2022年1月10日月曜日

『天皇と戸籍』遠藤 正敬 著

天皇と戸籍の関わりについて述べる本。

天皇は「日本人」だろうか? 多くの人はそんなもの当たり前だろ! と思うかも知れない。私もそう思っていた。ところが、「日本人」を「日本国籍を持つ人」と言い換えるとこれが怪しくなる。「日本国籍」というのは「日本の戸籍に登録された人」ということになるが、天皇(と皇族)は戸籍を持っていないからである。(ついでにいえば天皇はパスポートも持っていない)

皇族の場合は「皇統譜」というものが戸籍の役割を果たす。これは、戸籍と似たような機能を持つものであるし、事実皇統府と戸籍は同様の思想の下に作られているが様々な違いもある。本書は、皇族のライフイベントが皇統譜でどのように扱われるのかという様々なケーススタディを通じて、その思想をあぶり出すものである。

そもそも戸籍の元となる民法は、明治から戦前までと戦後で大きく変わっており、それは皇室の扱いについても同じである。よって本書では、旧制度ではこう、新制度ではこう、と対置するような書き方で説明している(時系列的な書き方ではないということ)。なお皇室の場合は、江戸時代までと明治民法でもかなり扱いは変わっているので、明治前の説明も追加されている。

ところで、戦前・戦後で制度が大きく変更されているのは確かなことながら、やはり変わらないものもある。例えば氏(名字)の扱いや、続柄を戸籍に記入すること、といったことだ。特に続柄は、家制度が廃止され家督相続といったものがなくなった以上、記入することには何の意味もないにもかかわらず存続しているものだ。続柄は、家族の成員を戸主を頂点として序列化する仕組みであったが、その残滓は意識されぬまま戸籍に反映しているのである。

一方、続柄や家父長主義については、皇統譜においては全く無くなっていない。それは、男系相続による「万世一系」が重要であった天皇家の場合は当然のことともいえるし、皇位継承の順序を明解にする意味でも続柄は意味がある。このような皇族における「籍」の在り方が、国民の戸籍にも強く影響しているというのが著者の考えだ。

ところで、「戸籍」と「皇統譜」には決定的な違いがある。それは戸籍は基本的に届出主義で明治以降の情報が対象になっているのに対し、皇統譜は過去の天皇の系譜全てを対象としているということである。つまり皇統譜は戸籍と違って天皇家の歴史を記述するものなのだ。とはいえ、南北朝自体を事例に出すまでもなく天皇家の系譜は錯綜しており、その作成は明治3年にも遡り、江戸時代以来の国学者たちが研究に勤しんでいたにも関わらず、旧皇室典範で皇統譜が明記されてから36年もの間実際には確定しなかった。ひょんなことから国会答弁で「皇統譜が実際には明治天皇以後しか存在しない」ことが明らかになって関係者が衝撃を受け、それまで作成されていた草稿をとりあえず決定することによって成立したのが現在の皇統譜なのである。

戸籍というテーマを深掘りするため、本書は「臣籍降下」の歴史を詳しく述べている。皇族の子どもが全員皇族なら、文字通り皇族はネズミ算式に増えていく。かつては天皇は数多くの愛妾を抱えてたいへん多くの子どもをもうけることも珍しくはなかったからなおさらだ。よって、「臣籍降下」すなわち皇族の身分から臣民の身分(臣籍)に移行するということが歴史を通じて行われた。本書ではこの事例を大量に提出し、どのような力学によって臣籍降下が行われたのかを分析している。それが結果的に、皇族(天皇家)とは何なのかという考察になっているように思われる。

なお「臣籍降下」にはいろいろな場合があり、例えば結婚、賜姓(天皇には姓がなく、姓はあくまで臣下に与えるものである)、懲戒などがある。一方、出家については臣籍降下ではないがそれと同じような効果を持つ(皇位継承権の放棄など)。近世には幼少の皇女が軒並み出家して(させられている)のを見ると、出家が体のよい口減らしのために行われたのは明らかだ。出家の場合は結婚と違って結納・支度金・婚礼費用などが必要なく安上がりだったからである。

さて、ひとたび「臣籍降下」したら皇族には復帰できなかったのかというとそうでもない。それどころか臣籍に移されたものが皇族に復帰した事例は数多いのである。醍醐天皇の例は特に興味深い。彼は父・宇多天皇が臣籍にあった時に「源維城(これざね)」として生を受け、父の皇族復帰に伴って皇族の身分を得、宇多天皇からの譲位で天皇に即位したのである。臣民が天皇にまでなったのは唯一無二の存在だそうだ。

ともかく、かつて皇族と臣民の関係は「ゆるやか」なものだった。それが厳格化されて一度臣籍降下したら皇族に戻れない、となったのは旧皇室典範の制定からである。旧皇室典範の制定時においては女性天皇容認論も出たものの(周知の通り女性天皇は歴史上数多い)、結果的には歴史的にそうであった以上に男系男子主義を徹底させたものとなった。

その結果、皇族の婚姻については徹底的に夫唱婦随なものとなった。例えば皇族男子が一般女子と結婚しても皇族であるが、皇族女子が一般男子と結婚すれば臣籍に入ることになるのである。これは明治民法における「家」の概念からは当然のことであったが、戦後の民法で「家制度」がなくなっても、皇族の場合は「女子の身分はその夫の身分に従う」という規定は変わらなかった。この夫唱婦随の原則は伝統に則ったものであったかもしれないが、「一般国民の夫婦観念に与えた影響は、現在も根強い夫婦の「氏」をめぐる慣習——妻が夫の氏に合わせる——をみても明瞭であろう(p.209)」。

そして、そもそも皇族の婚姻は個人の自由で行えるものではなかった。皇族の結婚は勅許(天皇の許可)を必要とし、一種の人事の性格を帯びていた。戦後にも、勅許から「皇室会議」の許可に変わっただけで本質的には変わらなかった。

しかし、日本人なら誰でも今は「両性の合意(憲法第24条)」のみによって結婚できるのではないだろうか(大日本帝国憲法では「戸主の合意」が必要だった)。それとも皇族は日本国民ではないのだろうか? 三笠宮寛仁は率直にこう述べた。「僕なんか住民税まで払わされるわけよ。戸籍がないのに……。(略)伯父様(高松宮宜仁)よくおっしゃるけど、われわれはある意味で無国籍者なんだな(p.89)」「我々には基本的人権ってのはあんまりないんじゃない?(同)」

皇族は、日本国憲法の埒外にある、というのは確からしい。皇族は、日本国民なら誰でも認められている自由をいろんな形で奪われている。特に天皇は、人生そのものに大きな制限があり、国民はそれを当然のこととして考えている。本書には、その問題提起はサラリと書かれるに過ぎないが本書全体を通じてそうした反省をせざるを得ないように思う。

ちなみに皇族は戸籍を持たないだけでなく、住民基本台帳にも登録されていない。つまり住民票もない。健康保険にも加入していない(ここでも国民皆保険の原則から外れているわけで、皇族は国民扱いされていないわけだ。実際には医療費は全額税金から支払われるにしても)。戸籍そのものはともかくとして、普段のいろいろな手続きで住民票は必須なのだから、いったい皇族の生活はどれだけの制限があるのだろうと思った。例えば銀行口座の開設は可能なのか? 国家資格の取得はできるのか?  本書は皇族のライフイベントを戸籍の観点から述べるものであるためそういったことは書かれていないが、多くの制限が課されていることは想像に難くない。

皇族の人生を戸籍の観点から繙き、皇族とは何か、戸籍とは何かを考えさせるエキサイティングな本。


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