古代、海沿いの崖にある自然の洞窟(海蝕洞窟)は、しばしば葬送の場所になった。そこでは海に向けて置かれた船形の木棺で葬られた場合が散見される。また、古墳に船形木棺が安置されることもたびたびあった。それは「舟葬(しゅうそう)」と呼ばれる葬送方法で、神話学者の松本信広はこれを東南アジアの海洋文化に淵源するものと見た。
また、古墳には内部に様々な絵が描かれたものがあるが(装飾古墳)、そこにもゴンドラ型の船のモチーフがしばしば登場する。その他、霊魂を運ぶ(ように見える)馬も描かれることが多い。こうしたことは何を意味しているのだろうか。
著者によれば、そういった考察はこれまでの考古学ではあまりされてこなかったのだという。そうした空白を埋めるべく、古代人が考えた死後の世界を考古学的遺物を通じて推測したのが本書である。
しかしがら、そうした推測が妥当なものだと言えるのか、私には全く判断が付かなかった。悪く言えば著者の妄想のような推測もある。描かれたもの、残されたものは多様に解釈可能であるから、著者の解釈はたくさんある可能性の中の一つに過ぎず、「そういう考え方もできる」以上の受け止めは難しいと感じた。
とはいえ、船や馬といった移動手段を葬送に関係させたということは、「古代人は死後の世界を、船や馬を使って行く遠いところにある場所」と認識していたのではないか、という考えは説得的だと思った。
しかし例えば、記紀では死んだイザナミは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を過ぎたところにいるわけで、さほど遠い所にいる印象ではない。少なくとも現世と地続きにあの世が存在している感じである。この違いはどう考えればいいのだろうか。黄泉の国神話は日本に元々あったものではなく、外来のものなのかもしれないと思わされる。
というわけで、本書を読み終えても、古代人のあの世観はよくわからない…というのが率直なところだ。
舟葬に関する議論は興味深いが、著者の推測がどの程度妥当なのか不明なためなんともいえない本。
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