2019年3月30日土曜日

『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』塩野 七生 著

チェーザレ・ボルジアの生涯を描く本。

チェーザレ・ボルジアはルネサンス末期の1435年〜1507年のイタリアに生きた。彼は法王アレッサンドロ6世の庶子(正式な結婚によって生まれたのではない子ども=愛人の子)としてまずは枢機卿にのし上がる。

枢機卿と言えば、当時のイタリアでは社会の支配者の一員であり、十分な高給と社会的地位があった。しかし枢機卿の地位に満足していなかったチェーザレは突如として辞職し、一人の武将として生きる道を選ぶ。

公式にその野望が表明されたことはなかったが、彼はイタリアを統一し自らの王国を建設する夢があったようだ。僧職上がりのこの男は、それまで戦争の経験などなかったのに、いざ事を起こすと疾風迅雷、怖ろしいまでの怜悧な戦略で近場の小国を(実際にはほとんど戦うことなく)次々と平定、さらにフランス王と姻戚関係で結ばれその後援を得、巧みな外交によってほんの数年でイタリアにおける新時代の為政者として押しも押されぬ存在となる。その国土建設、都市計画の右腕となったのがレオナルド・ダ・ヴィンチであり、また対立していたフィレンツェからチェーザレ対策のため派遣されたのが若きニコロ・マキャベリであった(マキャベリは後年、チェーザレを素材として『君主論』を書く)。

しかしチェーザレはその権力の絶頂で運命に見放される。強力な後ろ盾だった法王アレッサンドロ6世が病気で急逝。さらに自らも罹病して死の淵をさまよった。なんとか恢復したものの病床にあるうちにチェーザレが征服した小国たちが次々に再独立。チェーザレは自分を後援してくれそうなジュリオ2世を法王に就かせるが、ジュリオ2世はチェーザレに恨みがあり、結果的にこの法王によってチェーザレは破滅させられる。

落ち延びたスペインでまた武将として活躍する機会が巡ってきたものの、かつての怜悧さが嘘のように彼は悲惨な最期を遂げたのであった。

本書は、いわゆる歴史書ではない。参考文献は掲げられているが本文と対応したものではないし、創作的部分も多い。概ね史実に沿っている(らしい)とはいえ、どこからどこまでが著者の創作かわからないので、分類としては歴史小説ということになる。

なお私としては当時のイタリアの社会に興味があって本書を手に取ったが、 この物語はチェーザレの行動、征服の有様を描写するのに忙しく、その背景となる社会の動態については語らない。この時期のイタリアはなぜチェーザレという稀代の小君主を生んだのか、そういう考察も欲しかったし、対外関係(特にスペインとイタリアの関係)や社会の仕組み(そもそも枢機卿の持っていた権力とはいかなるものか等)についての情報はチェーザレを理解する上でも不可欠と思われるのでもっと詳細に記述して欲しかった。

ちなみに本書は題名が大変魅力的であるが、チェーザレは冷酷ではあってもあまり優雅とは思えない。確かに彼は容姿に恵まれ、端正な顔立ちと品のよい衣装によって非常に高貴な雰囲気を持っていたようだ。ところがその人生は血みどろであり、文化や芸術の香りはなく、優雅というよりは果断、徹頭徹尾行動の人であり、今から見るとサイコパス的な部分がある。

蛇足ながら、本書は塩野七生の第2作で、彼女がようやく30歳の頃に書いた作品である。気軽な歴史読み物ではあるが、30歳の作者によって書かれた本としては水準は高い。

考察や背景の説明は不足気味だが、チェーザレ・ボルジアを知るためには手軽な本。

0 件のコメント:

コメントを投稿