管子(管仲)は、中国の春秋時代、斉の桓公を補佐して国を富ませた名宰相であった。それに続く戦国時代、斉では学者を優遇して、大夫(家老)の待遇を与えて専ら学問に専念させたが、それに応じて天下の俊英が斉に集ってきた。こうして斉には「稷下の学士」という学問集団が成立する。
そして彼らの著作が、古代の管子に仮託して編纂されたのが『管子』である。なので、『管子』といっても管子が書いたわけではなく、管子を名義上の編纂者にした論文集であるといえる(なお本書は抄訳)。
その内容は、少なくとも数人の手によるもので、しかも時代的にも長くかかって編纂されたものであるだけに、雑多であり首尾一貫しているわけではない。しかし基本的な方向性として言えるのは、「現実的な人間理解」である。
『管子』は儒教道徳を肯定する。しかし、君主の徳が人民を感化する、といった空想的なことは言わないし、君主は徳を備えているべきだとしながらも、それはあくまで統治上の必要性によって説明される。
まさに『管子』を特徴付けるのは「倉廩(そうりん)実(み)つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」(倉庫が満ちてから礼節を知るようになり、衣食に事欠かなくなって栄誉と恥辱の違いを知るようになる)という言葉が象徴する現実主義である。
人々が君主を慕うのは、君主に徳があるからではなく、君主が善政を敷いて国が富み栄え、自らの生活が豊かになるからだ、というのが『管子』の人間理解である。そのため、諸子百家の中では特異なことに『管子』では経済政策が多く述べられる。例えば、特産物(塩や黄金)の専売制、物価の安定政策(騰貴した時に政府が買い上げて安く払い下げる)、流通を盛んにする方法といったものである。
そして、人々が国家のいうことを聞くのは、君主の徳によるのではなく、信賞必罰によるのだと『管子』は見る。良いことをした人間には褒美を与え、悪いことをした人間には厳罰を加える。しかも、それを君主の気まぐれで行うのではなく、全てを法令に基づいて公平に行うことが重要である。そうすることで、人々は定められた法令を遵守して、国家の秩序が守られるのである。
さらには、君主すらも法令には従う必要がある。というよりも、緻密に組み立てられた法令の体系さえあれば、君主の行うべきことはほとんど何もなくなる。よって『管子』の思想は、法家的な法令万能主義を基盤として、ついには道家的な無為自然に近づいていく。法令さえ備えれば、全ては滞りなく流れていき、君主は何もせずに天下が泰平となるのである。
このように、国を富み栄えさせるための経済政策、人々を教導し社会を運営するための法令、それを実行するための信賞必罰が『管子』の基本路線である。「無為自然」はともかくとしても、その人間理解に基づいた政策の提案は非常に現代的である。少なくともその問題意識と立論の仕方は現代でも十分に通用するであろう。
ところが『管子』には盲点ともいうべき空白がある。それは、『管子』は「法令」を重視しているのに、それがどうあるべきか一切述べていないことである。例えば、ソクラテスは「悪法もまた法なり」と言ったが、『管子』においては悪法がありうることが全く想定されていない。しかし現実の世界では、政策立案者の思惑と、法律がもたらした結果が齟齬していることはよくあることだ(古代においても)。しかし『管子』では、法令さえ厳重であれば社会は公正に運営されるだろうとウブに考えている節があり、法令そのものの良し悪しをどう判断するか全く思索されていない。
もっと言えば、法令はいかにして定めるべきか、どうやって布告すべきか、といった法令を定めるプロセスについても一切の検討はない。『管子』の著者たちはどうやれば「公正な法」が立案できると考えていたのだろうか。こうした点において『管子』はやや空想的な雰囲気があり、その現実的な人間理解とは裏腹に、法については非現実的なほど安易に考えていたようだ。
しかしながら、他の諸子百家の著作が強烈なバイタリティーと個性に彩られた(当時としては)過激な思想を表現しているのとは違い、論文集であるためもあって内容は穏当であり、その思想を全面的に承認しなくても、部分的に政策に生かしていけるという柔軟性を『管子』は持っている。古来、経済思想の基本として重んじられたのも当然であろう。
現実主義的な人間理解に基づく古典的政治経済学。
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