2021年7月10日土曜日

『中世の罪と罰』網野善彦・石井 進・笠松宏至・勝俣鎮夫 著

日本中世における罪と罰の在り方を考察する論文集。

何を悪事と見なし、どのような罰を加えるか、ということは社会の特質を示す格好の素材である。例えば外国に行ったとき、日本ではごく普通に許されていることが罰せられたり、逆に日本ではしてはならないことが堂々と行われたりしていて、その文化の違いにハッとさせられることは多い。その一つひとつが、その国の人々が考える社会のあるべき姿と繋がっているからである。

だから、日本の中世における罪と罰の在り方を知ることは、その社会がどのようなものであったかを照射するテーマとなるのである。

しかしながら、中世の刑法システム—今で言えば刑事訴訟法とか民事訴訟法のようなもの—は完全な形では残っていない。というよりも、中世においてはそれはその場しのぎで増築されていった建物のようなもので、当時の人にとってもその全貌が分かりづらいものだったようだ。よって、それは史料に残る片言隻句から推測・考察していくしかない。

本書には、そのようなスタンスで書かれた10の論文と著者たちによる討論会(の速記録)が収録されている。

1「お前の母さん……」(笠松宏至):鎌倉時代、悪口は重罪の一つだった。御成敗式目は前時代までの罪を踏襲していたが、唯一「悪口」だけは式目で規定された罪である。著者は特に母子相姦を表す悪口について考察している。

2 家を焼く(勝俣鎮夫):荘園領主はその領民が罪を犯したとき、追放とその住居を破却・焼却するだけでそれ以外の断罪の手段をほとんど持たなかった。では追放はともかく家の破却はどうして行われたのか。それは犯罪を穢れと見なしていたためで、穢れている犯罪者の住居を領内からなくすためだったのだという。

3「ミゝヲキリ、ハナヲソグ」(勝俣鎮夫):中世では、追放・所領没収・死刑が代表的な刑罰であったが、劓刑(はなそぎけい)や指斬り刑などの肉体刑、また片側だけ鬢を剃るとか女性の髪を切るといった刑罰も行われた。これらは「異形の姿にする刑罰」であり、詐欺や密通など「あざむきの罪」に対応していたと見られる。

4 死骸敵対(勝俣鎮夫):死骸を辱めることは中世ではよく行われた。合戦で死骸が敵方に渡らないように処置することは残されたものの務めだった。死骸は意志あるものと考えられ、その意志に反する行為は「死骸敵対」として非難された。

5 都市鎌倉(石井 進):鎌倉は政治の中心として数々の規制にがんじがらめになっていたが、実際にはその禁制が現実に力を持っていたとは限らない。また相次ぐ災害や飢饉によって鎌倉は荒廃して人肉が喰らわれていたことさえあった。そのような環境を踏まえて罪と罰の体系を考察していく必要がある。 

6 盗み(笠松宏至):盗みは公家法・幕府法では盗んだものの金額次第で罪の軽重が計られる軽罪だったが、実際に機能していた在地法(荘園本所法)では金額によらず本人の死刑のみならず妻子所従に及ぶ重罪と見なされた。盗みは不浄なことと考えられたため、このようなダブルスタンダードが長く続いたのかもしれない。

7 夜討ち(笠松宏至):現代の感覚では、昼の討ち入りと夜討ちは同じものに思えるが、中世では夜討ちは斬罪が原則の凶悪犯罪だった。やることは同じなのになぜ夜に行うことが問題になるのか。他にも夜間の通行に対する規制も多かった。どうやら中世の夜には昼と違うルールが存在していたようである。

8 博奕(網野善彦): 博奕は古代から盛行し、10世紀から11世紀には「芸能」の一つとなった。博奕は巫女と同様に神と関わりを持つ呪術的な側面があったらしい。しかし鎌倉期になると博奕は公権力によって禁止され重罪と見なされるようになり、戦国時代には刑罰も厳しくなり、その姿勢は江戸幕府にも引き継がれる。

9 未進と身代(網野善彦):未進、すなわち納入すべき年貢を納められないことは罪であった。それは借銭・借米の未返済と同じような契約不履行の罪であって、その罰として身代を取り上げられる=債務奴隷化するということが多く行われた。これは年貢の制度自体が出挙の仕組みを基盤としていたからではないかという。

10 身曳きと”いましめ”(石井 進):「9 未進と身代」での考察が再び取り上げられる。未進だけでなく犯罪の場合も「身曳き」といって、自分の身を領主の下人とすること、即ち犯罪奴隷化が行われた。 しかしその場合も上位権力による命令によったのではない。「曳文(ひきぶみ)」、すなわち「自分はこれこれの罪を犯したので自分の意志で所従になります」という自発的な文書を作成した(形にした)。「刑罰に処される人間が、自発的にそれを承認する文書を提出する形式をふまざるをえなかったところに、われわれは中世という時代の特色をもとめることができる(単行本版p.178)」。

討論[中世の罪と罰]: 興味深い話題が次々に、脈絡なく語られている。特に面白かったのは、「2 家を焼く」では荘園領主は犯罪者に対して追放・家の破却しかできなかったとしているのに、「9 未進と身代」「10 身曳きと“いましめ”」では明らかに債務奴隷・犯罪奴隷にするという処罰が存在していたとする矛盾をどう考えるか。それは荘園領主(=公家)と在地領主(=武士)では違う罪観念があったことの反映ではないかという。公家では犯罪は穢れであり遠ざけておきたいもので、その検断(逮捕・裁判・処罰)にもできるだけ関わりたくなかったが、逆に武士では積極的に摘発や追捕してその人間を殺すなり奴隷にしたりということが行われた。つまり武士は犯罪=穢れと思っていなかったフシがある。だからこそ武士が検断権を独占的に請け負うようになり、それが武士の力を高めたのではないかという指摘は面白い。

本書は雑誌『UP』に連載されたもので、論文集とはいっても、普通の論文では成立しないアイデア段階のものが自由に書かれており大変エキサイティングである。中世の刑法システムを体系的に語るものではなくトピック的なのでやや分かりづらいところもあるが、全体像がわからなくても面白く読める。

中世の罪観念を繙き、そこから中世社会の特質を窺うエキサイティングな本。


0 件のコメント:

コメントを投稿