活は驚くほど平穏であった。

女性たちは、男たちが血で血を洗う凄惨な政争を繰り広げている間にも、食事を作り、服を繕い、年中行事をこなし、家を整えるという仕事を辛抱強く続けていた。いや、それは言われるまでもなく当たり前のことだ、と人はいうかもしれない。人間に衣食住は不可欠なのだから。でもその当たり前のことは、なかなか記録に残らず語られもしない。本書の価値は、そういう当たり前のことを実直に述べているところである。

それに、その話の内容は決して当たり前ではない。例えば、頭が禿げて髷ができなくなった武士は、つけ髷をしていた、とか。当時の武士の屋敷には普通雨戸はなかった、とか。こういうことはいわゆる「歴史」には出てこない話なのだ。

ただし本書にはちょっとだけ注意も必要である。それは、本書が母の思い出話を聞いて書いたものであることだ。自分が体験したものであればかなり信用できるが、母の少女時代の話であるから少し割り引いて考える必要があると思う。本書に不正確な部分があるとか、誇張や脚色があるとは思わないが、母と著者という二重のフィルターがかかっているということは留意すべきである。

ところで、著者の山川菊栄は、日本の婦人運動の先駆者であり、社会主義者として有名な山川均の妻である。 本書が刊行されたのは昭和18年という、太平洋戦争が差し迫ってきている時代であり、特に山川家は、夫均が人民戦線事件(共産党への弾圧であったが、社会主義者にまで対象が拡大された)で検挙され、一審で有罪判決、裁判が続いていた頃である。そういう緊迫した中で、母の思い出話という、一見悠長な題材で本を書いたのはなぜか。

もちろん、言論が弾圧される中で、婦人運動の理論的著作など著せる状態ではなく、その代わりに時局とは距離を置いたテーマで本を書いたという面はあるのだろう。だがこの非政治的な著作が、そこはかとなく「非暴力の抵抗」という相貌を帯びているような気がするのは私だけだろうか。

歴史に埋もれた平凡な「生活」を描いた出色の社会史。

 

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